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パーフェクト  作者: 有羽妃
3/8

センター江口

「ヨネ」


不意の声に、残り少なくなっていたコップの中身が縁まではねた。

キャッチャーだけあって、中村の声は、よく通って無駄に響く。


「チェンジだ。行くぞ」


いっしょにはねた心臓を落ち着かせる方法が分からなくて。

焦りを隠すように、オレはドリンクをグッと飲み干してから立ち上がる。


第八幕は、やっぱり、相手の四番バッターからの打順で。

これまで、一人もランナーを出していない事実を裏付けていた。

オレは、スパイクシューズの底でマウンドの土をならしてから、被り直すべく取った帽子に、ふと視線を落す。

つばの裏のグリーンに、黒いマジックでいっぱいに書いた『全力投球』の文字。

そう、いつどんな時だって、目の前のバッターに全力でボールを投げ込む、それだけがオレの役目で、ポリシーだ。

結果は、その出来が勝手に連れてくる。


オレにボールを放った中村が深く膝を折ると、同時に、プレイ、と球審の手のひらがかざされた。

腿の間に隠れて、球種スライダー、コース外角のサインが踊る。

足の先は相手ベンチに向けたまま、右のバッターボックスから、白く、陽光をはね返すバットを横目で睨んだ。

オレは、グローブの中に突っ込んだ右手でしばしボールをこねると、合わせて気持ちを込めるように、胸に引き寄せた。

左膝を高く上げ、左肩で壁を作りながら体重移動をし、右足で投球プレートを蹴って、右腕を思いきり振り抜く。


「ストライク」


拳を握った球審の、低くくぐもった声。

バットの軌道からするりと横に逃げていくボールを捉え損ね、豪快に空を切ったからっぽの金属は、取り繕うようにベースの両端を撫でて、また天を仰いだ。

一度、盛大な空振りを演じたバットは、二度目の醜態をためらう。

そう読んでいるのだろう中村は、真っ直ぐ、ど真ん中、とサインを寄越して、どっしりとホームベースの真上にミットを構えた。

オレの相棒がふてぶてしいのは、今に始まったことじゃない。

いいけど、打たれたらおまえのせいだからな、と唱えて、オレは浮かびそうになる笑みを隠し、渾身のスピードボールをたたきつける。

中村の思惑通り、後悔に縛りつけられたバットは、微動だにしなかった。


あわよくば振ってもらって、三振狙い、のボール球を見逃されてからの、四球目。

サインはもう一つ、スライダーだった。

だったけれど、投げた瞬間、ヤッタ、と思う。

握りがすっぽ抜けた、不吉な感触の後に残ったのは、風を掴んだミットと、安っぽい鐘を打ったような、尾を引いて飛ぶ金属音。

そういえばこいつ、四番だったな、とぼんやりと思い起こす。

重い足を引きずって背後を振り返るオレの耳に飛び込んでくる、悲鳴と歓声の二重奏。

そして、オレの目に飛び込んできたのは、スカスカの外野スタンドに跳ねる白球、ではなくて。

高々と掲げられた、希望を飲み込むように影を集める、真っ黒なグローブだった。


外野フェンスに張りつく、バックハンドのジャンピングキャッチ。

プロ選手がやると、翌日の新聞には『ホームランを盗んだ』という見出しが走る、超ファインプレーだ。


「……う、そだろォ、江口ぃ」


おまえ、いつも、何てことないフライだって、オレの打率よりよっぽど高い確率で、落してるじゃねえか。

チーム一の駿足は、一番バッターとして出塁した際は、一つ先のベースを盗むため。

そして、センターの守備についている時には、無謀な突っ込みからダイビングキャッチを試みた挙げ句、相手のシングルヒットを、二塁打、三塁打にしてくれるためだけにあるのだとばかり、思っていた。

失投と失点、それらと引き換えに解けるはずだった完全試合という名の呪縛は、そう簡単にオレを開放してはくれないらしい。



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