No.009 得手に帆を揚げる
街から逃げて、僕はひとりでクエストを開始する。
森に入ってようやく息が出来た気がした。
「そういえば僕、なんのクエストを受けたんだろう」
受注した時、僕はその内容をろくに確認しなかった。
だけどあの場面なら、僕じゃなくてもああなってしまうだろう。
そう自分に言い聞かせて、僕は端末を取り出した。
「……あれ? 星がひとつ、ふたつ……みっつ?」
左端に表示される、クエストのランク。
星の数イコール難易度だと僕らは認識しているけれど、何度数えてもその星は3つあった。
星3クエストなんて自分で受けるはずがない。
星2でさえどうしようか迷ったくらいなのに……ああ、どうしよう。
頭の中が渦巻きながらも、視線は次へ次へと動いてしまう。
どうやら、生息場所はこの森の中央広場らしい。
「討伐対象は……トロール?」
それ以外の情報はなにひとつ書かれていない。
どんな魔物なのかも解らない。
クエストは発注所まで戻れば取り直せるけれど……。
「……戻れるわけ、ない、よなあ」
逃げてきたのはついさっきのことだ。
今戻ってしまっては、あの場所を飛び出た意味が無くなってしまう。
得体の知れない魔物に会うなんて、自分から死ににいくようなものだけれど……それでも僕は前へ進むしかない。
戻ることは許されないんだ。
もう一度、そう自分に言い聞かせた。
そして今、トロールという魔物が出るらしい場所に僕はいる。
まだ昼過ぎだと言うのに、木々が覆い茂ったこの場所に光はあまり入ってこない。
僕しかいないわけではないけれど、周りから感じる魔物の気配が僕の恐怖を煽ってきて。
「僕は今、独り、なんだ……」
ひとりの僕が襲いかかられでもしたら、一瞬で終わってしまうかもしれない。
けれど、頼りになる友達が傍にいたなら。
彼が居たなら、僕も直ぐに決意することが出来ただろう。
「……い、いや、駄目だ。しっかりしないと」
頬を叩いて、僕がまだ生きていることを再確認する。
もう一度剣と盾を構えて、息を吸って、息を吐いて。
大丈夫。今はひとりだけど、僕を待っていてくれる友達の為に。
さあ、頑張るんだ。
吐く息と一緒に、暗くなる思考を無理やり捨てた。
近くにあった石の祠に背を預け、トロールが出てくる瞬間を待ち受ける。
そしてついに、その瞬間がやってきた。
「Brrrro!!」
「はっ、うわあ!」
姿を見せた途端、しなる鞭のようなものが僕の袖を掠めた。
じゅうっと何かが焼ける音が聞こえ、袖には焦げ跡がある。
もし今のが僕に当たっていたら……。
そう考えるだけで動かなくなる脚に、拳を叩いて力を込めた。
一部しか見えなかった魔物が、木々の間をすり抜けて姿を現す。
薄紫の魔物は筒のように太長く、足元はもぞもぞと動いて近付いてきた。
何処が顔かは解らないけれど、頭であろう位置からは6本の触手が生えていて。
「シューッ!」
「危ないっ!」
僕らの間を、1羽のうさぎが飛び出してきた。
思わず飛び出した僕の足は落ち葉に取られ、左手から離れた盾に乗り上げてしまう。
左手は身体の下にあるし、右手は剣を持っていて塞がっていた。
立ち上がれない。
そう思ってしまった、その時――
カチリ。
――どこからか音が響いた。
それと同時に、僕の身体は盾に乗ったまま動き出して。
湿った落ち葉の上を緩やかに動き、平坦な広場で滑る速度が上昇した。
たったの数メートル先。
小さなうさぎへ向けられたその触手が今、振り下ろされる。
「はっ、うわあああ!!」
落ち葉を滑る盾。
魔物の元へ近付く僕。
そして、僕の右手には今、剣がある。
幸い敵は僕を見ていない。
だったら、もしかしたら、万に一つでも。気を逸らすことが出来たら、あの子を助けられるかもしれない。
可能性があるのなら、僕がやることはたったひとつだけ。
頼むから、逃げてくれ。
うさぎが生き延びてくれることを願いながら、右手を前へ突き出した。




