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吟遊詩人の異世界道中  作者: neko
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1話目

どうも、nekoです。よろしくお願いします。

目を覚まし、織部椎名(おりべしいな)は余りの突拍子もない事態に唖然と目を見開いた。


椎名の目の前に広がっているのは、途轍も無く広い鍾乳洞の光景だった。鍾乳石が天井から下に向かって伸び、椎名のすぐ側の地面からは石筍が鍾乳石に手を伸ばす様に立ち並んでいた。どこか遠くの方から、水の流れる音が微かに響いているのを椎名の耳は察知した。洞窟内は、何故か光り輝く水晶が点々と存在しているので10m程先なら見通せた。


冷たく湿った、くぐもった空気が椎名の頬を撫でて、椎名は無意識のうちにじんわりと湿った頬に手をやった。


「…何だ、ここ?」


唖然と天井を見上げる事も束の間、すぐに我を取り戻した椎名はゆっくりとした動作で立ち上がり、誰に言うまでもなくそう問いかけた。帰ってくるのは無情にも洞窟の壁や天井に谺した椎名自身の声だけだった。


「…」


目の前にいきなり広がった、今まで見た事も無い暗闇の世界に椎名は口をつぐみ、頭の中でこうなった原因を探る。


そう、目を覚ます前、つまり気を失う直前。椎名はーーーーーー







その日、椎名は何時もの様に昼近くに起きて、それから何時もの様にオンラインゲームに時間を費やしていた。


昨日は徹夜続きでゲームのイベントに勤しんだので、こんな時間に起きる羽目になった。しかし、椎名はそこまで気にしてはいない。ニートである自分に、曜日や時間なんてあっても無いようなものだったからだ。もし関係があったとしても、ゲーム内でのイベントの時刻表ぐらいだろう。


織部椎名は、本来なら大学受験を控えた男子高校生だ。しかし、既に時期は夏も終わる頃。二年生の初めから今までずっと登校拒否をして、引きこもり生活を貪っていた椎名にはとてもじゃ無いがどうしようも無かった。というか、どうこうする気力も無かった。既に彼は根本的な所から腐りきっていた。


「お、レアゲット!やった!」


かたかたとキーボードを打って、ボスを撃破。ドロップ品に満足して小さな声で喜びの声を上げて握りこぶしを作る。するとその時、肘が近くにあった飲みかけのコーラのペットボトルに当たって、地面に落ちて音を立てた。


「ひっ…」


びくっと身体を固めて、唖然とペットボトルを見て、それから恐る恐るドアに視線を移す。


「…ふう。びっくりさせるなよな」


しばらくして何も無い事が分かった椎名は、安堵のため息を吐きながらペットボトルを拾い上げ…ようとして、それはドアから響いた激しいノックの音に遮られる事になる。


「椎名!お昼ご飯よ!出てきなさい!」


「…!」


椎名は目を見開いて再度身体を止めて、ドアへと、いや、ドア一枚を隔てて激しくノックする母親へと視線を戻す。姿の見えない母親は、ノックを止め、それから哀愁を帯びた呆れたため息を吐いて、ゆっくりと椎名に話しかける。


「椎名、あんた何時まで引きこもってるつもりなの?せめて、ご飯くらいは一緒に食べてくれても…」

「…!」


母親の語りかけに、椎名は目を瞑って両手で耳を塞いでそれを拒絶した。歯を食いしばって、身体を振るわせるその様子は、見る者に同情心と哀れみを感じさせる程無様だ。ただし、見る者すら1人もいないが。


「…分かった。ご飯、ここに置いておくわね…じゃあね、椎名…」


暫くして、地面にかた、と何かを置いた音がし、母親の気配もしなくなる。


一瞬にして静かになった部屋の中、椎名は落ち着く為にたっぷり数十秒を費やして、やっと冷静を取り戻した。


「…はあ、はあ…い、いきなり来やがって…!飯なんかいらないのに!」


そう言いつつも、椎名はゆっくりと立ち上がってドアを解錠し、ゆっくりとドアノブを回す。顔だけ廊下に出して、誰もいない事を確認。誰もいないと分かり安堵して、地面に母親が置いていったチャーハンを手に取ってそそくさと部屋へと戻った。


「ああ、ちくしょう…どうして俺がこんな事に…」


チャーハンを置いて、椎名は涙目になってそう呟いた。


椎名は、今ではこうして家にいて家族が話しかけてくる事すら怯えていた。引きこもって、両親に多大な迷惑を掛けている事に負い目を感じて、話す事すら椎名は拒絶していた。


「俺は…俺は…あんな事があったから…そう、あんな事があったから…」


そう、少なくとも、椎名が高校に入る前までは。入学する前までは一般人だったのだ。多少口べたでコミュ章気味だったが、友達もいたし、必要があれば知らない人とも話す事ができた。もちろん家族とも毎日食卓を囲んで、談笑も出来た。


ただ、今ではどうだ。無様にカーテンの閉め切った真っ暗な部屋で、パソコンの光を浴びながら隅っこの方で膝を抱えて震えている。まともに話す事も出来ない。


椎名は高校に入るまで、普通の少年だった。少し人見知りで奥病であることを覗けば、一般的な少年だった。友達と馬鹿な話をしたり、遊んだり、家に泊まりに行き合ったりする、普通の少年だ。


少し離れた高校に入る事になり、椎名は途端にひとりぼっちになった。友達だった同級生は皆家が近い高校に行ってしまって、椎名だけがここに入ったのが原因だった。


人見知りで内気だった椎名はすぐにクラスで孤立した。同じ趣味を持っていそうな人もいなかったし、椎名自身も何時も下を向いてばかりいたので当然の成り行きだった。毎日毎日行ってはぼっちで学校生活を過ごしてを繰り返して、たまに休日に元同級生の友人の家に遊びに行ったりして過ごした。ただ、友人達も高校の部活やら何やらで忙しく、更には高校も違ってほぼ無縁になってしまって、次第に距離は空いて行った。椎名自身も、友達が作りだす同じ高校の輪に、1人だけ混じれない事が酷く苦痛で、疎遠になっていった。


完全に1人になってしまった椎名は、それでも喜楽に生きていた。友達を無くした事は確かに辛いが、それでも完全にいじける程ではなかったからだ。枕を濡らした事もあったが、学校には逞しく登校したし、家族とも談笑した。


しかし、入学して半年後。夏休みが終わる直前になって、それは起こった。


近くのコンビニに暇つぶしに寄った椎名に、たまたま居合わせた同じクラスの不良達が絡んできたのだ。その日はすぐに解放されたのだが、それでも顔を覚えられて目を付けられたのは同じだった。


夏休みが終わり、学校が始まり、それから椎名に対して嫌がらせが始まった。不良達は大人数で話しかけてきたり、椎名の物を無遠慮に扱ったり、パシリに椎名を扱ったりしたのだ。


完全に畏縮してしまった椎名がある程度は言いなりになる事に味を占めた不良達の行いは、次第にエスカレートしていった。教科書に落書きをされたり、授業中、紙くずを投げられたりもした。財布の中身を脅迫して強奪など、犯罪まがいな事もするようになった。椎名をいびったり弄ったりするのに飽きてきた不良達は、椎名に暴行を行う事も多くなって行った。タバコを腕に押し付ける根性焼きもされたし、1人が椎名を押さえつけて、不良達のサンドバックにもされた。


親には心配を掛けたく無かったし、負けたくなかったので学校には毎日欠かさずに出向いた。その度に激しいイジメ、いや、暴行を受けた椎名だが、それでも学校を休む事はなかった。学校に行く、というただそれだけの事が、既に椎名の中では心とプライドの、最後の砦になっていたのだ。


そして、そんな生活を過ごす事数ヶ月。冬休みも終わり、寒さに微かながらに暖かさが混じってき始めた頃だった。



椎名は、人を殺した。



何時もの様に椎名をサンドバックにする不良達は、その日だけは何時もと趣向を変えて、椎名を全裸にして外を歩かせようとしていた。不良達にとっては遊びのつもりで、ノリだけで選んだことだったが、椎名にとっては絶望以外の何者でもなかった。


もうすでに、人間としての最低限の尊厳すら守られていないのだ、と。椎名はやっと気付いたのだ。



そんな事をされたら、俺が俺ではなくなってしまう。ここで引いたら、俺は一生負け犬のままなんだ。



椎名はそう思って、そう信じて、そして近くにあった石ブロックを手にして、楽しそうに自分を卑下して笑う不良の内の1人に向かって、首筋辺りにその石ブロックを強く振り下ろした。


ごきり、と、何かが折れて砕ける音がして、椎名の手にブロック越しにその感覚を伝えた。


それから殴られた不良は糸が切れた繰り人形の様に、ふつりと倒れ反応をしなくなった。不良達が椎名を直ぐに押さえつけ殴りつけたが、椎名は自分の手に残った殺人の余韻に頭を捕われていた。もはや殴りつけられる痛みも無かった。


その後、運良く教師がそこに通りかかり、不良達を鎮静させてすぐに救急車を呼んだ。


殴られた不良は、病院に運ばれた時には既に絶命していた。首の骨が折れていて、それが首の血管を塞ぎ、首から上、つまり脳の血を止めて壊死させていた。


学校側はすぐにこの事件を隠蔽した。殺された不良の親は名の知れた会社の社長だったので、イジメの発覚によって会社の名が汚れるのを避けて裁判沙汰にはならなかった。学校側もイメージダウンを畏れて事件を隠した。椎名は捕まる事無く、停学処分された。


死んだ不良は、自業自得だった。椎名を虐げ、嬲り、辱め、椎名の人間としての権利や尊厳、誇りを傷つけた結果、死んだのだ。


それでも、椎名が人を殺したという事実には変わりない。少なくとも椎名の手の平には、彼を殴った時の完食が今でも鮮明に残っていた。


椎名はその日を境に、必要以上に家から、いや、部屋から出る事を恐れ、人と会う事を拒絶した。


「俺は悪くない…俺は悪くない…」


自分に言い聞きかせるように呟いて、震える手でチャーハンをレンゲで一口分掬って口に運ぶ。だが、椎名は食べる事が出来なかった。どうしても、人を殺した椎名を心配して、引きこもった椎名をどうにかしようとしてくれる母親の顔が浮かんできて、耐えきれなかった。心がはち切れそうで、酷く苦痛だ。


椎名はそれを食べずにレンゲごとぶん投げた。


「ああっ!くそっ、くそっ!俺は悪くないのに!俺は悪くないのに…!」


椎名はベッドに飛び込み、布団を頭から被って震え始めた。まるで全てを拒絶するかの様に、世界そのものを否定するかの様に。篭城するには布団の壁など陳腐なものだったが、椎名にとってはこれよりも無いほど心を落ち着かせてくれる最高の場所だった。


真っ暗で何も見えない。父親の顔も、母親の顔も、学校も、自分の顔すらも。過去も今も未来も何も見えない、底の無い真っ暗闇が椎名を包み込み、やっと椎名は身体の震えを止める事が出来た。


(…もう、このまま寝てしまおう…)


ゲームをする気力も既にない。寝て起きたばかりだが、なぜだか瞼が重かった。椎名は布団の中で両手で耳を塞ぎ、まるで胎内にいる赤ん坊のように身体を丸めた。椎名は力を抜いて、ゆっくりと瞼を閉じた。


ーーーその時、椎名はノイズの音を確かに聞いた。


ブ、ブブブブブブ…。何かがブレてズレて行くような、ガリガリと削るようなノイズが椎名の鼓膜を微かながらに揺らし、椎名はうるさいと思いながら強く耳を塞いだ。


『そこから逃げ出したいか?』


ノイズとともに、何か声が聞こえる。


『そこから、逃げ出したいのか?』


声は、男の声とも、女の声とも、はたまた少年や少女の声とも、しわがれた老人の声とも聞こえる不思議な声色で、ノイズと共に直接椎名の頭の中に問いかけた。


『逃げ出したいのか?何もかもを捨て、そこから逃げ出したいか?』


しつこく問いかける謎の声に、椎名は強く耳を塞ぎながら心の中で叫んだ。


(何だよ!うるさい!俺に話しかけてくるな!)


『全て諦めて、何もかもを見捨てて、そこから逃げ出す覚悟はあるか?』


(諦めるとか見捨てるとか、訳分かんないこと言うなよ!)


『覚悟を見せよ。そこから逃げ出す覚悟を』


(覚悟も何も、俺はこの部屋から出る事すら出来ない意気地なしだ!放っといてくれ!)


『逃げ出したいのなら叫べ。さすればそなたを連れて行ってやろう』


(連れて行くって、どこにだよ!)


ノイズがどんどんと大きくなって行き、声もそれに応じて椎名の脳を激しく揺らす。更に身を丸めて耳を塞ぐ手に力を入れる椎名の努力も空しく、声はさらに問いかける。



『覚悟を見せよ。覚悟を。覚悟を。覚悟を』



脳の中を谺する謎の声に、椎名は頭を振りながらこう叫んだ。



(逃げ出したい!逃げ出したいに決まってる!こんな、こんな腐った世界!)



そう叫んだ瞬間、ノイズが爆発的に膨れ上がった。ノイズの奔流は椎名を容易く飲み込み包み込み、そして脳をがりがりと削る。椎名の体全体を激痛が襲って、本能的に椎名は恐怖を抱いた。ノイズが、まるで椎名の身体を、心を、魂を、削っている音の様に思えた。そう思ってしまい、椎名の頭の中を激しい焦燥感が支配した。


いけない、駄目だ。このままでは駄目だ。このままでは、このままでは。



俺が、俺ではなくなってしまうーーーーー。



そして次の瞬間ーーーー椎名は、ぷつりと意識を途切れさせたのだった。







(くそっ…余計な事まで思い出してしまった)


椎名は思い出したくも無い事を思い出してしまって、酷く暗鬱な表情を浮かべて項垂れた。


椎名は自分の手の平を眺めて、開閉させる。あの時の感触は未だに椎名の手の平にしつこく残って、椎名のあの頃の記憶を明滅させる。


だが、嫌な事を思い出したが、御陰で大体の原因の目処が付いた。


(あの謎の声とノイズ…多分あれが原因、なんだろうなぁ)


あの謎の声は、椎名を連れて行ってやると言っていた。逃げ出したくば叫べ、とも。


どうやったのか見当もつかないが、つまり、椎名は心の中で逃げだしたいと叫んでしまって、あの謎の声の持ち主によってあの部屋からこの謎の洞窟の中まで連れてこられてしまったらしい。


何故こんな事をしたのか、そもそもここはどこなのか、という疑問はひとまず脇に置いておくとして、椎名は大体今自分がどうなっているのか、現状に付いて大体の目処を付けた。


(あの声は『連れて行ってやろう』の言葉通り、俺をあの部屋から誘拐して、この洞窟に放り込んだ。そして、多分あの声は人では無い。あの謎のノイズもそうだが、声色がそもそも人間じゃなかった)


では、あの謎の声の正体は何なのか、と問われれば分かる筈も無いが、少なくとも人間の声では無い事を椎名は直感した。完全な勘だが、確たる自信が椎名には何故だかあったのだ。


そもそも、ここは夢の世界なのではないのか?そう一瞬希望的観測をしてしまった椎名だが、椎名はそれを直ぐに否定した。湿った空気も、反響する水の滴る音も、岩肌を踏みしめる足の感触も、全てリアルすぎて夢では無いと分かってしまうからだ。


(つまりこれは夢ではない、と。ああ、くそ。どうしてこうなった)


とりあえず手頃の岩に座り込んで頭を冷やす。


(くそっ、あの部屋に戻りたい。部屋に戻ってゲームして現実逃避を…した、い…?)


当然こんな所からはすぐに脱出したいと思うが、しかし、何故だか椎名のあの部屋には、いや、あの世界には戻りたいと思えない。理由は分からないが、あの世界にだけは帰りたく無いと思ってしまう。


(…いやいや。理由ははっきりしてる、よな)


そう、理由は分かっているのだ。その理由は単純。あの世界には既に、椎名の居場所が存在しないから、である。


学校では殺人犯としてのレッテルを貼られ、友人とは疎遠になり、両親とは負い目を感じて話す事すら出来ない。部屋の中でただこそこそとパソコンをして、寝て、起きて、パソコンをして。そんなことを繰り返す毎日の中に、椎名は自分の生きる居場所を感じる事も、自分が生きる理由を見出す事も出来なかったのは事実なのだから。


(あの謎の声の『逃げ出したいか』の言葉の通りなのか…?ここは、俺にとっての逃げ場なのか?)


椎名は伏せていた顔を上げて、辺りを見回す。


目に映るのは、洞窟の風景だ。薄暗い洞窟のおどろおどろしい雰囲気は、臆病な椎名の背筋を凍らすには充分すぎる程だった。


「…ないな」


こんな所が俺にとっての逃げ場である、なんて、椎名は断固として認めたく無かった。


「とりあえず、ここを出よう」


こんな精神衛生上に害がありそうな場所に長く居続ける気はない。これからのことを考えるには、それからでも遅く無いだろう。


(そういえば、俺の身体には異常は無いのか?)


椎名は思い出して、自分の身体を見下ろした。理由や方法は分からないが、椎名は自分の部屋からこの洞窟まで誘拐されたのだ。臓器を取った痕があったら正気ものではない。


そして。



「・・・な、何じゃこりゃああああああああああああああ!」



じゃこりゃああああ、こりゃああああ、こりゃあぁぁ、あぁ、ぁぁ、ぁぁ…。



椎名の叫び声が、洞窟中に響き渡ったのだった。



誤字脱字のご指摘、感想、心からお待ちしております。

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