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絶望の先に、あるものは。  作者: 七影志狼
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04

「ただいま」


 相変わらず冷たく無機質に帰宅の挨拶をする。おかえりー、と奥から都の声が返ってくる。リビングに行くとちょうど台所から手を拭きながら歩いてくる都と出くわし、再度帰宅の挨拶をする。するとまじまじと春輝の顔を見て、


「はーくん、何かいいことでもあった?」


 そんなことを言った。ちなみに「はーくん」とは言わずもがな春輝の愛称だ。子供の頃からの愛称で高校生になったのだからやめてくれと以前に言ったのだが、「はーくんははーくんでしょ?」と押し切られてしまったことがある。


「なんで?」


「だってはーくん・・・微笑(わら)ってるよ?」


 そう言われても自覚がないため、手を口元へ持っていくと確かに口の端が上がっていた。笑う、とまではいかずとも、ほんの少しでも笑みを浮かべていた。


「俺・・・笑ってる・・・? なあ母さん、俺には―――――・・・いや、なんでもない」


 気の迷いだ、と。まるで強迫観念のように春輝の中に巣くっている絶望が(ささや)く。凝り固まって淀んだ気持ちが、泥の中にいる春輝の動きを阻害する。

 心配そうな顔をする都に背を向けてリビングを去り、壁に手をつきながら一段一段ゆっくりと階段を上り、二階にある自室へと向かう。


「いっ・・・()ー・・・」


 部屋の中に入り、鞄を隅に投げ捨て、ベッドに腰掛けて義足を外した。基本的に義肢とは痛むもので、それなりに自由に動かせている春輝の場合でも常に疼痛(とうつう)はある。それを外すことで痛みからの解放感に安堵のため息をついて、弾力包帯を巻いてからベッドへ倒れこむ。

 照明しかない天井を仰ぎ、何も考えずに呆然とする。希望も、絶望も、後悔も、憤りもなく、心を空っぽにする。ただそれだけのことなのに、妙に清々しさを感じていた。まるで重い心から解放されたかのよう―――――。




 春輝が研究室を後にして暫くしてから凛斗もまた帰宅した。自室へと帰って来た凛斗は押入れにある収納棚の引き出しから一つの写真立てを探し出し、文机(ふづくえ)の上に置いた。

 渡良瀬一家は神社を管理する社務所を増築して住んでいるため、和風に拘っている。そのためか凛斗の自室も当然和室で、洋風のいわゆる勉強机はなく「(たく)」とも呼ばれる昔ながらの机しかない。


 そんな文机の上に置いた一枚の写真。日付は四年前、撮られた場所は大和神社で行われた縁日。写っているのは巫女服を着た凛斗と浴衣を着た春輝。縁日というイベントの手伝いをしていた凛斗と遊びに来ていた春輝とのツーショット。当初は思い出として飾っていたのだが、いつしか気恥ずかしくなって引き出しに仕舞われていたものだ。それを再び取り出した。


「春輝・・・」


 互いに中学一年生でまだ子供と呼べる時期。写真写りを良くしようとしたのかお(しと)やかに微笑んでいる凛斗に対して子供っぽく屈託のない笑顔を浮かべてピースしている春輝。そんな懐かしい写真を眺めながら、凛斗は朱莉から言われた言葉を思い返していた。


 ―――――初々しい反応で―――――。


 ―――――考えていたほうがいいかもしれませんね―――――。


 ―――――凛斗さんは春輝さんのことが―――――。


「あたしは、春輝のことが、好き・・・? だから春輝を元に戻したい? 今の春輝を見ていられないから? 昔の・・・好きな春輝と違うから・・・?」


 机に伏して顔だけ写真のほうに向け、答えの出ないことをぐるぐると考えているとまた顔が赤くなる。煙でも出てやしないかと思いたくなるほどに、顔が熱くなる。


「あーもう! お風呂入ろ! 入ってサッパリしてスッキリしよう!」


 ―――――結局。湯船に浸かってもなお悶々とし、のぼせるまで長風呂をしてしまったが。




「ん・・・んんー・・・」


 目覚ましが鳴るよりも早く、春輝は目を覚ました。ベッドの上で体を起こし、体を伸ばして大欠伸。


「・・・今日は・・・夢を見なかったな・・・」


 両足(あし)を失った日から繰り返し見続けている悪夢。走れなくなった春輝を侮蔑し、嘲笑する声に耳を塞ぎ続ける夢で、そんな夢を見てから目を覚ますと体も心も疲弊してから起床するのが、春輝の朝だったが、今日は珍しく何も夢を見ずに心穏やかに目が覚めた。


両足(あし)がないのは夢になってくれない・・・か。くよくよしても現実は変わらないな。さて、起きるか!」


 切断部の形状が変わらないように圧迫する弾力包帯を外し、義足を装着して立ち上がる。これでまた、一日の始まりだ。


「おはよっ春輝!」


 学校へ向かって一人歩いている春輝に後から追いついて背中を叩いて朝の挨拶。いつの間にかこれが習慣化してしまった。


「凛斗か。お早う」


 そうして挨拶を交わして二人連れ立って登校する。まさしく習慣だ。


「春輝、昨日のこと・・・だけどね」


 ―――――だがそこに。いつもとは違う雰囲気が漂い始める。心配でも叱責でも諦観でも拒絶でもなく、宣戦布告が。


「あたしは謝らないよ。だから春輝も謝らないで。どんなに拒絶されてもあたしは諦めない。意地でもしがみ付いて昔の春輝に必ず戻す。だから、覚悟しておきなさい」


 以前の宣言とは目の色が違う。決意に満ちた目であり、敵意すらも感じさせる冷たく鋭い目。過日の記憶を、懐かしさを覚えるそれは、喧嘩するときの凛斗の目の色。

 それに対して春輝は口の両端を吊り上げて、目だけを隣にいる凛斗へ向ける。笑っていない笑顔―――――それもまた、喧嘩をする時に浮かべる春輝の顔だった。


「―――――面白い。俺が戻るんじゃなくてお前が戻せるのなら、やってみろよ」


 しかしこれで二人が常に喧嘩し続けるわけではない。あくまでもこれは宣戦布告。凛斗の開戦宣言に春輝が応戦する意思を伝えたに過ぎない。殴り合いや言い争いだけが、喧嘩ではないのだから。


 その後は黙々と連れ立って歩き、登校する。春輝と凛斗は幼馴染で同級生ではあるがクラスメイトではないために途中で別れ、自分の教室に行き自分の席に座った春輝は、朝のやり取りを思い出して小さく笑う。傍目から見て不気味なことこの上ないが、そんな他者の目線など気にも留めない春輝の心にあるのは諦観でも憎悪でも憤怒でもなく、高揚だった。凍っていた血がざわつくような、興奮。


「(ああ・・・懐かしい・・・。アイツと喧嘩する時の感覚・・・血が騒ぐ・・・!)」


 一番楽しかったモノを奪われたことにより凍りついた春輝の心と血。失ったモノが大きすぎて、失った時の絶望が大きすぎて、陰に隠れて久しく忘れていた―――――戸川 春輝の、原点。それを思い出したことで一歩。着実で、そして大きな前進。


 春輝と別れて自分の教室に向かった凛斗もまた、興奮を覚えていた。決意を告白することへの緊張と喧嘩する時の高揚により心臓が高鳴るも、深呼吸を繰り返してそれを鎮めていく。まだまた気持ちは高ぶっているが、心臓は心地よい速さ鼓動を打つ。忘れてはいなかったが、久しく感じる渡良瀬 凛斗の、原点。凛斗もまた大きな一歩を踏み出した。



 一日の授業がすべて終わってクラスメイトが思い思いに帰り支度をして教室を出ていく中、今日はその流れに乗って春輝もまた教室を後にする。今度は凛斗のことを待たずにオカルト研究同好会の部室へと向かう。布告された宣戦に、真っ向から立ち向かう。


「(凛斗、俺は逃げねえぞ。真正面から挑まれて逃げてたまるか・・・!)」


 凛斗から挑まれた喧嘩に背は向けるわけにはいかない。それからも背を向けてしまえばいよいよ春輝は誰の声も手も届かない場所へと堕ちてしまう。意識してかはたまた無意識か、春輝はその一線を越えることだけは拒んでいた。

 ―――――そんな春輝の後姿を、凛斗は見ていた。また研究室へと連行しようとしていたのを出鼻を挫かれる形となったわけだが、嬉しい変化だった。


「(ま、今は見ておこうかな。首輪を付けるつもりはないんだし)」


 そんなことを考えつつ、春輝の後を追いかけるように凛斗もまた研究室へと向かっていく。


「あら、今日は一人で来たのですか? こんにちは、春輝さん」


「・・・こんにちは。つーか早いな、朱莉さん。三年はそんなに暇なのか?」


「ここは三階、三年のいる階ですよ? そして此方(こなた)の教室はここの隣。同じ時間に終われば貴方方より遅く来るほうが難しいですね」


 凪乃高校での学年の振り分けは一階(二年)・二階(一年)・三階(三年)となっている。二年である春輝が一段一段階段を上っていくのでは比べる意味がないというものだ。


「春輝! 今日はちゃんと来たんだね!」


「・・・わざとらしい。ついて来ておいてよく言えるな」


「あ・・・やっぱりバレてた?」


「周りが下りていくのとは逆に、しかも上るのが遅い俺を抜かしていかないなら大よその見当ぐらいつくさ。これで気配で分かる・・・なんて言えたらカッコいいんだけどな」


 出来ないことで虚勢を張っても意味はない、とでも言いたげに肩をすくめて応対する。その自然なやり取りに昨日が初の春輝の印象はガラリと変わり、そうなった原因を察してしたり顔をする。

 そんな顔のまま凛斗を廊下に連れ出し、後ろ手に扉を閉めて春輝を隔離した上で更に聞こえないように耳元で(ささや)く。


此方(こなた)の助言、上手くいきましたか?」


「助言?」


 助言→昨日→朱莉の言葉→春輝のことが・・・・→赤面。


「ちちちち違うよ! た、確かに昨日ことは助言になったけど・・・それとこれとは話が違うよ! 第一まだそこまでいってないし・・・その、自覚は・・・したけど、サ」


 朱莉の言葉で自覚し、この状況になるように自ら一歩を踏み出したが、まだ恋人関係(そんなところ)まではいっていないと報告し、し終えたところでふと気づく。勢いで言わなくてもいいようなことを吐露(とろ)してしまったことに。


「まだ、ですか。では〝無い〟わけではないのですね?」


「そりゃ、その・・・―――――って、姫のバカーっ!」


「いつも此方(こなた)を姫と呼んでる(ささ)やかなお返しですよ」


 フホホホホ、と。してやったりな笑い顔のまま朱莉は戻って来て、顔が真っ赤に火照って残された凛斗は火照りが収まるまで戻ることはなかった。


「あれ、凛斗は?」


「散歩です」


「散歩? 今来たばかりで鞄を持ったまま?」


「ええ。しばらくは戻ってこないでしょうね」


「ふーん・・・変なやつー」


 その原因を作っているのは春輝(あなた)だ、と。心の底から暴露し(からかい)たい気分でいっぱいの朱莉は忍び笑いを繰り返すだけで、凛斗が戻ってくるまでの約十分ほど暇を持て余すことになる。


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