長 番 役
4話目です。話が動き出す序章にあたります。府庫塔の残りのメンバーも出てきます。
「おはようございます」
「ん、誰?」
図書管理役になって2日目、今日は脚力強化の魔術を使い、跳んで8階まで上がって来た私の前に現れたのは党条管理番ではなかった。
きょとんとした顔でこちらを見る長身の男に、私はとりあえず礼儀として、姿勢を正した。
「昨日から府庫塔の図書管理役になりました、綺羅更咲です」
「あ、そうなんだ。俺はソウスケ・ブロン。管理番だよ。よろしくね」
逆立った短い鳶色の髪に筋肉質な体躯、顔つきや目許は優しげで、声も穏やかだ。
纏っているのは、清潔感のある白いシャツにゆったりとしたこげ茶色のズボン、ゆるくしめられたネクタイの赤が目をひく。西の平民が着る衣装だ。
央里国では官吏の着るものは特に定められておらず、職務に支障が出ず、華美に過ぎなければ何を着てもかまわない。
逆に言えば、着るものなんてどうでもいいから仕事しろって事だ。
ちなみに、私の今日の衣装は、東の女性が着る小袖と袴だ。私は、東の、この衣装をとても気に入っている。動きやすいのに、柄や模様が色鮮やかで美しい、機能的なのにおしゃれを楽しめるなんて、素晴らしいではないか。本日は黒と白の矢羽柄の小袖に藍色の袴だ。袴には裾のあたりに西のレースリボンが縫い付けられているところが、東大陸と西大陸、どちらの文化も取り入れている央里国らしいといえるだろうか。
「ブロン管理番」
「管理番とか堅苦しいからやめて、ソウスケでいいよ。俺も更咲ちゃんって呼んでいい?」
「かまいませんが・・・」
そんな呼び方をされるのは小さい頃以来だ。珠洲風は私の事を「更ちゃん」と呼ぶが、あの子は家族だから少し意味合いが違ってくるし。
「そうだ、更咲ちゃん。ひとつ聞きたいんだけど」
「なんでしょう?」
「なんでここまで上がってくるのに、昇降機使わなかったの?」
昇降機?
それは、あれか、上下に昇り降り可能な機械の事か?そんな便利な物が府庫塔にはあるのか?聞いてないぞ、そんな事。
ソウスケさんは、「ほら」と奥を示す。そこには両開きの鉄の扉。壁には開閉のためのレバーがある。
わざわざ魔術を使って、この最上階まで来た私の労苦は一体なんだったのか?
「まあ、仕方ないよね。この昇降機、一番下は1階じゃなくて地下1階だし」
だから、気がつかないのも無理はない、と、がっくり肩を落とす私をソウスケさんが慰めてくれる。
しかし、私がその気遣いを受けとめる前に、水を差す無粋者が現れる。
「そいつがボケてるだけだろ?下はともかく、上は分かりやすい所にあるんだから。昨日、ここに来た時点で気づくぞ。普通ならな」
このムカつく、いや~な声は・・・
「おい、上官に挨拶も無しか?」
上官云々関係なしに、アンタと口利くのは嫌なんだよ!とは言えない、くそ縦社会め。せめて、たっぷりの皮肉をこめて挨拶してやろう。
「おはようございます、党条管理番。いらしたなら、お声をかけてくださらないと困ります。お姿が視界に入らないんですもの」
「俺はお前が来るより先に来てたぞ。気づかないのはお前のミスだろ?本当にボケてるんだな」
笑顔なのに、お互い纏うオーラは攻撃的だ。すわ、このまま舌戦開始かと思われたが、思わぬところから停戦が宣言された。
「更咲ちゃんも、たからんもストップストップ。同じ部署の人間同士の不仲は職務に支障をきたすよ」 ・・・たからん?
私は思わず固まった。なにかやたら可愛い呼称が聞こえたが、それはもしかしなくても、私の前で握った拳をいまにも振りおろそうとしている、性格の悪い嫌味な上官のことだろうか?
「その呼び方はやめろと何度言えば分かるんだ、貴様はーーー!」
怒声一発。ものすごく痛そうな音と共に、ソウスケさんは殴り倒された。自分より身長高い人間を殴り倒すなんて、流石は鬼の片岡の血縁。
そして、ソウスケさん。あれだけ力一杯殴り倒されたのに、割と平気そうですね。もう立ち上がれるんですか。
「いったー。たからんの何がダメなの?可愛いのに」
「俺がいつ可愛さを求めた?」
もう一発いっとくか?と再び拳を固めた党条管理番だったが、それを振りおろすことは叶わなかった。
「おはようございます、宝さーん!!」
チン、という到着音に次いで開いた昇降機から、矢のごとく飛び出してきた黒い影に横から思い切り抱きつかれたからだ。
その衝撃に、党条管理番は驚くこともよろめくこともなかった。慣れてるらしい。
「蛍、いきなり抱きつくな」
「ええー、大好きな宝さんに抱きつけないなんて、そんなの絶対に嫌ですよー」
影の正体である女性はそんな事を言いながら抱きつく力を強くする。顔を党条管理番に向けているため、私には女性の後ろ姿、髪と着ている西のドレスしか見えない。髪は桜色で背の中程の長さ、ドレスの色は黒、影が、黒く見えたのはドレスの色だったらしい。
女性は私に気づいたのか、ふと顔を上げた。
美人だ。まずそう思った。
私が人の顔を見て、整っているとか、端正だとか思うことはあっても、美人と思うことはかなり稀だ。なぜなら、もうレベルからして違う超絶美人の顔を、幼い頃から毎日見てきたからだ。その私が、顔を見るなり美人と素直に思えたということは、この女性はかなりの美しさだということになるのだが、いかんせん美人を見慣れている私はそれ以上、女性の顔について何も思わなかった。これが他の人ならもっと反応する事だろう。
「貴女、昨日から配属になった人?」
女性は党条管理番から離れて、私に近づいてくる。
「はい。綺羅更咲です」
「更咲ね。あたしは蛍・モンテルオ、年は貴女よりひとつ上だけど、同じ管理役だから蛍って呼びすてにして。それと昨日は地下で仕事をしてたから、挨拶できなくてごめんなさいね」
「いえ、お仕事なら仕方ないです。どうぞよろしくお願いします、蛍」
「敬語もなしだと嬉しいな?」
「それはすまない。これでいいか?蛍」
「うん、バッチリ!」
蛍は機嫌良さげに笑う。おお、美人の笑顔はやっぱり素敵だ。
これで、あと会っていないのは管理役と管理長だけか。
「管理役がもうひとり地下で仕事してる。会わせるからついて来い」
なんで、コイツはこんなに偉そうでこんなに癇に障る男なんだ。ここはお願いしますって言う所なのに、はねのけたくなる言い方をするな。
「行こ!更咲」
蛍が手を引いてくれなければ、党条管理番と今度こそ舌戦争が始まってしまう所だった。
「たからん、俺達も行くよ」
「ああ」
全員で昇降機に乗り込んだが、昇降機はスペースが広く天井が高いので窮屈には感じない。
中には、数字の書かれたタイプライターのキーのようなものがあり、これを押すことで行きたい階に向かえるのだ。
蛍が押したのはB1と書かれたキーだ。
行くのは地下1階か・・・どんな奴がいるのやら。
とりあえず、党条管理番みたいに性格悪いムカつく奴じゃなければいい。
私は気づかれそうにないのを良い事にこっそりと上官をにらんだ。
「あ」
「あ」
地下にいたのは予想外な事に、よく知る相手だった。
私も驚いたが相手も驚いたらしく、ほぼ同時に同じように声を上げる。
「深坂・・・」
深坂 篝。一言で言うなら秀才。もうひとつ、ついでに言うなら貴族。ただし人外の七武戦衆ではない。かつて、その七武戦衆と共に初代王に仕えた13人の魔術師、今は、国を魔術をもって守り導いた、と魔導十三師団と呼ばれる者たちの子孫の13家。その13の家のひとつが深坂家で、篝はその家の後継なのだ。もちろん魔術が得意で、なかでも狙撃や砲撃などの攻撃魔術が得意だ。実技も筆記もいうこと無しで官吏登用試験に合格し、水官として働いていたが彼の優秀さと出自により周りから敬遠され、少しばかりの失態を激しく叩かれ、別の部署に移動させられたと聞いてはいたが、まさか府庫塔だったとは。
「綺羅・・・昨日来た新入りってお前の事だったのか?」
サラリと流れ落ちる銀色の髪、瞳はその名のとおりの篝火のような燃える赤。相も変わらず女と見まごう程に端正な顔をしている。ただ感情がほとんど表にでないため、硬質さをぬぐいきる事が出来ていない。
「知り合いか?」
「同期です」
「篝くんの同期ってことは、あの『謎の不作の年』の!?」
問うた党条管理番に驚くソウスケさん。私と深坂は口を噤む。
謎の不作の年。
それは、官吏登用試験を受け合格しながらも、なぜか最初の職場、つまり官吏になって、はじめて働く部署が発表される前日になって、そのほとんどが官吏を辞したいと辞職届を出し、最終的にわずか5人しか残らなかったという正に、謎の辞職者を大量に出した年なのだ。
私と深坂と、風長の副官である片岡勇斗、そしてもう2人は、大量の辞職者の中でわずかに残った5人なのである。
「それならあたしもよく覚えてます。あたし、この子たちの前年に官吏になりましたから。後輩ができる予定だったのに、それが5人って、言葉もなかったわ」
「しかも、部署発表の前の日のことだったから、人事を全部やり直さなきゃいけないって上官たちが自殺しそうな顔をしてたよ」
「部署問わず、な。俺たちは知らないんだが、結局原因はなんだったんだ?」
何とはなしの質問、
それに答えるのは非常に難しい。私も深坂も片岡も他の2人も、試験以来その事については一切触れない。他の2人のうち、1人は4年程前に官吏を辞したが、それでもあの試験について話すことはしないだろう。
「世の中には知らなくていい事もあります・・・」
私がやっとの思いで絞り出した言葉に、深坂も神妙に頷く。その表情は一見変わっていないように見えるかも知れないが。
私たちの異様な様子に、党条管理番たちも触れてはならない事に触れてしまったと察したのか、それ以上突っ込んでくる事はなかった。しかし、その場には何とも言えない嫌な空気が流れる。
なにか、この場の空気をきれいに変えてくれる、空気清浄機的な話題はないのかっ・・・!?
「聞いて驚け!我が愛する部下たちよ!」
いっそ割れるんじゃないかという勢いで、扉が開いた。驚いて振り返るが、視界にはだれの姿も映らない。確かに大人の女性の声がしたのに。
眉を寄せる私の耳許で党条管理番が言った。「下だ」と。
言われるままに、下へと目を動かすと、そこには子どもがいた。いや、子どもサイズの大人がいた。
艶を感じさせる目許、赤いルージュに彩られた唇、豊満な胸、きっちりと化粧をほどこされた顔。どれをとっても大人の女性のものだ。さっき聞こえた声だって、少し低めの張りのある声は間違いなく大人のものだ。
サイズは子どもだという事を除けば。
「お前、綺羅更咲か?」
「はい・・・」
名前を呼ばれて反射的に返事をする。
「そっかそっか、よく来てくれた!」
大人か子どもか判然としない女性が、手を伸ばそうとしている事に気づいて、慌ててその場に片膝をつく。その判断はあっていたようで、女性の手が機嫌良く私の左肩を叩いた。
「私はコーデリア・緒方。図書管理長で府庫塔の部署責任者だ。コーデリアさんでも、姐さんでも、姉さまでも好きに呼んどくれよ」
呼び方よりも、はるかに教えて欲しい事があるんだが。私は我慢ならず、女性に聞くのは失礼にあたる禁忌の質問を口にした。神よ、この禁忌を犯す罪悪をどうか許したまえ!
だって、どうしても気になる・・・!!
「失礼ですが、御歳をお伺いしても・・・?」
「28だ。ピチピチの20代だよ」
ピチピチは流石に死語だと思うが、身長の高さはピチピチどころではない。140無いのは確実だ。しかし、顔や体形は色香が漂う大人のもの。
とにかく空気は変わった。清浄されるどころか破壊されるかたちではあったが。
「姐さん、さっき聞いて喜べとか言ってたけど、なにかあったの?」
「よくぞ聞いてくれた、ソウスケ!ビッグニュースだぞ!!」
「焦らしてないでさっさと教えろよ、姉貴」
「そう急かすな。宝」
コーデリアさんは、バッと手にしていた書状を広げる。
「久々の危険図書回収任務だ!」
全員の表情がたちまち引き締まり、コーデリアさんも不敵に唇を吊り上げる。
「図書の種類は魔術書。場所は醒傲山脈の麓に広がる醒の森」
私は息を呑んだ。醒傲山脈に醒の森、そこは央里国の危険指定区域だ。危険レベルは他の危険区域に比べると、さほど高くはないが危険区域である事に変わりはない。
「各々準備をおこたるんじゃないよ!」
閑職と揶揄される府庫塔の危険な任務がはじまろうとしていた。