03 健太郎
「おえっ!おえっ!藤原っ!」
「ううっ……」
聞きなれた野太い声に、藤原が目を覚ました。
ぼやける視界の中に、巨大な石仏の様な彼、山本健太郎が映った。
「健……か……」
「おぉ、やっと気ぃ付いたんかえ、よかったよかった……そやけどお前、寝てる間もえらいうなされとったぞ」
「うなされてた……?」
「おぉ」
「俺が?」
「おぉ」
藤原がバッと起き上がった。
アニメのポスターで埋め尽くされた六畳の部屋。
間違いない、ここは健太郎の家だ。
「ふううっ、心配かけよってからに」
でっぷりと気合の入った太り方をしている健太郎が、どっと畳の上にへたばった。
「いきなり来るや否や、ぶっ倒れよってからに」
そうつぶやきながら、煙草に火をつける。
「俺がここにおるっちゅう事は……やっぱしあれは夢とちゃうんかったんか……」
「何があったんや、言うてみぃ」
「……携帯が一斉になって……みんなが……石像に……」
「やっぱしそれか」
「なんやお前、知ってるんか」
「おうよ。テレビつけたらよぉ分かる」
そう言って健太郎がテレビをつけた。
「……」
「もう一度お伝え致します。本日午後4時頃、大阪市一帯の携帯電話が一斉に鳴り出し、その電話を受けた人々が気を失って倒れるというショッキングな事件が起きました。また、更に驚くことに、倒れた人々が石化し、街を徘徊しているとの事です。石化を免れた人々を襲っているとの事です。
先ほど緊急会見を行った政府の発表では、まだ確認できていない事が多く推測の域を出ないとの前提で、何者かによる電磁波を使った新たなテロ、もしくは……何らかの形で起こった超常現象ではないかとの見方も……難を逃れた人々からの情報提供を元に、今後現状の把握と原因の究明、対策を打ち出すとの事です。
大阪市一帯は現在、石化した人々によって制圧されています。
政府の緊急措置として、制定後初となる戒厳令が発動され、機動隊によって大阪市内の封鎖が始まっております。自衛隊も合流するものと思われます。
一般の方々は危険ですから、決して大阪市内へは立ち寄らないようにしてください。
また、今回のこの奇妙な事件の全容が解明されるまで、携帯電話及びスマートホン等の使用を控えるようにとのコメントが出されました。各メーカーにも協力を要請する、との異例の勧告も出されました。繰り返します、本日……」
健太郎がテレビを切った。
「……」
藤原は、口を半開きにして呆然としている。
「おえっ!」
健太郎の声に、藤原がはっとして目を見開き、両手で頬を叩いた。
「あ……あれが……あれが全部ほんまやったっちゅうんかい……」
「そや。この辺はまだ何ともなかったみたいやけどな。そやけどお前ついとったのぉ、携帯持っとらんで。持っとったらお前もあいつらの仲間入りしとったんやからな。ほれっ」
健太郎が放り投げた缶ビールを受け取り、藤原が一気に飲み干した。
「ふううっ……」
煙草に火をつけ一息吸うと、少し気分が落ち着いた。
「おかげで市内には入れん。まあ、高槻のしがない工場で真面目にこつこつ働いとる俺には関係ないけどな……っておえっ!お前まさか、一人で逃げてきたんかえっ!」
「おぉ」
「おぉやあるかえおぉや。涼子ちゃんと母ちゃんはっ!」
「あ」
藤原が思わずうなった。
「お……お前アホかえっ!母ちゃんと妹見捨てて来たんかえっ!こ……この鼻糞がっ!鬼!悪魔っ!経済至上主義が産んだエゴイストっ!お前なぁ、涼子ちゃんは俺の大事な大事な彼女なんやぞ分かっとるんかっ!」
「電話してみよう」
「アホ!無事やとしても誰が電話取るねん!」
「いや、おふくろはともかく涼子はああ見えても根性座っとる。気合も入っとる。いざとなったらお前より恐ろしいかも知らんぞ……と言うても携帯にかけるんはやばいわな。おい、家の電話借りるぞ」
「お、おおっ。とにかく安否だけでも確認してくれや。ほんでな、りょ、涼子ちゃんが出たら俺にも声聞かせてくれや。分かってるな」
「わぁったわぁった」
藤原が短縮ダイヤルを押す。
しばらく呼び出し音が響き、そして涼子の声が聞こえてきた。
「はい、藤原です。ただいま留守にしておりますので、ご用の方は……」
「留守電になっとる」
「居留守とちゃうんか」
「かもな……」
やがてブザーがなり、藤原が話し出した。
「涼子、俺や、無事にしとるんか。もしこのメッセージを聞いたら」
とその時、受話器を取る音と共に涼子の声がした。
「お兄ちゃん!」
「涼子か」
「お兄ちゃん、無事やったん」
「おぉ、まぁ俺は携帯持ってへんからな。それより何や、お前は無事やったんか」
「う、うん。スマホね、会社に行く前に落として、故障してたんよ。仕事終わってから修理に出そうって思ってたんやけど……」
「おふくろは無事なんか」
「うん、寝込んでるけど……」
「おえ藤原、ちょぉ寄こせ」
健太郎が藤原から強引に受話器を取った。
「涼子ちゃん!」
「あっ、健ちゃん!よかった、お兄ちゃんは健ちゃんのとこにいてるんやね……健ちゃんは大丈夫やったん?」
「ああ、まだこの辺にはやばい電磁波は来てへんみたいやしな。ほんでどない、大丈夫なん?」
「う、うん……大丈夫は大丈夫なんやけど……怖い、とにかく怖いよ健ちゃん。友達もみんな石になって……私に襲ってきて……スクーターで家につくまで、ほんとに怖かった……」
涼子の震える声が涙声に変わっていく。
それを感じた健太郎が、わざと陽気に言った。
「まかさんかいまかさんかい。しばらくな、とにかく家の中でじっとしとき。絶対外には出んように。あんまり物音もたてんようにな。そんでな、玄関に出来るだけでええからバリケード作っとき。何か知らんけどあいつら、人間みつけたら襲ってくるみたいやから」
「分かった……何か、ゾンビ映画の中にいてるみたいやね」
「……そやな。そやけどボーっとしててもしゃあない。逃げるっちゅうても女二人、スクーターで脱出は無理や。俺らがな、絶対助けたるから安心しとき、な。それから電話はこれが最後、最後にしとくんやで。危ないのが携帯だけやって保障はないんやから」
「分かった……健ちゃんが来てくれるのを待ってる……」
「ほんじゃ、大好きやで、涼子ちゃん」
「うん、健ちゃん、私も……大好き……」
涼子が静かに受話器を置き、玄関へと向った。
(健ちゃんが助けてくれる……絶対、来てくれる……)
心に強くそう思いながら、涼子が玄関にバリケードを作ろうとした。
その時だった。
突然チャイムがなった。
その音に、涼子は体をビクリとさせて動けなくなった。
「だ……誰……」
再びチャイムがなる。
恐怖ですくんだ涼子の足は震え、その場に立っているのがやっとだった。
カシャンカシャンカシャン!
涼子の目の前で、三つのロックしてあった鍵が開いた。
そしてしばらくすると、扉が静かに開いた。
開ききった玄関に、人影が見えた。
涼子が驚愕の声をあげようとした。
しかし声にならなかった。
人影がゆらりと動き、中に入ってきた。
その人影の鋭い眼光が、涼子の体を刺し貫いた。
「ひっ……!」
涼子の大きな瞳が見開いた。
受話器を置いた健太郎は、煙草に火をつけると腕組みし、眉間にいくつもの皺を寄せてうなった。
「ん~っ」
「おい健、何考えてるねん」
「……ちょと待て……あいつ……いや、あいつはあかん……あいつは……う~ん、あかん、あんましあてには出来んなぁ……そやけどあんまり贅沢言うてられへんしのぉ……人手はいるからなぁ……かと言うても、あんまし多すぎたらかえって統率が取れんか…」
ぶつぶつと一人でつぶやく健太郎に、苛立つ藤原が叫んだ。
「おい健っ!」
「よっしゃ、これでいこっ!」
健太郎が景気よく太腿を叩き、煙草をもみ消して藤原を見た。
「藤原、助けに行くぞ」
「助けにってお前……そない簡単に」
「大丈夫や、まかせとけ。ええ面子も浮かんだ。お前も含めてな」
「殴り込みかける気か」
「そや」
「何人で」
「五人やっ!」
「大丈夫なんかい」
「まかしとれ、俺の愛しい涼子ちゃんの為や。命はったる!」
「そやけどお前、そない簡単に言うけどな、相手は石像なんやぞ。お前、そんだけでかい『なり』してるくせに、俺と腕相撲したらあっちゅう間に負けてまう屁たれなんやぞ。百メートルも満足に走れん屁たれなんやぞ。その屁たれのお前が」
「お……お前、ボロ糞やないかえ……」
「いや、そやけどな、俺がまともに組み合うても勝たれへんかったんやぞ。そんなんが何万人おると思てんねん。しかも相手は不死身で」
「こう言う時の友達やないかえ。俺の浮かんだ面子の中には、ホラーマニアの人もいてはる。その人に聞いてみて、とにかく化物に効きそうな物を片っ端から持っていくんや。お前は力があるさかいに鉄砲玉や」
「お前は」
「俺は指揮官やないかえ」
「なんかお前、いっつもええとこばっかし持っていくのぉ」
「まあええやんけ、まかしとけ」
「あ、分かった。ホラーマニアっちゅうたら噂の坂口さんやな」
「そや」
「坂口さんか……ほんで後の二人は」
「坂口さんの妹の直美ちゃん」
「直美ちゃん?お、お前、女まで戦力にする気なんか。役に立つんか」
「おおっ、あの子やったらいける。絶対にいける。気合だけでもお前より遥かに上や」
「最後の一人は」
「本田や」
「本田?本田ってお前、マジで言うてんのか?」
「おおさ。あいつは正真正銘のど屁たれやけどな、その分あのサル、こてこてのガンマニアやないか。そこが狙いや。
……これは内密の話やけどな、あのサルな、アメリカ村でそっち方面のやつらからな、ほんまもんの銃をよおさん買うとるんや。あいつはあてにならへんけどな、あいつの持っとる銃は役にたつぞ」
「ほんでいつ行くねん」
健太郎がニヤリとした。
「あさってや!」