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No.029 清水ん舞台から飛び降りる

 世界は、生まれ落ちたその瞬間から笑顔が溢れていた。


 世界は、人類を祝福するように在り続けた。


 世界は、幸せな空気で満ちていた。


 世界は、世界は、世界は。



「そんなわけあらへんわ」



 アタシがそれを知ったのは、片手の指で事足りる歳の頃。

 酷く貧しいスラム街で生まれたアタシの世界は、いつだって灰色に染まっていた。


 母親は娼婦。父親は不明。

 ここら一帯の子供はみんなそんなもの。


 母親も解らず生きてきた子よりもまだマシだと言えるだけで、酷い生活には変わりない。

 例えるならば、籠の中に閉じ込めれた鳥のようで。



 成長した男の子は、奴隷として居なくなる。

 成長した女の子は、当然のように娼婦となる。


 世界の幸せにありつけもしないアタシらは、愉快なことに絶望を感じていない。


 希望すら感じないこの生活の中で、静かに心が壊れていくだけなのだから。






 そんなある日のこと。

 こんな辺鄙へんぴな場所にあるスラム街なんかに、人攫ひとさらいがやってきた。


 そう言えば、ここの女たちはお金になるのだと母親に聞いた覚えがある。

 それがどういった理由なのかは解らないけれど、したいこともないアタシらの中に逆らう人も居なかった。


 今ここに居る子供は37人。その中でも女の子はアタシを含めて20人。

 腕を引かれた女の子は更にその半分だけで、アタシらは荷台に乗り込むように指示された。


 10人を乗せて動き出した馬車からは、過ぎていく景色を茫然と眺める以外にすることなんてない。


 既にだいぶ遠くに見える姿は、共に育った残りの子供たちだけ。

 引き留める親も、見送る親も、このスラム街(せかい)には存在しなかった。


「なあ、ウチらこれからどないなるん?」

「そんなんこっちゃが聞きたいわ」

「別にどうでもええやろ」

「あそこに居てもなんも変れへんし」

「せやかて、気になるやん」

「なにがよ」

「知らん人に売られるんかいな」

「それか殺されて売られるんかもよ」

「もしくは両方やろうなあ」


 代り映えのなかった日常の中に訪れた、初めての非日常。

 その事実が不安にさせたのか、心を壊しきれていない彼女たちは口々に漏らす。


 だけれど、言葉にする以外の方法は何も知らない。

 故に彼女たちの行動は、一向に進みもしない。


「マリアはどうなん? ウチら、どうすればええと思う?」

「そやねえ」


 結論が欲しそうに伺ってくるけれど、所詮アタシも同じスラム街で生まれ育った幼い子供。


 ただ文字に興味があっただけ。

 ただ書籍に興味があっただけ。

 ただ人間に興味があっただけ。


 20歳を超えても読み書きが出来ないことなんてザラなあの場所の中で、10歳のアタシはそれを習得していた。


 ただそれだけのことなのに、彼女たちとは違うらしい。


 情報を自ら手に入れられるのと聞くだけなのでは、圧倒的に差が出てしまうだろう。


「今すぐ逃げても生きていけへんし、あちらさんがどないして出るんかっちゅう様子見ってところやね」


 アタシが笑えば、他の子たちも笑顔になる。

 説得力とでも言うのだろうか。アタシの言葉は直ぐに納得してしまうらしい。

 彼女たちは皆、自分の意志なんてロクに持ってもいない。


「……解らんわあ」


 揺れる馬車の中で、小さく零した声は広がらない。

 聞こえたとしても、意味を理解しようとする子は居ないだろう。


 これからどうなるかなんてアタシにも解らない。

 だからこそ、移動している今この時に眠るべきだ。


 瞳を閉じたアタシの耳に届くのは、ガタガタと揺れる荷台の音。馬の足音。



 緩やかに意識を手放そうとしたその時、けたたましいいななきが耳をつんざいた。

 そして訪れた大きな揺れ。


 遠心力を働かせて動いた荷台の中には悲鳴が響き、その動きも急に終わりを迎える。



 騒々しい荷台の外。

 唯一外を見ることが出来た窓は、倒れた荷台の下側になっていた。

 なにが起きたのか。なにが起きているのか。


 なにも解らないまま時間は過ぎていき、そして辺りが静かになった。


「どうなったんこれ、なあ」

「上に乗ってるの誰や! 重たいからどいて」

「みんな一旦起き上がろ」

「いった……ぶつけてしもうたわあ」


 確実になにかが起こったはずなのに、アタシらに対して外部はなんのアクションも起こさない。

 彼女たちはここから出ようとすら思わず、それはそれで都合が良い。


 人攫いの人たちが、同族に襲われたのかもしれない。

 人攫いの人たちが、野生生物に襲われたのかもしれない。


 いずれにせよ、状況が解らないまま迂闊うかつに動いてはダメだ。


 口を閉ざしたままのアタシに気が付いたのか、彼女たちも次々と閉口する。

 静かになったこの場所から、アタシは外のこえを探し出した。


「――となる為――……で、……これより拘束し――連こ……る――」


 くぐもった声は大人のもの。

 それは聞いたことの無い声で、人攫いのものではないと推測する。

 ということはつまり、この馬車を襲ったのは人間だ。

 それが彼らと同業なのかは解らないけれど、こちらに敵意を向けている様子も無い。




「――っ、お待ちください王妃様!」


 考え込んでいたアタシの前方から光が差した。

 薄暗かったこの荷台の中が、だんだんと明るくなる。


 目を細めて見遣ったその先に、光に浮かぶ人影が見えた。

 眩しくて形がはっきりしなかったそれも、ゆっくりと姿をあらわにして。


「あらあら。あなたたちはだあれ?」


 無邪気にそう尋ねてきたのは、煌びやかな衣服を身にまとった女の人。

 その後ろに居る大人たちは、彼女を王妃様と呼んでいた。






「あら、あらあらあら、可愛いわねえあなたたち!」


 荷台に乗ったまま、人攫いじゃない人たちに連れてこられた場所。

 そこは見たこともない程輝いており、綺麗に整えられていた。


 見るもの全てに驚いているアタシらを他所に、目の前の状況はけたたましく変わり続ける。

 綺麗な街の、綺麗な建物の中に入り、大きなお風呂へ入れられたアタシらは、あっという間に綺麗な身なりへと早変わり。


 その姿のまま向かった先であの王妃様と対面して、こちらが驚くほどの笑顔で迎え入れられた。


 目の前には王妃様が、後ろには一緒に来たスラム街の女の子たちが。

 どうしたらいいのか解らない彼女たちは、みんなアタシの後ろへ寄ってくる。


「そんなに警戒しなくてもいいのよお。お嬢さんたちのお名前を聞かせてもらえないかしら?」


 姿の見える彼女たちを背に隠したまま前を見据えて。

 王妃様もまた、アタシに向けて言葉を放った。


「アタシは……――アタシらはエドゥアルダと申します、王妃様」

「あらあら、あなたたちはエドゥアルダのたみなのねえ。あんな人たちに連れていかれて怖かったでしょう」

「いいえ、アタシらにはあん場所に留まる理由もおどへんした。不安はおましたが、恐怖はあんまり」

「あらあらまあまあ、強い子たちなのねえ。みんな綺麗な紫色だわあ。ねえ、あなたもそう思うでしょう?」


 奥に置いてある椅子には男の人が座っていた。

 きっとあの人が王様なのだろう。王妃様を見て、笑顔で頷いている。


「そのくるくるしている髪も、その大きなおめめも、キラキラ輝いていて素敵ねえ」

「キラキラ……ですか?」


 キラキラしているのも、綺麗で素敵なのも、アタシらより王妃様のほうじゃないだろうか。


 光を通してキラキラと輝く金色の髪に、零れ落ちそうなほど綺麗に光っている碧色の瞳。

 肌の色さえ透き通っているようで、仲間内でも唯一色黒なアタシなんかとは正反対だ。


「そうよお。きっと風になびけば、みんなを魅了できるんじゃないかしら」

「みんなを……魅了……」

「ええええ、そうよおきっと。あなたたちみんな、とっても可愛いわよお」


 彼女の言葉に、みんなの声がこぼれだす。


 今まで、髪や瞳を褒められたことがあっただろうか。

 今まで、それが綺麗だと言われたことがあっただろうか。

 今まで、可愛いなんて言われたことがあっただろうか。


 ざわめく声はだんだんと大きくなっていき、アタシに送り込まれた言葉はやがて静まった。


「――王妃様」

「なあに」

「アタシらは今後どないするべきですやろ」

「それはつまり、あなたたちはどう生きたいのかしら」

「アタシらは……――」


 アタシらはどういう風に生きたいのだろう。

 なんといっても、ここに居るほとんどの子がろくにモノを知らないのだ。


 あのまま心が壊れていくのを待つだけだった、希望も絶望もない人生になるはずだったけれど。


 振り返れば、彼女たちは真っ直ぐにアタシを見つめていた。

 これからどうしたいかなんて、具体的な言葉は持ち合わせていない。


 だけれど、その瞳から伝わる感情が、アタシにそれを教えてくれた。


「――……アタシらは自由すきに生きたい。こん世界がどないな世界なんかが知りたい。知らんかったもんを自分の目で確かめたい」




 そう、アタシらは籠の鳥だった。

 せっかく外へ出たというのに、また籠の中に戻るなんて絶対に嫌だ。


「王妃様、どうかアタシらに翼をおくれやす」


 地を這う鳥じゃない。あの広い大空を舞う為に。


「こん世界で生きていく為の、その翼を」




 アタシはその時、世界が灰色以外にも見えることに気が付いた。




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