驚愕 ヴァリアンテ、起動せよ 1/2
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進道巧真は世界二位である。
勉強や運動で、ではない。ネット対戦格闘ゲームの世界ランキング二位。それが巧真の唯一と言っていい自慢の種と地位である。それを取ってしまうと、彼にはもうただの高校生という十把一絡げのものしか残らない。
今自室で対戦している相手は、世界ランキング四位。二位の巧真と張り合える相手はそう多くはないし、いてもその多くは海外のランカーなので時差の関係でなかなかはち合わない。なのでこいつは多少の事に目を瞑ればいつでもつかまる貴重な相手だ。通算対戦成績は今でこそ巧真が勝ち越しているが、始めた頃はこてんぱんに負けていた、ちょっと曰くと因縁のある相手だ。
十代の男子らしい散らかり方をした室内に、巧真がコントローラーを操作する音が響く。Tシャツに半パンというラフな恰好でパソコンチェアの上にあぐらをかき、脚の上にデカいコントローラーを置いている。使うのは当然ゲームセンターの筐体から引っこ抜いてきたような格闘ゲーム専用のアーケードコントローラーだ。デカくてクソ重いコントローラーのケツからカラフルなコードがパソコンの裏側に伸びている。
机の上のモニターでは、二体のキャラが徒手格闘をしている。巧真の操作するキャラクターは西洋式の全身甲冑を模したデザインで、パワーとスピードのバランスが取れたオールマイティタイプ。
対する四位が操るのは、画面の高さいっぱいまで身長がある巨大キャラで、パワーに能力値を全振りした、下手に使えば色物にしかならないクセのあるキャラクターだった。
まずは巧真が一本先取。体力ゲージにかなり余裕を残している。今日は指の調子がいい。
身長が高いわけでも顔が良いわけでも頭が冴えるわけでもスポーツが得意なわけでも友達がいるわけでもない彼であるが、こと格闘ゲームに関してだけは世界でも上から数えて二番目の実力がある。これはなかなか、いや、本当に大したものだ。
だが、二番である。
何度やっても一位にはなれなかった。
それが例え自分が最も得意とする分野であっても。
二位という現実は、巧真の自信やプライドといった彼が存在する意味みたいなものをいたく傷つけた。所詮自分は天才にはなれない二番止まりの男である、と。
天才とは、生まれ持った才能である。こればかりは天賦のものなので今さらどうしようもない。そこで彼は、天才になれないのならば努力する秀才になろうと決めた。努力する秀才は、努力しない天才にいつか勝てると信じて。天才だって努力しているかもしれないのに。
そして巧真は人の何倍もの努力をした。元より友達のいないぼっちゲーマー。使える時間はいくらでもある。それに現在はネットの通信対戦でいくらでも顔の知らない人間と対面せずに(ココ重要)対戦し放題なのだ。経験値は稼ぎ放題だ。
次に彼は対戦による実戦訓練のみならず、ゲーム本体のデータ解析にも手を伸ばした。自分の操るキャラクターの性能を正確に把握し、限界まで完璧に使いこなすためである。
ネットのあらゆる知識と技術を駆使し、メーカーから、或いは同じ事を考えてすでに実行している奴からゲーム本体のデータをぶっこ抜き、それを解析して実戦に反映させる。こうして巧真のゲーマーとしての実力は格段に上がり、ネットの世界でも一躍名を馳せた。
が、それでも一位にはなれなかった。
これだけやって勝てないといっそ清々しかった。いいじゃないか上には上がいて。むしろ二位でも大したもんじゃないかという気分にさえなった。
ここまではいい。人間諦めが肝心だ。分相応というものがある。
一方、ここまでの過程で、巧真はある事に気づいた。
自分と同じような事をしている人間が多い、という事だ。
初めは自分同様データを解析して対戦に反映させるものと思っていた。むしろ巧真にはデータの使い道などそれしか考えつかなかった。
が、その他大勢は違った。
改造コードの使用――所謂チートである。
巧真以外の連中は、揃いも揃ってズルをするためにデータをぶっこ抜いていたのだ。
これには怒りを通り越して呆れた。
そりゃ負けるのは悔しいが、だからといってズルして勝って何が楽しい。そこまでして勝って嬉しいのだろうか。
だが努力型の巧真と、楽して勝ちたいチーターの認識が交わるはずもなく、結局双方の考えは平行線だった。
しかしある日、巧真のチーターに対する認識が少し変化した。
ズルしてまで勝ちたい奴を、真っ向から勝負して叩きのめしてやりたい、と。
これは、天才に勝てない己の不甲斐なさを、チーターを実力で倒す事で解消するという八つ当たりみたいな一面もあるが、結果として巧真のゲーマーとしての実力をさらに引き上げた。
† †
第二ラウンド開始……の前にほんの一瞬だけ不自然なノイズがモニターに走る。よく見ていないと気づかない、気づいたとしても知らなければただの通信ノイズと思うものだ。
だが巧真は知っている。
「またか……」
巧真は鼻から小さく息を吐く。
四位には、黒い噂がある。
それは、奴が自分が不利になると改造コードを使ってくるチーターだというものだ。
チートは大会などでは当然ルール違反だが、今みたいなフリー対戦だと罰則もなく対戦終了後すぐにネットの接続を切れば証拠も残らない。ログをほじくり返せば何か出るかもしれないが、相手は予め足跡を消すなどの準備をしているので徒労に終わる事が多い。つまり、文句を言うだけ無駄なのだ。
それに仮に負けたとしてもランキングが動くわけでもない。普通なら、チーターに当たるなんて今日はツイてない日だ。そう思う程度のものである。別段腹も立たないし、すぐに忘れる事もできる。
だが巧真は違う。
「懲りないなあ、この人も」
巧真は嬉しそうににやりと笑うと、唇を舐めた。
手のひらの汗をズボンの尻で乱雑に拭う。本気の体勢だ。
相手が動く、と同時に巧真は怒涛の勢いでレバーを操作する。と思うと今度は一転してガードを固め防戦一方になる。
巧真が攻撃をチクチク当てて体力を小さく削っているのに対し、相手は通常攻撃なのにガツンと体力を奪ってくる。どうやら四位は自分の攻撃が与えるダメージの数値を書き換えたようだ。
だがその程度なら可愛いものだ。露骨な時は当たり判定からダメージ数値、果てはキャラの速度まで書き換えてくる。今日はまだマシなほうである。
それに、いくらダメージ数値を上げたところで、当たらなければ意味がない。さすがに相手もこちらの防御コマンドを無視してダメージを加算するあからさまなチートまではしてこない。そこまでするんだったらCPUと遊んでいるのと大差ないからだ。対戦はやはり相手が人間で、他人に勝つから面白いのだ。
そうしている間に、今度は巧真が一本取られた。これで一対一のイーブン。勝敗は最終ラウンドに持ち越された。
相手はチーター。そして残すは最終ラウンド。この圧倒的に不利な状況でも、巧真は僅かも焦らない。
何故なら、この時点ですでに彼の中で勝敗は決まっているからだ。
一応断っておくが、巧真に漫画のような特殊な能力は無い。反射神経は人並みだし、手先が特別器用だったり予知能力じみた先読みができるわけでもない。彼は血の滲むような努力で自機の性能をフル活用するぐらいしかできない平凡な人間なのだ。
ではどうしてそんな彼が世界ランキング二位になれたのか。その答えは至極単純である。
彼は他人よりも少しだけ観察力があるのだ。
相手が人間である以上、多少なりともクセが出る。それは、例えチーターと言えども同じだ。いくらデータの数値を上下させようと、操作しているのは血の通った人間である。当然個性や癖のようなものが出る。
巧真はそれを観察して記憶し、対戦に反映させるのが得意なのだ。これはその気になれば誰にでもできる事なので、特殊能力と言うよりは特技といった所だろうか。
例えばこの四位の場合、今みたいにポイントが一対一のイーブンになり最終ラウンドにもつれ込んだ場合、かなりの確率で大技で決めようとしてくる。チートして通常攻撃でもとんでもないダメージを与えられる今であっても、勝利エフェクトが派手な必殺技でのフィニッシュにこだわるのだ。たぶん理由は「そのほうが気持ちいいから」。
相手の出方がわかると、ここから先は統計学だ。この状況で四位がこれまでどの技を多く出してきたか。その中から奴の好みや癖のようなものを抽出し、その状況に持っていってやればいい。
同一人物が以前と同じ状況に直面した場合、ほぼ百パーセントの確率で同じ行動をする。これは行動学によって立証されている。巧真はをそれを利用し、相手を自分の思い通りに動かすのだ。
だから初見の相手だと、巧真の勝率は低い。先述した通り、彼は凡人なのだ。才能一つで勝ち上がってくるような人間には、どうあがいたって遅れを取る。
だが十回二十回と対戦するにつれ、相手の癖や行動パターンなどの情報が蓄積してくると彼はめっぽう強い。何しろ自分でも気づかない癖やパターンを記憶し、行動を誘導するのだ。相手は無意識に出すミスを誘発され、そこを的確に突かれていつしか負けが込んでくる。
相手にしてみれば理解不能だろう。明らかに格下だった相手が回を重ねる毎に目に見えて強くなり、やがてはこっちがどう頑張っても勝てなくなる。まるで巧真がチートをしているみたいに思えてくるが、やってないものはどこをどう探っても証拠なんか出やしない。
四位も今きっと必死になって巧真との対戦データを解析に回しているだろうが、自分のチートの証拠が出るだけで巧真は真っ白だ。表に出したところで、糾弾されるのは四位のほうである。
そして仕上げの時間が来た。
巧真がお膳立てした通り、四位は飛び込みから三連コンボを出してくる。だがこの技は初手を防御されると二撃目をキャンセルしなければ不発後の硬直時間が致命的な隙になる。
だが四位は相手が防御しようがしまいが流れでコンボを出してしまう癖がある。巧真の狙いはそこだ。
「はいお疲れさん」
予定通り初手をきっちりガードし、硬直して無防備になった四位に最大の連続技を叩き込む。
攻撃のダメージ数値はチートしていても、自機の防御力やダメージ数値は変えていなかった四位の体力ゲージがごそっと減る。当然こちらが与えるダメージの総量と相手の残り体力ゲージを計算しての技の選択だ。
結果、四位の体力ゲージは一ドットも残さず綺麗にゼロになり、断末魔のSEを残して倒れた。
モニターに大きく「YOU WIN!」の文字が輝くと、再び画面に一瞬だけノイズが走る。四位が流し込んだ改造コードを回収し、回線を切って逃亡したのだろう。そしてすぐに出もしない証拠探しを始め、無駄な時間を使うのだ。
そんな暇があったら他の事をすればいいのに、と巧真は思う。ただでさえ四位はこの頃攻めが単調で操作が雑になって負けが込んでいる。このままだと次の大会ではランクダウンしそうなのに。
まあ他人の心配をして始まらない。今日も無事チーターを狩れて気分上々の巧真は、この調子で対戦を続けようと「挑戦者求む」のコマンドを選ぶ。
だがメニューウィンドウを閉じると同時に、巧真の耳に階下から母親の声が届いた。
曰く、いつまで起きてるのか。いい加減に寝ろ。
まったくこれからって時に。せっかくのやる気に水をさされ、巧真は舌打ちをする。
勉強机の上の時計を見る。時刻は深夜の一時を過ぎていた。何だまだ宵の口じゃないか。これから仕事を終えて帰宅したサラリーマンや夜行性のニートたちがエントリーしてくるので、むしろここからが本番だ。
だが週末ならまだしも平日の、明日も学校がある巧真はこれ以上の継続を許されない。学生で、しかも扶養される身である以上、親の言う事は絶対である。何しろこのパソコンもゲームもネットの接続料金も全てお年玉や小遣いという親の財布から生まれたものなのだ。特にネットは生命線だ。親を怒らせて解約されたらもう死ぬしかない。
だから早くバイトなりして自分で金を稼いで好きなだけゲームをしたいのだが、自分にゲーム以外の何ができるのだろう。仮に高校を卒業して就職するにしても、自分が一般企業に就職できるとはとても思えない。
仮に今まで覚えたパソコンの知識を活かしてSEなんかどうだろう、と想像してみるが、社畜や奴隷の代名詞と言われる激務職に自分が耐えられるとも思えない。たぶん三日くらいで出社拒否になる。
だったらいっそプロゲーマーという道もあるのだが、生憎まだ日本ではプロゲーマーという職はほとんど確立していない。かといって海外に移住する行動力は自分には無い。日本語しか話せないし。
「う~む……」
想像だというのに強烈なリアリティで襲いかかってくる絶望感に、巧真は生きていくのが厭になる。とはいえ、先の事を考えすぎてもしょうがない。せめて扶養家族でいられる今のうちは、このなに不自由の無い生活を大事にしよう。
というわけで親の機嫌を損なわないように、巧真は対戦待ち受け状態を解除しようとゲームのコマンドを開いた。
「あれ?」
だがメニューウィンドウを開いたはずが、モニターに現れたのは見た事もない文字だった。
「何だこれ、バグか?」
突如画面に現れた奇妙な文字に、巧真はまずパソコンの不調を、次に何者かの違法アクセスを疑った。あまり考えたくはないが、四位が強引にこちらのチートの有無を調べようと良からぬ事をしているのかもしれない。
とにかくここは下手に触らず、まずはウィルス検知ソフトを起動させて危険の有無を調べるのが先決だろう。巧真はそう判断し、パソコンに常駐しているウィルス検知ソフトを呼び出そうとする。
だが、それよりも先に画面の文字が消滅し、何事もなかったかのようにゲームのデモ画面が映った。
「何だったんだ今のは……」
巧真はとりあえずウィルス検知ソフトを起動し、パソコン全体にウィルススキャンをかけた。巧真のパソコンはハードディスクの容量がでかいため、スキャンにかなりの時間がかかる。なのでその日はパソコンはそのままで、モニターの電源だけ落として寝た。
† †
翌朝。
目が覚めるとすぐにパソコンをチェックしたが、心配したようなウィルスやクラッキングの痕跡は無かった。
しかし何も出なかったとはいえ安心はできない。こういうのはむしろ何かが出たほうが原因がはっきりわかるので安心できるのだ。
詳しく調べたいが、これから学校に行かなければならないので今は諦める。本格的な調査は帰ってからする事にして、巧真は登校する準備をした。
† †
中途半端な睡眠不足によるゆるいあくびをしながら、巧真は電車に乗った。
通勤ラッシュの満員電車の中で、早くも家に帰ってからの予定を考える。ウィルススキャンでは何も出なかったが、トロイの木馬という可能性もある。時限式のウィルスなら、感染直後に検知できなくても時間が経って行動を起こせば検知できる。もっともその時には感染が拡大してウィルスを駆除する以外にも手間がかかるのだが、それでも不安なままパソコンを使うのに比べたらまだマシだ。
こんな事ならパソコンの中からゲームのデータなど大事なファイルを別のハードディスクに移動させておけばよかった、と後の祭りでしかない事を考えていると、突如トンネルに入ったかのように車内が真っ暗になった。
無音。
巧真はしばらく思考を続けていたが、あまりに静かな闇にふと考えを止めて不審に思う。
おかしい。こんな所にトンネルなんかあっただろうか。通学のためにこの電車を使い始めて二年ほど経つし、昨日も一昨日も乗っているからわかる。
目的地までトンネルなんか無い。
では電気系統の故障か何かで、いきなり停電にでもなったのか。それも違う。朝っぱらから車内の照明が一瞬で全部消えたところで、窓からいくらでも光が入ってくるはずだ。
それにそんなメカトラブルなら車掌がアナウンスの一つでもしないと車内はパニックになる。
そう。パニックとまでは言わないが、多少なりとも車内がざわつくはずだ。なのにこの静寂は何だ。なぜ誰も不審に思わない。静か過ぎる。
気づけば電車の揺れも車内独特の音も一切聞こえない。いきなり視覚と聴覚を同時に遮断されたみたいだ。
まるで真っ暗な防音室に入ったような不気味な無音に巧真は目眩がする。平衡感覚が失われ、よろめいた身体を支えようと懸命に吊り革を探す。だがその手は虚しく空を切るばかりで、やがて巧真は前のめりに倒れた。
そして彼の意識はそこで途絶えた。
† †
まず最初に回復したのが嗅覚。
鉄と油の入り混じった臭いがする。
次に痛覚。
誰かが頬を叩く感触。
そして聴覚。
金属がぶつかる音。歯車が噛み合い、何かの機械が動いている工場みたいな音に混じって、
「オイ起きろ。コラ小僧、起きろ」
酒で喉を潰したような低い男の声が聞こえる。
次第に五感がゆっくりと戻ってきた。それに伴い頬を叩く痛みが増す。分厚い皮膚のごつごつした手に叩かれて痛い。
「いい加減にしろよこの野郎。起きろっつってんだろ!」
怒りをはらんだ声も物騒だが、何よりビンタを食らってるような頬の痛みが限界だ。たまらず巧真は目を覚ました。
目を開くと、そこには銀色の髪を後ろに撫でつけたヒゲ面のオッサンの四角い顔があった。服はうす汚れた草色の作業ツナギで、いかにもどこかの作業員といった感じだ。
オッサンから視線を外せば、目に入るのは金属質な壁と天井。漫画喫茶の個室よりも狭い室内。天井と床には排気口のようなものが幾つか見られる。
視線を下げると、目の前には壁と同じ素材の台。そこに埋め込まれている二つの半球。半球は水晶のような光沢と質感だが、どういう仕組みかはしらないが内部が光っている。光は虹の七色で波を形成し、それが常に動いている。
そして自分の状態を見てみると、どうやら椅子か何かに座っているようだ。鉄のようなひんやりとした冷たさと硬さが尻と背中に伝わってくる。長い時間座っていたのか、尻が痛い。
「やっと起きたかこの野郎」
だみ声のほうに視線を戻す。オッサンは室内に上半身だけ突っ込んでいる。巧真一人でも狭いのだから、オッサンはどうやっても入れない。
オッサンは無理な体勢で巧真の胸ぐらを掴むと、もの凄い力で引き寄せた。学生服が絞られ息が詰まる。
まだ寝起きのように頭がぼんやりして状況が掴めないでいる巧真の胸ぐらを掴みながら、オッサンは改めて巧真の格好を値踏みするように眺めた。
「盗みに入ってそのまま寝こけるたあ間抜けな泥棒だな。だからうちみたいな貧乏工房に盗みに入ったんだな。大方グランドールフェストに出ようとして、グランドールを盗みに来たんだろう」
「え? 盗み?」
オッサンの言葉に、巧真の混乱した頭がますます引っかき回される。ついさっきまで通学電車に乗っていたはずなのに、気がついたら見知らぬな場所にいる。それだけでもパニック寸前なのに、いきなり泥棒扱いとはどういう事か。
「ちょ、ちょっと待って。俺には何がなんだか……」
「いいからさっさと降りろ。憲兵に引き渡す前に軽くとっちめてやる」
あたふたする巧真の学生服を、オッサンは「ったく、ヴィルヘルミナの奴、閉め忘れやがったな……」と呟きながら更に締め上げる。
「こんな黒ずくめの格好しといて泥棒じゃねえだと? 言い訳ならもっとマシなのを考えるんだな」
オッサンが引きずり出そうと引っ張ったため、巧真はバランスを崩す。
「あ……」
前に倒れまいと台の上にある水晶のような半球に手を着いた。
「お、」
手が触れた瞬間、静電気が走ったのか指先に痛みが走った。だが痛みに反応するよりも先に、巧真の脳は直接神経に繋がる感覚と怒涛のような情報の波に襲われた。脳に直接叩きつけられる不可解な文字の波に、気が遠くなる。
それらはまったく見た事のない、文字とも記号とも言えないものだった。そしてただ巧真の内部、脳や心といった心身の中に吸い込まれていく。
だが不思議な事に、巧真にはそれらが全て理解できた。いや、それは正しくない。理解はできていない。ただ、わかるのだ。わかる、という事だけは理解できると言ったほうが正しいだろう。
そうして、質量さえ感じられるほどの情報の波をすっかり飲み込んだ巧真の中には、まるでそれが当たり前で昔から、生まれてからそうだったかのようにごく自然に、銀色に輝く巨大な彫像の姿があった。
巧真はもしかして、と思った。
「お前が俺を――」
そう口に出した瞬間、意識が遠くなるを感じた。
巧真の声は、機械が起動するような振動と騒音にかき消された。