特訓 地獄の訓練から生還せよ 2/2
夜。夕食の席でギリガンがアイザックとの試合の話をすると、リサは鍋からよそっていたスープを取り落としそうになるほど驚いた。
「グランドールフェストの予選免除!? ほんとに!?」
「ああ、本当だ。アイザックとの賭け試合に勝って、奴が持ってる予選免除権を手に入れたんだ」
ギリガンが嬉しそうに話すと、リサはまた驚いて皿を鍋の中に落としそうになり、ヴィルヘルミナが慌ててそれをキャッチする。
ヴィルヘルミナは皿を受け止めてほっとすると、思い出したように尋ねた。
「アイザックってあのアイザック?」
「他にどのアイザックがいるんだよ」
さも当然のように言うギリガンに、半信半疑で再び問う。
「アイザックが持っているグランドールフェスト予選免除権を、賭け試合で勝って奪ったって事?」
「だからそう言っただろ」
「あの子が?」
「他にヴァリアンテを動かせる奴はおらんだろ」
「凄いわね、大金星じゃない……」
「ああ。大した奴だとは思っていたが、まさかここまでやってくれるとはな」
「で、その大金星を上げた張本人は?」
ヴィルヘルミナは皿をリサに渡しながら食堂を見渡すが、肝心の巧真の姿が見当たらない。
「あいつなら帰ってすぐあちこち痛みだしたんで、薬飲んで部屋で寝てるよ」
「まあ初心者がいきなり試合なんかしたらそうなるよね……」
同情するような顔でリサはスープを皿にすくうとギリガンに手渡した。
「まあ痛み止めを飲んだところで、今夜はろくに眠れたもんじゃねえけどな」
他人事だと思ってにやにや笑うと、ギリガンはスープを食べ始めた。リサもヴィルヘルミナも自分の分がテーブルに並ぶと、食事を始めた。こればかりは他人が同情や心配をしたところでどうにもならないのだ。
「ところで、」
とギリガンはスープの入った皿をスプーンでかき混ぜならが言う。
「今日の晩飯は豪勢だな」
「そ、そう……? いつもと変わらないわよ」
「いや、明らかに具が多い」
いつもなら腹を膨らませるために大量のイモと、肉屋でタダでくれる脂身が香りづけ程度に入っているだけなのだが、今日は何と他の野菜と目に見える大きさの肉が入っている。実に数週間ぶりの肉だ。
「あの子のためでしょ? グランドールに乗るんだから、体力つけてもらわないとね」
「べ、別にいいじゃない。うちの事情でこんな事になったんだから、せめてご飯くらいはちゃんとしたものを食べてもわらないと」
にやにやしながらヴィルヘルミナにつっつかれ、リサは顔を真赤にする。
「ふ~ん。でも残念だったわね。せっかく腕によりをかけて作ったのに、食べてもらえなくて。
でもまさかグランドールの訓練を始めた初日に試合をして帰ってくるとは思わないわよね」
「それはわしのせいじゃないぞ。文句ならアイザックに言ってくれ」
「だから、そんなんじゃないって。ンもう、いいから二人とも早く食べちゃって。洗い物が片づかないじゃない」
そう言って勢いよくスープをかき込み始めたリサを見て、ギリガンはフンと鼻を鳴らし、ヴィルヘルミナはくすりと笑った。
† †
一方その頃。
巧真は応接室のソファでうつ伏せで寝ながらうんうん唸っていた。何故うつ伏せかと言うと、尻が痛くて仰向けに寝られないからだ。
工房に着いた途端、巧真は身体のあちこちが痛み出し、立っていられなくなった。緊張が解けた事でアドレナリンの効果が薄れ、それまで麻痺していた痛みが出たのだろう。特に首と内臓へのダメージが激しく、巧真は胃の中のものを全部吐いてしまった。とはいえほとんど消化されて胃液だけだったが。
そしてギリガンに介抱されながらどうにか応接室までやってきて、まだ悲鳴を上げる胃に虫でも呑み込むような覚悟で痛み止めを流し込んだのが少し前。今はようやく薬が効いてきたのか、息遣いが少しだけ穏やかになっている。
が、ギリガンの言う通り、今夜はとても眠れたものではなくなるだろう。痛み止めといえど、一晩中効力が続くわけではない。あと数時間もすれば効き目が切れ、思い出したように全身の痛みが返ってくるはずである。それはかつてのギリガンもアイザックも、この世界の全てのグランドール乗りがそうだったのだから確定事項だ。
つまりこれは、グランドール乗りの通過儀礼である。
なので巧真はこれでようやく一人前のグランドール乗りとなったのだ。
† †
翌朝。
目が覚めた巧真は、自分の身体が動かない事に気づいた。全身筋肉痛である。意識があって動こうと思うのに、身体がまったく反応しないという金縛りのような体験を初めてし、彼は恐怖を憶えた。
次に首の痛みを感じた。軽いムチウチである。せめて頭だけでも寝返りを打とうと首を動かすだけで、脊髄に電気が走るような痛みに襲われる。だがいつまでも同じ体勢ではいられないので、痛みに耐えて寝返りを打つ。そして耐え切れず呻く。相変わらず尻が痛い。一晩くらいじゃどうにもならなかったようだ。
今や巧真の身体は痛くない箇所を挙げたほうが早いぐらいで、後は全て神経が剥き出しになったかのように少し動いただけで激痛が走った。
最悪の体調に最悪の朝だった。
だが事態はここで終わりではなかった。
まさかさらに最悪の状況になるとは、この時の巧真は夢にも思わなかっただろう。
巧真が痛みを堪えて起き上がろうと懸命にもがいていると、窓の外、工房の前から声がした。
「た~く~まく~ん、お~きてる~!?」
近所の小学生が遊びに来たような頭の悪い呼びかけは、なんとアイザックの声だった。
「げっ!?」
そういえば、昨日アイザックに特訓を頼んだような気がする。しかし試合の翌日に、それもこんな朝っぱらからやって来るとは。
「た~く~まく~ん、い~きてる~!?」
二度目の呼びかけは、あからさまに苛立ちが含まれていた。三十路のオッサンが往来で恥ずかしげもなくこんな行動をするのはある意味大したものだが、起床確認からいきなり生存確認に飛ぶのはかなり怖い。
呼びかけても応答が無いので、アイザックは同じフレーズを繰り返し始めた。ガタイがいいせいか声が無駄にでかい。しかも一回ごとに怒気がどんどん増していく。
近所迷惑なので早く止めなければと思うのだが、いくら起きようと思っても身体が全く動かない。急がなければと巧真が痛む身体を焦って起こそうともがいていると、工房のシャッターを開ける音がした。
シャッターがケースに収まり終わると、中から出て来たリサがアイザックに声をかけた。
「アイザックさん、おはようございます」
「おう、おはようさん」
「タクマくんに何か御用ですか?」
「ああ、ちょっとな。あの野郎、いくら呼んでも出てきやがらねえ。まだ寝てやがるのか?」
「さあどうでしょう? けど目が覚めても起き上がれないんじゃないでしょうか。何しろ昨日の今日ですし」
それを言うならアイザックも昨日試合を終えたばかりなのだが、やはりキャリアと鍛え方が違うようだ。昨日のダメージが残っているようには見えない。
「あれしきで動けなくなるとはだらしない奴だ。やはり俺がビシバシしごいてやらないと」
「しごくって?」
「今日からグランドールフェストまでの間、俺があいつを鍛えてやるんだ」
「そうなんですか。それはどうも、お世話になります」
そう言ってリサはぺこりと頭を下げる。
「あ、じゃあ良かったら中へどうぞ」
「いいのか?」
「ええ、構いませんよ」
「それじゃ、ちょっくら邪魔するよ。野郎、まだグースカ寝てるようだったら簀巻きにして川に放り込んでやる」
「それじゃあ死んじゃうんじゃないでしょうか」
「構わねえよ。それくらいで死ぬようならこの先到底勝ち残れないだろう。それなら今死んだほうが手間が省けるってもんだ」
「はあ……厳しいですねえ」
リサの呑気な声と二人の足音が工房の中へと消えていく。そして廊下を移動し、階段をゆっくりと上がってくる。
「やば、」
まずい。早く起きなければ。このままだと簀巻きにされて川に放り込まれてしまう。だが焦って起きようとすると、全身の筋肉が悲鳴を上げる。
しかし巧真の努力に反して、身体は一向に応えてくれなかった。返ってくるのは痛みだけで、体勢は寝たきり老人の如く動かない。そうしている間に足音は着実にこの部屋へと向かって来て、とうとう扉のすぐ向こうで二人の声がした。
「ここです」
「ありがとよ」
「ではわたしはこれで」
リサの足音が扉の前から離れてすぐに、勢いよく扉が開かれた。
「いつまで寝てんだこの野郎!」
怒鳴り込むように入ってきたアイザックが目にしたのは、来客用ソファにうつ伏せになっている巧真の姿。これはどう見ても今の今まで寝こけていたに違いないという格好で、案の定アイザックは巧真の弁明も聞かずに「てめえ、いい度胸だ」と言うと不吉で凶悪な笑みを浮かべた。
† †
さすがにアイザックも、筋肉痛で動けない巧真を簀巻きにして川に放り込むような真似はしなかった。
が、巧真にとっては樽に詰め込まれて滝壺に落とされたほうがマシなんじゃないかと思うような強烈なシゴキが待っていた。
当然の事ながら、運動量はそれまで学校の体育で受けた授業など比較にならない。運動強度、肉体限界、効率やスポーツ学などあらゆる科学的思考を取っ払い、「肉体と一緒に精神も追い込んで鍛えてやろう」という先人の歪んだ意思がはっきりと見える、現代人が見たら拷問かと思うような特訓が巧真を襲った。
アイザックによる軍隊式の肉体トレーニングは、仮に巧真の身体が平常時でも耐えられたものではなく、全身筋肉痛の油が切れたロボットのような巧真が音を上げるのにそう時間はかからなかった。
「……お前びっくりするぐらい体力ねえな。よくそんなんで今まで生きてこられたな」
予定していたメニューの半分もこなさないうちに倒れた巧真に、アイザックは心底呆れた顔で尋ねる。
「生まれた所が、たまたま治安が良かったんですよ」
地面に大の字になってへばりながらも、巧真はそう返した。まあ嘘は言ってない。現代の日本ほど治安が良くて生きるのに苦労が無い土地はそうないだろう。少なくともこの世界よりは格段に生きやすいに違いない。
「そうか、そいつは羨ましい話だ。だがここはカント王国で、お前が生まれた土地じゃない。そして俺がコーチについたからには、お前のその甘えた根性を徹底的に叩き直してやる。グランドールフェストまで泣いたり笑ったりできると思うなよ。覚悟しとけ」
「うわぁ……」
そして再び地獄が始まった。
† †
すぐにまた巧真が倒れたので、地獄はすぐに休止となった。やはりノルマの半分にも届いていない。
「ほらよ」
木陰で休んでいる巧真に、アイザックが水の入ったカップを渡す。
「どうも」
水を飲みながら周囲を見渡す。工房から有無を言わさず走らされ、いつの間にか大きな空き地に来ていた。
空き地には巧真の他に近所の子どもたちが遊んでいる。遊具も何も無いただの空き地だが、子どもたちは追いかけっこをしたり地面に木の棒で絵を描いたりそれぞれ思い思いの遊びを楽しんでいる。それは、巧真の世界ではもうあまり見られない光景だった。巧真自身、そうして遊んだ記憶はほとんど無い。彼が物心ついた時には、危険だからと公園から遊具が撤去され、空き地はコンビニや駐車場になっていた。
巧真が子どもたちの遊ぶ様子を眺めていると、
「ぇよっこいしょっと」
おっさん臭い掛け声とともにアイザックが隣に座ってきた。
「よくそんなんでグランドールをあれだけ動かせるもんだ」
「グランドールを動かすのは、身体を動かすのとまた違うでしょ」
「そういうもんかねえ」
「俺はそうですよ」
アイザックがスペレッサーの魔導石にどういう行動術式を組んでいるのかは知らないが、少なくとも巧真の乗るヴァリアンテはそうである。彼は自ら動くイメージではなく、格闘ゲームの動作イメージで行動術式を組んでいるので、自分ができない動きでもヴァリアンテにさせる事ができるのだ。
「あの、もしかしてこれが大会までずっと続くんですか……?」
「そうだ」
気持ちいいくらい断言され、うわあ、と言いそうになるのをどうにか堪える巧真。
「グランドールの練習とかはしなくていいんですか? できればその、基礎体力作りだけじゃなく対戦の経験も積みたいんですけど」
「そっちはしたけりゃお前だけ勝手にしろ。俺はスペレッサーが直るまでそっちの相手はできないからな」
てっきりそっちもアイザックが相手をしてくれると思っていたが、そう言えば彼のグランドールスペレッサーは巧真との試合で大破していた。
「他のグランドールに乗ったりはできないんですか?」
思いつきを何気なく巧真が尋ねると、アイザックはお前なに言ってんの、という顔をする。
「乗れるわけないだろう。グランドールは一人一体だ」
「そうなんですか?」
「あのなあ……グランドールに乗るには、中の魔導石に適正があるかどうかってのは知ってるよな?」
頷く巧真。
「あれはな、『グランドールに乗る適正』なんじゃない。『そのグランドールに乗る適正』なんだ。俺ならスペレッサー、お前ならヴァリアンテ。浮気は無しだ」
「じゃあ一つのグランドールに複数の適合者がいた場合はどうなるんですか?」
操縦士が浮気できないのはわかった。ではグランドールのほうはどうなのだろうという巧真の問いに、アイザックは僅かに考え込む。
「例外は無い事もないが、基本的には一体のグランドールに適合するのは一人だ」
「例外って?」
「二人乗りのグランドールってのがあるんだよ」
「マジすか」
複座式、そういうのもあるのか。まあ飛行機にもあるし、ロボットだって二人で動かすものもある。別におかしな話ではないだろう。
「じゃあ操縦士が死んだり引退したりしたグランドールはどうなるんです? ずっと操縦士が居ないまま放置されるんですか?」
「そういうのは一度軍が回収して、再び適合者が現れるまでお蔵入りだ。だが俺の知る限り、一体のグランドールに複数の適合者が同時に出たって話は聞いた事が無いぞ」
事実、歴史上最初のグランドールが発掘されて以来今日まで同時に複数の適合者が現れたという記録は無かった。適合者は常に一人で、それが死亡もしくは引退するなどしなければ別の誰かが乗る事はできなかった。
ただ不思議なのは、適合者は同時に複数存在しないというだけで、わりと頻繁に入れ替わる事はあった。ヴァリアンテのように百年適合者が見つからないようなのは稀だが、軍に属するグランドールの中には毎年のように適合者が死んだり辞めたりで入れ替わる股の緩いのもあった。
しかしグランドールがワンオーナー制であるというのはもはや常識のようなものであるが、それがどういう理屈でそうなっているのかは未だに解明されていない。それを言えばそもそもグランドールのみならず、この世界の住人は魔導石から何から、「仕組みはまだよくわかっていないが、とりあえず使い方は経験則で知っているから使っている」だけなのだが。
「それじゃあスペレッサーが直らないと、グランドールフェストは……」
「今工房で修理中だ」
「……すいません」
「お前が謝る事じゃない。勝負とはそういうものだ。それに――」
「それに?」
「俺はまだ諦めてない」
「アイザックさん……」
† †
だがアイザックの願いも虚しく、スペレッサーの修理が終わる前にグランドールフェストの予選が始まった。