緊張 巧真、リラックスせよ 2/2
「落ち着きましたかな?」
「はあ、まあ、何とか……」
ガンロックに背中をさすられ、どうにか落ちついた巧真であったが、頭の中は疑問で渦巻いていた。
「僕たちに勝ったからどんな操縦士かと思いきや、てんで大した事ないんだね」
プエルが頭の後ろで両手を組んで、さも拍子抜けしたふうに言う。背格好といい声変わりの兆しも見えない見事なショタ声といい、どう見てもやんちゃな子供だが、確かこの兄妹の実年齢は七十歳を超えているはずだ。
片や妹のプエラは、兄プエルの背中の後ろに隠れ、時折珍獣を見るような目つきでこちらを覗き見る。どうやら兄と違って人見知りのようだ。
「そのような事を申すでない。今は試合前の大事な時。集中しているさなかに突如背後から声をかけられたら、誰とて驚くであろう」
ガンロックに諌められ、プエルが「ちぇ~」と不満そうに唇を尖らす。やはり子供にしか見えないなと思いながら、巧真は三人に問いかけた。
「あの……、ところで皆さんどうしてここに?」
するとガンロックは思い出したといった感じで、「おお、そうであった」と再び額をぴしゃりと叩く。
「某たちは陣中見舞いに来たのですよ」
「陣中見舞い?」
「左様。試合では敵として拳を交えたが、終わればそれは白紙も同然。むしろ昨日の敵は今日の友、というわけで試合前の大事な時間とは思いましたが、こうして激励に参った次第」
「はあ……」
「僕らは違うけどね」
「はて、そうであったか。では何用で?」
「僕らはただ、自分たちに勝った操縦士がどんな奴か見たかっただけさ。そしたら闘技場の前であんたにばったり出会って、否応なしにここに連れて来られたんじゃないか」
「そうであったか。某はてっきり同じ用件かと」
「まあいいさ。結果的にこうして会えたんだ。ただあんなぶっ飛んだ試合をする奴がこんなのだった、ってのはちょっと残念だったけどね」
そう言ってプエルは冷めた視線を巧真に向けると、両手を広げて肩をすくめた。その背後でプエラが
「お兄ちゃん、やめなよ……」とか細い声で兄を窘める。
「そりゃどうも……」
あからさまに落胆されたようだが、巧真は別にどうとも思わない。相手が自分で作ったイメージで勝手に幻滅されたところで、彼自身は痛くも痒くもないからだ。それよりも、試合までもう時間が無いのだ。なのにまだヒルダ=クラウフェルトに勝つ方法が思いついていない。だから早く一人になって考えたかった。
「じゃあもう気が済んだだろ。こっちは忙しいんだからさっさと出ていってくれ」
「言われなくてもそうするさ。どうせあんたじゃヒルダには勝てないしね」
「そんなのやってみなけりゃわからないだろ」
「わかるさ。試合前にビビって手が震えるような奴には、あの化け物は倒せないよ」
ただでさえ試合前でピリピリしているところに、どう見ても子供みたいな奴に生意気な口をきかれたら、いくら巧真でもカチンと来る。
「何だと――」
あわや喧嘩が始まるかと思われたその前に、ガンロックが絶妙なタイミングで二人の間に割って入った。
「暫く! あいや暫く!」
ガンロックの丸太のような腕が、今にも掴みかかりそうなほど近かった巧真とプエルを軽々と引き離す。
二人は距離が離れるのに比例して冷静さを取り戻し、ガンロックはすっかり頭が冷えたのを確認すると二人から手を離した。
「この馬鹿もん! 試合前の操縦士を刺激する奴があるか!」
「あいたっ」
ガンロックはそう叱ると、ごつい拳でプエルの頭を軽く小突いた。本人は軽いつもりだったのだろうが、子供のようなプエルには相当痛かったようで、頭を両手で抑えて涙目になりながら文句を言う。
「何すんだよう! 痛いじゃないか!」
「やかましい! お主も同じ操縦士なら斟酌せい!」
「何だよそれ意味わかんないよ」
「相手の気持ちを酌み取れという意味だ」
「言葉の意味は知ってるよ!」
「ならなおさら悪いわ!」
プエルが口答えすると、それに反応してガンロックの声が大きくなる。そうしてたちまち大声で口論が始まってしまった。
現界までささくれだっていた巧真に、二人の起こす耳障りな喧騒は拷問に近い。あっという間に沸点を超え、人生で一番大きいと思われる声で二人を怒鳴りつけた。
「何なんだよあんたたちは! こっちは大事な試合前でテンパッてるんだ。邪魔するんならもう出て行ってくれ!」
全く余裕のない巧真の表情と声に、二人はぴたりと動きを止めた。そして「ほら見ろお前のせいで怒られたじゃないか」とどちらともなくお互いを肘で小突き合う。その反省の欠片も見えない仕草がまた巧真を苛立たせた。
巧真が爆発する前にそれに気づいたのは、やはり年の功であろうか。先に小競り合いをやめて謝意を表したのはガンロックであった。
「いやいや、これは失敬。決して邪魔をするつもりはなかったのだ。某はただ、お主を激励したかっただけである」
「ならもう用が済んだでしょう。それともヒルダ=クラウフェルトの弱点でも教えてくれるんですか」
巧真も決して期待して言ったのではなかった。言葉のあやのようにはずみで出たものに、それまで柔和だったガンロックの顔が一瞬で真顔になった。
「それはできん。あ奴を倒すのは某だ。そのための貴重な情報をおいそれと他人に渡す事などできぬ」
「ま、普通はそうだろうね」とプエルも同意する。
普通はそうだろう。いくら試合が終わってノーサイドになったとはいえ、グランドールフェストは十年後にまた開かれる。巧真がまた出場するかどうかはさて置き、操縦士たちが敵同士なのは変わらないのだ。
そうなると、巧真にあれこれと手ほどきしたアイザックのほうが異常という事になるのだが、彼はもう心が折れていたのだ。自らの力でヒルダ=クラウフェルトを倒す事を完全に諦め、その望みの一端を巧真に託した。だから彼は例外である。
「だが某もすぐにあ奴を倒せるとは思っておらん。悔しいがあれは某たちとは別の次元におる。あの域に達しようと思えば、十年二十年では利かんかもしれん」
それほどまでに、ヒルダ=クラウフェルトは強いのか。だからアイザックは諦めたのか。彼は年寄りではないが、決して若いという年齢ではない。今から鍛え直しても、十年二十年と時間がかかってしまっては再び戦う前に老いさらばえてしまう。ヒルダ=クラウフェルトという敵も強大だが、時間というそれ以上の敵が彼の心を挫いたのだ。
「だが幸い某たち長命種には時間が腐るほどある。短い寿命しか持たぬ人間のヒルダ=クラウフェルトがあと何十年今の強さを維持できるかは知らぬが、どんな手を使おうと百年はもつまい。そうなれば体力気力を維持できる某たちにも勝機はあるというもの」
今勝てなくとも、何十年か先に相手が年老いて弱くなってから勝てば良いという事か。何という気の長い計画。同じ人間であるアイザックを苦しめた時間という制約も、彼ら長命種には何の拘束力も無いようだ。
「キュウシュ人よりもゴシク人の僕らはもっと寿命は長いけどね。ガンロックがもっとおじいちゃんになっても、僕らはまだまだ若いまんまだよ」
「むう、それは参ったな。老骨となった身にお主ら若人二人の相手は少々厳しいかもしれぬ」
これは一本取られた、といった感じにガンロックは額を手の平で叩き、
「では悪い芽は早めに踏み潰しておくかのう」
と言った。それに対しプエルとプエラも「できるかな~」「させないよ~」と笑って応じる。
そしてガンロックは再び真顔になって巧真を見る。
「今回のお主の勝利も、某にとっては数多ある勝負の一つの結果でしかない。だが憶えておくがよい、短き命の者よ。その勝利は決して永遠ではない。某はいつか必ずお主の手から勝利をもぎ取ってみせよう。永遠に近い時を生きる某たちにとって、人間の一生を待つぐらいどうという事はないのだからな。だから今は激励する。死力を尽くしてヒルダ=クラウフェルトと戦うがよい。その結果がどうあれ、最後に勝つのは某なのだからな」
堂々と宣告され、巧真は唖然とする。
永遠にも等しい寿命に裏付けされた、最終的に勝つのは自分であるという圧倒的な自信。長命種という利点を最大限に利用した、勝てば良いという絶対の信念。狂気にも似た勝利への確執に、巧真は目眩を憶える。
と同時に、ある事に気がついた。
「……けど、老人になって衰えた俺やヒルダ=クラウフェルトに勝って、それで本当に勝ったって言えるんですか?」
「あ……」
核心を衝いてしまったのか、ガンロックがだらしなく口を開けたまま固まる。そしてゆっくりと首を横に向けてプエルを見ると、彼は口の端を軽く上げて小さく首を傾げるというやけに大人びた仕草をした。
ガンロックはその姿を見て少し黙考すると、やがて何か良い理屈を思いついたのか再び自信に満ち溢れた顔で胸を張って告げる。
「ならば死ぬまで負けぬことだ。老いさらばえてなお敗北を許さず、墓の中まで勝利を持ち逃げされたら、さすがに某もどうにもできぬ」
「ああ、それなら確かに僕らじゃどうしようもない。いくら何でもあの世まで追っかけて勝負をする事はできないからね」
それなら納得、とばかりにプエルが握りこぶしの底で手の平を叩く。
「死ぬまで勝ち逃げしろって、無茶苦茶言うなあ……」
それに、もし仮に今回優勝できたとしても、そこから一生ガンロックやプエルラたち長命種の操縦士に狙われる事になるかと思うと、少々うんざりしてしまう。
「なんなら優勝してすぐに僕らに負けてくれてもいいんだよ。そのほうが楽でいい」
「それは困る。この二人が相手だと某も一生追われる側になってしまうからな」
まだ優勝したわけでもないのに気の早い話である。だが楽しそうに話すガンロックとプエルを見て、巧真は彼らと不毛な追いかけっこも悪くないと思い始めていた。
二人の会話に割り込んで言う。
「いや、何がなんでも一生勝ち続けて、あんたらが悔しがる顔を見ながら大往生してやりたくなった」
巧真の言葉に、ガンロックはにやりと笑う。
「それならまずは、ヒルダ=クラウフェルトを倒さなければならぬな」
「そして十年後、またグランドールフェストで僕らと再戦さ」
「その時は負けないよ」
プエルとプエラも無邪気に笑う。そんな三人の楽しそうなやりとりに、巧真は思わず問う。
「どうしてそんなに楽しそうなんですか?」
「え?」と三人。
「負けたのにどうしてそんなに楽しそうなのか、俺にはさっぱりわかりません。それに敗者が勝者を激励だなんて、俺だったらとてもじゃないができません。それなのに、どうしてあなたたちは……」
言葉に詰まる巧真に、ガンロックはふむ、と鼻から息を漏らす。
「某とて、負ければ死ぬほど悔しい。現に十年前、まだ十四やそこらのヒルダ=クラウフェルトに敗れた時は、恥ずかしさの余りその場で腹を切りそうになった」
腹を切るというガンロックの言葉に、巧真はぎょっとする。
「だが思いとどまった。何故なら負けたとはいえ、自分はまだ死んではおらん。そして今ここで死んでしまっては、汚名を雪ぐ機会を永遠に失ってしまうのに気づいたからだ」
生きてこそ、再戦し勝つ事ができるのだ、とガンロックは力説する。
「生きてこそ……」と巧真が呟く。
「そう。負けたところで死にはせん。だったら何を恐れる事があろう。生きてさえいれば、いつか必ず勝つ日も来る。だから敗北を恐れず、全力で戦え」
「死にはしない、か……」
再び巧真が呟き、不敵に笑う。
「だったらいけるぜ」
つられてガンロックも笑みをこぼした時、
「シンドゥタクマ。時間だ」
運営の者が決勝戦が始まる旨を伝えに来た。
「では、某たちは観客席でとくと見せてもらおう」
「一応、応援してるよ」
「がんばってね~」
そう言うと三人は家族みたいに揃って観客席のほうへと歩いていった。
巧真はその後ろ姿を見送ると、ヴァリアンテを見上げ拳を握る。
『負けたからと言って死にはせん』
ガンロックの言葉を、巧真は噛みしめる。
そうだ、負けたからと言って別に死ぬわけじゃないのだ。そりゃ負ければ借金が返せずにリサたちが路頭に迷うかもしれないが、それでもすぐに死ぬわけではない。もしそうなったとしても、その時は自分も一緒に路頭に迷うのだから、そこから全力で何とかすれば良いだけだ。
生きていれば、必ず取り戻せる日が来る。
そう考えると、敗北イコール即死とばかり思い込んで恐怖に凝り固まっていた巧真の頭が、ふっとほぐれたような気がした。
「よし」
手の震えは、いつの間にか止まっていた。