25人目の奇襲
「ヨネ!」
鋭い声に、ハッ、と我に返ったけれど、時既に遅し。
左肩めがけたボールを取りこぼして、オレはわけの分からない状況に、慌てた。
いつ、あの灼熱の下に戻っていたのか。
反射的に目を向けたホーム上に、落ちつき払った顔を見つけて、オレはそれが中村からの、投球練習の返球だったことに気づく。
「プレイ」
白く粉をのせた指の上、赤く浮かぶボールの縫い目ひとつひとつに、集中しろ、と言い聞かせること、五回。
オレは、それをグローブにおさめ、ストレートの握りをつくった。
睨んだ右のバッターボックスから、ちかちかと揺らめく、光。
いつもどおり、受け入れ態勢万全の的に視線を据えて、投球フォームに入る。
でも、それに気付けたのは、どこか、意識が散っていたという証拠なんだろう。
バッターの頭上から、流れてきた光の筋。素早く寝かされた、バット。
とっさに手首をひねったせいで、無人のバッターボックスのさらに左を、緩い棒球が通り抜けていく。
キャッチャーすら呆然と見送るボールには、投げつけでもしない限り、バットが届くはずもなかった。
「ボール」
ランナーが居たらオレにエラーがつく暴投も、得をする人間が居ない以上は、ただボールカウント、ひとつ分。
それで、オレは確かに、相手の初安打を摘んだのだ。
これまで、一本のヒット、一人のランナーも出ていないチームが、最後の攻撃を迎えて、意表をついたバントヒットを狙ってくる──
よほど下手ならいざ知らず、転がした時点で、その奇襲は、おそらく成功していたはずで。
作戦としては、至極、正攻法だと思う。
思うけれど。
オレは、無性に腹が立った。
セーフティバントしか打つ手がないなんて、投手攻略に白旗を上げたも同然なのに。
そうまでして、人の一世一代の好投に水をさすのか、と。
そっちがその気なら、意地でも、完全試合を食らわせてやる。
オレは、球審が放ってくれたボールをグローブ越しにきつく握りしめて、中村のスライダーのサインに、首を振った。
それまでの、相手を惑わすためのポーズじゃない。
それが伝わったのだろう、いつもなら何度首を振っても同じサインを出してくる中村が、チョキに、親指を付け足してみせた。
そう、それだよ。
分かってんじゃねえか、中村。
人を、おとなしく守りに入るようなピッチャーだと思ったら、大間違いだ。
小さく頷いて、オレは、この試合まだ三回目の変化球を握った。
得意のスライダーとは逆回転をする、オレの隠し球、シュート。
この球は、金森にだって、バントを成功させたことはない。
体に向かってくるボールを、最後までよく見て、バットに当てることぐらい難しいことはないよと、お墨付きももらっている。
打ちたきゃ、打てばいい。
転がせるものなら、転がしてみろ。
迫るボールに立ち向かう勇気があるなら、その時は一塁ごと完全試合も、くれてやる。
ふだんは、壁を作るような左肩の意識を、のれんに切り替えるのが、キレのコツ。
それで、人差し指にかかったボールは、バッターの戦意を刈る、鎌と化す。
倒れかけのまま慌てて逃げ出したバットを追って、体当たりを敢行した球は、役目は全うしたとばかりに、ぽーんと上空に跳ね上がった。
同時に、キャッチャーマスクを跳ね捨て、中村が立ち上がる。
恵みを乞うようなミットに、ファールフライが舞い降りて。
アウト、と無情のコールが立ち尽くす背番号1を追い立てた。