第9話 もうひとつの事件
ブリジッドは床に突っ伏していた。それが眠っているのか、気絶しているのか、私にはわからなかった。薄暗く、周りに何があるのかは全く想像がつかない。
見知らぬ男が部屋へ入って来た。顔は暗がりのせいでよく見えない。だが、男なのは確かだ。男は、ブリジッドを起き上がらせ、肩に担ぎ歩き出す。
ドアを開けた瞬間、少しの光が二人を照らした。
「ネックレス!」
目を開けた私は、ウィルが置いて行った写真を持ち上げ、食い入るように眺めた。
「その、ネックレスがどうしたって言うの?」
「ブリジッドを連れて行った男が、このネックレスをしていたの!」
「えぇ!」
レベッカが目を丸め、写真を覗き込む。
「どこにいるかわかったの?」
その問いに返答できなかった。わかったのは、犯人は男ということだけ。
居場所について全く見当がつかない。ただ、薄暗い部屋。しかしそんな部屋はどこにでもある。
「ブラッドの家・・・」
レベッカがポツリとこぼした。ハッとした私は、彼女と見つめ合う。
「男がつけていたネックレスがナターシャの物だったとしたら・・・」
「行きましょう!」
言うが早いか、私は車のキーを乱暴に掴み、部屋を飛び出した。
当たり前のようにレベッカが運転席へ乗り込んだ。それに続いて私は助手席へ座る。
「テリーに電話してブラッドの住所を聞くわ」
私は携帯電話を取り出し、おぼつかない手つきで彼の番号を打っていく。
「テリーにかけてもまた途中で切れちゃうんじゃない?」
「あっそうか。仕方ないわ、ウィルにかけるしかないわね」
急いでウィルの携帯電話にかける。番号はさっき向こうからかかってきたのでわかっていた。
「もしもし?突然なんだけど、ブラッドの家がどこか教えてほしいの」
運転しながらも、レベッカはしきりにこちらをチラチラと見ている。
「ええ、わかったわ。ありがとう」
「どこ?」
「ここからそう遠くはないわ」
時間が経ち、手持ちぶさたになった私は、無意識のうちに手をせわしなく動かし始めた。それに気がついたレベッカが、運転をしながら自分の鞄をゴソゴソとまさぐり、タバコを私に差し出した。
「これで少しは気持ちを落ち着かせて」
「え、ええ。でもどうして?」
「ずっと前にあなたから没収していたのよ」
「ありがとう」
箱から一本取り出し、ダッシュボードに入っていたライターを手に取った。
大きく吸うと、久々のタバコに肺が驚いたのか、思わず咳き込んでしまった。
「ちょ、ちょっと、大丈夫?」
涙目になるほどに咳き込んだ私の背中を、優しくさする彼女の手は、いつにも増して温かかった。
「ここよ」
そこは・・・普通の一軒家だった。可もなく不可もなく、そんな家だった。
「警察はいないのかしら?」
レベッカが辺りを見回す。
「どうして?」
「どうしてって。ナターシャかもしれない死体が発見されたのよ」
「あぁそうね。でも、いないわね」
「・・・おかしいけど、今はそんな悠長な事を考えている暇じゃないわ。入りましょう」
レベッカはドアの前で立ち止まり、軽く二回ノックをした。
「・・・」
しかし応答がない。何度かノックを繰り返しても出てくる気配がなかった。
「留守・・・なのかしら?」
私はドアの横にあった窓へ移動し、中の様子を窺う。
「カーテンがかかっててよく見えないわ。もしかしたら、遺体を確認するために警察へ行ったのかも知れない」
暗くて中の様子がわからず、私はレベッカのいる玄関へ戻った。
「それは有り得るわね。でも、だとしたら今は誰もいないってことね」
不意にレベッカがドアノブを回す。
「あっ」
鍵を閉め忘れたのか、ドアは少し軋んだ音を立てながら開いた。
「開いちゃった・・・わね」
二人同時に頷くと、恐る恐る室内へ入った。
「こんにちは〜」
室内はカーテンがかかっているせいもあり、昼間だというのに薄暗く、陰湿な雰囲気を醸し出していた。
「やっぱり誰もいないみたいね」
辺りを見回しながらレベッカが呟く。私も頷きながら何かブリジッドに関係があるものがないか、探していた。
そこでおかしな物を見つけた。ヘアバンドだ・・・しかし最近は男性もヘアバンドをしているし、おかしくはない・・・か?
私はふとそれを掴んだ。
男が女性と口論をしている。そして、男は逆上し、女性を一回殴った。さらに床に突っ伏した女性に馬乗りになり、首を絞め・・・。
そこで現実に引き戻された。ハッと前を向くと、レベッカはまだブリジッドを探していた。
「レベッカ!」
その大声に驚いたのか、彼女は持っていた新聞を落とした。
「ど、どうしたのよ突然」
慌てて私の元へ走って来た彼女に、私はヘアバンドを見せる。
「これが、どうかしたの?」
「このヘアバンドをしていた女性、殺された」
「え?」
「ここで」
「えぇ!それって、つまりナターシャ?」
「それが・・・」
「違うの?」
「・・・男の首にあのネックレスが見えたの」
女性に馬乗りになった瞬間、ネックレスが見えた。写真の中でナターシャがしていたあのネックレス。
「ブラッドの写真をテリーからもらっておけばよかった」
心底自分に腹が立った。ブラッドの顔を知っていれば、あの男が彼かどうかすぐにわかるというのに。
悔しんでいると、携帯が鳴った。私の携帯電話だった。
「もしもし?」
「・・・この前の忠告を忘れたか?」
「え?」
このボイスチェンジャーか何かで変えた声。あの時の脅迫電話と同じ声だ。
「あなた、どういうつもり?」
「これ以上首をつっこむなと言ったはずだ」
「悪いけれど、首をつっこまざるを得ないのよ」
「だ、誰?」
レベッカが私の隣りへすり寄って来た。私は耳から電話を外し、小声で呟く。
「脅迫してきた奴よ」
「え!」
と、大声を出す前に、手で口を覆った彼女は、静かに辺りを見回した。
「お前がそういうつもりなら、こっちにも考えがある」
「どういう事?」
沈黙が二人を包んだ。どんな考えがあるのか私には少しも見当がつかず、次の言葉を待つしかなかった。
「夜道をウロチョロするときは気をつけるんだな」
「何ですって?」
それで電話は切れてしまった。私は重い雰囲気のまま電話を切る。
「なんて?」
レベッカの心配そうな表情がそこにあった。
「夜道を歩くときは気をつけろって」
今度は口に手を当てることなく、彼女は驚いた。
「それこそ脅迫じゃない!」
「そうなるわね」
突然レベッカは立ち上がり、私の腕を掴んだ。
「ど、どうしたの?」
「警察へ行きましょう」
「でも、もしかしたらここにブリジッドがいるかもしれないのよ?」
立ち上がった私はレベッカの手を引き戻した。
「あなたにもしもの事があったらどうするのよ?ブリジッドが無事に戻って来たとき、あなたが死んでいたら悲しむわ!」
「その前にブリジッドにもしもの事があるかもしれないでしょう?」
「それは・・・」
レベッカが困ったように私を見つめる。すると、また着信がなった。恐る恐る電話に出る。
「も、もしもし」
「ウィルです」
「あぁウィル?」
彼とわかり、私とレベッカは顔を見合わせ大きく息を吐いた。
「何か?」
相変わらずの口調で淡々と話す声が私の調子を狂わせる。
「え?あぁ気にしないで。それより、ブリジッド、ブリジッドは?」
「ご連絡は、まだなんですね?」
「あっそれが、今、自宅にいないのよ」
「え?どうしてですか?」
「・・・ブリジッドが行きそうな所を捜しているの。それで、何かわかったら携帯の方へ連絡をしてほしいんだけど」
彼を信じていない訳ではなかったが、理由を言えなかった。
「・・・わかりました。それでは伝えておきます」
レベッカが私の肩を叩き、小さく呟いた。
「ねぇ、ブラッドが警察署にいるか聞いてみたら?」
「あっねぇ、ブラッドは警察署にいる?」
「はい、ナターシャの身元確認の為に来ていますが、どうかしましたか?」
「・・・これからそっちに行ってもいいかしら?」
「何かありました?」
「ちょっと説明すると長くなるから、行ったら話すわ」
「あの・・・」
私は最後まで話を聞かず、電話を切ると車のキーをレベッカに投げた。
「行くのね?」
キーを受け取ったレベッカが運転席に乗り込んだ。
「お願い」