第3話 警察署の憂鬱
朝日が昇っても眠りにつくことができなかった。
壁に掛けられた時計を見ると、針は六時を指している。私は無言で起き上がると、部屋を出た。
少し腫れた目を擦りながら居間に降りると、テーブルには焼け上がったトーストとスクランブルエッグが乗っている。ふと視線をずらすと、台所でレベッカが忙しそうに動いていた。
「あら、おはよう」
彼女はエプロンを腰に巻き、せっせと動き回っていた。額にはわずかだが汗を掻いていた。
「おはよう。昨日は泊まっていってくれたのね。でも、お店はいいの?」
「大丈夫よ、私がいなくても支障はないわ」
レベッカの白い歯がこぼれる。
「ありがとう」
イスに座ると彼女はコーヒーを置いてくれた。そしてやっとそれに口をつけることができた。
「レベッカの入れてくれたコーヒーはいつもおいしいわね」
「私は料理の天才よ?天才はコーヒーを入れるのも上手なの」
「ふふ、そうね」
彼女の冗談が私を元気にした。
「トーストが冷めたらおいしくないわ。早く食べちゃって」
私は小さく頷くとトーストをひとかじりする。バターの溶けた匂いが口に広がる。
「こんなおいしい朝食を食べたのは久しぶりだわ」
綺麗に食べ終えた私はコーヒーに口をつける。
「いつも何を食べてるのよ?」
「トーストよ」
「あら、それじゃあ他人が作るとおいしく感じるの?」
「レベッカが作ると倍おいしいのよ」
「それはそれは」
そんな事を話していると、ブリジッドがすごい寝癖で起きてきた。美人とはほど遠い顔をしている。
「う〜ん、いい匂い」
「おはようブリジッド。今用意するから座って」
「・・・う〜ん」
隣に座ったブリジッドは、寝ぼけながら私の顔を見つめる。
「なに?」
コーヒーを飲みながらブリジッドの顔を見つめ返す。
「寝てないでしょ?」
「少し寝たわよ。大丈夫、ありがとう」
優しくそう微笑むと、ブリジッドも微笑みを返してくれた。その優しい笑顔に私は一瞬ビルを思い出してしまう。
「何があったのかは聞かないけど、体だけは壊さないようにね」
「・・・ええ」
台所でレベッカが私達を見守っていた。
「始めましょうか」
ブリジットを学校へ送り出すと、私達は居間へ戻りソファに座った。気合いを入れる為、私は頬を二回軽く叩く。
「わかったわ」
小さく頷いたレベッカはスケッチブックを広げ、私と向かい合わせに座る。
「いいわよ」
スケッチブックを広げたレベッカは私を見つめる。
「輪郭は・・・少しぽっちゃりしているわね。でも太ってはいない。髪は・・・綺麗なブロンドで、腰まで伸びてる。前髪はちょうど眉毛のところで揃えているわ」
レベッカは何度も頷きながら私の言葉を絵にしていく。
「二重の青い瞳で、鼻が通っていて・・・美人よ。ただ、目の下にクマあるわ」
「クマ・・・ね。こんなところ?」
いつもながらレベッカのスケッチには圧巻する。私が思い浮かべている顔にそっくりだ。いや、そのままだ。
「相変わらず、すごい腕前ね」
レベッカが自慢気に笑う。
「そうかしら?でも、名前は・・・わからないのよね?」
「ええ、ピーターもマリアも、彼女の名前を言ってないの」
「そう・・・」
「それじゃ、警察に行きましょうか?」
私は立ち上がると頭を掻いた。
「もう少し休んでからの方がいいんじゃない?」
レベッカが困った表情で私を見る。しかしそんな悠長な事を言っていられない。
「早く解決してもらいたいのよ。亡くなった二人のためにも。彼女のためにも」
「・・・そうね」
レベッカはスケッチブックを閉じた。
警察署に着いた私達は昨日と同じ部屋に案内された。
「いつ来ても嫌な雰囲気よね」
レベッカが身震いをする。私も頷きながら、テリーを待った。
「すいません。昨日は、大丈夫でしたか?」
彼は一人で部屋へ入ってきた。正直嬉しかった。ウィルの事はどうしても好きになれなかったからだ。
「大丈夫です。早速ですが、これを見ていただきたいんです」
レベッカが私に頷き、スケッチブックをテリーに渡す。
「・・・」
無言のままそれを開いたテリーは、目を大きくさせた。
「これは?」
「私が見た犯人の顔です」
「ここまで細かくわかるものなんですか?」
「ええ、顔を見ましたから」
「そう、ですか」
テリーはその後三分ほど何も話さず似顔絵とにらめっこをしていた。
「見覚えが、あるんですか?」
レベッカが口火を切った。テリーは目を落としたまま首を横に振った。が、チラリとテリーが私を見た。信用していない目だと直感した。
「信じられませんか?」
私の言葉に慌てたテリーは大きく首を横に振る。
「いえ!・・・ただ、まったく捜査線上に浮かんでいない人物なので・・・」
「やっぱり信じてないんだ」
レベッカがムスッと腕組みをする。テリーはばつが悪そうにスケッチブックで顔を隠すように似顔絵を見た。
「私は、この人が犯人だという証拠を持っていません。信じられないのはわかります」
テリーが顔を上げる。そのとき、レベッカが身を乗り出した。
「信じてないなら初めから頼まないでよ! アスリーンに失礼よ!」
机を大きく叩いたレベッカは立ち上がり、私の腕を掴んだ。
「証拠、証拠って、だから警察は駄目なのよ! アスリーン、行きましょう。何を言ってもムダよ。警察は最終的には自分達しか信じてないのよ。自分達の捜査しか!」
レベッカは強引に私を立ち上がらせた。
「ちょっと、待って下さい!」
部屋を出て行こうとする私達を制止するように、テリーが扉の前に立ちはだかる。
「時間をください! 調べてみます!」
「無理に信じてくれなんて言いません」
これまで何度も警察に依頼され、犯人の顔を見てきた。慣れたことだった。でも、とうとうレベッカの堪忍袋の緒が切れたのか、彼女の顔は真っ赤に染まっていた。
「アスリーンがこれまで犯人を間違えた事がある?依頼されてるのはこっちよ!もう我慢の限界よ!」
「そんな、ちょっと待ってください!」
レベッカは私の手を掴んだまま警察署を出た。テリーが追いかけてくる。
「待ってください!私の話を聞いてください!」
「聞くことなんてないです!」
テリーを背にレベッカが大声を張り上げた。
「こういう力を間近に見たのは初めてなんです!」
私はドアにかけた手を止めた。それを見たレベッカがテリーに振り返る。
「だから、なんですか?」
できるだけ静かに返事をした。レベッカが腕組みをする。
「こんな事細かに似顔絵を描くことができるなんて・・・。現実味に欠けるというか、すごすぎて・・・」
「・・・」
意外な返答に、私達はあっけにとられてしまった。
「・・・はい?」
レベッカが腕組みを外し、私と目を合わせる。
「うまく言葉が出てこないんです・・・」
そう言って言葉を詰まらせたテリーは頭を掻いた。
「・・・信じる信じないはそちらの自由ですが、私は嘘を言った覚えはありません。それだけはわかってください」
私はテリーの返事を待たずに車に乗り込んだ。レベッカもテリーをチラリと見た後に運転席に座った。
「いいの?」
シートベルトしながら彼女は私に質問をした。
「ええ。初めから信じてもらえるとは思ってないから」
エンジンをかけたレベッカはバックミラーでテリーが立っているのを確認すると、車を走らせる。
「警察も進歩がないわよね。何度犯人を透視しても疑ってかかるんだから」
レベッカの話を聞きながら私はタバコの箱を取り出す。気分を落ち着かせるのにはこれが一番だ。
「警察が何もしないというなら私が見つけてみせるわ」
一息ついた私はタバコの火を見つめた。レベッカが驚きながらもハンドルを握る。
「本気で言ってるの?」
「信じてもらえないなら私達がやるしかないわ」
「私・・・たち?」
呆然としながら車を走らせるレベッカにウインクをする。
「一人じゃ無理なことも二人ならなんとかなるものよ」
「それは・・・そうだけど」
レベッカの力ない返答に私は思わず吹き出してしまった。
レベッカに送ってもらい、家に戻った私はソファに寝転がった。そして気がついた。なぜこの事件を早く解決したいのか。
「つらいわね」
レベッカにも話していないことがあった。彼女の心を私は読んでいた。罪の意識が強く私に流れていた。
―殺したくて殺したわけじゃない―
その言葉が私の頭をずっと駆け巡っていた。彼女の本心だとわかる。だけど、じゃあなぜ殺したのか・・・考えるだけ無駄というものか。