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グランドールフェスト  作者: 五月雨 拳人
第一章 グランドールフェスト
10/30

特訓 地獄の訓練から生還せよ 1/2

「クソッ!」


 アイザックが力任せにスチール製のゴミ箱を蹴飛ばすと、盛大にゴミをまき散らしながら転がって廊下に金属音を響かせた。

 巧真の前では平静を装っていたが、やはり負けると死ぬほど悔しい。しかも自分より格下の闘技者ランク「鉄」の、昨日今日グランドールに乗ったばかりのヒヨッコの巧真に、自分が最も得意とする廃墟の闘技場で衆人環視の中で負けた。もうプライドはこれでもかというくらいに粉微塵だし、おまけにスペレッサーも大破してグランドールフェスト出場も絶望的だ。


 べっこり凹んだ円筒形のゴミ箱が、床に大きな半円を描いてアイザックの足元に戻って来る。今度は上から踏み潰そうと足を上げたアイザックに、通路の向こうから誰かが声をかけた。


「ずいぶん荒れてますわね」


 若い女の声だった。


「あぁ?」


 舌打ちとともにアイザックが振り返ると、視線の先には金髪の女性が堂々と立っていた。アイザックは自分より頭一つほど背丈の低い人影が視界に入った瞬間、死ぬほど厭そうな顔をする。


「ヒルダ=クラウフェルト……」


 嫌悪を隠そうともしないアイザックの声に、女性――ヒルダは僅かも動じない。むしろ己が畏怖や嫌悪の対象である事に喜びを感じているかのように碧い目と形の良い唇を笑みの形にする。


「見てましたわよ。なかなか面白い見世物でしたわ」


 ヒルダは肩で切り揃えられた金髪を片手ですく。その優雅で気品ある仕草とは裏腹に、着ている服はドレスとハイヒールではなく、無粋なオリーブドラブのBDUと真っ黒なコンバットブーツだった。


「天下のクラウフェルト家のオジョーサマが、こんな薄汚い場末の闘技場にまで足をお運びとは、いった

いどういう風の吹き回しだ?」

「大会前の調整よ。そしたら偶然、ね」

「調整だったらわざわざこんな所に来なくても、軍の施設で部下を使えばいいだろうが」

「馬鹿ね。同じ軍属だと階級やら所属やらのしがらみでお互い本気でやれないじゃない。それにうっかり壊しでもしたら面倒な事になるだけだし。その点ここなら、お金さえ出せばいくらでも相手はいるし、ね」


 にこり、と上品に微笑む姿からはとても想像できない会話の内容に、アイザックは眉間の皺をさらに深くする。


「大会前の大事な時期だ。いくら大金積んだからって、前回優勝者の相手なんて危ない仕事を受ける奴ぁそういないだろう」

「そうなのよ。いくら声をかけてもみんな厭がっちゃって、とんだ肩透かし。賭けグランドール乗りなんて普段は粋がってるくせに、いざとなったら及び腰になる軟弱者ばかり。まあ元が軍から弾き出された落ちこぼればかりだから、仕方ないと言えば仕方ないのだけれどね」


 そこでヒルダはさも今気がついた、という顔をする。


「あらゴメンなさい。貴方も賭けグランドール乗りだったわね」

「構わねえよ。事実を言われて腹を立てるほどガキじゃないさ」

「そう? なら良かった。でも困ったわね。わざわざここまで足を運んだのは、貴方が目当てだったのに」

「俺?」

「貴方なら、他の人たちと違って逃げたりしないでしょ? 階級だって今は『銀』だけど、『金』になるのも時間の問題ってもっぱらの噂だし、いい調整相手になると思ったのだけれど……」


 再びヒルダははっとした顔をする。そして申し訳なさそうに片手で口許を押さえ、哀れみと嘲笑の入り混じった妖しい笑みをアイザックに向ける。その時、彼女の手の甲に半球形の金属片が埋まっているのが見えた。金属片は左右の手に埋まっており、彼女の動きに合わせて廊下の照明を反射させてきらきら光る。


「貴方のグランドール、派手に壊されたんですってね。しかも素人同然の格下の子ども相手に。それでグランドールフェストに出られなくなるなんて、本当にご愁傷様」


 アイザックが格下の巧真に負けてスペレッサーが大破した事は、試合を見ていた者なら誰でも知っている情報である。それをさも今初めて聞いたかのように話すヒルダの口ぶりは、慣れているとはいえ神経に障る。

 だがアイザックはそれを表情には出さず、淡々と告げる。


「そうだな。どうやら今回は見送りになりそうだ。まったくついてないぜ」


 相手が挑発に乗ってこないと見るや、ヒルダは一瞬つまらなさそうに唇を尖らせるが、すぐにまた別の遊びを思いついたのか口角を持ち上げる。


「残念ね。グランドールが無事なら、わたくしの予選免除権を賭けて勝負してあげても良かったのですけれども――あ、でも格下の子に負けてグランドールを壊されるくらいだから、勝負する以前の問題でしたわね」


 おほほ、とヒルダが口許を隠して上品に笑うと、アイザックの眉がぴくりと動いた。


「お前、それをどこで聞いた」


 アイザックが負けた事は周知の事実だが、巧真との勝負に彼が持つグランドールフェストの予選免除権を賭けた事は、当事者たち以外は知らないはずである。


「細かい事はい~じゃない。それよりホント残念だわ。あなたが出ないんじゃ、張り合いがなくなっちゃう。今回のグランドールフェストは楽勝かしら」

「一回優勝したからって調子に乗るなよ」

「やだ恐い。もしかしてまだ恨んでるの? 準決勝でまだ十四歳の小娘だったわたくしに負けたこと」


 それまで表情を殺してきたアイザックだったが、過去の敗戦をほじくり返されて少しだけむっとした。ようやく見たかった表情が見れて、ヒルダはにやりと笑う。


「お前肝心な事忘れてないか?」

「何かしら?」

「今日俺を負かした相手が、今年のグランドールフェストに出るって事だよ」

「なんだ、そんな事? 別に問題ありませんわ」

「なに?」

「だって、わたくしのほうが絶対強いから」


 自信満々に言い切るヒルダに、さしものアイザックも言葉を失う。だがその言葉が慢心や自惚れなどではなく、これまで彼女が積み上げてきた戦歴が証明する純然たる事実だというのは、彼にもわかっていた。だから、それ以上何も言えなかった。今はまだ。

 アイザックを黙らせた事で満足したのか、エルザはそこで会話を切り上げると優雅に身を翻す。


「グランドールの無い貴方とこれ以上話していても時間の無駄ですわ。それじゃ、せいぜい予選に間に合うように急いでグランドールを直すのね」


 一方的に言い終えると、返答を待たずにさっさと歩き出した。そのあまりにも自分勝手さにアイザックが呆然としている間に、コンバットブーツの野趣溢れる足音が遠のく。

 そして廊下に静寂が戻りアイザックが正気に戻ると、足元にこつんと固い感触。視線を下げると、さっき蹴飛ばしたゴミ箱だった。

 怒りが遅れてやってくる。

 アイザックは右足を思い切り振り上げ、


「クソがっ!」


 今度こそゴミ箱は原型を留めなくなった。


     †     †


 医務室。

 アイザックが去った後、巧真は闘技場所属の専門家に診察を受けていた。

 診察と言っても、現代のような医学知識や技術を習得した医師が行うものではない。専門の魔導石から放たれる光を対象に当てると、異常がある箇所と症状が魔導石に表示されるのだ。なのでここでは医師ではなく、適正を持った魔導石技術者という事になる。

 操縦士は闘技場で試合を行った後は、こうして専門家の診察を受けるのが義務づけられている。ちなみに診察だけなら無料だ。


「うん、異常なし。ただ初めての戦闘だったから、今は平気でも家に帰った頃か夜寝る時にあちこち痛みが出ると思うよ。特に首はムチウチに似た症状が出るだろうから、念の為に痛み止めと湿布を出しておこうか」


 三十代くらいの男性が人を安心させるような笑顔で言うと、巧真はほっと胸を撫で下ろした。


「後で受付に寄って、薬をもらって帰ってね」


 男性は言いながらデスク上の用紙にペンを走らせると、後ろで立っている女性にその紙を渡した。女性は用紙を受け取ると、それを薬局に届けるために医務室を静かに出て行く。


「対戦相手があのアイザックだって? 凄いね、よく勝てたね」

「ヴァリアンテのおかげですよ。あの機体じゃなかったら、あっという間に負けてました」

「そりゃご謙遜で。聞いたよ、あのスペレッサーをぶん投げたんだって? 僕もここでの仕事は結構長いけど、大型じゃない機体がグランドールをボールみたいに投げたってのは聞いた事がないな」

「ないんですか」

「うん、大型で力の強い機体が体格差を利用したり、格闘技の技術的な応用で投げるってのはあるんだけど、キミみたいに普通の大きさのグランドールが力任せに振り回してぶん投げたのは無いかなあ」

「はあ……」

「そもそもグランドールで単純な殴る蹴るはできても、人間の格闘技と同じ事をするのは相当な技術が必要だからね。僕の知る限り、それができるのはヒルダ=クラウフェルトただ一人だよ」

「クラウフェルト……」


 その名はどこかで聞いたような気がするが、思い出せなかった。


「その人って強いんですか?」


 巧真の問いに、男性は「知らないの?」と少し驚く。


「強いなんてもんじゃないよ。なんたって前回のグランドールフェストの優勝者だからね」

「マジすか」

「女性で、しかもその時若干十四歳。なんと初出場で初優勝ときたもんだ。さすが名門と謳われるクラウフェルト家。こりゃ今回も優勝かなあ」


 そこでようやく巧真は思い出す。クラウフェルト家――それは、あの夜事務室でリサたちがしていた会話に出て来た名前だ。前回優勝者、しかも十四歳で。十七歳で初めてグランドールに乗った自分とは大違いだ。果たしてそんな化け物みたいなのに勝てるのだろうか。

 それにしても名前からすると女性のようだが、十四歳で荒くれ者揃いのグランドール乗りを押しのけて優勝するとは、いったいどんなメスゴリラなんだろう。

 巧真が黙り込んで失礼な想像をしているのを落ち込んだと勘違いしたのか、男性は慌てて、


「いや、キミもなかなか凄いよ。なんてったって初めての試合で、二つも上の階級の操縦士に勝ったんだから」


 とフォローしてきた。巧真が「え? ああ、まあ、どうも」と気のない返事をすると、微妙に気まずい沈黙が生まれる。

 だがすぐに沈黙に負け、男性はわざとらしく咳払いをすると、


「それじゃ、今日はもう帰っていいですよ。もし痛み止めが効かなかったり、湿布が肌に合わなかったらまた来て下さい。処方し直しますよ」

 巧真に退室を促した。

「どうも、お世話になりました」


 巧真は椅子から立ち上がり、男性に向かって頭を下げる。顔を上げると、男性は巧真に向かって微笑みながら言った。


「初試合初勝利、おめでとう」


 巧真も少し照れながら笑って言った。


「ありがとうございます」


     †     †


 医務室から出ると、ギリガンが廊下の長椅子に座って待っていた。


「おう、どうだった?」

「異常なしです」

「そうか。そりゃ良かった」

「ただ、後からあちこち痛むだろうから痛み止めと湿布を持って帰れって」


 巧真が困り顔で言うと、ギリガンはがははと笑った。


「まあグランドール乗りなら誰もが通る道だ。これでお前もようやく一人前のグランドール乗りだな」


 そう言ってまたがははと笑う。巧真が格上相手に大金星を上げたのと、グランドールフェストの予選免除権を手に入れたのと、さらに一人だけ巧真の勝ちに賭けた金がとんでもない額になって返ってきたせいか、コイツ酔っ払ってんじゃないかと思うぐらい上機嫌だ。


「たまに試合の後ばったり倒れるように眠って、そのまま起きなかった奴もいるから気をつけろよ」

「他人事だと思って恐い事言わないでよ……」


 ギリガンにそう言われると、何だか身体のあちこちが痛み出したような気がする。巧真が首の後ろに手を当てて頭を左右に振っていると、


「おう、まだ居たか坊や!」


 突然の声に振り向けば、廊下の向こうからアイザックがもの凄い剣幕でこちらに向かって走って来る。さすがキャリアが違うと言うべきか、巧真と違って超元気だ。


「アイザックさん、どうしたんですか?」

「なんじゃい、お前まだおったんか」

「うるせえ! それより俺は決めたぞ!」

「決めたって、何をだ?」


 訝しげにギリガンが問うと、アイザックは凶悪な笑みを浮かべて言った。


「大会まで、俺がお前を鍛えてやる!」

「ええっ!?」


 いきなりの宣言に巧真とギリガンが同時に驚く。それはそうだろう。あまりに胡散臭い。しかも相手がよりにもよってアイザックである。間違っても勝負を通じて友情が芽生えたとか、巧真にグランドール乗りとしての可能性を見出したとかではあるまい。


「お前、何を企んでる……」


 じろり、とギリガンが疑いの眼で見ると、アイザックは一瞬「う、」とたじろいだ。そして観念したかのように小さく笑みを漏らす。


「言っただろ。俺に勝ったお前にすぐに負けられちゃ、俺が困るんだよ。だったら、本戦でちょっとは勝ち残れるように鍛えてやろうと思っただけさ」


 別に他意はねえよ、とアイザックは照れ臭そうに鼻を人差し指でこする。


「アイザックさん……」


 人生経験の浅い巧真などあっさり騙されて目をうるうるさせるが、ギリガンは伊達に百五十余年生きていない。たかだか三十年そこらしか生きてないアイザックの嘘など小僧の戯言である。


「嘘だな」

「ぐ……」


 一瞬で看破されて、再び唸るアイザック。


「正直に言えよ。おおかた他のグランドール乗りに煽られたんだろ。格下に負けてグランドールをぶっ壊された挙句、今回のグランドールフェスト出場は絶望的。『金』間近だと噂されたアイザックも実は大した事ねえんだなって」

「うるせえ! 見てきたように言うんじゃねえ!」


 ずばり言い当てられ、アイザックは廊下に響き渡るほどの大声で怒鳴る。


「だがお前、タクマを鍛えるっつってもお前のグランドールは壊れたばっかじゃねえか。それで何をどうやって鍛えるんだ?」

「それは……」


 アイザックは少し考えるために間を置くが、何も思いつかなかったのか開き直ったように言い放った。


「こいつの身体を鍛えてやる。いくらグランドールの出来が良くても、乗ってるこいつがへばったら元も子もないからな」

「ええ~……」


 グランドールの技術的な訓練ではなく肉体フィジカルの強化と言われ、インドア派の巧真は心底厭そうな顔をする。


「なんだその顔は。いくらグランドールに乗っているとしても、最後にものを言うのは体力なんだぞ。お前にはそれが決定的に欠けている。大会本戦まで時間は少ないが、それまで俺が徹底的に鍛えてやるから覚悟しておけ」

「ギリガンさん……」


 早くも鬼コーチ気取りのアイザックに、巧真は情けない声を上げてギリガンに助けを求める。

 が、ギリガンは「ふむ、」と顎ひげをしごきながら考えると、


「確かに、タクマには操縦士としての基礎が丸っきり足らんからな。短い期間とはいえやらないよりはマシだろう。いい機会だから大会まで徹底的に鍛えてもらえ」


 あろうことかアイザックに賛同した。


「そんなあ……」


 アイザックも元は軍人である。となると彼が行う特訓とやらも恐らくは軍隊式。巧真はアイザックと一緒に卑猥な歌を歌いながらランニングしたり、鬼軍曹さながらのとても放送出来ないような言葉で罵倒されながら巨大なアスレチックコースを駆け回る姿を思い浮かべて身震いした。


「まあそう情けない顔するな。グランドールの操縦は操縦士のイメージに拠るが、決して肉体的鍛錬を疎かにしていいというわけではないぞ。お前もさっきの試合で痛感しただろうが、グランドール同士の戦闘は激しい衝撃との戦いだ。グランドールが耐えられても中の操縦士が耐えられなければ意味が無い。それに衝撃に耐えられる肉体を作っておかないと、将来困るのはお前自身なんだぞ。歳を取ってから手足が痺れたりボケが早くなったら困るだろ」

「それはそうだけど……」


 まるでパンチドランカーである。


「そもそもアイザックの言った通り、いくら操縦の腕が良くても試合中にへばったらどうしようもない。最後に頼れるのは自分の体力だけだ。最低限試合中にへたらない程度の基礎体力は作っておけ。

 それに操縦士の身体機能が上がれば、その分グランドールの動きにも良い影響がある。心身ともに鍛えてこそ、一人前のグランドール乗りだぞ」


 現役グランドール乗りと元グランドール乗りに言われてはどうしようもない。巧真は渋々アイザックのコーチを受け入れた。


「よし、それじゃあ明日からビシビシ鍛えてやるからな」


 話が決まると、アイザックは嬉しそうに去って行った。その足取りの軽さはとても試合で負けたように見えず、巧真は少しくらいなら身体を鍛えてもいいかな、という気持ちになった。

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