心揺蕩う夜 ‐こころたゆたうよる‐
昼下がり、携帯に着信があった。
電話はかなり嫌いだが、俺の携帯の番号はここの隊員しか知らないからまだいい。
『きょくちゃん、休日にすみません。
すみちゃんはどんな様子ですか?』
「揺蕩夜…、御主人はまだ寝ている。
疲れているから用付けは無理だ」
『やはりそうですか。
昨日はお疲れ様でした。』
「は…?何してたか知ってるのか?」
『まあ大体判ります。
あ、心配しなくて大丈夫ですからね。
特に問題は無いです。』
「は…;」
『寝起きは特に、冷えないように温かくしててあげてくださいね。
では、すみちゃんが自力で行動できるようになるまで、どうかサポートを宜しくお願いします。』
「…ああ…解った」
揺蕩夜は、幼い見た目の割にはやたらと冷静で鋭いのだが…、 まさか盗撮とか盗聴とか…をしているわけではないだろうな?
そういう事に興味は無いようだし、それは無いとは思うが。
御主人が目を覚ましたのは、ほとんど夕方だった。
「………きょくちゃん………おはよう………」
「おはよう、御主人」
なかなか眠気が抜けなかったらしく、俺が卵と葉物のお粥と温かいカフェラテを作って持って行くまで、御主人は布団から出ようとしなかった。
やっとの事で身を起こした御主人だったが、俺が室内用の上着を着せてもしばらくはぼんやりしていた。
それでもその内なんとか自力で這い出し、ちゃんと席に着いて食事をした。
しかし動くのも怠いようで、食べ終わるとまた座ったままぼんやりしていた。
御主人の寝起きが悪い事は知っている。
仕事の長期的な大筋の流れと方向は決まっているし、早い時間に指示がある場合は大体前の日には全員に伝わっている。
「これだけ片付けてくる。
無理するなよ」
「…あ。ありがとー…ごちそうさまでした」
空の食器を手にして、調理場へ向かった。
食器を片付けて隠し部屋に戻る途中、仕事部屋に差し掛かると、何か張り詰めた空気を感じた。
「ふざけてんじゃねえコラ!!!!!」
突如凄まじい怒鳴り声と打撃音が響いた。
余計驚く事に、その声は揺蕩夜のものだった。
「……すみません。
よみちゃん、お怪我はありませんか?
…それは良かった…
……申し訳無いです…少し休んできます」
後に聞こえた声は沈んではいたものの、いつもの冷静な揺蕩夜の声だった。
仕事部屋から出てきた揺蕩夜は大きな溜め息をつき、俺に気付く事無く自分の部屋の方にとぼとぼと歩いて行ってしまった。
双方とも気になったが、凉詠夜の方には焜槻夜が傍についているらしく、揺蕩夜はそっとしておいた方が良さそうだ。
それに御主人が待っている。
とりあえず、御主人に報告するべきだろう。
「ありがとうねきょくちゃん。
…そっか…ゆたちゃんキレちゃったんだ」
御主人は大分目が覚めてきたようだ。
落ち着いて話を聞いている。
「…大丈夫なのか?あれは」
「何かストレスになっちゃったんだろうね。
少し休めばまた余裕ができるとは思うけど、なるだけ早く何とかしてあげないとヤバいね」
「そうか……」
「殺されるかも」
「え」
「だから今日だな。
ゆたちゃんも助けなきゃ」
「今日て… 大丈夫なのか?
疲れてんだろ御主人」
「大丈夫。夜なら調子良いし!」
「頑張るもんだな。
無理するなよ。携帯持っとくから。」
「うん。
きょくちゃん、お休みだったのにありがとうね。
冷蔵庫のロイスチョコ一箱あげるわww」
「まじか!ありがと御主人ww」
…
…殺されるかもだと…
揺蕩夜は大人びているが、見た目だけでなく本当に幼い。
あの異常な落ち着きからは信じ難いが、年齢は10歳にも満たないらしい。
そんな少女に、大人の男である御主人が殺される…とは考えにくいが…
見くびってはならない。
揺蕩夜は頭が良い。
それに、あの打撃音は到底『子供の非力』などではなかった。
‐‐‐
曜極夜が俺のことを知りながら、心配までしてくれた。
…また泣いてしまうけど、どうすれば曜極夜の優しさに応えられるだろうか。
少しは癒せたようで嬉しい…が、
これからもずっと受け入れられ続けるなんて、できるのだろうか。
…とりあえず今は、揺蕩夜の事を優先して対処する必要がある。
せめて隊員達だけでも自ら幸せを掴む力を持てるように、支えることしか思い付かない。
また仕事時間の後半に、揺蕩夜に声を掛けた。
「ゆたちゃん、今やってる仕事一段落したらででいいんだけど」
「はい。
書斎ですか?」
「そう。さすがゆたちゃん。
俺そこで待ってるね。」
「了解です。」
「すみちゃん、来ましたよ」
「!」
「…あ、すみません。
読んでましたか…。
お邪魔してしまって…」
「あ…ごめん、大丈夫;
入り込んじゃって;」
「それ面白いですもんね。解ります」
哲学書なのだが、揺蕩夜の読書量は凄まじい。
「では、行きましょうか」
「休まなくて大丈夫?」
「…ええ。
できる限り早く何とかした方がいい…
というか、焦り過ぎですかね」
「気にしてるんだろ。気持ちは解るよ。
じゃ 行くか」
本棚をスライドし、隠し部屋へと進む。
隠し部屋といっても、揺蕩夜はとっくにその存在に気付いていたようだが。
「いい部屋ですね。
あまり広くない所とか。」
「でしょ。
居心地のいいように作ったからね。」
「ええ。防音仕様ですか。」
「そう。助け呼べないかも」
「…あら…、
すみちゃん、恐い事言うんですね」
「…そうだね…」
恐い事言うもんだ。
「その為の首輪ですか」
揺蕩夜は鎖を見付けたようだ。
返事を考えながら、揺蕩夜の首輪に鎖を取り付ける。
今どういう気持ちでいるのか…、揺蕩夜の語調は相変わらず冷静で判断できない。
「…ゆたちゃんは、どのくらい判ってる?」
手錠を掛ける。
「…解ってますよ」
かなり微かだが語調に怒りが混じる。
「すみちゃんも私が何も解らないと思ってますか?」
「…! そんな事」
「今日もそうでした。
子供扱いするんです。
子供騙しって嫌いなんです。
だからちゃんと知りたいのに気持ち悪がられるんです、子供の癖に頭良過ぎて気持ち悪いって言われるんです!
みんな!私が何も解らないことにするんです!!」
誰もそんな事を思っていない。
俺も隊員達も揺蕩夜の頭脳と冷静さにどれだけ助けられた事か。
しかしそれをそのまま言葉にしたら、揺蕩夜の疑心暗鬼は否定としか受け取れない。
姿勢を揺蕩夜に合わせて低くする。
まだ口は挟まない。
本気で話を聴き受け理解していけば、目を見過ぎなくても自然なタイミングの目線と相槌を贈ることができる。
「私がどんなに考えても!!
頭だけじゃ駄目だって!!
私には解らないって!!
お前に解らない事を私は全部知ってるのに!!!」
揺蕩夜は今まで耐えていた分まで、涙をこぼしている。
繋いだ首輪と手錠が無ければ、周りにある家具で殴られていたかもしれない。
俺は揺蕩夜に鎖を取り付けた位置からほとんど動いていない。
離れるわけにはいかない。
「私は努力してきたし今もしてる!!
言葉にどれだけ気を遣っているか!!
どれだけ棘を無くしても、絶対私が悪いんだ…」
揺蕩夜の焦げ付いた思いは、ここで一度言葉を落ち着かせた。
肩で息をするそのクオリアは、無数の稲妻の棘をこちらに向けている…
でも俺は揺蕩夜を理解したい。
なのに…、動こうという時に俺は脚を支え損ね、体勢を崩してしまった。
直後に右肩が後ろへ撥ね飛ばされた。
揺蕩夜の苦しそうな叫びが歪んで聞こえる。
床に叩きつけられる。
無数の稲妻の棘は俺を貫いた。
外傷は無い。
しかし、俺の身体は凄まじい重力に負けそうだった。
…自分の意思では動かせなくなる寸前…
またか。
なんでだ。
「うわあああああああ!!!!!」
叫ぶ揺蕩夜は俺を蹴り飛ばしてしまった自責から、壁への打撃で自分の頭を割ろうとしている。
「ゆたちゃ…」
動かせない。
また俺は…
「揺蕩夜!!」
「うわあああッ…」
「落ち着け!!」
揺蕩夜が壁から離された。
反転させ肩を押さえつけたのは、黒いと思ったら曜極夜だった。
「お前を壊すな!!
御主人が大切にしようとしてる物を!!
御主人の物を奪うな!!」
複数の激しい呼吸音が満ちる。
「……………あ………」
「…勝手に壊すな…
…御主人はお前を助けようとしてるだろ。
お前が壊れたら、御主人は死んでしまう」
…うん。生きて行けない。
「……………すみません………」
揺蕩夜は落ち着きを取り戻していく。
何とか、曜極夜への抵抗を収めることができたようだった。
「…大丈夫か、御主人」
曜極夜は、力が入らず重たい俺を起こしてくれた。
「…ごめん…」
「気にしてない。
俺より揺蕩夜だ。
もう少しだろ… 頑張れるか?」
「…うん。行く」
身体は引きずられるが、少し制御を取り戻した。
揺蕩夜の元へ…
「……すみちゃん……」
…届かなきゃ……なのに、
いつも俺の手はもう少しの所で足りない。
しかし、今回ばかりは…足りていない手の中に、揺蕩夜からも来てくれた。
「………助けて……すみちゃん………」
揺蕩夜の小さい身体にも容赦しない。
心を込めて抱き締める。
意識を集中する。
接点は体温と静寂を贈る。
身体の潤いは傷を想い、光を受け入れ灼熱を癒す。
揺蕩夜がいつも相手をいたわるように、
俺も揺蕩夜を解りたい。
曜極夜が揺蕩夜の手錠の鍵を外した。
揺蕩夜の柔らかく繊細な腕が、俺の肋骨と背中を縛る。
いつだって助けられてる。
今もこんな感じで。
「………ありがとう…すみちゃん…」
本物の言葉なのかどうかは、今の俺には判断できない。