05
「ちわー。お疲れっス」
聞き慣れないイントネーションの第三者登場。凛斗と朱莉は見知った顔のようで軽快に挨拶を交わすが、春輝は誰か分からない。勿論それはお互い様で、第三者のほうから口を開いた。
「凛斗さんに朱莉さん、誰ッスかこの人?」
「あ、そか。涼太は昨日来てないから知らないっけ。名前は戸川 春輝、あたしの幼馴染で新しい同好会のメンバー。・・・確認してなかったけど入会するでいいんだよね?」
言って初めて思い出した春輝の入会手続き。すっかりくっきり忘れていたために新メンバーと紹介しつつも確認を取る。振られた春輝は肯定の意味を持って握手を求める。
「戸川 春輝だ。よろしくな、えっと・・・」
「やや。これは先輩さんでしたか! 初めまして、自分は沖 涼太。喋りで解るやと思いますが関西出身の一年ッス。趣味で採掘やっとりますから山歩きで体力はあるッスよ」
チャラリ、と。涼太は首にかけている小さなチェーンを引っ張り制服の下に隠れていたものを春輝に見せる。三センチほどの楕円形をした飴色のそれはネックレスとして装着できるように施されている。
「・・・石?」
「琥珀ゆうもんです。木の樹脂が固まって出来たもんやから厳密には鉱物やないですけど、れっきとした宝石ッスよ。ちっこいけど中にクモが入っとるでしょ? こういうのは虫入り琥珀ていいまして天然物は結構珍しいんス。自分が初めてめっけたもんやから宝物でこうして持ち歩いてるんスよ」
沖 涼太は無類の石好きだ。小さい頃に河原で見つけた綺麗な石から始まり、今では石を掘りに遠出をすることもある。石についての薀蓄を語らせれば止まることがないほどだ。その好きなことを好きなだけやれている涼太の姿が春輝には眩しく、羨ましく見えた。
「いいな・・・」
「へ?」
「いや、なんでもない。よいしょっと」
羨望から無意識に出た呟きを凛斗は聞き逃さなかったが、何もしてあげられることはないためにスルーした。楽しいことは誰かに与えられるものではなく本人が見つけるものなのだから。
「何か歩き方がぎこちないッスね・・・。あ、思い出した! 確か事故で両足が義足になった先輩がいるって噂――を聞い・・・、すみません軽率でした・・・」
つい口走ってしまった軽口を自省する。義足であることは確かに好奇の視線に晒されることではあるが、それを本人の前で口にすることは軽率すぎる。
「いいさ、別に。事実だからな。ただ・・・あまり触れないでいてくれると助かるかな」
「すんません! 以後、気を付けます!」
義足の付け根をさすりながら苦笑いを浮かべる春輝に姿勢を正して謝罪する。それを「いいよいいよ」と口にせずに手で制する。以前ならば怒鳴っていた春輝のそんな姿に凛斗は「戻ってきている」と内心ガッツポーズを決めていた。
一人の部外者((鬼灯 朱莉))を含め、これでオカルト研究同好会の全員がそろった。といっても特定の目的はなく、駄弁って遊ぶのが日常。たまに誰かの趣味に付き合うのも日常。
「よし・・・こっちや! だーっ! またババかい! もうこの人ポーカーフェイスすぎるわ!」
「へへん! Q(12)は四枚とも持っとるからダウトや! ってここにきてジョーカー!? ああ・・・また手札増えてもうた・・・」
「よっしゃスリーカードや! うげ、フルハウス・・・」
今日の活動は遊ぶことでトランプに興じてはいたが、行ったゲームの悉くを涼太は負けた。その結果として三人分のジュースを奢りで、しかも買いに走らされるパシリ誕生。
「うう・・・今月の小遣いが・・・」
活動を終えて下校する際、涼太は重さはあまり変わっていないが予約をされた金額を眺めてため息をついていた。
「賭けなんぞに手ぇ出すからだ。ま、お陰様でしばらく飲み物に困らなくて助かる」
手に持って見せる三枚の紙切れ。そこには「ジュース奢り券(ペットボトル不可)」と書かれている。言わずもがなこれはトランプに賭けを持ち出した涼太が負け続けた結果だ。券は春輝で三枚、凛斗で四枚、朱莉で五枚あるため、十二缶分の出費が確定してしまったのだ。有効期限は決まってはいないものの、一高校生の懐事情にこれは痛い。
「でも涼太さんはアルバイトをなさっているはずでは? どれぐらい働いていらっしゃるのか此方は存じませんが・・・」
「学生の片手間にしていることなんでそこまで稼いでないッス。道具には最低限のものしか揃えてはいないんスけど、如何せん交通費が・・・。連休では遠出もしますし」
一人暮らしではなくとも日本中を縦横無尽に行き来している涼太の懐は常に寂しい。それを学生という身分の人間がやっていれば無理からぬもの。しかしそれでも涼太は採掘をやめようとはしない。それが彼にとっての〝生きる〟ということなのだから。
「趣味そのものが生きる目的。生きるために採掘を行い続ける・・・か。昔の俺と同じ、羨ましいな・・・本当に・・・」
趣味に没頭して生き生きとしている涼太はまさしく太陽。自らを燃やすことで、誰かを照らす。
目的を失い、動かずに止まっている春輝は燃え尽きた星。観測されることもなく、ただそこにある。
かつては春輝も、涼太のように生き生きと燃え続けていた。誰かのためになんてことを考えたことはなかったが、それこそが自分の生き方であると感じていた。
「(趣味に生き、自らを燃やし、輝き続ける涼太に比べ、今の俺はなんて惨めなんだ。いつまでも失ったことへの未練でウジウジと、嘆いたって何も始まらないじゃないか・・・。逃げた先に、何があるっていうんだ・・・! ここには何もない・・・。ここに・・・ここにいるだけじゃ・・・俺は何も、得られない・・・!!)」
かつての自分を見て、春輝は己の惨めさを知った。
嘆きに沈み、全てを諦め、周りに八つ当たりするだけの、己の愚かさを知った。
事故に遭い、両足を失い、呆然とあり続けていただけの戸川 春輝はこの日初めて、自分自身に憤りを感じた。
両足を失ってなおも自分自身は残っているのだと、目を開かされた―――――。
みんなと別れ、帰宅した春輝は鞄をその辺に放り出してアルバムを引っ張り出した。過去を顧みることを意図的に避けてきたため、写真を眺めることそのものが久しぶりだ。
「どうしたのは―くん? 帰ってくるなりアルバムを眺めて」
「いや、これぐらいの頃の俺って何してたのかなって思ってな」
開いたページで指し示しているのは小学生の頃の写真。運動会の時のもので体操服姿に土に汚れていた。
「そうね・・・しょっちゅう凛斗ちゃんと喧嘩してたよ。よく傷だらけになって帰ってきて今日は負けたとか勝ったとか叫んでたね」
思い出に残るのは凛斗との喧嘩。都の口からも印象深いのは凛斗との喧嘩。そう言われれば如何に喧嘩を日常的にしてきたのが改めてわかる。
だが喧嘩していること以外の自分を思い出したかったのに、結局は喧嘩していた過去しか思い出せなかった。寝ても覚めても、出ても引いても、戸川 春輝という人間には喧嘩しか残されていないというのか―――――?
「ずっと避けてたのに昔のことを思い出したいなんてどういう風の吹き回し?」
「・・・気まぐれなのは否定出来ないよ。けど同好会の・・そういや部活っぽいものに入部ったのは言ったっけ? 聞いてない? そっか忘れてたな。
この間、凛斗が立ち上げた〝オカルト研究同好会〟に入部したんだ。オカルト研究同好会って言っても駄弁って遊ぶだけだから部活というにはモドキに近いな。みんなそれぞれ趣味を優先して、たまに誰かの趣味にみんなが付き合う・・・そんな活動方針らしい。
そこに鉱石の採掘が趣味の奴がいてな、そいつの姿を見てると今の俺が情けなく見えてな。心の底から今が楽しいってのが傍目から見ても分かるもんだから・・・眩しいんだ、すごく。妬みたくなるぐらい、羨ましいんだ」
そこで一区切りおいて、都から視線をそらして天井を見上げる。カンニングペーパーがあるわけでも何かがいるわけでもないが、遠いものに憧れるように虚ろな目で上を見る。そして視線を手元に戻し、目の前で両手を握り、言の葉を再び紡ぐ。
「俺はもう、走ることができない。一番楽しかったことは、もう得られない。だけど・・・だけどまだ、俺は生きてる。そう考えてみるといつまでも腐ってるのがバカバカしく思えてな、ちょっとは前に進んでみようとは思ったんだけど・・・イマイチうまくいかんな、どうも」
握りしめていた手を開き、苦笑いを浮かべる。ずっと黙って聞いてくれていた都もそこで初めて口を開く。
「はーくんが何をどう考えるのも勝手だけど・・・その気持ちの変化が、お母さんは嬉しいな。でも焦ることはないと思うよ。はーくんと同じ立場には立っていないから偉そうに聞こえるかもだけど、今からでも遅くないから、探していけばいいじゃない。新しい趣味を、新しい自分を、ね」
「ありがとう、母さん。あー・・・腹ん中をぶちまけるとめっちゃすっきりした。そんなわけだから晩飯作って。腹減った。今日はがっつり食いたい気分だ」
「残念でした。今日はあっさり系のうどんでーす」
ちぇー、と。軽い悪態をつきながら鞄を拾って自室へと向かう。その背中を見送り、都は内心でガッツポーズを決める。おっとりしていて人の良い性格でも、親として何も出来ない歯がゆさはずっと感じていたのだから。
再び訪れた平凡な日常。春輝たち戸川家にとってそれは失って初めてその有難味を知ることの出来る大切なモノだった。人は当たり前に存在することの大切さを知ることは難しいという。自らの価値観における「当たり前」に含まれる事柄に勝る輝きはないというのに。
―――――その日の夜も、夢を見なかった―――――。
「ん・・・ふ、ふあぁ~~~・・・。んー・・・よい、しょっと」
悪夢に叩き起こされるより先に、目覚まし時計が鳴るよりも早く、深い眠りの底から目を覚まし、靴を履くないしスリッパを履くような自然さで義足を装着する。その違和感のない行動に違和感を覚えたのは、寝ぼけ眼に階段を下りて冷水で顔を洗い終えて目を覚ました後だった。
「い・・・いってきま、す・・・」
「はい、いってらっしゃい」
妙な気恥しさを覚えた出掛けの挨拶。久しく口にする「行ってきます」のご挨拶。それすらもまた、ある意味では「新鮮」なやり取りとなった。
「おっはよーっ。はーるき!」
一人で登校する春輝の背中を叩きつつ挨拶をする凛斗。そのいつも通りのやり取りに返されるのは無言か鬱陶し気な挨拶だったのだが、
「ああ。お早う、凛斗」
いつもとは違う今までの挨拶に、切り替えてみた。
「・・・・・うん、お早う春輝・・・」
普通に返されたことにしばし呆然としてしまい、一瞬あって正気を取り戻した凛斗は携帯電話を取り出して操作する。奇妙と言える真剣さが、そこにあった。
「・・・何してんだ?」
「ん、天気予報のチェック。春輝が昔みたいに返してくれるなんて、これは天変地異の前触れかなー、って思ってね。あ、午後から雨だ」
「お前は俺を何だと思ってんだ。・・・え、マジで? 傘持ってきてねーわ俺」
「当然! 朝から辛気臭い空気満載で歩く鬱陶しい幼馴染かな。相合傘でもする?」
「てめえ・・・朝から喧嘩売ってんのか? やるってんなら買うが、相合傘はしねえ」
呆れながら吐く悪態。こめかみに青筋を浮かべながらの喧嘩腰に日常を思い出す。苛立ちながらも〝これだ〟と認識する。同時に〝ここからだ〟とも認識する。立つべきスタート地点は「泥の中」(あそこ)ではなく「日常」(ここ)だと改めて知る―――――。
「じゃあ春輝、今日も部活はあるからね。サボるんじゃないよ!」
「お前がな」
結局最初から最後まで喧々囂々(けんけんごうごう)と言い争いながら登校し、教室前で別れる。そんな様子に昔を知るクラスメイトが目を見開いていた。
「何だよ?」
「戸川だ。よく似た誰かじゃなくて昔っからの戸川がいる」
「ああ。久しぶりだな、戸川 春輝」
「うっせぇよ。いちいちフルネームで呼ぶんじゃねぇ」
再会の言葉もこれまでの謝罪も無く地元の同期に言葉を返し、脇を通り抜けて自分の席へと歩いていく。その道すがら、毎日のように挨拶をかけてきた名前も知らない誰かが同じように挨拶をする。
「お・・・お早う、戸川くん」
「んん? ああ、お早う。えっと・・・誰だっけ? 中学の同期にゃいなかったよな?」
「あっ・・・藤林です。藤林 朱音といいます」
「そっか。今さらだけどよろしくな、同級生」
毎日の挨拶がようやく実った彼女は頬を赤らめながら笑顔で自分の席へと戻っていき、春輝は着席する。その時、春輝の頭の中にあったのは新しい同級生の顔も名前も覚えていなかった自分への情けなさではなく、「藤林」という苗字への関心だった。
「(藤林・・・藤林・・・。・・・まさか、な)」
まさかと切り捨てた関心はホームルームを迎える頃には忘れ去られ、ようやく今が旧暦を水無月、新暦を六月、梅雨と呼ばれる降雨量の多い季節であることを思い出した。