ひとりぼっちの『ぐう』
昔々、はるか遠い昔。
おじいさんのおじいさん、そのまたおじいさんが子供だった頃よりもっともっと大昔。まだ、お侍さんが活躍していた頃のお話です。
あるところに『ぐう』と言う名前の大妖怪が住んでおりました。
『ぐう』はとても強い妖怪で、体は虎よりもずっと大きく、口からは火を吐き、空を飛ぶことも出来ます。そして、その力で人々に悪戯をして、大変迷惑を掛けていました。
『ぐう』は畑を焼き、大声を上げて皆を驚かせ、ご飯を盗みます。
もちろんお侍さんも『ぐう』を止めようとしましたが、どんなに強いお侍さんも『ぐう』には勝てません。国中のたくさんのお侍さんが集まっても、『ぐう』には敵いませんでした。
国の人々は困りました。強いお侍さんでも『ぐう』は止められない。
このままでは、『ぐう』の悪戯でみんなが飢えてしまう。
困りに困り、結局、この国の人々は高い高い山に住む、偉い神様にお願いすることにしました。
「神様、お願いです。『ぐう』を何とか出来るのは貴方だけなのです」
「ふぅむ。本当に困っておるようじゃのぉ。よし、わかった」
頭を下げるお侍さんに、白くて長い髭の神様は頷きました。
神様も『ぐう』のたくさんの悪戯を見ていたのです。ですが、神様には気になっていたことがありました。
どんな悪戯をしていても、『ぐう』はちっとも楽しそうには見えなかったのです。
お侍さんから頼まれた神様は、空を飛びまわる『ぐう』を呼び止め、話をしてみることにしました。
「これ『ぐう』よ。お前はどうして、悪戯をするのだ」
空に浮かびながら、『ぐう』は大きな頭を、神様に下げます。
「神様……あしは何もかもつまらないんです」
「つまらないなら、どうしてこんなことをする」
空を飛ぶ二人の下では、森が燃えていました。『ぐう』がやったのです。
「神様、あしには心がない。何も感じないんです。心を探してるんです」
「心は見つかったか?」
「いえ。どんなことをしても面白いことはなかった。あしには何もない」
「ふぅむ」
神様は考えました。ここで力尽くで止めたとしても、『ぐう』は心を探して悪さを続けてしまう。それでは、国の人々は困ったままです。
そこで、神様は名案を閃きました。
「よかろう。『ぐう』よ。お主に心をやろう」
「あしに心を? 本当ですか?」
神様は厳しい顔で、『ぐう』をまっすぐに見つめます。
「うむ。だが、本当に良いのか?」
「はい。是非。あしは心が欲しいのです」
心が本当にもらえるなら『ぐう』は、素晴らしいことだと思っていたので、なぜ神様がそんな顔をしているのかわかりませんでした。
どうしても心が欲しかった『ぐう』は神様にそれでも欲しいとお願いしたのです。
神様は頷いて、『ぐう』の大きな体に不思議な粉を振りまくと言いました。
「よかろう。これで日が沈み、朝日が昇れば、お主には心が宿っておるだろう」
「神様。ありがとうございます」
心がない『ぐう』には嬉しさは湧きませんでした。
ですが、それも今日までの話です。彼はついに心を手に入れたのです。
翌朝、心を手に入れた『ぐう』はゆっくりと登る朝日を見て、感激しました。
「すっごい綺麗だ! ああ、これが驚きか! あしも心を見つけたんだ!」
『ぐう』は大喜びで空を飛びまわります。昨日までとは何もかもが違いました。
見るもの、やること、全てが新鮮です。
虹は綺麗だし、雲の動きは不思議だし、山が、森が、川がとても素晴らしく感じ、『ぐう』は心をもらって良かったと、本当に思いました。
好奇心も湧くようになり、『ぐう』は色んなことを試していきます。
神様から心をもらってからしなくなった悪戯も、また、すぐにやるようになりました。
悪戯も前のようにつまらなくないのです。
人が驚いたり困ったりすることも、『ぐう』にとっては楽しいことで、むしろ、前より悪戯を繰り返すようになってしまいました。
これには国の人々もほとほと困り果て、神様に相談します。
ですが、神様はこうなることはわかっていました。神様は国の人々のために、高い山に住む自分のところまで歩いてきたお侍さんに言います。
「あと少しの辛抱じゃ」
「しかし、神様。このままでは」
「『ぐう』は心を手に入れて喜んでおる。今は何を言っても聞くまい。だが、心を手に入れることは良いことばかりではない。お侍さんよ。お主にはわかるじゃろう」
お侍さんは頷きます。彼は生まれた頃からきちんと心を持っているので、神様の言っていることも理解出来ます。あと少しという神様の言葉を信じ、山を下りていきました。
しばらくは『ぐう』は色んな悪戯を楽しみました。ですが、そのうち、新鮮だった悪戯も面白くなくなってきました。
彼にとっては初めての心です。どうしてかわかりません。
どんなことをしても、また、楽しくなくなってしまったのです。
心がないときのように、つまらないわけではありません。
もっとひどいのです。心が痛くて締め付けられます。『ぐう』は夜になると、胸が痛くて辛くなり、眠れないようになってしまいました。
最初はそれでも大したことはありませんでした。ですが、一日、一日が過ぎるごとに、どんどん、心は強く締め付けられていきます。『ぐう』はわからないままに、心が楽になる方法を探しました。
森を焼いても、畑を焼いても、弱い妖怪を苛めても、ご飯をたくさん食べても、彼の心は楽にはなりません。何か月も経つと、誰よりも強い『ぐう』もついに耐えられなくなりました。
『ぐう』は困り果て、高い山に住む神様に相談します。
「神様。あしはどうしてしまったんでしょう」
「度重なる悪戯で、誰からもお主は嫌われておる。それは『寂しい』という心じゃ」
「寂しい?」
神様は『ぐう』に頷き、髭を触りながら話を続けます。
「どんな強いものも一人ぼっちでは生きていけん。お主がこれまで生きていけたのは心が無かったからじゃ。今は違うじゃろう」
「そんな……どうすれば」
「わしにはどうすることもできん」
「神様、心を無くしてください。こんなに辛くては生きていけません」
「それもできん。だから言ったろう。本当に良いのかと」
『ぐう』は項垂れました。神様はこうなることが、わかっていたのです。
ですが、もう手遅れでした。『ぐう』にはもう、心があるのです。
「あしは……この苦しみからどうすれば……」
「寂しさは誰かといれば湧かぬものじゃ。『ぐう』よ。今まで、お主はたくさん人にも、妖怪にも迷惑を掛けてきた。まずは、謝ることじゃ。じゃが、それは簡単ではない」
神様は『ぐう』に言い聞かせます。『ぐう』は真剣に聞いていました。
彼はこの寂しさから抜け出すためには、なんだってしようと思っていました。
次の日から、神様の言葉通り『ぐう』は悪戯を止め、人にも妖怪にも謝って廻りました。ですが、みんな怒っていて誰も許してはくれません。
怒るならまだましで、殆どの人々や妖怪は『ぐう』を見ただけで逃げ出してしまいます。
悪戯は止めましたが、『ぐう』の寂しさはどんどん増えていきました。
謝ることもうまくいかず、『ぐう』は夜な夜な胸が締め付けられ、ただただ、その辛さを誤魔化すように大声を上げながら飛び回ります。
ついには許してもらうことも諦めてしまい山奥にこもって、あんなに大好きだった虹の観察や、空の散歩にも行かなくなりました。
春が過ぎ、夏が来て、秋になり、冬が訪れ、また、春になりました。
ですが、『ぐう』は一人ぼっちです。『ぐう』を誰も許しません。
さらに季節は過ぎて、また雪の降る冬になりました。
寂しさでじっとしていることも出来なくなった『ぐう』が久しぶりに空を飛んでいると、ふと雪山に小さな何かを見つけます。
それは人間の子供でした。
「何故あしの住む、こんなところに」
『ぐう』が驚いたのも無理はありません。
この山は『ぐう』が住んでいることをみんな知っていたので、誰も近付かないようにしていたのです。ここで人間を見つけたのは初めてのことでした。
人間にもたくさん悪戯をしたので、子供の傍には親がいることを『ぐう』は知っています。ですが、親の姿は全く見当たりません。
放って置けばその小さな子供は死んでしまうでしょう。
『ぐう』は大きな口で子供を咥えて、自分の住処に子供を連れて行くことにしました。
なぜ助けようと思ったのか『ぐう』にもわかりません。昔の『ぐう』なら放って置いたでしょう。
『ぐう』にとって、人間は弱くて吹けば飛んでしまう、どうでもいい生き物だったのですから。
だから、助けたのは、ほんのきまぐれでした。
「この子もあしと同じ、一人ぼっちかもしれん」
『ぐう』は自分の火で子供を温めながら、そう呟きました。
雪山に放り出されては、子供はどうしようもありません。親がいないということはそういうことなのだろうと、彼は考えたのです。
幸い怪我もなく、体が温まった子供は目を覚まします。
大きな『ぐう』と目があった子供は驚いて飛び上がりましたが、『ぐう』が温めてくれていることがわかると、小さくぺこりと頭を下げました。
「驚いてごめんなさい。助けてくれてありがとう」
「怖がるのも無理ねえ。どんな強い侍もあしには驚くんだ」
心の中で『ぐう』は驚いていました。
謝られたのは初めてだったのです。お礼を言われたのも。
初めての心の動きに戸惑いつつも、『ぐう』は子供に話し掛けます。
怖がらせないよう、なるべく小さな声で。
「娘ぇ。どうして、あんなところにいたんだ?」
ですが、子供は泣き始めました。『ぐう』は困ってしまい、頭を下げます。
「すまねぇ。怖がらせるつもりはないんだ」
「ぐす……違うの。お母さん、たおれて」
『ぐう』が子供から時間を掛けて事情をよくよく聞くと、子供の両親はもう亡くなってしまい、引き取り手もなくて村も追いだされ、雪山に迷い込んだようでした。
自分と違って、悪いことをしていないのにと『ぐう』は、切なくなりました。
「娘ぇ。名前は?」
「つる……」
「あしは『ぐう』だ。つる、お前はこれからどうする?」
『ぐう』は小さな子供に目線を合わせるように、地に伏せて『つる』に聞きます。
小さな『つる』は首を横に振るだけでした。
「どうしたらいいか、わからない」
「あしは空を飛べる。つるを村まで送ってやれる」
「村に戻ったら怖いおじさんに怒られる」
さきほどの話を思い出し、『ぐう』は困惑します。
村に戻ってもまた、放り出されるかもしれませんし、今度も『ぐう』が見つけられるとは限りません。『ぐう』は悩みました。
ですが、ここでふと『ぐう』はあることに気付きました。
ずっと苦しかった心が、少しだけ苦しくなくなっていたのです。『つる』と話していると『ぐう』の寂しさが和らいでいたのでした。
『ぐう』は考えました。
『つる』が近くにいてくれたら、心が楽になるかもしれないと。
だけど、嫌われ者の『ぐう』と一緒に居て欲しいなんて言えば、今は怖がっていない『つる』にも嫌がられるかもしれません。
でも、もう一人でいたくなかった『ぐう』は勇気を出して聞いてみました。
「あしは誰よりも強い。だから、つるも守れる。あしと一緒に暮らさないか?」
「『ぐう』と?」
聞き返す『つる』に『ぐう』は頷きます。
「あしは一人だ。つるも一人。あしらは同じだ」
「同じ?」
「そうだ。だから、あしはつるを怖がらせない。約束する」
『つる』はきょとんとしていましたが、『ぐう』は真剣で本当の事を言っていることだけはわかりました。『つる』は村の人たちよりも、助けてくれて、話も聞いてくれた『ぐう』の方が好きになったのです。だから、行く場所のない『つる』は頷きました。
「良かった」
『ぐう』は、大きな口を開けて笑います。安心、これも初めての心でした。
彼はようやく一人ぼっちではなくなったのです。
こうして二人の生活は始まりました。
人間の生活がわからない『ぐう』は、『つる』を育てるために頑張ります。
『つる』を背中に乗せて人間の村や町の上を飛んで、生活を見て回り、それでもわからないことは、神様に何度も頭を下げて教えてもらいました。
食べ物も人間の服や食べる物も『ぐう』の凄い力で用意し、眠るときは自分のふかふかの毛皮を毛布変わりに使います。『ぐう』と『つる』はどんどん仲良くなって、心から寂しさが無くなり、本当の親子のようになりました。
ですが、そんな日々も長くは続きません。
ある夏、『つる』が泳いでいた川で足を滑らせ、流されてしまったのです。
いきなりのことで、『ぐう』も助けるのが遅れました。
川は前の日に降った雨で、勢いが増していたのです。強い『ぐう』なら、この程度は平気でした。ですが幼い『つる』にとっては、それはとても危ないことだったのです。
『ぐう』は慌てて流された『つる』を川から助けました。
しかし、『つる』の顔は青ざめていて、息をしていません。
「つる! しっかりしろ、つるっ!」
大声で『ぐう』は『つる』を呼びますが、答えは返ってきません。
死んでしまったのだと思い、『ぐう』は初めて悲しくなって泣きわめきました。
その『ぐう』の泣き声は何処までも響きました。
神様の住む、高い高い山にまでもその声は届きました。
何度も相談に来た『ぐう』と『つる』のことを気にしていた神様は、すぐに二人の元へと飛んできます。そして、ぐったりとした『つる』を見ると、事情がすぐにわかりました。
「ああ、神様! 『つる』を助けてくれ!」
『ぐう』は泣きながら神様に詰め寄ります。
神様は『つる』を両手で抱えると、『ぐう』に言いました。
「神も死んだ者を生き返らせることはできない」
「そんなっ! 『つる』はあしと違って悪いことをしてないのに!」
神様は自分のことしか考えていなかった『ぐう』の変化に驚いていました。
ですが、神様もなんでも出来るわけではありません。
『ぐう』が必死に助けたお蔭か、まだ『つる』は生きていましたが、長くはもたないことは明らかでした。普通のことでは治せません。
ですから、神様は『ぐう』に問い掛けます。
「『ぐう』よ。まだ、『つる』は生きておる。じゃが、わしにもどうにもできん」
「そ、そんな……」
『ぐう』は生まれて初めて絶望しました。これまで『つる』と過ごしてきた時を思うと、自分も一緒に死にたいと思うくらいに。
神様はそんな『ぐう』に静かに話します。
「わしの力だけでは無理だが、お主の力があれば助けられるかもしれん」
「ほ、本当か!」
「その代り、お主の強い力はすべて無くなる。飛べないし、火も吐けん。弱い、ただの人間になってしまうじゃろう。今とは何もかもが変わるし辛いことも多い。それでも良いのか?」
『ぐう』は迷いませんでした。
二度と飛べなくても、不便になっても、『つる』の方が大事だったのです。
「神様! あしは誰より強くても『つる』を守れんかった。こんな強さに意味はない。『つる』を助けてくれ! こいつは何も悪くないんだ!」
「わかった。任せるがよい」
神様が『ぐう』の体の傍に『つる』を横たえると、二人の体が輝きだします。
そして、『つる』の顔色はどんどん良くなり、『ぐう』の大きな体はみるみる縮んでいきました。大妖怪の『ぐう』は弱い人間になってしまったのです。
もう、空は飛べません。火も吐けません。
ですが、『ぐう』は気にしませんでした。『つる』を抱きしめて大声で泣き始めます。
嬉しいという心が彼にも生まれていたのです。
そんな彼らの様子に、神様も優しく微笑んでいました。
人間になった『ぐう』には前のような生活は出来ません。
一人で生きていけなくなった『ぐう』は、神様に紹介されて村に入りました。もちろん、これまで食べ物や服を力で盗んだことも正直に全部話し、謝りました。
やっぱり、村の人たちは彼を許しませんでしたが、神様の紹介と『つる』にしたことへの後ろめたさから、二人が住むことは認めました。
『ぐう』は『つる』を育てるために、働きます。
昔のように力を使って簡単にとはいきません。
それでも、『ぐう』は誰よりも真面目に頑張ります。朝は誰よりも早く畑に行き、夕方、みんなが帰っても働きました。
夜も傘を作り、草鞋を編み、機織りをして働きます。
もちろん、妖怪の頃のように皆に許してもらうことを諦めたりもしません。
それは『ぐう』にとって辛い日々でしたが、我慢することが出来ました。
日々成長していく『つる』の笑顔を見ると、どんな疲れも癒されるのです。
弱い体は辛くて大変でも『ぐう』の心は幸せで満たされていました。
力が無くなったことを後悔したことはありません。
時が流れ、『つる』が美しく成長し、お嫁さんに行く頃には、村の人たちは、心を入れ替えた『ぐう』のことを認めていました。『ぐう』にも友人が出来、恋人も出来ました。
さらに時は流れ、人間になってしまった『ぐう』はおじいさんになりました。
ですが、『ぐう』はそれを駄目なことだとは思っていません。
昔は大空を駆け回った『ぐう』も、歩くことすら難しくなりましたが、『つる』や自分の奥さんの子供、さらにその子供……大勢の家族や友人に囲まれて、穏やかに過ごしていたからです。
『ぐう』は心を持ったことを今では、神様に感謝していました。
なぜなら、とても幸せだったから。
『ぐう』はもう、一人ぼっちではありませんでした。