No.002 牛に引かれて善光寺(ぜんこうじ)参り
「そこに居ると、死んじゃうなの」
「えっと…………え?」
僕の目の前に立ち止まった少女がそう言った。
死――それはいつも身近にあることだけれど、ここに居ると死んでしまう、というのは一体どういう事だろうか。
その意図が解らなくて、もう一度少女を見る。
少女の髪は燃え盛る炎のように赤く、肌も青白い。
逆光で表情は解らないけど、その中でも光る眼が印象的な女の子だ。
身に着けている衣類といえば、サイズの合っていない大きなシャツのみ。
左肩は襟から覗き出ていて、裾は太ももの位置で縛ってある。
足元に目をやれば、少女は靴すらも履いていない。
こんなに奇抜な格好をしている人を、僕は初めて見た。それなのに。
こんなにも目立つ姿をしている少女の存在を、まるで誰も気が付いていないようだった。
「向こうへ行くなの」
少女に手を取られ、引かれるがままに歩き出した。
一体少女はどこへ行くのだろう。
一体僕は、どこへ連れて行かれるのだろう。
「名前は何なの」
「えっと、カイト・サカイ、です」
「何歳なの」
「えっと……もうすぐ18、です」
「生まれた場所はどこなの」
「えっ、と……サガ村、でした」
ユユ町だと思ったここは、どうやらミノウ街というらしい。
尚も腕を引いて歩く少女はひたすら僕に質問し、それに満足したのか今度はこの街について教えてくれた。
歩けば歩く程、この町はユユ町に似ている。
だけどそう感じたのはミノウ街の中央までで、そこから先は全く見たこともない建物が建ち並んでいた。
第一あのユユ町は、こんなに広くはなかった。
ここから先一帯森だったし、たったの数日でこんなに変わるとも思えない。
そんな僕の混乱を余所に、少女は真っ直ぐ歩き続けた。
「あ、あのっ、一体、どこまで――」
――行くんですか。
そう続けようとした言葉は声にならなかった。
少女が突然立ち止まり、慌てて避けた僕は無様にも転んでしまう。
“いつも通りの不運”だ。
そう、思っていたのに。
チャリン、と何かが手に触れた。
とっさに握ったそれは、眩しく輝く金色のネックレスで。
「………………――!?」
じっくりそれを見つめた次の瞬間、僕は勢いよく後ずさった。
何と言ったって金だ。ゴールドだ。
おそらく僕が一生触れることの無いものに触れてしまった。
きっとこれは、不運の前兆に違いない。
迂闊に動かせば、必ずとんでもないことが起きてしまう……。
「おかしな人なの」
そういえばあの少女も側に居たんだった……。
お尻を引き摺ったせいか、僕と少女の間には落ち葉が分かたれて道が出来ていた。
動けないまま少女を見つめていると、小さな手が何のためらいもなくそれを拾い上げる。
「なにをそんなに驚いているなの。……これ、コリン王家の紋章なの」
太陽にかざしたかと思えば、少女は表情も変えずにそう言い放った。
凝った細工に王家の紋章が入った、金のネックレス。
これはますます不安が募るぞ……。
だけど今は僕ではなく、少女の手に収められた。
僕が持っているのでなければひとまず安心だろう。
そう思って、立ち上がったのに。
「見つけたのは君なの」
ネックレスを差し出してくる少女の姿が、運命から逃げるなと言っているように立ちはだかった。
「持つべきは誰か」なんてよく解らない言葉の応酬があったものの、結局僕はそれに惨敗した。
こんな小さな女の子に言い負けるなんて……と情けなく思ったけれど、誰かと言い合いなんてしたのは初めてかもしれない。
そう思うと、少しだけ嬉しくもなる。
ネックレスを持つ手は震えているけれど、それを誤魔化してボディバッグへ大切に仕舞った。
「こっちなの」
少女がどこへ行くかなんて解らない。
解らないはずなのに、周りの景色が僕を見知った場所へと向かわせているような、そんな気にさせる。
「この先って、確か、洞窟、でしたっけ」
「そう、イニー洞窟なの」
やっぱり僕が知らない名前だ……。だけど、間違いなくこの場所を知っている。
知っているのに、知らない場所。
こんなに歩いているのに、目立った不運がひとつも無い。
そして僕は早朝、この森に居たはずだ。
「ねえ、京はどう思う?」
自分ひとりでは考えがまとまらない。
だから僕はいつものように、右肩に乗る友達へ声をかけた。
「……京?」
名前を呼んでも返事が無い。
もしかすると眠っているのかな。
だって今日は、朝が早かったんだから。
「ええっと……京? どうしたの? 隠れてるの?」
なんてことを考えて、ゆっくり辺りを見渡した。
だけど、視線の先に京は居ない。
左肩も、カバンの中も、服の中に居ないかさえ探したけど、京の姿は何処にもない。
「きょう……うそだろ……きょう、京! ねえ、返事をしてよ……っ」
京が居ない?
嘘だ。京が居なくなるなんて、出会ってから一度たりとも無かった。
彼が僕の隣に居るのは当然で、そばに居ないなんてありえない。
そのはず、なのに……。
段々と喉が渇いていく。
目も乾いて、身体が一気に冷えてきた。
他の人から見れば、トカゲのような魔物を友達と呼ぶのはおかしいと思われるかもしれない。
だけど、京は僕にとって唯一の友達なんだ。
代えなんて利くはずもない、ただひとりの友達。
「……探さなきゃ」
震える脚を動かして前へ進む。
独りぼっちは、死にたくなってしまうくらい寂しい。
だけど、友達が居る。僕たちはお互いに、独りじゃない。
ひとりで待っていてくれている友達を、僕は早く助けに行かなきゃ。
「気を付けてなの」
前を向いた途端、僕の視界は暗転した。
「――――はっ!」
なんだ、今の……それにここは洞窟……もしかして、さっきまでの出来事は、
「夢、だったのか、な?」
不運かなんて言葉はもう、どうでもいい。
でも、京が居ないなんて、そんな世界は絶対に嫌だ。
京が居るこの現実を、これからも僕は神様に感謝しながら生きていこう。
「おはよう、京。今、君が居ない悪夢を見てしまったよ」
「それは夢じゃなくて現実なの」
恐怖を紛らわすように笑ってそう言えば、返ってきたのは可愛らしい少女の声。
こんなこと、つい最近経験したな、なんて。
現実から目を逸らしたくて、ほんの1時間前の出来事を他人事のように思い出した。