第7話 告白
タバコを吸おうと鞄に手を入れた瞬間、電気が体中に走った。ナターシャの持ち物である口紅に触れたのだ。
彼女は暗い部屋の中で涙を流していた。そして床に置いてある銃を持ち上げる。
「レベッカ!」
気がつくと私は大声を張り上げていた。レベッカが驚いて目を見開く。
「急にどうしたのよ?」
「銃を持っているわ!」
その言葉に驚愕した彼女は、辺りを見回す。
「誰が!?どこ?」
「ナターシャよ!」
「え?」
「見えたの!泣きながら銃を手にしているわ!」
「本当!?」
何度も頷く私をレベッカが見つめる。
その時だった。家の電話が鳴った。凍りついた私は、受話器を睨みつける。
「私が出るわ」
私の返答を聞かずにレベッカが受話器を取った。私はその場に立ち尽くしていた。
「・・・もしもし?」
「・・・もしもし」
「ブリジッド?」
その名前を聞いた私は前進の力が抜けた気がした。レベッカも安堵の表情を見せる。
「待って、今替わるわ」
受話器を受け取った私は、一呼吸おいて出た。
「どうしたの?何かあった?」
「それが・・・」
ブリジッドの声がこもる。私は次の言葉を待った。が、聞こえてこない。
「何かあったの?」
「お母さん・・・ジェフが・・・」
「誰?」
「彼が・・・撃たれたの・・・」
「えっなに?どういうこと?」
それから受話器の向こうからは嗚咽しか聞こえてこない。
「今どこにいるの?」
「・・・」
「ブリジッド!今どこ!?」
「彼の・・・家・・・」
「どこにあるの!」
私はテーブルに置かれていたメモ用紙とペンを持ち、住所を書き殴った。
「救急車は呼んだの!?」
「ううん・・・」
「じゃあすぐ電話切って、呼びなさい!」
「はい・・・」
車のキーを乱暴に掴み、ソファに無造作に置かれていたジャケットを羽織った。
「どうしたの?」
玄関に走る私を追いかけてきたレベッカが質問するが、気が動転している私はうまく話をすることができない。
「ブリジッ・・・ブリジッドの、彼氏が、息をしていないみたいなの!」
「ええ?」
「行ってくるわ!」
そう言うが、鍵を落とした。そして自分の手が震えていることに気がついた。
「今のあなたじゃ危ないわ。私が運転するから」
レベッカが鍵を拾い、私の肩を軽く叩く。少し安心した私は小さく頷き、二人一緒に家を出た。
車に乗り込んだ私は、メモ用紙を見つめる。書き殴っただけあって読むのに苦労する。
「どこら辺?」
「ブリジッドの学校の近く」
「わかったわ」
レベッカがアクセルをベタ踏みして発進させる。私は急いでシートベルトを締め、もう一度メモを確認し、それを握り締めた。
「救急車は呼んだの?」
「呼ぶようには言ったけど」
「そう・・・」
家に着いたときはすでに救急車が一台止まっており、担架に乗せられた一人の男性と救急隊員数名、一番後ろからブリジッドが目を真っ赤に腫らしながら出てきた。
「ブリジッド!」
車から降りるなり叫んだ私は、ブリジッドの元へ走った。私に気がついたブリジッドの瞳から大粒の涙が何滴もこぼれ落ちる。
「お母さん・・・!」
胸の中で泣きじゃくる我が子を見たのは初めてだった。夫のビルが死んだときもこんなに泣くことはなかった。(と言っても、まだ幼かったので死ぬということがどういう事なのかわかっていなかったと思うが)
「一緒に来てもらえますか?」
隊員の一人がブリジッドに救急車に乗るように促した。隊員と私を交互に見つめる彼女に私は深く頷く。
「後ろからついて行くから」
「・・・」
ブリジッドは無言のままで救急車に乗り込んだ。大きなサイレンを鳴らしながら走っていった救急車を見送り、自分の車に乗り込む。車から降りていなかったレベッカが、固い表情で運転席に座っていた。
「私達も病院に行きましょう」
「・・・ええ」
彼女の返答が遅れたのに疑問を感じた。
「レベッカ?どうしたの?」
「運ばれていったブリジッドの彼なんだけど、どこかで見たことがあるのよ」
「え?」
「あぁごめんなさい。今はそんな事を言っている場合じゃないわね」
「?」
車が走る中、私は彼の顔を思い出していた。どこかで見たことがあるって?
私はチラリとレベッカの顔を見た。固い表情を崩すことなくハンドルを握っている。
「レベッカ?」
「なに?」
「どこで見たの?」
「え?」
「さっき言ってたじゃない。どこかで見たって」
「ああ。それなんだけど・・・」
「うん?」
話しづらそうなレベッカは、大きな瞳を何度も瞬きさせる。
「テリーがナターシャの私物を見つけて、私達警察署に行ったじゃない?」
「ええ・・・」
嫌な予感が頭をよぎった。聞いてはいけないのではとも思った。
「彼、なにかしでかして取り調べを受けていたわ」
「・・・え?」
「ほら、俺はなにもしてないって言ってた子よ。」
「ああ・・・」
私はそのまま顔を前に戻した。何も言葉を発する気になれなかった。
「アスリーン?」
「ごめんなさい、ちょっと頭がうまく回らない」
「・・・」
あのブリジッドの、自慢の娘の彼が警察にいた?信じたくない事実だった。
「ブリジッドが・・・」
頭がガンガンと響いてきた。少し息が苦しくなってきた私は、窓を全開に開けた。冷たい風が頬を伝っていくうちに、少し、ほんの少しだが冷静になれた気がした。
「どこかしら」
病院に入った私達は辺りを見回すと、遠くからブリジッドが走って向かってるのが見えた。
「お母さん!」
ブリジッドが私に抱きついた。彼女の顔は涙でマスカラがとれ、パンダのようになっていた。
「彼は?大丈夫なの?」
「手術してる。どうしよう・・・」
「大丈夫よ。大丈夫」
私はできるだけ強く、ブリジッドを抱き締めた。小刻みに震える肩がとても小さく感じた。
「何か飲み物買ってくるから、そこに座っていて」
レベッカがブリジッドの頭をそっと撫でた。
「ブリジッド・・・」
彼の事を聞きたかったが、今は聞いてはいけないような気がした。しかし焦ることはない。まずは彼の手術が先だ。
「失礼ですが、ちょっとよろしいでしょうか?」
黒い背広を着た、長身の男が話しかけてきた。
「警察の者ですが、ブリジッド・バルドーさんですね?」
「はい・・・?」
「手術している男性と、お付き合いされていますよね?」
「・・・はい」
「ちょっと、娘に何か用ですか?」
私はブリジッドの肩を抱き寄せながら、男を睨んだ。
「は?あの・・・あなたは」
「ブリジッドの母です」
「あっそうですか、それは失礼しました」
「今でなくてはダメなんでしょうか」
「え?」
「今、ブリジッドはまともに話せないと思います。彼の手術が終わってからでも遅くないと思いますが」
「・・・そうですか、わかりました」
名前も名乗ることもなく、男は私達の前から去っていった。レベッカがその男とすれ違いで戻ってくる。
「はい、あたたかいコーヒーよ」
「ありがとう」
私は受け取ったが、ブリジッドは下を向いたままだった。
「まだかかりそうね」
「ええ」
コーヒーを一口つけたとき、ブリジッドがおもむろに顔を上げた。
「どうしたの?」
「お母さん、彼ね・・・」
「うん?」
「ドラッグを密売してたの」
「えぇ!」
一瞬のけぞった私はレベッカに視線を移すが、彼女も大きな瞳を見開いていた。
「彼自身は、ドラッグはやってなかったんだけど、お金の事でトラブルになったらしくて、
だ、だから警察が来たんだと思う」
「警察?」
レベッカが開かれたままの瞳を私に向けた。
「ええ。さっきあなたとすれ違った人よ」
「そ、そうなの・・・」
「ブリジッドよく聞いて。ドラッグはやっていないにしても、彼がやったことは許されることではないわ」
「わかってる」
「・・・あなたは知っていたの?」
「・・・」
「ブリジッド?」
そのまま彼女は下を向き、また泣き出してしまった。
頭が混乱してしまい、うまく言葉が出てこない。私はそれからジェフの手術が終わるまで、一言も話すことはなかった。ブリジッドは俯いたまま、レベッカは腕を組んで動かなかった。一秒一秒がとても長く感じた。早く手術が終わってほしいと心から願った。
「あっ」
手術のランプが消え、私達は立ち上がった。医者と思われる女性が手術室から出てくるや、私達に一礼をした。
「あの、彼は・・・ジェフは?」
言葉が出てこないブリジッドの代わりに私が質問をした。
「ええ・・・一命は取り留めましたが、まだ油断はできません。なにせ銃弾を三発も浴びているんですから」
「銃弾?」
「はい、でも発見が早かったのと、三発とも急所を外れていたのが幸いでした」
「そうですか・・・ありがとうございました」
私は深々と頭を下げた。
医者が立ち去り、ジェフが出て来る。
「ジェフ・・・!」
ブリジッドは眠ったままの彼の手を握り、そのまま看護師の後について行った。
私とレベッカはただその光景を眺めていることしかできなかった。その時も、脳裏にはジェフのやってしまった事が離れないでいた。
「アスリーン?大丈夫?」
「ええ・・・」
「私達も病室へ行きましょう」
「・・・」
返事をしないまま私は俯いてしまった。重い足取りでブリジッドの後を追った。
ブリジッドは、私の質問に答えなかった。
ドラッグを密売していたことを知っていたのか。あの様子ではきっと知っていたはずだ。自分の娘が犯罪に絡んでいるなんて、考えたくもない。私はジェフを恨んだ。私は彼に同情なんてしない、できない。かわいい娘を危険な目に遭わせるような、そんな男と一緒にいても絶対に幸せになんてなれない。
病室で眠っているジェフの傍を離れまいと、ブリジッドはがっちりと彼の手を握っていた。
「お母さん、ごめんなさい・・・」
彼女は振り向かずに私に謝った。
「どうして謝るの?」
「私、嘘をついたの」
「嘘?」
「プールの清掃員してるとか、ウエイターしてるとか、全部嘘なの」
「両親が亡くなっているっていうのも?」
「それは本当なの。でも・・・」
「交通事故っていうのは嘘?」
「・・・父親がドラッグをやっていて、それで母親を殺しちゃったらしいの。そのあと、自分も銃で・・・」
「そんなことが・・・でも、それならどうしてジェフはドラッグの密売なんてしていたのよ。おかしいじゃない」
「私もそう思って聞いてみたら『てっとり早くお金を稼げるから』って」
「何を考えているのやら」
レベッカが溜め息混じりに呟いた。私も同感だった。ドラッグのせいで家庭がめちゃくちゃになったのに、そのドラッグを密売してお金を稼ぐだなんて。
私は少しの間、ジェフの顔を見つめていた。その時、ドアをノックする音が病室に響いた。
「はい?」
レベッカがドアを開けると、先程来た黒い背広の男性が入ってきた。
「すみません、よろしいでしょうか?」
「・・・はい」
私はブリジッドを立たせた。
「申し遅れました。私はカール・ディアスといいます。すみませんが、お嬢さんと少しお話をさせていただいてもよろしいですか?」
「・・・」
不安そうな表情を浮かべる彼女に、私は笑顔を見せ、頷いた。
「・・・はい」
「すみません、それでは・・・」
彼は手帳を取り出し、うっすらと生えたあごヒゲに触った。
「ジェフ・ゴールマンが、ドラッグの密売をしていたことに関して、ご存じでしたか?」
「・・・はい」
「知ったのはいつ頃ですか?」
「たしか、二週間くらい前です」
「そうですか・・・彼が、ジェフが誰にドラッグを売っていたか知りませんか」
「・・・いいえ、知りません」
「そう、ですか・・・すいませんが、もう少し詳しく聞きたいので、署までご同行願えますか?」
「私、逮捕されるんですか?」
「え?」
彼は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに穏やかな表情に戻った。
「そうですねぇ、ドラッグを密売していたのを黙視していたわけですから」
「そんな・・・」
私はブリジッドに顔を向けられても表情を変えることはしなかった。
「任意同行、ですよね?」
私はブリジッドを見つめながら彼に聞いた。
「ええ」
「ブリジッド、行きなさい」
「お母さん・・・」
「理由はどうであれ、あなたは罪を犯した人を見過ごしていたのよ」
「・・・」
ブリジッドはそれから一言も発さず、カールと病室を後にした。レベッカが私の肩に手を置いた。
それからしばらくして、看護師がやってきたので、私達は一礼をすると病室を後にした。