No.001 早起きは三文の徳
僕が生きるこの世界には、ステータスというものがふたつ存在する。
ひとつは人間としての基礎的な能力である、基本ステータス。
もうひとつは万人が得られるわけではない、戦闘ステータス。
基本ステータスとはつまり、生きる為に必要なものだ。
それは体力だったり、はたまた知力だったり。
生まれた時からすでに振り分けられているそれは、成長するにつれてその数字も大きくなる。
15歳まで生きてきた僕も能力値を上げる経験を得るために、1人で色んなことを試してみた。
だというのに、生まれてから一度も数値が変わらないものがひとつだけある。
人として致命的な項目でもあるそれは――
――“運”という、人生において必要不可欠なステータスだった。
基本ステータスの底辺は【1】で。上限にもなれば【999】になる。
というのはデータ上での話で、生まれたばかりの赤ん坊でもすべて【50】は超えているのが現実で。
それなのに、僕の運ステータスは【0】。
最底辺を超えた零。
何もない、ゼロ。
生まれ育ったこの小さな村では隠すこともできず、その事実はあっという間に広まった。
初めの内は珍しがって人もわんさか来たらしい。
けれど、それが終わりを迎えるのは早かった。
僕と居ると、酷い目にあう。
僕と居ると、幸せが逃げていく。
僕と居ると、自分のステータスが削れてしまう。
あることないことをさんざん言われ、気付けば“忌み子”“鬼の子”なんて蔑称で呼ばれる始末。
それに加えてこの真っ白な髪と青がかった緑の瞳だ。
村人のほとんどが黒髪黒目という中で、僕は異質以外の何者でもなかった。
狩りへと向かえば動物が僕を狙い、動物用の罠にはまり、果てには剣先が僕を貫いた。
農作業をすればクワは壊れ、動物に荒らされ、果てには水が干上がった。
漁に出れば風が吹き荒れ、毒魚の群れに逢い、果てには雷が船を襲った。
一体何をどうすれば、人はこんなにも神様に嫌われるのだろう。
生まれた時点でこうなることが決まってしまった僕は、一体前世で何をしたのかと問いたくなるほど理不尽な不運に苛まれる毎日を送っていた。
一歩歩けば不幸に魅入られ、
一歩歩けば凶運に取り憑かれ、
一歩歩けば死神に誘われる。
長すぎて何を言っているのか自分でも解らなくなってきたけど、要するに僕が言いたいことっていうのは……。
「生きているのが不思議なくらい超不運、ってことだよなあ」
そして15歳になった今日この日、義務感で育てられていただけの僕はついに親から見放されてしまった。
野山に囲まれた、とても小さなこのサガ村から。
苦々しい顔で別れを告げてくる両親に、不思議と怒りの感情は湧いてこない。
そんなことよりも、よくここまで育ててくれたものだと感謝の念が浮かんでくる。
その思いを口に出せば、両親はより一層苦い顔になってしまった。
そういう顔をさせたいわけじゃないけど、かといってどう言えば良いかなんて僕には解らない。
それから話すことなど何もなく、簡単な荷物とお金を渡され、まだ隣人も寝ている早朝に家を出た。
両親と最後に交わした言葉は「さようなら」のただ一言。
だけど僕は立ち止まり、振り返って言葉を繋げた。
「もう、生きて会うことは無いでしょうね」
これからどう生き抜くかで手一杯な僕の顔はきっと、笑えてなんかいなかっただろう。
そしてもうひとつ、この世界に存在する戦闘ステータス。
基本ステータスとは違い誰もが有するわけではないそれは、小さな村では生まれてすら来ない稀有な存在だ。
前者は項目ごとに独立し、後者は5つの項目がひとつとして枠の中に在る。
【0】から【999】まであるそのステータスを、村の中でも初めて持って生まれた僕は幸運なのだろうか?
いいや、答えは揺るがない。不運だ。
なにせ折角ある戦闘ステータスだというのに、その数字はたったの【1】。
基本ステータスとは違って自分で振り分けられる代わりに、その数字は未来永劫変わることがないのだ。
たったの【1】を防御に振っても、攻撃できなければ意味がない。
かといって攻撃に振っても、防御力【0】の僕は防具以外に守る物が何もない。
そして、戦闘ステータスを持つ者のみが受注出来るクエストというのがある。
日常生活で不運ばかり呼び寄せてしまう僕は、どの街に行っても定職に就くことが出来なくて。
攻撃力が【1】という絶望的な数字で、僕はひとり、探索へ進むしか道はなかった。
クエスト探索者も職業とされている。
だから僕も、一応は仕事に就いたことになるんだけど……。
「今日も生き残ることが出来ましたこんな僕を生かしてくれて神様女神様ありがとうございます」
今まで以上に生きるか死ぬかが直面してしまっている現在。
洞窟入口に生息する子鬼の1匹にすら苦戦し、ポーション切れギリギリで何とか討伐する日々が続いた。
はっきり言って労力と報酬が割に合わない苦行だけれど、今日もまだ僕が生きている事実には感謝してもしきれない。
それにこれなら、周りの人に迷惑がかかることもないしね。
だから僕は生きる毎日を、最低限の食材と持てる限りの回復薬を買って、森の中の古い物置小屋で過ごすのだ。
ひとりになった日から、2年以上の時が過ぎた。
ひとりで戦い続けていた僕はもう、ひとりじゃない。友達が居る。
初めて出来た友達という存在は、人間ではなくトカゲだけれど。
不思議なことに、彼は僕の言葉を理解してくれる。
人間じゃなくても、話が出来る。
誰かと会話が出来るというこの事実が、超不運の僕にとって初めて訪れた幸運だ。
他人から見ればおかしなことかもしれない。
だから街では話せないけど、それを補うように夜通し喋りあった。
初めて心を許せる相手と共に、僕はまだこの世界を生きている。
こんなに不運な僕を生かしてくれている世界のすべてに、ただただ感謝した。
そんなある日のことだ。
いつもより早く目が覚めてしまった僕らが洞窟へ向かうと、いつもいるはずの子鬼たちが姿を現さない。
不思議に思って中を窺うけど、物音ひとつ聞こえて来やしない。
「……京、どう思う?」
「キョウ、わからない。でも、へん。かんじ、する」
この世界から嫌われているんじゃないかと思うほど超不運な僕のことだ。
今まで足を踏み入れたことのないこの先に進んだとして、まず間違いなく死を覚悟するべきだろう。
突然落石する可能性は大いにあるし、それに驚いてモンスターが出てくる可能性も捨てられない。
しかもそのまま出口が塞がれてしまうかもしれないんだ。
京だけでも助けられればいいけど、彼ひとりで逃げ出せるとは思えないし……。
かと言って、残していくわけにもいかない。
でもこのまま動かなければ、今日の分の収入が得られないということになる。
これは相当な痛手だ。
何も出来なければ生きられず、どのみち自分を待っているのは“死”の一文字だけのようで。
「ごしゅじん、いく。キョウ、も、いく!」
肩口から頭をこすりつけてくる友達を、ひとりきりにさせるわけにはいかないだろう。
自分が死んでしまうより、彼をひとりにしてしまう未来を想像したくなかった。
意を決して、息を飲んで。
出来る限りの気配を消して、初めて洞窟内に足を踏み入れる。
いつモンスターが来てもいいように、盾と剣は常に構えたまま。
気を張って、視線を巡らせ、匂いにすらも意識を集中させ続けた。
しかしどうだろう。
歩けど歩けどモンスターが出てくる気配はない。
しんと静まり返った洞窟内は思いのほか明るくて、どこからか漏れてくる暖かさに妙な安心感さえ与えられているようだ。
空気も埃っぽくなくて、隅を流れる流水が適度な冷気を放ってくれている。
それに加えて、暖かな太陽の日差し。
ここにいるのは僕と京だけ。
そんな異常な空間が僕に安心感を与え、そして、その安心感に恐怖を感じた。
「京、どうしよう。もう戻ろうか」
「キョウ、ここ、あんしん。キョウ、ここ、すき」
鼻歌でも歌いそうなほど機嫌のいい京を、僕は初めて見た。
いつも僕のせいで不安にさせてしまっているせいもあって「ここから出よう」という気持ちが「残っていた方がいいんじゃないか」と言う気持ちで上塗りされていく。
「ごしゅじん、みて。おく、ある!」
ぴょこぴょこと飛び跳ねる京になんだか僕まで嬉しくなってきた。
さっきまで感じていた恐怖が、ゆっくりと薄れていく。
他人の事でこんなにも気持ちが変わるのは初めてかもしれない。
そんなことが嬉しくて、僕の足は前へと進んだ。
それが正解だったのか失敗だったのかなんてことは、きっと誰にも解らないだろう。
最奥の部屋へ近付くほど、どこからか発せられる光が強くなっている。
ついに発光源まで辿り着けば、その正体が僕らの視界へと飛び込んできた。
言葉通り、光った“なにか”が飛び込んだのだ。
僕の眼前に、一瞬の猶予もなく。
直後、酷い浮遊感を感じた。
京を呼ぶ声は音にならず、彼の姿が見当たらない。
視線を周囲へめぐらせれば、洞窟が光の中に飲み込まれているのが見える。
……いいや、違う。飲み込まれているのは僕なんだ。
そう思った時には既に遅く、僕の意識はこの世界から離脱した。
「――――はっ!」
ガヤガヤとざわめく音で飛び起きた。
前後左右に視線を巡らせ、今僕は京と過ごしたユユ町の前に居るのだと理解した。
どうしてここに……いつの間に来たんだろう。
だけれど、ここに来る理由も記憶も無い。
第一、周りを見ても知っている姿がひとつもない。
景色はどう見てもお世話になっている場所だけれど、本当にここはあの町なのだろうか。
僕を見つめて通り過ぎる人々を、僕は動くこともできずに眺めていた。
こんなところに来た理由を何度も何度も考えるけど、やっぱり結論は出てこない。
ふっと、影が下りてきた。
誰かが僕の横で立ち止まったのだろう。目を合わせないように下を向いたけれど。
「そこに居ると、死んじゃうなの」
声につられて顔を上げる。
そこに居たのは、頭に布を巻いた小さな女の子だった。