決勝 無敵の女王を撃破せよ 1/2
石を積み上げて造った巨大なトンネルの中を、ヴァリアンテはゆっくりと進む。
天井に点在する光系魔導石のぼんやりとした灯りに照らされたトンネル内には、出口の向こうにある闘技場で待つ観客たちの声がうっすらと反響している。
一歩進むごとに大きくなるその反響に、巧真の鼓動が少しずつ早くなっていく。
だがそれは、今までの切羽詰まった極限の緊張ではない。巧真がこれまで何度も経験を重ねてきた、大会直前のよくある緊張だった。
負けたからって死にはしない。
だったら、ゲームと同じだ。
それならこの状況は慣れたものである。
巧真は馴染みのある心臓の鼓動を楽しみながら、悠然とヴァリアンテを歩かせた。
小さかった出口の光が、徐々に近づいてくる。
光の門をくぐって外に出ると、まばゆいばかりの太陽の光と、ヴァリアンテの身体を震わすほどの大歓声が巧真を迎えた。
グランドールフェスト決勝戦。
闘技場は大舞台。
もうすぐ、最後の戦いが始まる。
† †
観客席中央にある貴賓席に着席していた中から、一人の男性が立ち上がる。それだけで、観客たちの声がぴたりと止んだ。
男性はしんと静まり返った闘技場を満足そうに見まわすと、ゆっくりと右手を挙げる。
「十年に一度の祭典グランドールフェスト。その決勝戦という素晴らしき今日が、このような晴天に恵まれた事を喜ばしく思う。
今日までの戦い、実に見事であった。惜しくも敗れた操縦士たちよ。心から労おう。
そしてこれから戦う操縦士たちよ。最後の試合に相応しい戦いを見せてくれる事を願う。
それではカント王国国王の名において、グランドールフェスト決勝戦の開幕をここに宣言する!」
国王が高らかに告げると、観客たちが一斉に大歓声を上げる。それと同時に楽団が盛大な音楽を奏で、遂にグランドールフェスト決勝戦の火蓋が切って落とされた。
国王が着席すると、その後を引き継ぐようにアナウンスが入る。
『続いて、選手の入場です』
その一言で、歓声が止まって観客がざわつく。みな彼女を待っていたのだ。この場にいる全員。いや、全世界が彼女の戦う姿を見るために、今日という日を待ち望んでいたと言ってもいいだろう。
肌に感じるほどの人々の期待が、闘技場を埋め尽くす。アナウンサーはこれ以上無駄に煽ったり焦らすのは無粋でしかないと心得ているのか、速やかに彼女の名前を叫んだ。
『前回のグランドールフェスト優勝者、鋼鉄羅漢・フェルムロッサを操る無敵無敗の戦乙女! 名門クラウフェルト家現当主、ヒルダ=クラウフェルト!』
呼び終えると同時に現れたフェルムロッサに、闘技場が爆発したかのように揺れる。
「凄い人気だな」
ヴァリアンテの中で出番を待つ巧真が感心したように呟くと、
『当たり前だ。何しろ前回の優勝者だからな』
通信用の魔導石からギリガンの声がした。
『グランドールフェストの優勝者はただでさえ人気が出る上に、今のチャンピオンは史上最年少で名門クラウフェルト家のご息女サマだ。相乗効果で奴さんの人気は今や国王を超えてるって噂だ』
「そんなに」
フェルムロッサは観客の声援に応えるように右手を上げて悠々と闘技場へと向かう。その緊張の欠片も見えない余裕に満ち溢れた姿は、観客たちに王者の風格を見せつけた。
『続いて挑戦者。工房「銀の星」所属。なんと最近登録したばかりの期待の新人が初出場でまさかの決勝進出。現王者ヒルダ=クラウフェルトの再来となるか。操るは魔銀巨人・ヴァリアンテ、シンドゥタクマ!』
意外にも、巧真の名前が呼ばれると会場が大いに湧いた。
自分に向けられた歓声に巧真が驚いていると、ギリガンは『なんだ、知らなかったのか?』と呆れたような声を出した。
初出場のくせに予選に出ていないせいでまったくの無名の新人であった巧真は、本戦一回戦では当然ながら誰も注目していなかった。だがリムギガスを倒し、さらにエルトロンを倒したところで一気に観客の関心を集めた。
その理由は新人らしい泥臭い試合運びや、新人らしからぬ機転を利かせた戦法など様々だが、最も大きな要因はこれまでのグランドールの常識を逸脱した操縦テクニックである。特に相手を気絶させたら勝ちとなるグランドール同士の戦いにおいて、一撃必殺ならぬ相手が気絶するまで連続で何発もぶち込む怒涛の連続攻撃は、観戦していた他のグランドール乗りたちにとんでもない衝撃を与えた。
これまで機体性能にものを言わせたり、地の利を生かすしかないクジ運任せでしか勝ち星を上げられなかった者にとって、巧真のような自分の腕と機転だけで勝利を掴み取る勝ち方は羨望の的だった。
そして巧真を応援しているのは、同じグランドール乗りだけではなかった。若干十七歳の若さにしてグランドールフェスト初出場というのは、かつてのヒルダ=クラウフェルトを彷彿とさせる条件であった。十年前の大会を憶えている者にとって、似たような境遇の巧真にかつての彼女を重ねているのだろう。その上で現王者と挑戦者という新旧対決のような夢のマッチングとなれば、否が応でも盛り上がるというものである。
『というわけで、お前さんは自分が思ってる以上に人気者だってこった』
「マジか……」
『だからボサっとしてねえで、お前も手を振ってやれ』
「う、うん」
ギリガンに促され、巧真はおっかなびっくりヴァリアンテに右手を上げさせる。ヴァリアンテが声援に応えると、歓声が一際大きくなった。
『どうだ、人気者ってのは気分がいいだろう』
「そうだね」
工房の連中以外は知り合いのいない世界なのに、こんなにも自分を知ってくれている人がいる事に巧真は感動を憶えた。
今さらになって、自分がこの世界で生きてる事を実感する。そしてこの勝負で、これから先の未来が決まってしまう事を。
魔導石に置いた手に力がこもる。
「勝つよ、絶対」
巧真の口から勝つという積極的な言葉を聞き、ギリガンが魔導石の向こうでにやりと笑う気配がした。
† †
武舞台の中央で、両者のグランドールが対峙した。試合開始のアナウンスを待つ僅かな時間に、観客たちの期待や緊張が圧縮される。
その圧力が最大になった瞬間を見計らったかのように、アナウンサーが高らかに声を発した。
『グランドールフェスト決勝戦、試合開始!』
次の瞬間、闘技場が今までよりさらに大きくに湧いた。びりびりと機体を震わす大歓声の中、巧真は相手の出方を慎重に見ようとヴァリアンテを構えさせた。
初見の相手との対戦は、まず出方を見て情報を集める。これは情報至上主義である巧真でなくとも、普通の人間なら未知の相手と戦う際の常套手段だ。
だが、ヒルダ=クラウフェルトは違った。
開始の合図とほぼ同時。大歓声の波に押されるようにして全力でヴァリアンテに向かって突っ込んで来た。
予想外のスタードダッシュに、巧真は反応できなかった。気がついた時には間合いに入られ、構えを取ろうと持ち上げかけた右腕をフェルムロッサの右腕に掴まれる。
「え?」
試合前の握手か何かと思った時には、フェルムロッサは残った左腕の掌底でヴァリアンテの右肘を下から強烈に突き上げた。
たったそれだけで、ヴァリアンテの右腕は肘から叩き折られた。めしゃっと呆気ない音がしたかと思うと、すぐさまフェルムロッサは身体を右に回転させて掴んでいた右腕を引きちぎる。
ヴァリアンテ、開始二秒で右腕切断。
「なに!?」
巧真の驚きを歓声がかき消す中、フェルムロッサは悠々とヴァリアンテに向き直ると、今引きちぎったばかりのヴァリアンテの右腕を無造作に足元に捨てた。右腕は闘技場の床に落ちると、力なく五指を中途半端に開いた。
「何だ今の!? これがアイアンゴーレムの力か!?」
ヴァリアンテの右腕をいとも簡単に引きちぎったフェルムロッサのパワーは、かつて戦った超重量級の青銅入道・エルトロンを彷彿とさせた。まさかこの機体、この見た目でエルトロンと同じパワーを持っているのだろうか。
「こんなのレギュレーション違反じゃないのか」
『違う。フェルムロッサのパワーは普通のアイアンゴーレムと大差ない』
「嘘だろ!? じゃあどうして――」
『今のはヴァリアンテの肘を支点にテコの原理を使った巧妙なテクニックだ』
「マジかよ。あの一瞬で?」
あんな合気道の達人のような洗練された動き、果たしてグランドールでできるのだろうか。いや、実際やってのけたのだから可能なのだろう。だが同じ事が巧真にできるかと問われれば、答えは否である。彼は格闘ゲームにある動きは丸ごとマクロ化して魔導石の行動術式に登録できるが、全ての動きができているわけではない。
その中の代表格が関節技だ。関節技は打撃技と違って、位置調節など細かい条件入力が必要なのでまだマクロ化できていないのだ。
『それができるのがヒルダ=クラウフェルトなんだよ。あいつの恐ろしさは機体を自分の手足のように操るだけじゃなく、機体性能を限界以上に引き出す天性の操作勘だ。
あいつならフェルムロッサの“機体性能上は可能な動作”なら、たとえそれがどんなに困難な操作であっても全部やってのけるだろうよ』
巧真がオートマでもできない事を、ヒルダ=クラウフェルトはマニュアルでいとも簡単にやってのけている。そしてさらには自力で魔導石に干渉して行動術式を自由にマクロ化できる巧真とは違い、彼女は魔導石技師と二人三脚で地道に魔導石を最適化し、ここまでフェルムロッサを仕上げてきたのだ。
何よりも、世界にまだ一体しかないミスリルゴーレムのヴァリアンテと違い、彼女の乗るアイアンゴーレム・フェルムロッサはどこにである量産型のようなものなのだ。言うなれば、ワークスマシンに乗っている巧真を、彼女は市販の自家用車でぶっちぎったのだ。
グランドールというのは、乗る人間によってこんなにも性能が変わるものなのだろうか。
これが前回王者の実力か。巧真はこれまで耳にしたヒルダ=クラウフェルトの噂が何一つ誇張されたものではない事を知り、背すじに冷たい汗が流れるのを感じた。
だが片腕をもがれたとはいえ、試合はまだ始まったばかりだ。ゲームで言えば、まだ第一ラウンドも終わっちゃいない。ここからいくらでも挽回できる。
巧真は気を取り直し、残った左腕で構えを取る。
僅かも戦意を喪失していないヴァリアンテの姿に、様子を窺っていたフェルムロッサも戦闘態勢に戻る。
開始早々手痛いダメージを受けたので、このまま受け身でいるのは良くない。だが片腕の状態で下手に攻めるのはもっと良くない。結局巧真は相手の出方を慎重に見る事しかできなかった。
その巧真の意表を衝くように、再びフェルムロッサが動いた。
なんとフェルムロッサは今しがた足元に捨てたヴァリアンテの右腕を、こちらに向けて全力で蹴ってきた。そして蹴った足を追いかけるかのようにこちらに向かってダッシュしてきた。
「なに!?」
ヴァリアンテの右腕が、回転しながら唸りを上げて胸元に飛んで来る。予想外の攻撃に、巧真は一瞬の判断を迫られる。
避けるか。だがそれには体勢を大きく崩さなければならない。そうなると隙だらけだ。
ならば左腕で受けるか。だがそれでは一本しか残っていない腕が塞がってしまう。
避けるにしろ受けるにしろ、フェルムロッサにとって攻撃の大きなチャンスになるのは間違いない。
「だったら――」
巧真は思考の二択をキャンセルし、ヴァリアンテを跳躍させる。そして飛んで来る自分の右腕を足で蹴り返した。
右腕を蹴ると同時にこちらに向かって突進してきたフェルムロッサは、今度は自分が意表を衝かれる番だった。だが驚いたのは一瞬だけで、すぐに冷静さを取り戻す。
フェルムロッサはこちらに向かう速度を緩めない。飛んで来るヴァリアンテの右腕を、余裕を持って片手で叩き落とした。
勢いよく地面に落ちたヴァリアンテの右腕は、小さく跳ねると水に揚げられた魚のようにぐったり転がる。一日に二度も地面に転がる右腕の姿に、観客が笑い声の混じった歓声を上げた。
互いに相手の意表をつき合う攻防は、フェルムロッサの奇襲が失敗に終わるという結末になった。しかしそれで引き下がるヒルダ=クラウフェルトではない。すぐさま正面からヴァリアンテに向かってきた。
「やはり時間はくれないか」
巧真は一瞬だけ地面に落ちている右腕を意識した。
ヴァリアンテはミスリルという特殊な素材を基にしたゴーレムなので、ある程度の損傷は魔力さえ供給してやれば自己修復できる。だがそれには魔力以外に、相応の時間が必要だ。ちぎれた右腕を繋げるとなると、十秒やそこらではとても足りないだろう。それに相手がそんな時間を与えてくれるわけがない。
当然の事ながら、ヒルダ=クラウフェルトはヴァリアンテに修復の時間を与えるような愚行はしなかった。すぐさま距離を詰めると、息をもつかせぬ連続技で攻めてきた。もちろん防御の手薄な相手の右側に回り込むのを忘れない。
わかっていたとはいえ、右腕の無い右側を徹底的に攻められている巧真は、たまったものではなかった。ただでさえフェルムロッサは上中下段を巧妙に打ち分けてくるテクニシャンなのに、執拗に右側を狙われては左腕一本だけで防げるはずもない。
身体の右側を滅多打ちにされ、見る見る右側だけボコボコになっていくヴァリアンテ。いくらミスリルでも、アイアンゴーレムの鉄の拳という文字通りの鉄拳にはそう長くは耐えられない。
フェルムロッサの打撃はヴァリアンテの装甲をじわじわと変形させていく。このままダメージを受け続けて変形が進んだら、関節などの可動部が機能しなくなるかもしれない。なのでそうならないように巧真はヴァリアンテに魔力を流して装甲を補修する作業に意識を割かれた。
だがこれが良くなかった。
装甲の補修に気を取られると、今度は防御が手薄になる。さすがヒルダ=クラウフェルトはできる女である。僅かでも巧真の気が防御から逸れると、狙いすましたかのように攻撃が激しくなる。慌てて防御に専念すると補修が止まり、再び装甲がじわじわと凹まされていく。こうして巧真は防御と補修の板挟みになり、とてもではないが反撃どころではなくなった。
試合は完全にヒルダ=クラウフェルトの一方的な展開だった。一瞬たりとも止まらないフェルムロッサの猛攻に、観客は大興奮だ。
『おいタクマ、いつまで好き勝手にやられてんだ! 何でもいいから反撃しろ。このままじゃ一発も当てずに試合が終わっちまうぞ』
サンドバッグと化したヴァリアンテに、堪らずギリガンが檄を飛ばしてくる。だがそんな事は言われるまでもない。巧真だって必死にやっている。ただ相手が一枚も二枚も上手なだけなのだ。
せめて右腕が元通りにさえなれば――そう考えた巧真は、自分の目を疑った。
さっきまで頑張って手を伸ばせば届くんじゃないかと思う距離にあったはずのヴァリアンテの右腕が、今はどう頑張っても届かない位置に落ちている。
ヒルダ=クラウフェルトは巧真に気取られぬよう攻撃をコントロールし、ヴァリアンテを落ちた右腕から遠ざけていたのだ。
知らずに立ち位置を操作されている事に気づいた巧真は、自分とヒルダ=クラウフェルトの戦闘技術の差に絶望と既知を感じる。
この圧倒的実力差を前に感じるこの感覚には、憶えがあった。
あれはそう、世界ランク一位との対戦で感じたあの感覚。
相手との実力差の幅が見えない時に感じる、あのどうしようもない感覚。
たいていの相手ならば、実力差の幅が見えた。そして差を縮めるためにどこを直せばいいのか、そのためにはどうすればいいのかだいたいわかった。
だが一位が相手の時だけは、それが見えなかった。
自分が死に物狂いで集めたデータを、一位はあざ笑うかのように簡単に塗り替える。最新の情報が、一秒後には賞味期限切れにされる。蓄積したはずのパターンが、次のラウンドには無意味になっている。
いったい自分のどこをどう直せば、差を埋めるために何をすればいいのかまったくわからなかった。そもそも追いつけるのかどうかすらわからなった。
あらゆる努力が才能という、言葉にすると陳腐なものの前に蹴散らされた。
対岸の見えない巨大な溝の前に立つような途方もなさに、巧真は何度打ちのめされただろう。
それと同じ感覚を、今巧真は感じている。
結局データ蓄積型の自分では、天賦の才を持つ者にはどう足掻いても勝てないのか。凡人はどれだけ努力しても天才には遠く及ばないのか。
今ならわかる。
アイザックもきっと、今の自分と同じ気持ちを味わったのだろう。死ぬほど苦く、泥のような舌触りの、絶望と屈辱の入り混じった屈服と挫折の味を。
巧真がそれを舐めている間も、フェルムロッサの猛攻は続いている。このままの状態が続けば、あといくらもしないうちにヒルダ=クラウフェルトは勝利し、グランドールフェスト二連覇を遂げるだろう。
そして自分はまた二位だ。
またか。
またなのか。
格闘ゲームの中だけでなく、ここでもまた自分は二番止まりなのか。
言いようのない悔しさに、巧真は血が滲むほど唇を噛みしめる。フェルムロッサがヴァリアンテを攻める音が、前歯が唇の肉に食い込んで皮を破る音を掻き消す。
「――――」
ふと、唇を噛む力が緩む。
ちょっと待て。
本当に同じなのか?
これはゲームではない。
ましてやプログラムされたものでもない。
いくら荒唐無稽に思えても、実際に動くゴーレムに乗って、それを操って戦う、正真正銘の現実なのだ。
同じではない。
あんな決められた動きしかできず、数値で勝敗が決するものなどと、断じて同じではない。
だったら――、
「ゲームと同じことやってちゃ勝てないだろ!」
巧真が魔導石に置いた両手に気合を込めると、ヴァリアンテはもの凄い速さでその場でしゃがみ込んだ。
いきなり目の前から姿を消したヴァリアンテに、フェルムロッサは一瞬だけ動きが止まる。
その隙を逃さず、ヴァリアンテは開いた両足でフェルムロッサの両足を挟み、蟹挟みを決めた。
バランスを崩し、フェルムロッサの体勢が崩れる。だがフェルムロッサは咄嗟に地面に両手を着き、どうにか無様に倒れる事だけは避けた。
しかしこの猛攻から逃れるにはそれで十分だった。ヴァリアンテはすぐさま蟹挟みを解除し、前転をしてフェルムロッサから離れる。そして回転しながら地面に落ちていた右腕を拾った。
てっきりこれで試合が決まると思っていた観客たちは、突然動きが見違えたヴァリアンテに言葉を失った。
だがすぐに闘技場が大歓声に包まれる。みんな理解したのだ。
勝負はこれからだ、と。
『あのラッシュからよく抜け出せたな。もう駄目かと思ったぞ』
フェルムロッサから距離を取ったところで、通信用の魔導石からギリガンの声が響いた。
「楽勝、……と言いたいところだけど、本当にヤバかった」
あのまま終わっていてもおかしくなかった。あそこで踏ん張れたのは、万年二位から脱却したいという、ほとんど意地のようなものだった。
そしてこれがゲームではないという、大事な事に気がつけた。ゲームでないのなら、いつまでもデータにこだわっていてはいけない。現実は、ゲームのように全てがデータで決められているわけではないのだから。
「ギリガン……」
『なんだ?』
「ちょっと試したい事があるんだけど」
『この土壇場で、ヒルダ=クラウフェルトを相手にか?』
魔導石の向こうで、ギリガンが思案するように低く唸る音がした。さすがにこの状況では無理か、と巧真が思ったところで、返信があった
『何だか知らんが、吹っ切れたようだな』
「まあね。今さらだけど、自分の殻を破るヒントみたいなのを見つけた気がするんだ」
だからやってみたい。巧真がそう付け加えると、一瞬だけ間を置いてギリガンは言った。
『――わかった。ここまで来たらもう何も言わん。お前の試合だ。好きなようにやれ』
「ありがとう」
『その代わり、きっちり自分の殻とやらを破って来いよ。いつまでもケツに殻をつけてる奴は、うちの工房にはいらんからな』
「了解。俺だって就職して早々クビになりたくないからね」
『よし、その意気だ。行ってこい!』
「おう!」
ギリガンの言葉に背中を押されるように、巧真はヴァリアンテを前に進めた。
† †
突然動きが冴えるようになったヴァリアンテに、さしものヒルダ=クラウフェルトも慎重になったようだ。無闇に突っ込んで巧真をかき回すような真似はやめ、今度は相手の出方を窺うように距離を取っている。
その間合いを詰めたのは、今度は巧真の番だった。
フェルムロッサに果敢に向かっていくヴァリアンテに、観客は盛大な声援を投げかけた。だがこれは、戦神にその身を捧げる哀れな殉教者に向ける餞と似たものだった。
さあ若くて活きのいい獲物が行った。後は美しき処刑人がどう料理するか、それが見ものである。観客たちはヴァリアンテがどうやってフェルムロッサに倒されるのか、それだけを楽しみに手に汗を握って待った。
観衆たちの期待を一身に受け、ヴァリアンテは駆ける。その速度は全力で、最初から止まる事や後の事など一切考えていないものだった。
ヴァリアンテはもの凄い勢いでフェルムロッサに体当たりをしかける。しかしヒルダ=クラウフェルトは見事に直撃を避け、綺麗にヴァリアンテをいなした。
猪の如く相手を通り過ぎたヴァリアンテは、そのまま走り去るやと思いきやその場で強引に切り返す。ほとんど直線に近い鋭角な軌跡を残し、再びフェルムロッサに向かって突進した。
「あれは……」
その時、観覧席の中でただ一人、ガンロックだけがそれに気づき、呟いた。
「我らキュウシュの戦法」
ガンロックの見た通り、巧真のそれはキュウシュ人特有の戦い方であったが、実際はガンロックの物真似であった。
しかしながら速度、相手に当たりに行く角度、そして相手を通り過ぎてからの切り返しの早さなどは本家ガンロックに負けず劣らずである。
とはいえ、本家ガンロックの突進が十年前のヒルダ=クラウフェルトに通じず彼が敗れたのだから、その劣化版である巧真の体当たりなど当たるはずもなかった。何度も惜しいところまではいくのだが、僅かにフェルムロッサの身体を掠るばかりで直撃にはほど遠い。
やはり付け焼き刃の攻撃など、王者の前には無意味に等しい。誰もがそう思って、虚しい攻撃を続ける巧真に同情のこもった生温かい視線を投げかける。
だが、巧真の真意は別にあった。
彼とて、こんな偽物で借り物の攻撃がヒルダ=クラウフェルトに通じるとはこれっぽっちも思っていない。
では何が目的だったのか。
「フン、いつまでもくだらない真似を。そろそろ引導を渡してさしあげようかしら」
ヒルダ=クラウフェルトが嗜虐的な笑みを浮かべながらそう呟き、フェルムロッサを反撃の体勢に移そうとした。
しかし、
「――なにっ!?」
フェルムロッサの動きが鈍い。
いや、動かない。
「まさか、故障!?」
クラウフェルト家は代々操縦士を排出しているグランドールの名家である。なので専用の工房を持ち、豊富な資金力に物を言わせて万全の資材と優秀な人材を保有している。それらをフル活用して整備調整されたフェルムロッサに、万に一つも整備不良などあるはずがない。
ではどうして。ヒルダ=クラウフェルトは魔導石を通じてフェルムロッサと繋がった神経から伝わる奇妙な違和感に、不具合の正体が判明した。
「これは……」
見れば、フェルムロッサの腕や足などの関節に、銀色をしたゲル状の物体が入り込んでいる。これが関節の動きを阻害し、フェルムロッサを動かなくしているのだ。
これは一体何だ。
それにいつの間に。
この時、もしこの試合の中継を泥田坊リムギガスの操縦士、ヒドゥが見ていたらこう唸っただろう。
あれは、リムギガスの技だ、と。
巧真は、ただ闇雲にガンロックの真似をしてフェルムロッサに体当たりしていたのではない。彼の真の目的は、切断された右腕のミスリルを魔力で溶かし、すれ違い様に溶けたミスリルをフェルムロッサの関節になすりつけていたのだ。
こうして見事にフェルムロッサは手足の関節を塞がれ、動きを封じられた。一度破った相手の技だと過信し、距離に余裕を取らず紙一重で躱していた事が裏目に出た。
「おのれ、小癪な真似を……!」
ヒルダ=クラウフェルトが歯噛みをする中、巧真は動けないフェルムロッサの前で悠々とちぎれた右腕の修復を果たした。
繋がったばかりの右腕の具合を確かめるように、ヴァリアンテが右拳を左の掌に打ちつける。金属のぶつかる硬い音と、左手に伝わる確かな手応えに、巧真はにやりと笑って言った。
「さあ、ここからが本番だ」