No.010 虎に翼
振り下ろされた触手の下を通り抜け、剣の間合いに魔物を捉えた。
「は、あ……ああああああ!!」
一度離してしまった盾を左手で、手にしたままの剣を右手で、強く握りしめた。
決して離れないように、強く、強く握りしめた。
そして、届く。届いた。
僕の剣が薄紫の胴を貫いて、横へ滑るがままに薙いでいく。
ぐるりと半周した右手は剣から離れ、少し離れた場所で滑りが止まった。
「はあ、っは……あの子、は」
僕らの間に居た、小さなうさぎ。あの子を目だけで探して。
魔物の先で葉が擦れる音が聞こえる。
たたっと走り去った小さな背中を見つけて、胸を撫で下ろした。
「Brooooo!!」
「そうだった……!」
そして、矛先を変えた触手。
あの子が無事に逃げられたということは、当然狙われるのは僕になる。
一体どこが魔物の顔なんだろうなあ。
……なんて、意識を逸らそうと考えてしまう。
死と直面するなんて、今までにも何度だってあったのに。
誰にも知られず、独りで死んでしまうのが怖い。
けれど僕は今、ひとつの命を救ったんだ。
だからきっと、これはその代償だろう。
最期になにかを救うことが出来たんだ。
つまりこれは、神様が僕にくれた最後の――
『それなら君は今、誰に会いたいなの』
――フェイの声が、突然脳裏を過った。
最期の……なんだ? 僕は今、何を考えていた?
あれほど助けたいと思っていた友達を遺して、自分ひとりだけ楽になろうなんて。
そんなの、許されるわけがない。
『君はもう、迷っていないなの』
ああ、そうだ。僕がやるべきことはもう、あの時ちゃんと決めたんだ。
唸る魔物へと対峙する。
しっかりと地面に立って、両手を構えて。
蠢く触手が怖い。
もぞもぞと動く魔物を見たくない。
だけど僕はもう、逃げ出す気もない。
絶対に生き延びて、京を助けるんだ。
さっきの攻撃も少なからず効いていると思うし、まずは徹底して胴を狙って動けなくしよう。
そのあとは……その時次第だ!
握る拳に力を籠める。
唸る魔物がいつ来てもいいように、絶対に目を逸らさない。
さあ、いつでも来い。……すぐにでも、来い。
僕の感情が伝わったのか魔物は動く。より一層、唸りを大きくして。
「Braaaaaaa……ikolp!!」
「……えっ!?」
唸りと同時に、鈍い音が響いた。
目の前に迫った魔物がゆっくりと傾いて、僕が切り裂いた胴がバキッと割れ倒れる。
何が起こったのか解らない。
轟く音と舞う落ち葉を目の前に、魔物が消滅する瞬間を呆然と見つめた。
触手の根元から、ひび割れた木の実と一緒に丸い石が転がってきた。
「なんだろうこれ……うわっ、重い……!」
確かめたくて触れてみるけれど、両手で持ち上げるのがやっとの重さで。
大きく息をついた僕は、脚から力が抜けてしまった。
そこからコアが出てきたのなら、根元が弱点ということだろう。
もしかして、この石が直撃して消滅した……のかな?
いや、でもそうなると、この石は一体どこから落ちてきたんだろう。
空を仰ぎ見るけれど、覆い茂った葉が一帯を包み込んでいた。
相変わらず、青い空は見えてこない。
解らないことだらけの現状……だけれど、でも。
「生きてる……ありがとうございます神様」
今日もまた生き延びることができた現実を、神様に感謝してもしきれない。
もちろん、相手は神様だけじゃなくて。
「ありがとう……フェイ」
前を向かせてくれて、ありがとう。
友達への決意を思い出させてくれて、ありがとう。
僕は君と友達になりたい。
だから僕は、生きてもう一度君と出会わなきゃ。
「……よし!」
頬を叩いて喝を入れる。
ひとまずここから離れよう。今度はちゃんと、自分の戦闘ステータスとも向き合って。
黄色く光るコアを拾い上げ、壊さないようにポケットへしまう。
小さなうさぎを助けることができたし、遭遇した敵を倒すことも出来た。
これ以上は何も望まない。
発注所へと戻ろう。
立ち上がって広場へと歩き出す。
あまり広くない、平坦な広場へ。
「…………あれ、僕、そんなに遠くまで来た……のかな?」
広場だと記憶していた道の先。
そこには、とても平坦とは呼べない坂道が続いていた。
道を間違えたのかな……いや、そんなはずはない。
魔物を超えてここまでやってきたんだ。
だから反対側が元の道。で、間違いはないはず。
見渡せば、木々も斜めに坂道を茂らせていた。
ところどころ、灰になった木の残骸も目に見える。
また解らないことが増えてしまった。
解らないけれど、ここで適当に歩けば僕はどんな不運に遭うことだろう。
……不運?
そういえば、この森に入ってから僕は不運な目に遭っただろうか。
魔物と出会った時に転びはしたけれど、そのおかげで倒せたとも言えるし……。
偶然降ってきた石だって、僕じゃなくて魔物に直撃した。
「不運どころか……幸運じゃないか」
そんなこと、あるわけがない。あっていいわけがない。
でも、だったらどうして、僕は長い間不運に見舞われていないのだろう。
「――ッ!!」
下を向いていた僕に影が差した。
元々薄暗かったここは、影なんてあってなかったようなもの。
だというのに、濃い影が足元へと浮かび上がる。そして同時に、強い光も照らされた。
勢いよく顔を上げると、坂道の上が光っていた。
かと思えば明暗し、森の中を光が行き交う。
そして、見つけた。坂道の上に鎮座するものを。
「あれは――中央にあった祠だ」
石で造られた、あの時の祠。
じっくりと見つめれば、光の出所がその頂上だと解った。
でも、あんな場所に光を放てるところなんてあっただろうか……。
そう思って記憶を探る。背中を預けた、あの瞬間を。
「祠の上には……そうだ、丸い石があった!」
そうだ、思い出した。
そしてその丸い石にも見覚えがある。
なんといっても、それは今僕の足元にあるんだ。
僕が出来ることは限られている。
だからこそ、僕が出来ることはやらなきゃならない。
力を振り絞って、丸い石と共に坂道を登る。
この坂のおかげで、僕はうさぎを助けることが出来たんだから。
頂上の祠へ石を置けば光は途絶えた。
登ってきた坂は勾配を和らげ、平坦へと戻っていく。
多少木が少なくなっているものの、最初に来た時と同じ景色だ。
木々に取り囲まれた平坦な広場の中央に、石で造られた祠がひとつ。
良かった。
なんて、安心したのも束の間。森の奥から緑色の魔物が顔を覗かせる。
「グルル……グルァ!」
数にして3体。
大きな身体が広場を占領した。
だけど、僕は逃げない。
決して背中を向けないように、歯を食いしばって両手を構える。
左手に盾を、右手に剣を。
いつものように、固く、強く握りしめる。
そして瞳を瞬けば、祠が光った。
祠を挟んで向かい合った僕らは、その光源を直視する。
頂上だけじゃない。今度は全体を輝かせた祠が、その光を空へと放った。
強い光は枝葉を揺らし、風を巻き起こして空を拓く。
頭上に映し出されたのは、僕らを包み込んだ大きな青空。
そして、僕らを照らす暖かな日差し。
日の光が降り注いできた直後、魔物たちは動きを止めた。
その隙を、絶対に逃してはならない。
「はああああああっ!!」
腕全体に力を込めて、右手を大きく振りかぶった。




