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紺野君とひかりちゃん

作者: さんさん

 俺が彼女の歳だったときにはランドセルなんかぼろぼろだったけども、ひかりちゃんの赤いランドセルはまだ綺麗だ。

 俺はそれを背負った彼女が一番愛らしいと切に主張するが、休日の彼女ももちろん可愛い。短パンなんてのはひかりちゃんのために生み出されたに違いないのだ。

 やたらきらっきらしたでかい目が印象的で、彼女はそこからひかりと名付けられたらしい。一目で美人になるなと予感できる、整ったパーツ。

「紺野君の学校広いんだねぇ。ひかりの学校の何倍かな。すごい」

 そりゃそうだ。小学校と大学を比べちゃいけない。

 小学四年生のひかりちゃんは、大学二年生の俺を大きな目で見上げた。

「今ちょっとだけ俺のこと尊敬したろ?」

「学校をすごいって言ったの。紺野君のことじゃないもんね」

「あそう」

 ショートカットと呼べなくもない栗色の髪を揺らして、ひかりちゃんは興味津々に屋台やらを見ている。

 にぎやかな、けれどゆるいゆるい空気。春の陽気が眠気を誘う。休み明け、受験明けの学生が祭と呼べる程度に集まっていた。

 新歓祭のことをうっかり話した俺が馬鹿だった。ひかりちゃんは「速さの求め方」をほったらかして食いついて来た。彼女が一生懸命お願いするのを、断れるわけが無い。

 十歳年下になぜ押し負けるのかそれはロリコンだからさ。自問自答の所要時間0.2秒。死にたい。

「はぐれんなよ。お菓子とかくれても絶対ついてっちゃだめだからな」

 俺みたいな輩がいたら心配だからな!

「なにそれ。紺野君はすぐひかりを子供扱いするんだから」

「セーリもまだのくせに、まだ子供じゃねーか」

「うわ、セクハラ発言だよ紺野君。お母さんに言い付けちゃうよ。カテ教クビだよ?」

「ごめんなさいすみません」

 セクハラなんて言葉どこで覚えたんだろう。実に卑猥だと腐った思考を繰り広げる俺の、しわくちゃのシャツがくいと引かれた。

「嘘ですよー」

 ひかりちゃんが笑った。猫みたいな瞳がくるりと輝く。

「紺野君は宿題少ないからお気に入りなの。ひかりは紺野君がいいの」

「…………」

 ひかりは紺野君がいいのひかりは紺野君がいいのひかりは紺野君がいいの……

 ちくしょう。可愛い。可愛いすぎる。ひかりちゃんはそんなに俺を豚バコ送りにしたいのか。

 いやだがむしろ彼女の可愛さの方が犯罪だ。犯罪なのだ。見ろこの純真な生のままの眉毛……!

「紺野君紺野君」

「うおっ」

 我に返る。ひかりちゃんの高い声は変態紺野先生にはちっともお気づきにならない明るさで、視線は一直線にある屋台に向けられていた。

「綿菓子、食べたいな」

『ふわふわのもこもこ、白い綿菓子』。黄色の立て看板にはそう書いてある。

「だめ? 三つまでお買い物いいんだよね、紺野君」

「あー……うん」

「紺野君?」

 綿菓子の屋台。見覚えがありすぎる。

 まずい。あれは絶対うちのジャズ研の――ってことは、村瀬が居る。

 なんてうかつだったんだ。もっと場所を考えて案内してやれば会わなかったかも知れないのに。他の誰に見られてもごまかせる自信はあるが、村瀬にだけは絶対無理だ。あの女はなぜか人の思考を手に取るように言い当てる。その上、ゴシップ記事が大好きだ。

「ひかりちゃん、あっちにも綿菓子あるか……」

「孝介!」

「…………」

 二人の肩がびくりと跳ねた。ひかりちゃんの背中を押しやろうとした怪しいポーズのまま、俺は動けなくなった。

 村瀬だ。なんだかお決まりなこの展開。

「何してんの? ん? 何隠したの?」

「いや何も」

「あれ、その子……」

 ひ弱な俺の背中にひかりちゃんが隠れられるはずがない。ひかりちゃんを目にした瞬間、村瀬は嬌声を上げた。

「かーわいーい! いくつ!? 名前は!?」

 当たり前だお前の二百倍可愛い。

 心の中で舌打ちをしながら愛想笑いを浮かべる。情け無い。

 ひかりちゃんはというと、村瀬の勢いに押されたように縮こまってしまった。

「ま、松宮ひかり…… 十歳……」

「ひかりちゃんかぁー! 名前も可愛い!」

「ちょ、待て村瀬……」

 あからさまに彼女が怯えたのに、気付かないのか、しゃがみこんだ村瀬はひかりちゃんの頭をぐしゃぐしゃと撫で、俺を見上げた。

「ね、この子孝介の親戚か何か?」

「違うよ!」

 カテキョの教え子だよ。

 と、俺は答えようとしたんだ。

 けれど答えたのは俺ではなく。

「紺野君とひかりは親戚とかじゃないの!」

 黒いTシャツの男がこちらを振り向いた。くたびれた中年男性も。こぎれいな女も。

 ひかりちゃんの大声に。

 村瀬と俺は口をあんぐりだ。特に俺は、突然の大声という理由だけじゃない。いつもお行儀のいい、明るくふざけはしても、決して年上に向かって怒鳴ったりしないひかりちゃんが。

「ええと……」

 しばし微妙な、どうしたんだ一体この子、という空気が流れた。年上二人の心情を読み取ったのか、ひかりちゃんはみるみる顔を真っ赤にさせてうつむいた。

「……先生なの、紺野君は」

 彼女くらいの年代は、妙に失敗を気にしすぎる傾向がある。答えが分かっていても手を挙げられなかったり。ちょっとでも知らない人に注意されると、どぎまぎしたり。

 俺は考えた。これはまずいと。せっかくひかりちゃんとデート(心の中で思うくらいいいじゃないか)なのだ。彼女に嫌な思いをさせたくない。楽しかったね紺野君と、ひまわりみたいに笑う彼女を、次の授業のときに見たいのだ。

「紺野君ね! なるほどただの先生ね、紺野君!」

 話題を変えて、綿菓子あげて、逃げるんだ。

 ……逃げたいのに。

 村瀬の奴、覚醒しやがった。

「ひかりちゃん超可愛いね! うんうん、いい奴だもんね紺野はー」

「村瀬、いいからちょっと黙れ」

「ちょっと頼りないけど、顔はまあまあだし、もてるんだよ?」

 もてた覚えなんてないぞふざけんなと、そんな反論も絶対聞かない。というか俺のもてるもてないは関係ないじゃないか。問題は、ひかりちゃんがショックを受けた顔をしているということだ。穢れなきひかりちゃんの瞳を曇らせた、村瀬許すまじ。

「…………」

 だが何も言えない。なんてチキンなんだろう俺は。18歳以上の女は怖いんだよ。

「……行こう、ひかりちゃん。こんな奴ほっといて」

「んん? 綿菓子食べないのかなぁー?」

「向こうで買う!」

 ひかりちゃんの体温の高い手を取る。後で俺がいろいろ言われるのは決定だろう。この際もう、それは構わない。


「紺野君……」

 文学部棟の広間に落ち着いたときだ。ここならうるさい連中はいない。時おり本を抱えた学部生か研究生かが通るくらい。

 子犬のような呟きをもらしたきり、ひかりちゃんは口を噤んでしまった。

「どうした?」

 内心の不安を押し隠し、聞く。俺が『やっちまったよ』の渦に巻き込まれないでいるのは、ひかりちゃんの小さな手をまだ握っているという事実ひとつのおかげだ。

 と、俺は体を強張らせた。小さな圧力を、繋いだ手に感じて気がして。

 ひかりちゃんを見る。真っ赤。急いだからか?

 俺はまたどきりとする。

 軽く軽く、ためらうようにひかりちゃんが俺の手を握り返した。今度は確かに。錯覚じゃない。

 ひかりちゃんは頭のいい子だ。会話に淀むことはないし、言うことは言うし言わないことは絶対言わない。一年かけて俺はそれに気付いていた。

 じゃあこのひかりちゃんは、いつもと違うということか。

「聞きたいことがあるの」

「……うん」

「笑わないでね」

 笑われるのは俺の方だ。聞きたいことがあるの。そう言った彼女が、小学校四年生に見えなかっただとか、というか女の人に見えたとか。

「絶対だよ?」

「ああ。約束する」

 ひかりちゃんの小さな体がこちらを向いた。真っ直ぐ。

「紺野君は、ろりこん、ですか?」

「ぶふっ」

 シャンプーの幼い香りに悦に入っていた俺は一気に現実に引き戻された。

 言っておくが笑ったのではない。真剣に、内臓が飛び出るかと思うほどびっくりしたのだ。

「ろ、ろり?」

「ろりこん」

「で……あ、ろりこんね、え、ええ、うん?」

「ちっちゃい女の子を好きになれるか聞いてるの」

 なれます。むしろ大好きです。君が。

「…………」

「紺野君」

「はい」

「答えてください」

 無茶言うなよ。

 じっと見つめてくる瞳は死ぬほどかわいい。曇りの無さっていうのは目に表れるのだ。汚いものを知らない。知らないことを知らない。失うものより、これから得るものの方が多くて。

 そんな瞳に、この馬鹿馬鹿しい感情をぶつけることなんてできるだろうか?

「…………」

 ただ、嘘を吐ききれないわけも、あった。

 俺だってまだ、本当に大人じゃないんだ。

「ひかりちゃん、ロリコンってどういう意味か分かってるのか?」

「分かってるよ」

 俺は気付いていた。今日の今まで気付かなかったけど。気付いた。

「……紺野君がひかりを好きなら、紺野君が、その……ろりこん」

 ひかりちゃんは、どうやら俺のことが好きかもしれない。らしい。

「そう、だな」

 ああ。ああああああ。

「間違ってないよひかりちゃん。でも」

 俺は頭を抱える。言葉通りの意味で、自分の幸せな脳味噌を抱きしめる。

「でも十分じゃない。あのねひかりちゃん。ロリコンっていうのは、もっと、なんていうか、歓迎されないものなんだよ……」

「歓迎、されない? 誰に?」

「社会的に」

「シャカイテキにって?」

 ひかりちゃんの目には強い意志があった。それなのに、不安に揺れていた。絶対に真実を掴み取る。でも、それは私の望むもの以外であって欲しくない。子供にだけ許される傲慢さが彼女の表情を引き締めている。それが俺の体を、真っ直ぐ彼女に向かわせる。

 嘘や、それに類するいい加減な言い逃れはできないと思った。

「俺くらいの年になるとね、ひかりちゃん。もう純粋な恋はできないんだ」

 俺はきょろきょろ当たりを見回した。閑散としていて誰も居ない。遠く、祭りの音が聞こえるくらいだ。

「ひかりちゃんにはまだ分からないだろうけど、好きっていう気持ちに、もっと別のものが混じる。好きな人を傷つけてしまうかもしれないものだったりする。

 ……ロリコンの人が好きなのは、つまり小さい女の子のわけだから、その『別のもの』がね、普通よりもずっと、とても、危険になる」

 言いながら、俺はうんと頷いた。頭で反芻される言葉の、いちいち全てが俺の胸を刺した。

 別に、ひかりちゃんをいつもそういう対象で見ているわけじゃない。そう、いつも、じゃないだけ。可愛いと思い、好きだと思う。そしたら手に入れたくなるだろう。俺達には普通のことが、彼女の年齢には許されない傷になる。

「わかった? 紺野先生に質問あるなら、どうぞ」

「はい」

 頬を膨らませ、ひかりちゃんはぴんと右手を上げた。

「ひかりはろりこんが何なのか聞いたんじゃないの。紺野君がろりこんかどうか、それを聞いたの」

「…………」

 スタート地点に、戻ってしまった。

「それ聞いてどうするんだ」

 溜め息混じりになった。ひかりちゃんの肩がちょっと揺れて、思慮の無い発言だったと気付く。

「ごめん」

 二つ並んだ、腿の長さが違う。太さよりも、白さよりも、それが俺の視界を占領した。なんていうか、絶望的に。

「紺野君の、ばか」

 泣くのかと思った。ものすごくびびりながら思った。でもひかりちゃんは、泣かなかった。

 すん、と鼻を鳴らし、目を見開いて、そんで顔は、俺じゃなくて前を見てた。小さな右足のかかとだけが落ち着かない気持ちを代弁したみたいに前へずれる。

 俺の気持ちも、同じだけずれた。

「ひかりは紺野君が好きなの」

「……うん」

「すごくすごく好きなの。初めて学校に呼んでくれたから、紺野君が、別にひかりのこと恥ずかしいんじゃないと思った」

 のに、と。続けた声は、俺の相槌よりずっと強い。

「紺野君、ひかりのこと隠すんだもん。あの女の人、ひかり見て笑ってた」

「違う、隠したんじゃなくて、ただ村瀬が」

「シャカイテキって、何なの。紺野君がろりこんならいいのに。ひかりのことを、皆に自慢してくれれば良いのに。教え子でもいいけど、妹みたいでもいいけど、けど……」

 喉を絞らせて、ひかりちゃんは。

「ひかりはぼくの好きな人ですって、紺野君に言ってもらえたら、ひかりはすぐに大人になるよ」

 彼女を抱きしめることを、我慢できる男がいるだろうか。

 違うんだ。違うんだよひかりちゃん。君がその純粋な思いを語ってくれればくれるほど、俺との差がどんどん開いってしまう。

 恋の中身が違うんだ。十九歳と九歳じゃ。

 なのに、だ。

 どうしてこんなに、もういいやって気分になるんだろう。愛しさにかまけたまま好きって言って、なんとかなってしまいそうな気分になってしまうんだろう。

 ふわふわした、でもちょっと骨ばった、ひかりちゃんの小さな体。とくんとくんと、規則正しく打つ鼓動を、震える音みたいだと思って聞いた。

 ひかりちゃんはやっぱり子供だった。俺の腕の中で動けなくなって、それから恐る恐る、しがみついてきた。

「ひかりちゃん、苦しい?」

 小刻みに、でも必死に、ひかりちゃんは頭を横に振った。

 温かな笑いがこみ上げる。愛しいなと思って。このときばかりは俺の気持ちが、ひかりちゃん寄りのものになったような気がしたのだ。

「…………そろそろ」

 人が来てしまう。兄妹っていうごまかしは使いたくないから、離れなければ。

 でももう少し、コンマ一秒。瞬きの間だけでも。そう、熱が引き止める。

 可愛いんだ。奇跡みたいに可愛い彼女が、俺の腕の中に居るんだ。

「絶対内緒だぞ」

 目を瞑る。栗色のつむじの真ん中にキス。

「俺実は、めちゃくちゃロリコンなんだ。……言い換えると」

 シャンプーの香りは、実はちょっと苦い。

「めちゃくちゃひかりちゃんが好きなんだ。いいか、シャカイには秘密だ。十年後まで、秘密だ」







 日の射しすぎる窓だけど、カーテンは閉めない。勉強するときは明るい方がいいのだ。窓もちょっと開けているので、校庭からは威勢のいい運動部の声が聞こえてくる。

 整然と並んだ机、埋まっているのはひとつだけ。

 白いカッターに伸びた背筋。腕まくりして問題を解く彼女は綺麗だ。

「松宮さん、sinの加法定理を、はい」

「sin(α+β)=sinαcosβ+cosαsinβ」

「……やるじゃん」

 ふふーんと、ひかりちゃんは得意げに笑った。高校に入ったあたりからだろうか。表情が『可愛い』他に、なんというか、色気が。

「覚え方があるんだよー」

「へえ。どんな?」

「んー?」

 いたずらっぽい眼差しは変わらない。ぱちぱち瞬きをして、俺のネクタイを引っ張る。

「ひ、み、つ」

 小悪魔か。そうか小悪魔か。

「どうしたの紺野君?」

「い、いや……ていうか、こら先生と呼べ」

 君が可愛くて失神しそうになった、なんて言ったら、この課外授業(いやらしい!)も終わってしまうだろう。就職浪人一年を経た高校教諭。ハイティーンにも魅力を、いやいや、教えるという行為に生き甲斐を感じてきたところなのだ。教育委員会にちくちくされるのは勘弁。

「……紺野先生」

 加法定理を因数分解しながら、ひかりちゃんが言った。

「今、小学生の松宮は可愛かったなぁーとか考えてたでしょ?」

「ましゃか」

「ほら噛んだ」

 ひかりちゃん、大丈夫だ。君の可愛さは真理だ。何年たっても変わらない。むしろ花開くように美しくなっていく君を側で見られて俺は、

「ろりこん」

「なっ!」

 教科書に唾が飛んだ。もちろん俺のだ。

「何言ってんだ!」

「ろーりーこーんー! ロリコンロリコンロリコン! ばか! ペドフィリア!」

「ばっか、ペドは違う! ていうかもうロリコンでもないわ!」

 そんな言葉どこで知ったんだ。悶々とする俺、ふいに静かになるひかりちゃん。

「……ロリコンじゃないの?」

 じっと、見つめられる。死ねるな。

「あのなぁひか……松宮」

 それはそうと、これはいずれはっきりしておかなければいけなかったことだ。

 俺は黙って頷いた。

「俺はロリコンじゃないです」

「でも」

「正確には、ロリコン『でした』。過去形だな」

 計りかねる表情。セミロングの髪は襟首から少しだけ服に入る。彼女が顔をリスのように動かすたび、毛先が白い肌を撫でる。

「ひかりちゃんが高校生になったから、もうロリコンじゃない」

 年齢的には微妙なとこだけど、まあいいだろう。

「……じゃあ制服フェチになった?」

 真剣な俺って言うのは、多分珍しい。ひかりちゃんは照れたんだと思う。頬をちょっと染めて、なんでもなさそうにからかう。

 でも、ばか。年の功ってやつがあるんだ。それで茶化したつもりか。

「そうだよ」

 ぽろっと、シャーペンが彼女の手をすり抜け、ノートに転がる。

 その上を、俺の影が転がる。

「もう、バカばっかり……」

「ひかりちゃんが大学生になったら女子大生至上主義になるし、ひかりちゃんがOLになったらストッキング萌えになるし、ひかりちゃんがおばさんになったら、熟女専門」

 安全確認、良し。戸締りも良し。聞き耳立ててる奴はいないと踏んだ。窓は知らん。

 俺が身を乗り出した分の、三分の一だけひかりちゃんはのけぞった。

「紺野君……」

「だから、紺野『先生』と呼びなさい」

「……紺野君だって私の事、ひかりちゃんって呼んでるじゃん」

 そうか。それは気付かなかった。

「松宮ひかりさん」

「……はい」

 きゅっと、ひかりちゃんが緊張するのが分かった。あの時みたいに。

 ああ。どうしてこんなにかわいいんだろう。何千回何万回、俺の視界を桃色に染めたら彼女は気が済むのだ。

 そんなに硬くなる必要はないんだよ。目の前にいるのは確実に変態だけど、きちんとね。

 君を愛してるんだ。

「どこにキスしようか」

 言葉にはたかれたように、ひかりちゃんは真っ赤になった。俺を見て、机を見て、また俺を見て、俯いた。

「はじめて、してくれたとこ」

「よし」

 ふんわりと、シャンプーの香り。

 懐かしくて、懐かしくない香り。どこがいいかと尋ねると、彼女はいつもこのキスをせがむ。ひかりちゃんがおばさんになる頃には、頭のてっぺんがふやけてるかもしれないな。

 栗色のつむじの真ん中にキス。

 俺らはまだまだ、我慢する。




(ちなみに、やっと聞き出した加法定理の覚え方。

『さいこうのこいさ』

……こいつは恥ずかしい)



 おしまい

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