決勝 無敵の女王を撃破せよ 2/2
ヴァリアンテの右腕が復元した事により、試合は振り出しに戻ったかに思えた。実際はヴァリアンテにはダメージがある上に、右腕の修復で余計に魔力を消費しているので不利なのだが、試合の流れというか、マイナスの状態をここまで持ち直した事による勢いのようなものが、観客にヴァリアンテがやや有利であるかのような錯覚を起こさせた。
そして今、まだ関節をミスリルに固められて動けないフェルムロッサに向けて、ヴァリアンテが動き出した。
さしものヒルダ=クラウフェルトも、これでは避けるのも防ぐのもできまい。一体どんな攻撃をするのか。観客が期待のこもった唸り声を上げる。
だが次の瞬間、信じられない事が起こった。
「なにっ!?」
フェルムロッサの操縦室の中で、ヒルダ=クラウフェルトが驚嘆の声を上げる。
なんとこちらに向かって走っていたヴァリアンテが、いきなり勢いよく前に倒れ込んだのだ。
すわ転倒か、と誰もが息を呑んだ。そして無様に地面に倒れるヴァリアンテの姿を想像した。
だが、そうはならなかった。
ヴァリアンテは地面に倒れながら両手を地面に着くと、身体を捻って回転した。
それは、体操のロンダートだった。
そして身体を半回転させ、フェルムロッサに背を向けた状態になると、今度はそのまま後ろに倒れ込んだ。
今度こそ、ヴァリアンテは頭から地面に激突すると思われた。
しかし今度も、そうはならなかった。
頭が地面に直撃するよりも前に、伸ばした両手が地面を押し返す。その勢いのまま身体は弓なりに反りながら、綺麗な半円を描いて回る。
バク転だ。
一回、二回とバク転を決め、二回目の着地と同時に回転の勢いを乗せてヴァリアンテが空中高く跳び上がった。
闘技場全体が揺らぐほどの「おお」という声の中、ヴァリアンテが華麗に宙を舞う。
軽量級のスペレッサーならいざ知らず、重量級のヴァリアンテがロンダートやバク転などしたら、一発で腕や足の人工筋肉やショックアブソーバーが破損してしまう。だがそうならなかったのは、ひとえにヴァリアンテがグランドールの中でトップクラスの魔力貯蓄量を誇るからだ。巧真はヴァリアンテの豊富な魔力を使って、逐一関節や緩衝材の保護や修復をこなしながらこれだけの運動をやってのけたのだ。
恐らく史上初めてであろう、グランドールによる器械体操の披露に、観客のみのならずヒルダ=クラウフェルトまでもが息を止めてヴァリアンテを見守った。
それが、彼女の致命的なミスだった。
「――しまった!」
気がついた時にはもう遅かった。
太陽を背に真っ黒な影と化したヴァリアンテが、獲物を狙う猛禽類のように上空からフェルムロッサに向けて襲いかかってきた。
陽光に目がくらむ中、ヒルダ=クラウフェルトはヴァリアンテに飛び蹴りされた衝撃を受けた。
その光景を見ていたアイザックは、嬉しそうに言った。
「あの野郎、俺の技をパクりやがって」
言いながらアイザックは隣の席に向けて手を伸ばす。自分が持つ菓子入れに伸びてきたアイザックの手を、ぴしゃりと叩いてヴィルヘルミナが問う。
「あら、あなたは今のと同じ事ができるの?」
「そりゃあお前――」
沈黙するアイザック。
ヴィルヘルミナが菓子をかじる乾いた音が、歓声に混じった。
† †
上空から強烈な飛び蹴りを受け、フェルムロッサが豪快に吹っ飛ぶ。しかも関節がミスリルで固められているため、受け身もとれない。
チャンピオンが無様に地面を転がる姿に、観客たちは信じられないものを見たという驚きと、これはひょっとしたらひょっとするんじゃないかという期待のこもった歓声を上げる。
「くっ……!」
蹴り飛ばされて不格好に倒れるなど、生まれて初めての事だった。しかもあんな素人同然の相手に。とんでもない恥をかかされ、ヒルダ=クラウフェルトは怒りと恥辱で目の前が真っ赤に染まる。
だがすぐに大きく息を吐き出すと、冷静になれと自分に言い聞かせる。完璧な自己制御で己を律すると、そこにはもう普段通りのヒルダ=クラウフェルトがいた。
「どうやらわたくしが間違っていたようですわね。たかが素人と侮っていた対価、確かに払いましたわ」
魔導石に置かれている彼女の両手が、一瞬だけ放電した光に包まれた。それは、彼女の両手の平に埋め込まれている金属球が発したものだった。
「ですが、もう二度とこのような事は起こりません」
ヒルダ=クラウフェルトの気合に呼応し、地面に横たわっていたフェルムロッサが全身に力を溜めて構える。ぎしぎしと金属のこすれ合う、奥歯がうずきそうな音が闘技場を包み、観客たちが身悶えした。
「はあっ!」
気合一閃とともに、フェルムロッサの関節を埋めていたヴァリアンテのミスリルが弾け飛んだ。
動きを遮っていたものから開放され、ゆっくりとフェルムロッサが立ち上がる。王者の復活に、大歓声が上がる。
闘技場を揺るがす大音声の中、ヒルダ=クラウフェルトが不敵に笑う。
「さあ、ここからが本番ですわよ」
† †
今度は二体同時に動いた。
闘技場の中央で激しくぶつかり合い、一度距離を取ったかと思えばまたすぐにぶつかる。
互いの手が触れる距離に達するや否や、激しい攻防が始まった。瞬きも許されないほどの拳と蹴りの応酬に、観客たちは息をするのも忘れてどちらが先にこの戦いの主導権を握るのかを見守った。
先手を取ったのは、やはりフェルムロッサだった。
ヴァリアンテの右の突きを捌くと同時に、流れるように背後に回り込んで腕を絞り上げた。
一瞬でヴァリアンテの右腕を極めたフェルムロッサは、そのまま躊躇なく全力で腕を絞る。
再びヴァリアンテの右腕が折れる。見ている誰もがそう思った瞬間、
ヴァリアンテは自らその場で前転宙返りをし、右腕が破壊されるのを免れた。
そして着地と同時に、お返しとばかりに腕を掴んでいるフェルムロッサに一本背負いを仕掛ける。
虚をつかれ、綺麗な弧を描いて回るフェルムロッサ。
このまま地面に叩きつければ、それで試合が終わる。そう思えるほど見事な背負投だった。
だがフェルムロッサは投げられる途中で掴まれた腕を振りほどくと、身体を半回転させて足から地面に着地した。そして追撃を避けるようにヴァリアンテから離れる。
フェルムロッサの操縦室の中で、ヒルダ=クラウフェルトは激しい心臓の鼓動を抑えるように大きく息を吐く。危なかった。あの技、リムギガス戦で一度見ていなければ、逃げられずに勝負は決まっていた。だがこのヒルダ=クラウフェルト、腐っても前回王者である。その自分に一度見せた技は通用しない。
あわや決着かと思われるやり取りに、観客が大きな溜め息を漏らす。
だが怒涛の攻防はそこまでだった。
さっきまでのやり取りが嘘のように、二体は動かなくなった。
いや、正確に言えば動けなくなったのだ。
フェルムロッサはヴァリアンテの実力を認め、下手に動くと自分が危険だと判断したのだろう。今は僅かな隙も見逃さないとばかりにヴァリアンテの様子を慎重に窺っている。
一方ヴァリアンテは、別の理由で動けなかった。
巧真が限界に近づいていたのだ。
いくらヴァリアンテの魔力貯蔵量が他のグランドールと比べ桁が違うと言えど、それを制御しているのは人間の、おまけに素人の巧真である
しかも巧真はフェルムロッサとの攻防のみならず、過激な運動でヴァリアンテの関節や駆動系が自損しないようにピンポイントで魔力を供給して補強したり補修しているのだ。人間の脳が一度に並列処理できる量には限度がある。巧真の脳は沸騰寸前だった。
『どうしたタクマ!? 見ているだけじゃ勝てないぞ! さっきの調子で攻めて攻めて攻めまくれ!』
魔導石からギリガンの無責任な激が飛ぶ。ついさっき勝負がつくかと思うような背負投を見せたのだから、無理もあるまい。
けど残念ながら、巧真はその背負投で集中力が完全に切れてしまった。彼にとってはあれが、残った気力を全て注いだ最後の攻撃だったのだ。それをああも見事に防がれ、そして気力も尽きた今、巧真に残っているのは辛うじて意識を保つ程度の気合いだけであった。
しかし彼の気力を奪ったのは、それだけではない。
最も大きな要因は、やはりヒルダ=クラウフェルトその人である。彼女から放たれる尋常ではない重圧が、試合が始まった瞬間から巧真の精神をヤスリのように刻一刻と削り取っていったのだ。
当然、巧真とて今日まで数えるほどとはいえ試合をしてきた。歴戦の強者と相まみえて、彼らが放つ戦士の重圧をその肌で直接感じてきた。まったく免疫がないわけではない。
それでも、ヒルダ=クラウフェルトは別格なのだ。王者の風格、とでも呼ぶのだろうか。頂点に立つ者の威風や、彼女が持つクラウフェルト家の矜持、そういったものが混じり合った気配は、これまでの対戦相手とは一線を画していた。それが巧真を疲弊させた。
やはり足りなかったのだ。
操縦士としての技量も経験も、
知識も基礎体力も、
ありとあらゆる何もかもが。
これまで情報こそが絶対だと信じていた自分の信念を捨て、己の殻を打ち破ってさえもまだ足りなかった。
だがそれでも唯一、巧真がヒルダ=クラウフェルトに対して負けていなかったものがあった。
それは、前述のもの全て取り払った後に残る、「コイツを倒して自分が一番になるんだ」という気概であった。
たかが気概。
されど気概。
勝負というものは面白いもので、技術や経験などまったく無視して、単純に闘争心の強いほうが勝つ事がある。負けたくないという純粋な思いが、時として技術や経験を超える時があるのだ。
そして負けず嫌いなら、巧真は誰にも負けない自信がある。その子供じみた自信が、ほとんど意識を失いかけた彼の身体を動かした。
† †
ヒルダ=クラウフェルトは、ここに来てヴァリアンテの動きが鈍くなったのは、操縦士が心身共に限界であると見抜いた。
好機は絶対に逃さない。勝者や成功者が必ず持っているこの不文律を、当然ヒルダ=クラウフェルトも持っている。
もはや立っているだけの木偶人形と化したヴァリアンテに向かって、フェルムロッサは全力で攻撃を仕掛けた。
だが、その足を何かが掴んだ。
「なにっ!?」
突然足を取られ、フェルムロッサのバランスが崩れる。
その時、フェルムロッサが地面に倒れる僅かな瞬間に彼女は見た。
フェルムロッサの右足を掴んだものの正体を。
それは、銀色に輝くヴァリアンテの右手首だった。
まさか――、とヒルダ=クラウフェルトは刹那の中で思考する。
あの右手はどこから現れたのか。自分がへし折ったヴァリアンテの右腕は、既に元に戻っているではないか。
いや、あれはあの右腕ではない。
思い出す。泥田坊リムギガスが、自分の装甲の泥を使って無数の腕を作り出して操っていた事を。
あれと同じ事をやったというのか。
しかし材料はどこから。
それも思い至る。
フェルムロッサの関節に侵入したミスリル。
今さっき自分で弾き出したあのミスリル。
あれらが密かに集まり、右手の形をした罠となってフェルムロッサの足を取ったという事か。
つまり、ここまでが作戦。
ヴァリアンテの操縦士は、そこまで考えてフェルムロッサの関節に自分のミスリルを塗りたくったのか。
しかし所詮は躓いた程度。これくらい、受け身を取るなど造作も無い事。
そう高をくくっていたヒルダ=クラウフェルトの思考を、視界をよぎったヴァリアンテの姿が中断させた。
声も出なかった。
フェルムロッサが転倒する先に、ヴァリアンテが待ち構えていたからだ。
「っ――!」
一瞬だった。
ヴァリアンテは自分に向けて転んで来るフェルムロッサの右腕を取ると、転倒する勢いを殺さないどころかさらに加速させてフェルムロッサを一本背負いで投げた。
身体を捻る暇さえ無かった。
掴まれたと思った時には、地面に叩きつけられていた。
強烈な遠心力で、ヒルダ=クラウフェルトは操縦席にもの凄い力で押さえつけられ、頭の血が急激に足先まで落下する。
貧血で意識が薄れる間もなく、全身がバラバラになるような衝撃が操縦席を満たした。
死ぬかと思った。
† †
落雷のような轟音がして、闘技場は水を打ったように静まり返った。観客たちは目の前の光景がしばらく理解できず、放心している。
巧真の放った一本背負いによって、闘技場の地面には巨大な蜘蛛の巣状のヒビが刻まれた。その中心には、フェルムロッサが大の字になって埋まっていた。そしてヴァリアンテも投げた勢いが余って地面に倒れている。
フェルムロッサが原型を留めているのが不思議に思えるくらいの一撃だった。
機体、操縦士ともに無事であるわけがないと誰もが思うほどの一撃だった。
反面、だがヒルダ=クラウフェルトなら、と誰もが思っていた。
観客たちは、相反する予想と期待とで声を出すのも忘れ、ただ闘技場を見つめる事しかできなかった。
これまでの盛況が嘘のような静寂の中、いったいどれほどの時間が過ぎただろう。
闘技場の係員も呆然としていたのではなかろうか、と思えるほどの沈黙ののち、
『……ふ、フェルムロッサの行動不能と、操縦士ヒルダ=クラウフェルトの失神を確認。よって勝者、シンドゥタクマ!』
半信半疑みたいな声でアナウンスが巧真の勝利を告げた。
直後、空が割れんばかりの大歓声が起こり、その音で巧真は正気に戻った。
巧真の記憶は、ミスリルの罠を仕掛けたところで途切れていた。それから二度目の一本背負いに至るまでの記憶はほとんど無い。
だがそれが却って好結果を招いた。限界状態の薄れる視界の中で彼が見た、フェルムロッサが転倒しかけるという僅かなチャンス。そこで無意識に機体を操作した結果、理想的なタイミングとフォームで一本背負いが決まったのだ。無我の境地に近いあの攻撃は、恐らくヒルダ=クラウフェルトが仮に万全の状態でも防げなかったであろう。
とはいえ、無意識にかけた技なので、巧真は自分が勝利した事に気づいていなかった。それどころか、朦朧としながらも試合を続けようとしている。
薄れる意識の中で、巧真が必死にヴァリアンテを立ち上がらせようとしていると、突然操縦席の装甲が開いた。
「タクマ!」
大声と共に顔を出したのはギリガンだった。彼が外部から操作して装甲を開けたのだ。
「……え?」
巧真はギリガンが突然現れた事を理解できなかった。
どうして試合中にギリガンが入ってきているんだろう。駄目じゃないか、今は大事な試合中なんだからセコンドはセコンド席にいなくちゃ。それよりも、試合中に操縦士以外がグランドールに入ってきていいのだろうか。もしかしたら反則を取られて負けてしまうかもしれない。ああ、それはまずい。早く出てもらわないと。
などと巧真がぼんやりと考えている間に、ギリガンは巧真一人で満員状態の操縦席に、その樽のような身体を強引にねじ込んで入ってくると、
「てめえ、本当にやりやがったな!」
ごつごつした両手の平で、巧真の頬を挟んでもみくちゃにした。その狂乱じみた喜び方と頬を揉みしだかれる感触が、じわじわと巧真に現実を染み込ませる。
「……もしかして俺、勝った?」
「もしかして、じゃねえよ! 勝ったよ、本当に勝ったんだよ!」
まだ霞がかかっている巧真の頭が言葉を理解するよりも早く、ギリガンは巧真を強引に操縦席から引きずり出した。
「いいから出ろ! みんな新しいチャンピオンの姿を見たがってるんだよ!」
歩くどころか一人で立つ事もできないほど疲れきった巧真を軽々と担ぎ、ギリガンがうずくまった状態のヴァリアンテから降り立つと、同時に闘技場は大歓声に包まれた。
「これは……」
巧真が懸命に首を巡らせると闘技場の観客たちは全員が起立し、巧真を賞賛するように両手を激しく打ち鳴らしている。
「俺、本当に勝ったんだ……」
「だからそう言ったろ。ほら、ボ~っとしてないでお前も手ぐらい振ってやれ」
言われて巧真は鉛のように重たい腕を上げ、観客たちに向けて手を振った。ギリガンに担がれたままの間抜けな格好だったが、巧真が手を上げただけで闘技場が声と音で張り裂けるかと思うほど沸いた。
全身を叩きつける激しい音と声に、ようやく巧真は自分がヒルダ=クラウフェルトに勝利したのだと確信した。
「やった……。やったんだ……」
遅れてきた実感を巧真が噛み締めていると、
「タクマくーん!」
こちらに向かって手を振りながら走って来るリサの姿が見えた。
闘技場に近いセコンド席にいたギリガンと違い、観客席から建物内部を経由してここまで全力で走って来たのだろう。リサは息を切らし、ふらふらになりながらもどうにか巧真の前までたどり着いた。そしてがっしりと彼の両手を握ると、
「おめでとう!」
肺に残った最後の一ccまで搾り出して言った。
「観に来てくれてたんだ」
「だって、最後だから……どうしても、近くで応援したくて……」
言葉の合間に荒い息を挟みながら、リサは懸命に答える。
「それに、来たのはあたしだけじゃないんだよ」
そう言ってリサが振り返ると、彼女の視線の先では、ヴィルヘルミナがこちらに向かってよたよたと走って来ていた。
「ちょっとリサ、走るの速い……」
ヴィルヘルミナはリサよりもさらに残存体力がやばそうな感じで、見ている間に走るのを諦めて歩き出した。
そうしてようやく巧真の前に到着すると、汗で額に貼りついた前髪を払いもせず死にそうな顔をどうにか笑顔に変えて、「おめでとう」とやはり死にそうな声で言った。
「ヴィルヘルミナさん……」
「やったわね、すごいじゃない」
「ヴィルヘルミナさんのおかげですよ」
「そんな事ないわよ。わたしは何も――」
「ヴァリアンテの行動術式をあれこれ足してくれたの、ヴィルヘルミナさんでしょ?」
ヴィルヘルミナが、イタズラが見つかってバツが悪そうな顔になる。
「……気づいてたの」
「そりゃあ気づきますよ。だって俺、ヴァリアンテのミスリルをリムギガスの泥と同じように使う術式なんて、組んだ憶えないから」
「あれ、いいアイデアでしょ。ひょっとしたらできるんじゃないかと思って試してみたら、本当にできそうだったんだもの。ミスリルってホント何でもできるわね」
ヴィルヘルミナがこっそり組んだ術式は、先のように明らかに巧真の記憶に無い大掛かりなものから、巧真がこれまで気づかずに何気なく使っていたほんの些細なものまで多数あった。
「今までずっと陰で支えてくれてたんですね。俺、気づきませんでした……」
ゲームでずっとそうだったように、巧真はこれまでずっと独りで戦っていると勘違いしていた。だが現実は色んな人に助けられてここまでやって来れたのだ。ギリガン、リサ、アイザック。そして当然ヴィルヘルミナも。
それだけではない。これまで戦ってきた相手も、巧真の成長のためという意味では助けられたきたのだ。このうち誰かが欠けても、今日この勝利はなかっただろう。人は一人では生きていけない。昔の誰かが言ったカビの生えた言葉だが、巧真はようやくその意味がわかったような気がした。
「ありがとうございました」
ギリガンに担がれた情けない姿だが、万感の思いを込めて巧真は礼を言う。目の前のヴィルヘルミナだけにではない。これまで自分と関わった全ての人に向けて。
「お礼なんていいいのよ。だってこれが私の仕事だもの」
「そうだぞタクマ。わしたちは同じチームだ。つまり家族みたいなもんだ。家族のために自分に出来る事をするのは、当たり前の事じゃねえか」
「家族か……」
元の世界にいた頃は家族なんて当たり前の存在過ぎて、ただ同じ所に住んでいるので毎日顔を合わせる相手、くらいの認識だった。
しかし今ならわかる気がする。
家族だけじゃなく、人は誰かを助け、そして誰かに助けられて生きているものなんだと。
「つまりこの勝利は俺たち家族みんなで勝ち取ったって勝利って事だな」
いつの間に来ていたのか、アイザックが凄く良い事を言ったような顔をして立っていた。
「『俺たち』って、お前は家族でも何でもないだろ」
「おいおい、つれない事を言うなよ。同じ皿の菓子を食った仲じゃないか」
「それを言うなら『同じ釜の飯を食った仲』だろうが」
などとギリガンとアイザックが漫才のような掛け合いをしていると、ヒルダ=クラウフェルトがこちらに向かって来るのが見えた。
ヒルダは脳震盪でも起こしたのか、普段の毅然とした彼女からは想像もつかないほど覚束ない足取りだった。心配して手を貸そうとする執事のような初老の男性の手を幾度となく振り払い、頑なに自分一人の足で巧真の許へと向かって来る。
いつの間にか、観客の声援や拍手が止んでいた。皆、王者としての最後の務めとばかりに自力で巧真の所へと歩む彼女の姿をじっと見守っている。どれだけ時間がかかろうと、文句を言う者など一人もいなかった。当然、国王だろうと彼女を邪魔する権利なんて無い。
そうしてようやく辿り着いたヒルダの顔は、血の気が引いて青い顔をしてはいたが、やはり王者として堂々としたものだった。
「ギリガン、降ろして」
「わかった」
ギリガンは静かに巧真の身体を降ろす。
巧真は両足が地面に降り立つと同時にふらつくが、自分より苛酷な状態でありながら一人でここまで歩いて来たヒルダに不甲斐ない姿を見せまいと、歯を食いしばってどうにか真っ直ぐ立つ。
敗れた元王者と、勝った新王者が向かい合うと、闘技場がさらにしんと静まり返る。誰もが二人の一挙手一投足を見逃すまいと目を皿のようにし、二人の会話を聞き逃すまいと耳をそばだてる。
巧真は黙って立っていた。
勝者が敗者にかける言葉など無い。
当然、先に言葉をかけたのはヒルダであった。
「優勝おめでとう」
「ありがとうございます」
「負けましたわ。完敗ですわ」
そう言うとヒルダは微笑とともに右手を差し出す。
巧真は一瞬だけ彼女の手の平で輝く金属製の半球を見たが、すぐに自分の右手を出した。
巧真の手の平が半球に触れた瞬間、ばちっと静電気が走ったような痛みがした。
「つっ」
「ん……」
ヒルダにも電気が走ったのか、少しだけ眉をしかめるが、すぐに元の微笑に戻った。
巧真とヒルダが握手を交わすと、観客たちが二人の健闘を称えるように盛大な拍手をする。
万雷の拍手の中、グランドールフェスト決勝戦が終わった。
進道巧真、優勝。