第11話 その理由
「ああ!」
現実に戻された私は大声を張り上げた。それに驚いたレベッカがいつの間にか座っていた。
イスから落ちそうになる。
「ブラッドよ!」
間違いない、ブラッドだ。あの男が殺人を強要したのだ。
「あの男がナターシャに殺させた!」
「なぜです?」
私がこれほど取り乱しているというのに、ウィルは平静を保ったままだ。よくこの状況でこんな態度でいられると思ってしまうのは私だけではなかった。レベッカもウィルに冷たい視線を浴びせていた。
「なぜ、ブラッドが強要したんですか」
そう言われると理由が見つからない。それに、嫌なら断ればいいだけの話だ。それができない状況だったのだろうか。何か弱みを握られていたと考えるのが妥当だろう。
その時だった。素朴な疑問が私の脳裏に入ってきた。
「ウィル・・・ピーターとナターシャが離婚をした理由、わかったの?」
「突然どうしたんですか?それより今は・・・」
「いいから!」
そう叫ぶがウィルに驚いた様子はなく、いつもの顔で手帳を取り出した。
「・・・ピーターに原因があったのではと考えています」
「ピーターが?」
二人同時に返答をする。が、私達は顔を見合わせることなく、次の言葉を待った。
「ピーターの母親は持病を持っていまして、働くピーターの代わりに、ナターシャが世話をしていました」
「それは普通の事じゃない?」
レベッカが首を傾げていた。おかしいところはないと思う。
「ナターシャは献身的に看病をしていたみたいですが、ピーターは申し訳ないと感じていたようです」
「どうして?」
「ピーターの父親は、彼が幼い頃に亡くなっているみたいで、金銭的に余裕がなかったせいもあり、ナターシャの両親に治療費を借りていたからかもしれません」
「夫からすると恥を忍んでって事ね」
誰に話すわけでもなく、レベッカはボソボソとそう言うと、何度も頷いていた。
「離婚後、何度か会っていたのは、ピーターがナターシャにお金を返していたのではと推測できます」
それはおかしいと感じたのは私だけではなかった。レベッカが目を丸くさせたのだ。レベッカが口を開かなかったので、私がウィルに疑問をぶつけた。
「でも、ナターシャはなぜ離婚を承諾したのかしら?二人の間に問題があった訳じゃないんでしょ?」
「そこです」
ウィルは私の目を真っ直ぐと見つめた。
「ブラッドとピーターは知り合いです」
「そうなの?」
「はい。当時ブラッドの家の近くに住んでいた人を見つけまして。その人によると、ピーターは三年前、つまり離婚した後、よく彼の家へ行っていたそうです」
「それは、ナターシャがブラッドと結婚をしたからじゃないの?」
「いえ、ピーターはブラッドに会いに来ていました」
「そう言い切れるなんて、よほど自信があるのね」
レベッカが口を挟む。
「その人は、何度か見かけたらしいですが、ピーターとブラッドが話をしている所しか見ていないんです」
ううむと唸った私だが、ふと思い出した。
「ちょっと待って。話が逸れてない?今はなぜピーターとナターシャが離婚したか聞いているのよ?」
「ああ、そうでした」
一瞬彼がテリーに見えてしまった。彼のとぼけた顔が浮かんでしまう。
「ナターシャの友人に聞いたんですが、彼女はピーターに、自分と一緒にいたら不幸になると言われたらしいです。ナターシャは悲しみに暮れた後、ブラッドと再婚をしました」
「すぐに再婚を?」
「ええ、ブラッドが彼女の悲しみを拭ったのかどうかは定かではないですが、ナターシャは元気を取り戻したのは確かです」
あのブラッドがナターシャの悲しみを拭った?殺人を強要するようなあの男が?
「再婚後もピーターが心配だったのか、マリアを紹介しました」
「それで二人は婚約をしたのね?」
「はい」
そこで少しの間が空いた。私は頭の中で考える。普通ならばそれぞれ幸せに暮らしているのではないだろうか。
「その話が本当だとしても、ブラッドがナターシャに殺害を強要した理由がわからないままよ」
「聞けばブラッドがナターシャに一目惚れをしたとか」
「美人だものね」
レベッカが少し皮肉を言う。しかし笑っていられる状況ではなかった。
その時、一人の警察官が部屋へ入って来た。それにしてもノックもしないとは。
「ウィル。ちょっといいか?」
「ちょっと失礼します」
二人が部屋を出て行くと、私は一気に大きく息を吸った。
「何かあったのかしら?」
イスに座り直し、腕組みをしたレベッカがドアを見つめながら呟く。
「ブラッドが帰って来たのだとしたら喜ばしいわ。捕まえてブリジッドの居場所を吐かせる」
私はブラッドの顔を思い出し、腹立たしさを滲ませた。おもむろに携帯を取り出し、ブリジッドの写真を画面に映し出す。
「・・・無事でいて」
携帯をしまおうとしたその時、着信が鳴った。知らない番号だ。
「もしも・・・」
「助けてお母さん!」
聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。ブリジッドだ!
「ブリジッド!今どこなの?」
「地下室みたいな所から出たんだけど、玄関のドアが開かなくて。それで辺りを見回したら電話を見つけたの!」
「他に誰かいる?」
「わからない!目が覚めたらここにいて・・・」
「警察には?電話したの?」
「まだ・・・」
「電話しなさい!それで逆探知とか・・・」
電話の向こうで銃声が響いた。そしてブリジッドとの連絡が途絶えてしまった。
「アスリーン、今の音・・・」
レベッカにも聞こえていた。時が止まったように私は動けなくなってしまった。
「アスリーン!しっかりしなさい!」
彼女の怒号に我に返った私は、急いでテリーの携帯に電話をかける。もどかしいほどコールが長く感じられた。
「もしもし?」
「テリー!今どこにいるの?」
「今ナターシャの遺体が発見された現場に・・・」
「あぁそれより!ちょっと聞いて!」
私はブリジッドがかけてきた番号を教えた。
「ちょっと待ってください・・・あぁそれなら・・・」
それを聞いた私は驚きというより怒りが込み上げてきた。私の考えは間違えていなかったのだ。
「今からそこへ行って!私も行くから!」
「あの・・・」
テリーの次の言葉を待たず電話を切る。
「行くの?」
レベッカの問いに私は頷くだけだった。車のキーを握り締め、ウィルを待たずに私達は部屋を後にした。
何分経っただろうか。目的地までずいぶんと時間がかかっている気がする。運転してくれているレベッカは前を見ているが、チラチラと腕時計に目を配る。目的地に着くまで、私達は一言も話すことはなかった。