緊張 巧真、リラックスせよ 1/2
グランドールフェスト決勝戦当日。
朝日はとうに昇り、じりじりと肌を焼く日差しを放っている。決勝戦という日には持って来いの快晴であった。
巧真はヴァリアンテと共に、王城にいた。
正確には、王城の中にあるグランドールのための闘技場にだ。巧真とヴァリアンテは、その闘技場へと通じる巨大なトンネルの前に立っている。恐らく闘技場を挟んで反対側には、対戦相手のヒルダ=クラウフェルトと彼女の乗るグランドール、アイアンゴーレム・フェルムロッサがいるだろう。
コロシアムに似た巨大な円形の闘技場には、観客席だけでなく、高貴な人物のための特別席が用意されている。当然、そこに座るのはその建物の主――国王である。
つまり、グランドールフェスト決勝戦は御前試合である。この国の最高責任者を含む全人類の前で、世界最強のグランドールと操縦士を決めるのだ。
闘技場の中心にある武舞台は、平たく加工した石を敷き詰めただけの、何の変哲もない四角い舞台だ。全長十メートルのグランドールが戦うだけあって広さはアホみたいにあるが、これまで試合をしてきた闘技場のような特徴的な地形は無い。なので地形による優劣は発生しない。
それは、最後の戦いに地の利は不要だからだ。人々は決勝戦に、これまで見てきた奇抜な戦いや奇策を凝らした戦いを求めてはいない。最後だからこそ、勝ち抜いてきた挑戦者と、前回優勝した王者の純粋な力と力、技と技のぶつかり合いを見たいのだ。そのための闘技場である。
グランドールが悠々とくぐれる巨大な門と、その向こうにあるトンネルを挟んでも、観客席のざわめきや熱気が伝わってくる。
あと少しすれば、試合が始まる。巧真はそれを肌で感じていた。
迫る開始時刻に、巧真の焦りが募る。
これまでなら試合が始まるギリギリまで、いや、試合中であろうとどう戦うか試行錯誤をしてきた。情報を集め、それを元に戦闘を組み立てるのが巧真の方針だからだ。だが、今回はそれをしない。
否、できないのだ。
今回ばかりはそれができない。何故なら、ヒルダ=クラウフェルトの戦い方に関する情報が一切無いからだ。
そもそもヒルダ=クラウフェルトに関する情報は非常に少ない。
若干十四歳で初出場初優勝を決めた彼女は、代々軍人でグランドール操縦士の名門の家系であるクラウフェルト家の息女である。彼女自身も軍属であり、搭乗するグランドールはアイアンゴーレム・フェルムロッサ。
わかっているのはこれだけである。後はせいぜい公式情報で当たり障りのないものだ。
巧真が喉から手が出るほど欲しい戦闘スタイルや得意な攻撃、苦手な地形など彼女の戦闘に関する情報はほとんど手に入っていない。
情報がなければ、対策が練れない。相手がどういう戦い方をするか知らなければ、頭の中でシミュレートできない。情報のないシミュレートは、ただの想像でしかない。そんな無限のピースでパズルを作るような行為は無意味だ。
せめてこれまで通りアイザックが練習相手になってくれていれば。
ふと湧き上がったその考えを、巧真は頭を振って追い払う。
それは自分勝手な都合だ。元々アイザックは巧真の専属トレーナーではない。彼はただの厚意で協力してくれているだけなのだ。だから彼が情報を出し惜しんだり、巧真との訓練を拒んだとしても責める権利は誰にも無い。
だが頭ではそうわかっていても、巧真はアイザックの様子を思い出さずにはいられなかった。
† †
準決勝の夜。
試合を終えた巧真は、闘技場から工房『銀の星』に戻っていた。
事務所のほうは賑やかだ。巧真が決勝戦まで勝ち上がった奇跡を大喜びするリサの声と、慌てるなまだ決勝戦が残ってるというギリガンの震える声と、ゴシクに古くから伝わる必勝祈願の舞を踊るヴィルヘル
ミナの狂乱じみた歌声が混じり、どんちゃん騒ぎになっている。やはり早めにここに逃げてきて正解だったか。
巧真の目の前には、移動式の足場に囲まれたヴァリアンテが立っている。今日の戦いで受けたダメージは、ギリガンが魔力を補充してやるとすぐに自己修復で直った。明日の夜にはまた運営が封印シールを貼りに来るだろうから、ヴァリアンテを使える時間は丸一日と無い。
明日はまた早朝から特訓だなと考えていると、人が通れるほど開けられたシャッターの向こうにアイザックの姿が見えた。
「よう」
アイザックはシャッターをくぐると、まったく遠慮の無い様子で工房の中に入ってくる。よく見ると顔が赤い。珍しく酒を呑んでいるようだ。巧真の隣で足を止めると、顔を上げてヴァリアンテを見る。
「見たぜ。準決勝」
アイザックはにやりと笑うが、すぐにそれが苦笑に変わる。
「まさかガンロックに勝つとはな」
言葉ほど意外だという感じはしなかった。自分が骨を折ってあれこれ教えたのだから、勝ってもおかしくはない、といった感じだろうか。
「次はとうとう決勝戦か」
「どうにかここまで来れたよ」
おかげさまで、と巧真が言うと、アイザックはよせやいと軽く首を横に振る。
「お礼を言われるような事をした憶えはねえよ。そもそもは、俺のお節介さ」
そうは言うが、アイザックが巧真に与えてくれたものはとてつもなく大きい。対戦相手の情報のみならず、まだ初心者とも呼べない頃の巧真を鍛え、操縦士のいろはを叩き込んだのは他でもないこの男である。実質、巧真の師匠と呼んで間違いないだろう。
だから、今日もまたアイザックは巧真に明日する特訓の話をしにやって来たのだと思っていた。
勝手にそう思っていた。
だが今度ばかりはそうはならなかった。
巧真が明日の訓練について話をするより先に、アイザックのほうから「だが、」と切り出してきた。
「悪いがそれもここまでのようだ」
「え……?」
アイザックの声の重さに、巧真は悪い話だと察する。
「ヒルダ=クラウフェルトに勝つ方法だけは、俺にはどうしても教えられない」
「それは……どうして……」
「わからないんだ。あいつがどうやって俺に勝ったのか」
「わからないって……。アイザックさんは前回のグランドールフェストで実際に戦ったじゃないですか」
そうなのだ。記録や伝聞ではなく、アイザックは実際に前回のグランドールフェスト準決勝で戦ったの
だ。それが例え十年も前の事であろうと、憶えていないはずがない。
「憶えてないとかじゃないんだ。わからないんだよ。試合が始まって、気がついたらスペレッサーがぼろぼろにされていた。その間俺があいつに何をされたのか、まったくわからないんだ」
巧真は言葉を呑み込む。対戦相手に自分が何をされたのかまったく理解させない戦い方など、どうやったらできるのか。一体どんな戦い方だったのか。だがそれを問おうにも、当の本人もまったくわかっていない。
「……すまねえな。俺自身まったく理解できてねえんだ。あれをどう説明していいかまるでわからねえ。さすがの俺も、言葉にできないものを再現できるほど器用じゃねえんだ」
ガンロックも映像記録など無かったのだが、今回はそれとはまったく事情が違う。ガンロックの場合は、試合を観た人や実際に戦った人の記憶から多少なりとも情報は得られた。
だがヒルダ=クラウフェルトの戦闘に関しては、不思議な事に誰も憶えていないのだ。
いや、憶えていないのではない。
どう表現していいかわからないのだ。
当時の試合を観たギリガンやヴィルヘルミナに訊いてみても、言葉を濁すだけで何も得られなかった。ただ曖昧に『もの凄い戦いだった』とか『あっという間の出来事だった』などのぼんやりとした言葉しか出なかった。
そして、直接戦ったアイザックですらこれである。
よくわからない。
言葉にできない。
共通しているのは、とんでもなく強い、という非常に漠然としたものだった。これでは何も参考にならない。
一体ヒルダ=クラウフェルトの戦いとは、どういうものなのだろう。無駄に想像が膨らむばかりで、その実態はまるで見えない。
「あれは人智を超えている」
アイザックは搾り出すような声で言った。
「他の相手なら、例えばガンロックやプエル・プエラ兄妹。こいつらなら、俺が戦うとしたらどうやるか、とかどう戦ったら勝てるか、とかそういう計画をいくつも持っている。だからそれを教える事もできる」
「…………」
「だがあの女は、ヒルダ=クラウフェルトだけは無いんだ。どうやったら勝てるか、それ以前にどういう風に戦えばいいのかもわからない。どれだけ考えても取っ掛かりすら掴めない。
あれから十年だ。前回のグランドールフェスト準決勝。あの時から十年経った今でも、俺はあいつの勝ち方どころか、どうやって戦えばいいのかもわからない」
アイザックの告白を、巧真は黙って聞いていた。十年悩んだ男が、己のはらわたを口から出すようにして吐き出した言葉だ。巧真などにそう易易と口を挟めるものではない。
だがそれ以前に、あまりにも意外な状況に何も言えなかった、というのもある。
あのアイザックが弱音を吐いているのだ。
酒を呑んだから弱気になっているのか。
弱音を吐き出すために酒を呑んできたのか。
どちらかはわからない。だが大の男が、それも自分より遥かに年下の前で泣き言を言うのは尋常でない事だろう。
だから巧真は黙っていた。
「白状しちまうと、俺はあいつと戦うのが怖いんだ。またあいつと戦って、十年前みたいに何もできずに、何をされたのかもわからずに負けたらと思うと怖くてたまらない」
怖いのは巧真も同じである。だがその怖さは、アイザックのものとはまったく質も意味も違うものであろう。
「だからお前に負けて予選免除権を失った時は本当に悔しかった。だが同時に俺の心の片隅には、ほっとしてる自分がいたんだ。そしてスペレッサーの修理が予選に間に合わないとわかった時、ああこれで誰に対しても言い訳がつくと安心した俺がいた。
そこで気づいちまったんだ。俺はいつからかヒルダ=クラウフェルトに勝つ方法よりも、どうやったら準備が何もできていない自分がグランドールフェストに出なくて済むか、そっちの方法を探すようになったいたんだって。
けど言い訳がましい事を言わせてもらえば、ヒルダ=クラウフェルトに勝ちたいって気持ちと、あいつが死ぬほど嫌いというのに嘘はない。だからあいつの二連覇を阻止するのは、別に俺でなくても良かったんだ」
「それで俺を鍛えてくれたんだ」
「最初にお前と戦った時、感じたんだ。こいつならもしかしたら、ってな」
「買いかぶり過ぎだよ」
「だが今お前はこうして決勝に残ってる。俺の目に狂いはなかったって事さ」
それはアイザックが対戦相手の情報と、勝つための訓練をしてくれたからだ。この二つがなければ、巧真が決勝まで残っている事はなかっただろう。
「何にせよ、一方的にお前に打倒ヒルダ=クラウフェルトを丸投げした形になっちまった。本当なら必勝法もサービスでつけてやりたいところなんだが、あいにくそれは品切れ中だ。まあ入荷予定もないけどな」
「それは……、まあ、当日までに何とか考えるよ」
アイザックを気遣っての気休めだった。一人の男が十年かけて見つけられなかったものが、一朝一夕で見つかるわけがない。アイザックもそれを汲んだような顔で巧真の肩をぽんと叩く。
「すまないな。最後の最後で役に立てなくて」
「ううん。ここまでで充分だよ。本当にありがとう」
巧真はアイザックに向けて、深々と頭を下げる。
見えないが、巧真はアイザックが困っているような気配を感じた。
沈黙が流れる。
遠くからうっすらと、離れの騒ぎが聞こえてくる。どうやらヴィルヘルミナの舞が最高潮に達し、リサとギリガンも混ざったようだ。
三人の奇妙な合唱を微かなBGMにしながら、二人の男はずっと黙っていた。
† †
かつてない不安と焦りの中で、巧真は必死に自分を落ち着かせようとしていた。
これまで対戦相手の情報の蓄積と、それに基づく途方も無いほどの反復練習によって勝利してきた彼にとって、まったく情報の無い初見相手との対戦は勝算が無いのと同義である。
しかもこの試合は今まで何度も経験したゲームのトーナメントではない。自分が負ければ、工房『銀の星』が借金のため人手に渡るのだ。
責任重大である。
あまりの重圧に、手が震えてきた。このまま試合が始まってしまえば、きっと自分は恐怖に負けて何もできずに固まってしまうだろう。
手の震えは、ゲーマーにとって致命傷となる。巧真は必死に手の震えを止めようと、指先の体操をする。ゲームの大会なら、試合前にこれをすればいつも震えは止まっていた。しかし今日ばかりは、いくらやっても震えは一向に治まらなかった。
やまない震えに焦りは募り、焦りがさらに震えを引き起こす。ますます酷くなる手の震えにパニックになりかけた巧真の背後から、
「もし」
突然声がかけられた。
「ひいっ!」
思わず女子みたいな悲鳴を上げて振り向くと、銀髪の老人と金髪の少年少女が立っていた。三人は巧真の声に驚いた姿勢で固まっている。
「失礼。驚かせて申し訳ない」
銀髪の老人が頭を下げると、長い銀髪が肩からはらりと胸へと流れた。だが目線はずっと巧真を真っ直ぐ見ている。その射抜くような鋭い視線と剣豪のような只者ではない雰囲気に、巧真は少したじろぐ。
「あ、いえ、こちらこそ……」
手の震えを止めるのに必死で、彼らが背後にいたのにまったく気づかなかった。見れば、銀髪の老人は見た目最年長でありながら身長は三人の中で一番低い。だが長い髭と筋肉で膨らんだ太短い手足から、ギリガンと同じキュウシュ人だと思われる。
だが隣に並んでいる少年少女は違うようだ。改めてよく見ればこの二人、見た目がそっくりだ。男女の双子である。だが二人ともさらりとした金髪を肩の上ぐらいで揃えてはいるが、男子のほうは前髪で左目を隠し、女子のほうは右目を隠しているので見分けるのは容易である。
ともあれ、一見すると孫二人を連れたお爺ちゃんのようなこの三人に、巧真は見憶えはない。試合を見に来たけど道に迷ってここに来てしまったのだろうか。
「あの――」
道に迷ったのか、そう尋ねる前に、銀髪の老人が切り出した。
「この魔銀巨人の操縦士は、そなたかな?」
「え? あ、はい、そうです」
突然の問いに、思わず間抜けな返答をしてしまう。最初の悲鳴といい、恰好の悪いところばかり見られ巧真が恥ずかしくて顔から火が出そうになっていると、
「では貴殿がシンドゥ・タクマ殿であるか」
と銀髪の老人が嬉しそうに笑った。だが巧真が呆然としているのに気づくと、
「これは失敬」
と広い額をごつい手の平でぴしゃりと叩く。
「某、キュウシュ大国代表、岩石闘士ルーペースの操縦士、ガンロックと申す」
「ええっ!?」
目の前の老人に、自分が前回の対戦相手と言われ巧真は驚く。
だが銀髪の老人――ガンロックはさらに自分と並んで立っている二人の少年少女の背後に立ってそれぞれの肩に手を置くと、
「そしてこの二人が、ゴシク諸島連合国代表、青銅入道エルトロンの操縦士、プレル・プエラ兄妹です」
まるで自分の孫を紹介するようにあっさりと言ってのけた。そしてプエラとプエルもかつて敵同士だったとは思えないほどあっさりと、巧真に向けて同時に片手を上げて挨拶する。
「よっす」
「どーもー」
「ええーーーーっ!?」
最初の驚きが消化できないうちにさらに新たな驚きに畳み掛けられ、巧真は悲鳴のような驚愕の声を上げた。