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Nehalem(ネヘイレム)  作者: sillin
Cp1・黄泉津蔓
5/6

Cp5・ 善悪は腹の中


 僕が誰かなんて、いままで気にしたことはなかった。

 でもそろそろ、それを考える時期にきているのかもしれない。

 考えたところでどうなるってわけでもないけど。

 ルーン・マクベスと言う名前のタグが、どんな意味を持っているのか。

 すこしだけ興味が出てきたってのが本当のところ。

 だけど……。

 こうやって、金色の世界に漂っていると。

 その意味なんて薄れてしまって。

 かぎりなくゼロになる。

 僕はタケミカヅチのひとつ。

 オペレーターと言う部品。

 それ以外になにも必要じゃないって気持ちになってくる。

 いま、タケミカヅチは教団母船を離れ、タケミナカタの迎撃に向かっている。

 砲撃まであとすこし。

 黄金の網はかがやきを増して脈動している。

 戦いの予感に歓喜して。

 アドレナリンを分泌するみたいに、白い光を駆け巡らせている。

 僕もどきどきしてきた。

 やっと、ようやく。

 すべてのリミットを外して、飛べるのだ。

 手に取った剣を叩きつける相手が邪神じゃないのは不本意だけど。

 でも、僕たちの本当の目的は、その奥にいる八十禍津日神。

 叛乱軍がいまも曳航していると言う巨大な邪神。

 僕たちはタケミナカタを排除して母船の安全を確保したのち、第二師団と戦闘を続けている叛乱軍を奇襲する作戦を立てていた。

 僕は詳細を知らないけれど、ジークとアリスが立てた作戦だ。それがベストなのだろうってのはわかる。でも、それからあとはどうするのか。疑問点は残るけど、連邦の最高頭脳に異論を唱える者は、僕を含めだれもいなかった。

 タケミカヅチにはアシリアとクラも乗っている。

 巫女の存在。

 やはりこれが、作戦の要になっているらしい。

「マクベス准尉。すこし、休んだらどうだ」

 呼びかけられて、僕は夢から醒めるみたいに浮上した。目を開けると、世界は重苦しくて、鈍重な色に満ちている。すこしそれで憂鬱になるのがいつものことだけど、でも、目を開けていないと、アーリィの姿をしたアリスを見ていられないって言うのも事実。

 ブリッジには、僕とアリスしかいないようだった。戦闘開始まで、他の人員は休息を取っている。アリスは、クリーニング店から出てきたみたいに制服を着こなしていて、軍帽まで被っていた。髪は三つ編みのまま。もはや、アーリィの面影はまったくないと言っていい。

「三日もゆっくりさせてもらってますから。ちょっとくらい平気です」

「そうか」

 強いたりはせず、アリスは淡白に返すと、予備のコンソールに身体を預けた。半眼を閉じて、息を吸い込む。僕はゆっくり上下する肩を横目で眺めていた。アリスは斜めに身体を預けたまま、三つ編みの先っぽを、すこし指で弄んだようだ。そして言った。

「第二師団が瓦解した」

「……そうですか」はやい、と言う印象しかない。ライア司令に勝てるとは思っていなかったけど、こんなに早く負けるとも思っていなかった。

「これで叛乱軍を遮る物はなにもなくなった。残る第四師団は結界の敷設が主な任務だ。戦力としては期待できない。このまま、八十禍津日神がブラックホールへ到達すれば、世界は終わる」

「ええ」息を吐くみたいにしてうなずく。「止めないと」

「たくさんの人が、死んだのだろうな」アリスは悼んでいるのか。半眼に閉じたのは、そのためだろうか?「いいやつも、悪いやつも、どっちでもないやつも、いろんな人が死んでいく。こうやってネットワークにアクセスし、さまざまな情報をリアルタイムで見ていると、まるで断末魔が身近に聞こえてくるようだ」

「はい」すこしだけ、その気持ちはわかる。墜ちていく艦の、生命反応をモニタリングする仕事なんて、嫌なものだ。侵入した邪神に殺されたり、減圧や酸素不足でゆっくり死んでいく様を見ているのは。

 アリスは情報収集のため、こうやって話している間にも、すさまじい速度でネットを駆け巡り、ハッキングを繰り返しているはずだ。そこには、あまたの死があるのだろう。

「サクヤには、何か言われたか?」

「いえ、なにも?」突然そう振られて、ちょっと驚いた。瓦解の話どころか、いっしょにアリスの元へ向かって以来、話もしていない。いや、あのときだって黙ったままだったから、最後に会話したのはいつになるっけ……。

「そうか。いつまで……。いや、最後までか……」アリスは完全に目を閉じてしまった。しばらくそうしていて、ぱっと瞳を見開くと、僕をじっと見た。「ジークフリード・ハヤカワだが。なにか知っていることは? 彼についてどの程度知っている?」

「公式のプロフィール以外は、あまり。メガネが伊達だってことくらい」なんの話をしているのか、よくわからなくなってきた。

「あの男もまた、災禍の生き残りだ」

「え、艦長が、ですか」

「ああ。十数年前に起きた災禍に巻き込まれ、たったひとりだけ生還した。君と同じだよ」

「そうですか……」

「なにもかもが死滅し、死の国と化した場所で、三日後に発見された。そんな状況で人間が生き残れる可能性は、ゼロ。まったくのゼロだ。なのに、君と言い、他にも数件の事例がある。ライア・ハイゼンベルクも然り」

「ライア司令も……」

「言わずともわかるだろうが、君たちには共通する事項がいくつかある。感情はあるのだが、本質的なものが存在しない。言霊式に対する親和性が高く、それから、あらゆるものに無頓着でありながら、特定のものには異様に執着する」

「そうです。僕は何も感じません。ジーク艦長も、ライア司令も、きっと同じ」

「空の容器なのだよ」アリスはコンソールから背を離すと、後ろ手に組んでメイン・モニターの方へ眼を向けた。もちろん、そこには無味乾燥な黄泉の風景と、計器の情報しか映っていない。「私が語るのはここまでだ。これ以上は他の誰かが語るだろうし、このヒントから君自身が真実に気づいてもいい」

「アリス大尉は、僕がなんなのか知っているのですか?」

「そうだ」

「アシリアさんも知っているみたいでした。彼女は、巫女である彼女と同じ存在、と言うようなことを教えてくれました」

「同じではない。第一、君は男だ」

「ええ。妊娠しませんよね」

 アリスはすこし笑った。ジョークのつもりではなかったので、ちょっと不本意だ。そう言えばアシリアも吹き出していたな、と思いだした。

「なにを教えられたか知らないが、君は、君一代で終わる」

「はい。わかっています」

「巫女がそう言ったのなら、そう……、君もまた、神に仕えるべき存在。おそらくは、そんな意味だ」

 神主や、禰宜のようなもののことを言っているのだろうか。正直、宗教には興味がないし、僕にとって大切なのはタケミカヅチに乗ることだ。それ以外のものに心を砕くなんて、想像も出来ない。

 ならば僕は、建御雷神たけみかづちに仕えているのだろうか?

 この……。

 高速駆逐艦タケミカヅチには、建御雷神命がインストールされている。

 雷神であり、剣の神霊である偉大な神が。

 僕は、それに仕えているから、ここまで惹き込まれているのだろうか。

 いつから?

 どうやって?

 はじめてタケミカヅチを見た時のことは、今でもよく覚えている。

 一番古い記憶と言ってもいい。

 その時僕は病院にいて、たぶん、そこは軍の病院だったのだけれど、気晴らしに看護師が軍艦を見せに連れて行ってくれたのだ。災禍から救出されて数週間は、ほとんど白痴の状態で、死体も同然だった。目は開いていても何も見ていなかったし、口は動いても言葉はでなかった。でも、押された車椅子があの青い艦体に近づいたとき、僕の心には感動と喜びがマグマのように沸き上がったのだ。

 その瞬間に僕は生まれたのかもしれない。

 だとしたら僕は。

 僕と言う存在は……。

「マクベス准尉」

 跳躍した思考が、届かない向こう岸に指先を引っかけたと思った瞬間、鋭い声でアリスが呼んだ。なにかを警告する声音だった。

 僕はすぐに理解して、計器をチェックする。レーダーに反応。

 これは。

 アラートのスイッチを入れるのと、マイクに向かって叫ぶのとはほぼ同時。

「第一級警報! タケミカヅチの乗組員はただちに戦闘配置へつけ! 第一級警報!」

 目障りな赤い照明が明滅し、耳障りな警報音が鳴り響く。

 こういう現実的な刺激は好きじゃないけど、寝ている連中を叩き起こすにはもってこいだろう。

 レーダーは高速で飛来する物体を捉えていた。

 まっすぐ、こちらへ――艦艇に出せる速度ではない物体。

 戦艦タケミナカタの主砲が発射されたのだ。



「おやおや、まったく。時間より早いじゃないですか」上着に袖を通しながら、ジークがブリッジへ駆け込んできた。アラート発信から二分。すでにキリエもサクヤも席へ着いていて、ふたりよりも三十秒ほど遅かった。あからさまに寝起きだったから、疲労があったのだろう。この人に同情的な気分になったのは初めてのことだ。

「タケミナカタの主砲砲弾と見られる物体が高速で接近中。本艦に到達まで三分。教団母船までは一時間です」

 聞かれる前に状況を説明しておく。

 ジークは艦長席へ腰かけると、引出しのロックを解除してなにか取り出した。カードキーだった。

「もっと、こう、必殺技を出すときは、前振りをしてからにしたかったのですが。仕方ない。いきますよ、マクベス准尉」それを艦長席のコンソールへ差し込む。

「はい」

「マスターアーム・オープン。タケミカヅチ、全武装使用許可!」

 ピッ、と、僕のコンソールに緑色の簡素なマークが表示される。小さいけれど、いままで表示されることのなかったマークだ。

「メインエンジン『立氷』始動! 攻性バリア『神度』、展開準備!」

 僕は潜り込む。深くダイブ。

 金色の世界はまばゆかった。

 さあ、いまこそ。

 タケミカヅチの念願が果される時。

 心臓の鼓動は、立氷の駆動。

 伸ばした腕は、神度の刃先。

 行こう。

 喜びの、その先へ。

 目を開ける。目を開けていても、僕にはすべてが見えていた。

「対象、増速! 到達まで三十秒早まりました!」

「弾底のブースターを使いましたか。なるほどなるほど、狙いは母船じゃなく、私たちか。さすがライア司令……きちんと読んでくる」ジークは感じ入ったようにうなずいて、「メインエンジン、状況は!」

「アイドリング完了です」

「さすが、早い。我が神もお喜びですか。では行きましょう。弾は我々とぶつかって爆発するように設定されている。前にも言いましたが、時限式です。遠隔起動ではない。ハッキングを恐れたからですが、逆手に取ります。突っ込みますよ。起爆時間より早くぶった切るのです。――サクヤ、いいですか。操縦桿を保持することだけを考えて。まっすぐに進めばいい」

「了解です」操舵手のトウキがいないから、代理でサクヤが座っている。半分くらい自動航行で飛べるならともかく、戦闘機動は代理には荷が重い。

「神度、展開! タケミカヅチ、最大戦速!」

「神度バリア展開します!」僕の復唱。

「立氷最大出力!」サクヤの復唱。

 攻性バリアの展開に合わせて、飛行ユニットの翼が畳まれる。

 獲物に向かう水鳥のように身を細くしたタケミカヅチの周りを、金色の輝きが包む。

 それは前方を中心にして長く長く、まるで黄金の剣のように伸びていく。

 後部のブースターが爆発のような光を発し、加速。

 青白い燐粉をこぼしながら、黄泉を疾走する。

 神の剣が飛んだ。

 それはどんな光景だっただろう。

 真の闇を切り裂いて、光の世界を生み出しながら、タケミカヅチは走っただろうか。

 神々は見ただろうか。

 この、美しい艦を。最強の剣を。

 爆発半径千キロの核砲弾だって?

 おかしくて笑えてくる。

 そんな豆鉄砲、鳩くらいしかびっくりしない。

 でも教団の人たちは、鳩みたいにやさしかったから、きっと驚いたのだろうな。

 僕は違う。

 僕は峻烈な鷹だ。

 激しい瞳で見抜き、鋭い爪でつかみ、容赦ない嘴で抉り取る。

 飛ぶんだ。

 行こう。

 あの不届きなでかぶつを食い千切りに。

 ばらばらにしてやれ!

「減速! 減速して!」

 なにか喚き声が聞こえて、僕は我にかえった。タケミカヅチから分離した、とも言えた。

 横合いからの制御で、制動のブースターがブレーキ噴射され、タケミカヅチは速度を落とす。

「これは、ひどいな」

 頭を振りながら、なぜか僕の隣でアリスが身を起こす。予備のコンソールに座っていたはずだ。軍帽はなかった。

 見回すと、ブリッジが嵐に見舞われたみたいになっていた。あらゆるものが散乱している。人間も。しっかりとベルトで固定していたサクヤだけが、青い顔で操縦桿を握りしめていた。

「いったぁーい! ちょっと、もう!」

 喚いていたのはキリエだった。隅の方に集まった棚の合間から、長い足が飛び出している。逆さまになっているのだろうか。

「想像を超えていました。ここまでとは」ジークが入口のあたりから戻ってきた。メガネはあった。さすがだ。「マクベス准尉。砲弾は?」

「粉砕しました。おそらく木端微塵です」

「ぜんっぜん気付かなかったわ。いつ当たったの?」キリエが棚ごと持ちあがってきた。

「加速の十秒後です。わかりませんでしたか?」

「わかるわけないじゃない、ほんと、これ、なんなの? なにが起きたのか……」

 なにが起きたもなにも、タケミカヅチは加速してまっすぐ進んだだけだ。その勢いがおそらく、はんぱないものだったため、重力制御しきれずにブリッジ内へGが溢れだしたってことだろう。どのくらいの速度が出ていたのか……計器をすべて振り切ってしまったから、計測できていない。次からはもっと目盛の高いものに交換すべきだ。

「ん、あれは……」アリスがメイン・モニターを望遠に切り替え、画像を表示させた。「タケミナカタか? もう接近したのか……。まったく、天照も考えることがわからないな」

「艦長」僕はジークを振り返る。七三分けをひと撫でしてからジークはうなずき、言った。

「攻撃開始! ただし、無用に殺生する必要はありません。サクヤ、ちょっと、主砲を横切ってやりましょう」

「了解」

 みるみるうちにタケミナカタの姿がアップになってくる。僕もこの戦艦の実物を見るのは初めてだった。異様で、巨大だ。ミサイルアレルギーの連中が作った艦だけど、ミサイルが邪神に使えない今、彼らの想像はまったく正しかったことになる。ミサイルの信頼性は低かったのだ。より単純な武器ほど効果的である、と言う理論は真理だったわけだ。

 ならばさらに単純な、この剣を持って。

 その理論の正しさに裏打ちを加えよう。

 副砲の射程に入り、はげしい弾幕が張られる。

 立氷はびくともしない。

 僕は揺るがない。

 揺るぐはずもないのだ。

 あれは獲物なのだから。

 動けないウサギが、それを狙う狩猟者に向かって、キーキー威嚇しているのも同じ。

 タケミカヅチは横合いに回り込み、そこから前進。

 切っ先を砲身へ。

 加速。

 切断。

 制動、反転。

 見えたのは、真っ二つになった巨大砲身が、その切断面から炎を吹き上げている様子。

 紅い火花。

 黄泉を彩る血しぶき。

 美しい。

 再び向ける。

 金色の剣は、血を吸って輝きを増している。

 ジークがタケミナカタへ通信した。

「賢明なる叛乱軍の諸君。次に両断されるのは諸君らの艦体だ。我々はたやすくそれをできる。ええ、通信販売の包丁が、トーストを切るみたいにね」

 降服は時間の問題だ。

 早いか、遅いか。

 決断力の差。

 タケミナカタは、腕を握りつぶされ、屈伏する定めにある。

 それは神代の昔に決まっていることなのだ。

 さあ、はやく。

 はやくしないと――。

「艦長」

 現実の僕の口が、そう告げた。もう自動化された作業だ。

 僕は見ている。目を開けていても、全部を。

 だから、レーダーの向こうのことだってわかる。

「なんですか?」

「叛乱軍の本体がこちらに向かっています。旗艦アメノオハバリの主砲、反物質メーザーカノンの射程まで、あとすこし」

「……確かですか?」ジークは眉をしかめている。それから、アリスを見た。

「准尉を信じよう」アリスはうなずいた。

「了解しました。あれを食らえばさすがにタケミカヅチでも危ないですからね」

 対象に反物質をぶつけて対消滅させると言う兵器だ。三次元世界が物質で構成されている以上、理論的にすべての物を消滅させることができる。

 サクヤが操縦桿を倒し、タケミカヅチは離脱する。艦首を転回させる。

「X240方向。そう、そのままです。巡航してください」僕の指示によって、叛乱軍と向き合う格好に。

 放置されたタケミナカタは水底に沈むナマズみたいだ。ぐったりと動かない。

 そのとき、入口から足音が聞こえて、鈴を転がしたような声が言った。

「すいません。よろしいでしょうか?」アシリアだった。もちろん、後ろにクラも控えている。

 戦闘中のブリッジは立ち入り厳禁だけど、ジークは何も言わず、うなずいた。

「アシリアさん。だいじょうぶでしたか?」僕は急に心配になって聞いた。あの急激なGはブリッジだけの話ではないのだ。無事なのは見ればわかるのだけど、姿を見たとたん心配になるって、ちょっと現金だったかもしれない。

「はい。クラがかばってくれましたから」アシリアは微笑む。その顔は僕の気持をすべて見通しているようで、やっぱり僕なんかが人の心配をするのはまだ早いんだな、と思った。アシリアはそれから、メイン・モニターを仰ぎ見て、「神の気配が近づいています。わたくしたちは、神の御許に向かっているのですね」

「巫女様、こちらへ」アリスが自分の座っていた予備のコンソールにアシリアを案内し、座らせた。それから傍らの影みたいな人物を見上げ、「あなたは――」

クラは首を振って遠慮した。たしかに、立ったままでも充分なのだろう。そのまま、アリスは副艦長席へ移った。

「広域レーダー、艦隊を捕えます」

 僕は情報を表示させる。駆逐艦の策敵能力は低い。残念だがタケミカヅチのレーダーもさして広い範囲が映るわけではなかった。すでにアメノオハバリの主砲の射程内だ。

 半信半疑だったブリッジの面々は、表示された画面を見て息を呑んだ。

 数多くの艦がこちらへ向かって前進している。

 この駆逐艦一隻に向かって、一個師団が。

「わけわかんない。なんで?」

 キリエの疑問ももっともだろう。それにアシリアが答えた。

「わたくしが目当てなのです」その言葉に、ブリッジ中の視線が集まる。「こうなったいま、わたくしが八十禍津日神を止めることのできる唯一の存在。ライア中将はわたくしを亡きものにするため、全力をぶつけるでしょう。みなさまにはご迷惑をおかけします」

「とんでもない。巫女様こそが要なのです。そのためにご同乗いただきました」ジークが大げさに腕を振って応える。わざとらしい。僕は斜め上を見上げるようにして、聞いた。

「ジーク艦長。そろそろ作戦の詳細を」

「ええ、いいでしょういいでしょう」ジークは芝居がかってしゃべりはじめる。これはたぶん、まだ根に持っているのだ。「まず、第一に。アシリア様の保護は絶対です。各自、自らの命よりも、巫女様の安全を優先して行動するように。それを念頭に置いてください。そして本作戦ですが、艦内戦闘が想定されます。我々はアメノオハバリに侵入しなくてはならない」

「あーっと、正気ですか?」がまんならなかったのか、キリエが投げやりに手を挙げた。

「もちろんですとも。タケミカヅチはアメノオハバリを攻撃しない。神度は自衛のために展開します。詳しくは時間がないので省きますが、アメノオハバリを一時無力化したのち、強行接舷チューブを打ち込んで内部に侵入。あれですね、海賊船とかが、映画なんかで使ってるものです。わくわくしますね」

「準備はしてあるんですか?」僕は訊ねた。

「ええ。珍しい。気が付きませんでしたか、マクベス准尉。左舷の接舷チューブをすでに改装してあります。先端がドリルになっていて、装甲をぶち抜いて通路を通しますよ。さて、アメノオハバリに侵入したのちは、八十禍津日神の本体を探します。現在、叛乱軍が曳航し、第一師団を壊滅させた巨大な身体は影のようなもので、それとは別に、御神体に神下ろしされた八十禍津日神を、連中は旗艦に積んでいる。あのでかいのがおとなしく艦隊についていっている理由がそれです。御神体の在処は不明ですが、それはおそらく、巫女様の感覚でサーチできるでしょう。いいですか、この作戦の要綱ですよ。我々の目的は御神体へ巫女様を接触させること。そのためにはなにを犠牲にしてもいい覚悟で臨むようにしてください」

 ジークはブリッジを見まわした。

 すでにみんな、その雰囲気に呑まれているようだ。

 いつも思うけど、こうやってしゃべらせたら、ジークの右に出る人間はいない。

「それでは、現場に出る人員を発表します。まずキリエ・ラシャ少尉」

「はい」

「あなたの力にかかっていると言ってもいい。チームリーダーを任せます。みなを引っ張っていくように。それから――ルーン・マクベス准尉」

「え」

「君も行きなさい。ライア司令に太刀打ちできるのは、きっと君だけだ。これを持っていくように」

 カードキーの入っていた引き出しから、ジークはなにか取り出し、僕に投げてよこした。折りたたみのナイフかと思ったけど、刃はない。刀の握りの部分だけのような、変なオブジェだった。

 疑問符の乗った僕の顔に、多少いじわるい笑みを見せ、

「本当は私が使いたかったのですが。あれですよ、時が来ればわかります。必殺技はあとで覚醒した方がおもしろい」

 こっちはちっともおもしろくない。一応、ポケットに収めておくことにした。

「最後に、アシリア様とクラティナさん。以上、四名ですが、なに、そう構えることもありません。きっとうまくいきます。……おっと?」

 僕のコンソールが通信を知らせる音を発していた。僕は情報を表示させ、相手を読み取る。

「艦長、アメノオハバリから通信です。通常回線で開きます」

「やれやれ。一席ぶたないと気が済まないのは、革命家の性分でしょうかね。どうぞ」

 メイン・モニターに映像通信を開く。

 案の定、額の傷を誇示した、金髪のオールバックが映り込んだ。

 ライア・ハイゼンベルク。

 いまは連邦の制服ではなく、黒に赤の縁取りをした、諜報部っぽい服を着ている。

『タケミカヅチの乗組員諸君。まずは称えよう。タケミナカタの撃破、見事である。そして人的被害のなかったこと、私は心から安堵を覚え、また艦長の采配、他クルーの善意に、最大の謝辞を述べる』

 いまのライアはいきいきと――強烈なまでの生命力を見せつけている。あの眼光。モニター越しですら、見据えられれば釘づけにされそうだ。

 そういう、ディスプレイ。すべては見せかけ。

「ごたくはいいんですよ、叛乱軍司令。呑むか呑まれるか。やるかやられるか。ここから先は、そう言う戦いだ」ジークは人を食ったように唇を歪め、ライアを見返した。あの口調じゃ、どっちが悪者かわかりゃしない。

『では前置きは省略しよう。レーダーを見たまえ、諸君。我が艦隊の戦艦をはじめとする攻撃艦のすべての武装が、君たちに向けられている。この包囲網をどのように突破し、君たちの狙いであるアメノオハバリへたどり着こうと言うのか』

「ふむ。ひょっとすると、司令。ご覧になってなかったのですか、先ほどの戦いを。いえ、あれは戦いですらなかった」そこでジークは僕を見て、にやっと笑った。なんだろう、僕も笑い返したくなる。悪役みたいな笑顔で。「狩りですよ。タケミカヅチに取って艦隊戦など、狩猟行動に過ぎない。あなたたちは獲物だ。羊と鹿が雁首を並べて整列しているだけだ。いまからそれを、証明しましょう。まずは――ほら、始まる!」

 ジークが叫んだ瞬間、何が起こったのか。

 突然モニターが乱れ、通信が向こうから途切れた。

 すばやく振りかえったジークが、再び言う。

「アリス大尉、いまです」

 うなずいたアリスが副艦長席で目を閉じた。ハッキングを開始する。直感で僕は悟った。

 僕もタケミカヅチを経由して、ちょっとだけアリスのネットワークに近づき、なにが起こっているのかを遠くで眺める。

 なぜかアメノオハバリのシステムがダウンしていた。その隙をついてアリスはシステムへ介入し、復旧する速度よりも早く、それを制圧していく。

 人間業では不可能な対応速度だ。

 爆風が森林を薙ぎ払い、まっ更地にしていくようだった。そこにはトラップや巨大な岩が存在しているのだけれど、まるでおかまいなく、すべてを荒野と化していく。

 システムの無力化まで十秒もかからなかった。

 僕が同じことをするなら、数時間の作業だろうし、そもそも、復旧速度についていけないだろう。

「掌握した。作戦を第二段階へシフト」アリスはなんでもないことのように告げる。

「了解。さあ、見せてあげましょう、みなさん。立氷の速さをね!」

 ジークはメガネを押し上げて叫んだ。乗ってきている。

「立氷、出力最大! 総員対ショック用意!」

 サクヤも叫んで、操縦桿を握りしめた。

 エンジンが急激にエネルギーを発生させ、それがタケミカヅチに圧倒的な速力を与える。

 一瞬のことだった。

 おそらく武装の狙いをつけていたどの艦も、タケミカヅチに照準を当て続けることはできなかったに違いない。

 金色の軌跡を引いて、輝く剣がアメノオハバリの元へ飛びついたのは、まさに数秒の出来事だったからだ。

 加速よりも減速のときのショックの方が大きかった。

 いままで使ってきたサブエンジンが、今度はすべて制動のために使用されている。ブレーキングのときにかかるGで、ブリッジの中は再びめちゃめちゃになった。

 僕はすぐにアシリアの方を振り向いた。クラの赤い髪がコンソールをかばっていた。

「だいじょうぶですか?」

「はい。なんとか」返ってきた返事に安心する。クラが僕を見てうなずき、離れた。

「……もう、最大出力はやめておきましょう」

 艦長席に頭から突っ込んでいたジークがしかめ面で顔を上げた。メガネは無事だろうか? 割れてはいないようだ。

「接舷可能位置に調整します」サクヤが操縦桿を操作する。なかなか、微妙な位置取りがうまくいかないようだ。

「神度バリア、防衛展開。強行接舷チューブ発射用意」

「了解。神度防衛展開。チューブの用意できました」ジークの指示に復唱する。剣状に伸びていたバリアは、ハリネズミのように尖って艦を覆うように展開される。

「こちらも接舷位置に固定完了」

「よろしい。それでは、先ほどの四名。五分で準備してください。アリス大尉、システムダウンの時間は?」

「三十分が限度だ。それまではアメノオハバリのセキュリティと防衛機能が無力化されている。余裕を見て、出発時から二十分と考えてほしい」

「……行きはよいよい帰りは怖い、ってことね」

 キリエが呟いて、立ち上がった。

 たしかに……僕らが帰る頃には、システムが復旧しているだろう。

 そう言えば、戦争に出る前、アーリィに聞いたことがあったっけ。

 もう帰ってこれないかもしれないのにどうして戦うのか、と。

 いまこそ、もう一度、じっくり自問してみるべきかも。

 そんな暇は、ないのだけれど。

「強行接舷チューブ、発射!」

 準備のためブリッジを離れる僕の代わりに、サクヤがそう報告する声が聞こえた。



「次を左です」

 PDAの図面を見ながら、僕は誘導する。

 アメノオハバリの中は照明が落ちて、非常灯のうす暗い明りだけが通路を照らしている。僕たち四人は、その下を足音を忍ばせて急いだ。

 アシリアが感じ取る御神体の位置は、残念ながら侵入位置からは遠い艦の中心付近だった。旗艦ともなれば駆逐艦の十倍以上の大きさを誇り、内部を移動するだけで相当の時間がかかる。まして、人目を避けながらとなると、どうしても慎重にならざるを得ない。

 先頭はキリエで、サブマシンガン等で武装している。真ん中に僕とアシリア。しんがりはクラ。クラは背筋を伸ばして、まるで横断歩道を渡っているみたいに歩いているけど、足音ひとつしない。タケミカヅチの中でも物音ひとつ立てなかったから、もう、これは気配といっしょに足音も捨ててきたのだろう。キリエは身を低くして、いつなんどき敵が現れてもいいように体勢を取りつつ進んでいる。こっちの方が、いかにも突入要員と言う感じで、それっぽい。

「キリエさん、ストップ」僕は図面を睨みながら、いろいろと予測している。「この先にホール状の空間があります。そこが各方面へのターミナルになっているみたいで、つまり、最短を選ぶならそこなんですけど、」

「迎撃しやすいのもそこ、か」キリエが視線を鋭くした。「何分経った?」

「五分です。目標地点まで、現在のペースで最短ルートを通った場合、あと十分。迂回すればさらに十分ほど加算されると思います」

「OK。三分でホールを突破しましょう。それなら余裕を持って間に合う。あたしが先行するから、三人はここで」

「いや、私が行く」意外な声にみんなが後ろを振り返った。クラが相変わらずの無表情で立っていた。「私なら敵が十名以内の場合、一分で片付く。保障する」

「でも……、いえ」キリエは一瞬逡巡したが、うなずいた。「うん、お願いします」

「アシリア様をお守りしてくれ」

 クラはそう告げると、黒い風のように飛び出して行った。僕らもそのあとを追って、通路の出口付近まで進む。

「クラさん、だいじょうぶでしょうか?」戦っているところを僕は見たことがない。それにどうも、丸腰のようだ。

「ええ。クラに勝てる人間などいませんわ」アシリアは全幅の信頼を寄せて微笑んでいた。

 ホールには予想通り戦闘スーツで武装した連中が配置されていた。

 武器は主に、取り回しのよいサブマシンガン。そのただ中へクラは突っ込んでいく。

「侵入者だっ!」

 だれかひとりが叫んだ。その舌の根がかわかないうちに、敵のひとりがふっとんだ。

 続いて、もうひとり。

 なにが起きているのか……。

 傍で見ている僕にも、よくわからない。赤いポニーテールが左に動いたと思ったら、次は右の端にいて、敵の銃口がそっちへ向くと、空中を飛ぶようにしてその背後へ移るのだ。

「なんだ、こいつ!」

 はからずもその感想は、僕と同じものだった。

 重力とベクトルと運動エネルギーの法則を無視しているとしか思えない。

 ばたばたと敵兵は殴り倒され、蹴り飛ばされ、投げ落とされて、あっと言う間に最後のひとりになった。

「ひ、ひいっ!」

 ひきつった声をあげて銃を向けるが、手が震えてまともに当たりそうにない。クラがゆっくりとそちらを向いて、視線を投げかけた。すると、ふつっと糸が切れたみたいにして最後の男は地面にくず折れた。

「眼力で失神させたんですか……」

 思わずつぶやく。この人が敵でなくてよかった。

 結局、迎撃に配置されていた連中は、弾の一発も発射することなく、全員やられたのだ。

「制圧した。先を急ぐこと」

 当の本人は息ひとつ乱している様子はない。

 僕らはホールから目的の通路へ入った。狭い道だった。

 なんだろう、すこしだけ、既視感がある。

 うす暗い通路を、急き立てられるようにしながら、僕は走ったことがある。

 ああ――あのとき。

 アーリィを連れてドッグ艦を脱出したときだ。

 僕はアーリィを守ると言う使命を負っていた。

 今も同じ。

 みんなを救うって言う使命を負っている。

 地球を守ってくださいって、アシリアに頼まれた。

 僕は守られてばかりで、甘えてばかりで、そんな、人に頼られる段階じゃないと思っていたけど。

 いつの間にか、僕を中心にして物事が回っていた。

 僕の役割は、いったいなんなのだろうか?

 タケミカヅチの望みを果たすこと。

 それであればいい、と思った。

「ちっ、やっぱりか」

 キリエが短く舌打ちした。目的地の手前。アメノオハバリの図面を見るならば、セキュリティレベルのもっとも高い区画だ。

 通路を曲がった先に、数名の敵が居た。キリエが顔を出して確認したから、もう相手にもこっちがばれているだろう。問題は狭さと、相手が簡易バリケードを築いていることだ。こちらの銃撃は届かず、突っ込もうにも、おそらくクラのスピードでも火線にさらされることになる。

「どうする? 時間は?」キリエが苦い顔で振り向いた。あまりよい状況でないってことだ。

「あと三分です」

「正面から突破するしかないわね。敵は三人。頭まで防弾戦闘服で包んでる。武装度はかなり高いと見ていいわ。クラティナさん、悪いけど、おとりを頼める?」

「わかった」

「敵が照準を合わせようとしている間に、あたしが突撃するわ。一番威力の高い炸裂弾なら、あの戦闘服にも効果があるはず。いい? ふたり同時に出て、そちらが先行して」

 軽く打ち合わせると、ふたりはうなずき合って、曲がり角に飛び出した。

 うまくいくだろうか。普通なら無理だ。もちろん。

 邪神の肉体を持つ人間と、サイボーグ。そのポテンシャルに賭けるしかない。

 クラが走り出そうとする。

 キリエがサブマシンガンの銃口を上げた。

 僕ははっとした。

 その向きが、おかしい――。

「キリエさっ――」

 発砲。

 至近距離から、クラへ向けて。

 閃光と炸裂。

「な――」

「クラ!?」

 僕とアシリアの叫びが重なる。

 かわしようがなかっただろう。クラは頭半分と右腕がふっとんで、壁に叩きつけられた。

 キリエの持つサブマシンガンが、今度はこっちを向く。

 左腕だけが意思をもったような不自然な動作。

 それを見た瞬間、僕は理解した。

 理解したけど状況は変わらない。

 まずい。

トリガーが引かれる。

「くっ!」

 キリエがとっさに右手で銃身をつかみ、弾道が逸れてすぐ脇の床が爆裂した。

 さらに発砲が続いて、キリエは抑えるのに必死になる。

 リコイルにあらがえず、そのまま仰向けに倒れた。

 角の向こうから銃声が数発。重なった。

 なにかが僕の傍へ転がってきた。サブマシンガンを握ったままの左腕だった。

 とっさにアシリアを抱きかかえていた僕は、キリエの方を振り向く。

 バリケードを越えてきた敵が三人、そのうちのひとりがキリエを撃ったようだった。

「ちくしょう!」

 キリエの吠える声が聞こえる。まだ生きている。

「ああ……クラ……」

 アシリアは茫然自失としているようだった。

 なにが起こったのか――。

 キリエの新しくつけた左腕に、なんらかの細工がされていたのは間違いない。

 おそらく、遠隔操作可能なハッキングユニットが仕掛けられていたのだ。

 そこまで、手回ししていたのか。

 僕とアシリアは、小鳥みたいに抱き合っているしかない。

「チェックメイトだぜ」

 戦闘服のひとりが言った。

 この声――。

 この声は!?

 突然、そいつは持っていた銃を仲間に向けると、横合いから発砲した。

「きさまっ!?」

 ひとりは物も言わずに穴だらけになり、もうひとりはひと言だけ遺して撃ち抜かれた。

 僕は叫んだ。

「トウキさん!?」

「トウキ!」

 また、僕の声は重なった。キリエにもわかったようだ。さすがは兄妹。 

「おう」戦闘服のヘルメットを脱ぎ棄てると、その下からトウキの顔が現れた。

「あんた、あたし撃ったでしょう!」どうやら、左腕を吹っ飛ばしたのはトウキだったらしい。

「あんなおかしなもん、さっさと外した方がいいんだよ。他には当ててないだろ?」

 それからクラの倒れた方を見やり、すぐに視線を逸らすと僕らの方へ歩んで、トウキは頭を下げた。

「巫女様、すまん。キリエの腕に仕掛けがあることまで見抜けなかった。あいつは――クラティナは残念だった」

「いえ」アシリアは目を閉じ、一度深く息を吸った。気持ちを切り替えようとしているのだろう。初めて見る仕草だった。「先へ進めると言う事実以外、いまは必要ありません。あなたの方こそ、ご心痛察します。あの子とは、昔――」

「ああ。昔の話だ」

「え、なんですか?」僕は思わず聞いてしまった。

「クラがヤタガラスにいたころの知り合いってだけさ。よし、急ぐぞ。キリエ、動けるか」

「右腕一本でも上等よ」キリエはすでに、サブマシンガンを拾いに行って、右手に持ち替えていた。左腕は組織封鎖して、千切り取るみたいに肩から外している。

「えと、すこし、整理していいですか」僕はトウキに聞く。

「なんだよ」

「トウキさんはヤタガラスの一員で、ライア司令のスパイじゃなかったんですか?」

「ああ、そうだ。スパイさ。ただし、二重スパイってやつだ。アメノオハバリのシステムを落としたのもおれってこと」

「あぁ……なるほど。ジーク艦長も抜かりない」

「アーリィには悪いことをしたよ。あいつがまさかそんなつもりだったとはな。帰ったら殴りつけてやる」

「それはもういいですよ」僕はくすりと笑った。アリスに平手を食らった時の顔が思い出されたからだ。「もう殴られてますから」

 トウキは若干、意外そうに僕を見つめた。

「なるほど……、いや、それでいい」

 ジークがもう殴られていたことに驚いたのではなさそうだった。だから僕は訊ねた。

「僕は変わりましたか?」

「あ? あー、わからないな。ただ、強くなった。そう見える」

「そうですか。……アシリアさん、だいじょうぶですか?」僕は小さな金髪を振り返る。

「はい。もう少しです。参りましょう」

 気丈にアシリアはうなずき、僕らは隊列を整えた。

 倒れたクラを見送ってやる余裕は、いまの僕らに存在しない。トウキに撃たれた敵の兵士だって。

 だれも好き好んで殺したり殺されたり……。

 でも、前に進むって、結局そう言うことで。

 多かれ少なかれ、日常生活でも、僕らは進もうとする先にある、小さな障害物を排除して通っている。そう言うものを振り返って探してみる気がないから、気づかないだけなのだ。徒競走で一番になったやつが、ビリのやつの気持ちを考えたりするだろうか?

 僕はアシリアの引き結んだ口元を見て、それから歩みはじめた。

 それでもいつか、振り返ってみたいと思いながら。

 先頭のトウキがセキュリティ・ゲートを強制解除させる。

 システムが落ちている今だからこそできること。

 いよいよだ。

 次の部屋。

 御神体がそこにある。

 扉の先には――。

「待て。だれかいるぞ」

 鋭くトウキは警告した。

 奥は非常灯の光すらなく、真っ暗だ。どうやって発見したのか……。

「おれたちが最後だったはずだ。まさか……、いや、どうやって?」

「正解だよ、トウキ・ラシャ。入りたまえ諸君。君たちの求める神はここにあらせられる」

 この声は……。

 力強く、魂を鷲掴みにしてくるような声音。

「ライア司令」

「いかにも。少々、暗かったかね」

 奥に灯りが点っていく。壁沿いに青白い、燐が燃えているような光。

 しんがりのキリエが吐き捨てた。

「趣味悪い。なに考えてるの。イカれてる」

 ライアのファンだったんじゃないだろうか? でもまぁ、この状況では嫌いになっても仕方がない。百年の恋だって冷めるだろう。

 元はなんの部屋だったのだろうか――ちょっとしたホールくらいの空間だった。その中央に黒い服を着たオールバックが仁王立ちしていて、入り口と反対側に枯れた巨木が置かれている。幹やその周囲に注連縄が厳重に巻かれていた。

「あれです。あの樹が、八十禍津日神の御神体」

 アシリアが声をひそめて言った。

「司令。ヤタガラスの一員としてあんたの狼藉は許せねぇな。あの組織は天照の直属だったはずだ。あんたが占有するもんじゃねえ」トウキが銃口を向ける。ライアは一見、なにも武器や防具になるものを身に付けていない。

 それなのに、あの余裕はなんだろう。

「ならば、天照による連邦の占有は許せると? この、茶番のような邪神との戦争が天照の一存で行われている事実。なにゆえ地上に秩序が必要だ。生の神イザナギの力が弱まり、死の神イザナミの力が強くなっている。これこそが神の定めた秩序ではないか」

「それでも人間は抗うんだよ。天照はそれに力を貸してくれる。どこがおかしい」

「すべてが。かつて起きた世界の崩壊。『天照の岩戸隠れ』。古事記にはこうあるな。『ここに高天原皆暗く、中つ国ことごとに暗し。これによりて常闇往きき。ここによろづの神の声はさ蝿なす満ち、よろづの災いことごとに起こりき』。地上から光が失われ、黄泉と邪神が溢れた。この破壊がいまの人類には必要なのだ。神を操り、奢り高ぶる人類には。そしてそれを許容する天照……」

「うるさい! 何人が死んだと思ってるの! ふざけないで!」キリエが耐えかねたように叫んだ。

「これから、もっと増える」ライアは静かに口調を落とした。「なにもかもが死に絶えるだろう。そう、破壊を望む神がいらっしゃる。天津神でも、黄泉津神でも、国津神でもない、ただ一柱坐します御神――須佐之男命。根の国の王が!」

「ごたくはもういい、黙って消えろ!」

 トウキがサブマシンガンのトリガーを握った。暫時遅れてキリエも射撃を開始。

 銃声。

 不思議と、うるさくはなかった。

 発砲と閃光。

 飛翔する弾丸。

 その先にいるライア。動かない。

 いや――その口がなにかをつむいだ。

 僕にはなじみの深い音声。

 独特の圧縮された波長の言葉。

「言霊!?」僕は思わず叫んでいた。いや、それは声になったかどうか。

 ライアはゆっくりと手を挙げ、なにかを掴み取った。

 空中で停止した弾丸だ。

 いつの間にか発砲が止んでいた。

 止んでいた、のではなく、停止させられていた。

 動けない。

 これは――アーリィ以上に強力な呪縛。

 指先すら動かない。

「司令……アンドロイドだった……のか……」トウキがようよう、声を絞り出した。

「いや、違うな。マクベス准尉は、知っているか?」

「はい。……僕と同じく、災禍を生き残った人間」

「そうだ。その手の人間のみが、この力を会得できる可能性を持つ。神に選ばれるのだ。私は――」

 ライアは手のひらを上にし、両腕を大きく広げた。

「私は須佐之男。その神意を汲み、神力を行使する者。うつし世の代行者、『現人神』である!」

「くっ……」だれかのうめき声。

 圧倒的な気配がライアから発せられている。

 これはタケミカヅチを脱出するとき、クラから感じた威圧感と同じ種類。

 だけど、桁が違った。

 身体が冷えて、魂が凍ってしまいそうだ。

 まともにライアの姿を見ることすらできない。

「わたくしは信じます」そんな中、アシリアの声。その声は、不思議と、いつもどおりの澄んだものだった。「人類を。神を。そして、あなたを止めることのできる人を」

「ならばその希望から芽を摘もう。いま、ここから、すべてが終わるのだ」

 ライアの振りかざした手に、サブマシンガンから放たれた弾丸が集まっていた。

「碎!」

言霊が発せられる。

集まった弾丸は、スパイラルを描きながら、一本の槍のように――。

僕へと。

「――っ!」

 息を呑む音だけが聞こえた。

 だれの物だっただろう。

 僕のか?



 …………。

 ……。

 真実を話そうと思う、と、栗色の髪の女性が言った。

 サクヤだ。

 連邦の制服ではなく、白と赤に色分けされた袴のような千早を纏っていた。こちらもぴっちりと身に付けている。

 すこし離れたところに正座していて、僕は立ったまま向かい合っていた。

 音はなにも聞こえない。

 静寂の中で言葉は届くのだろうか。

「なんの真実ですか?」僕は聞いた。

「あなたの真実」よどみない答えが返ってくる。「あなたの存在の」

「僕の……」

「ルーン・マクベスは五年前死んでいたの。あの災禍に巻き込まれ、命を落としていた」

「はい。そうじゃないかって、思ってました」

「ただ、その魂は黄泉に堕ちなかった。災禍の発生のような、ひどく時空が歪む現象のとき、まれに魂が違う場所へ入り込むことがあるの。あなたの魂は四次元に迷い込み、神々の領域へ近づいた。それを天津神が拾い上げ――」

 サクヤは言葉を切り、しっかりと僕の目を見た。

「肉体を再構成し、地上へ遣わした。それが現在のあなた。いまのルーン・マクベス」

「よく……わかりません。いったい、僕はなんなのですか?」

「あなたのような存在を、『現人神』と呼んでいる。あなたは神の器。人間に神下ろしするための、御神体なのよ」

「僕が……御神体?」

「神はこの三次元において、非常に多くの制約を受けることになる。科学の発展で、かろうじてコンピューターを介し、物質へ宿ることも可能になったけど、まだまだ、身体をがんじがらめに縛られているのも同じこと。ならば、この三次元でもっとも自由に動ける存在、人間を御神体としてみてはどうか? しかし人間には魂がある。魂がある限り、入れ物には適さない。……もう、わかったかしら」

「僕には魂がない?」

「魂はある。正確には、空っぽの魂が。あなたはなにも感じない。なにも思わない。なにも聞かないし、なにも発信しない。本当はそれだけの存在だった。物質としての肉体と、言霊としての魂、ただの入れ物のはずだった」サクヤはそこで初めて、相好をわずかに崩し、「でも人間って不思議なものね。神様ですら思い通りにはできなかった。神様に選ばれるはずの入れ物が、逆に神様を選んだ。あなたは建御雷神を選択した。そして建御雷神もあなたに選ばれるを好しとした。ここに、もうひとりの現人神が誕生したのよ」

「もうひとり……。つまり、ライア司令も、本当に」

「彼は須佐之男の現人神。荒ぶる神、荒神としての須佐之男がライア司令に降臨している。須佐之男は帰りたがっているの。高天原に。お姉さんの元に。そう……天照に甘えたがっている。それを、叶えて上げましょう」

「それは……どうやって」

「あなたの持つ剣。『神度』は別名、『神門』と書くの。神の門……すなわち鳥居などに代表される、四次元への通り道。神度は時空を切り裂き、四次元を発生させ、それを高天原に繋げる力を持っている。ルーン君。神の剣を振るいなさい。恐れず戦うの。それこそが建御雷神の望みであり、須佐之男の望み。私は信じている。きっと――」

 そこで急速にサクヤの姿が、その周辺が、僕の視野が、ぼやけはじめる。

 そもそも……。

 ここはなんだ?

 僕はどんな場所で、サクヤとしゃべっていた?

 もう見えない。

 思い出せない。

 なにが起こったんだったっけ。

 どこに居たのか……。

 とにかく、戻らなくては。

 そこでやるべきことがある。

 戦うんだ。

 ライア司令と。

 そうでしょう? 建御雷神命。

 戦いこそが、あなたの喜び。

 強敵こそが渇望を満たす。

 きっと僕が、全力でぶつかっていく。

 水底に居るみたいに、歪んだ声が届いた。

「さあ……いまこそ降臨のとき。その身に、偉大な、剣と雷の神霊を――」



 僕は目を開いた。

 いや、もともと、開いてはいた。

 だから、開いたまま、さらに開いた。意識の問題。覚醒。

 ライア司令の放った弾丸が、僕へと向かっていた。

「吧!」

 それを叩き落とす。

 僕の喉から発せられた言霊。

 手足を動かすように。

 計算も、思考すらいらない。

 いまや言霊は、僕の中に満ち満ちていた。

 花畑に舞う蝶のように、身体の隅々を飛び回っている。

「ルーン君……!?」キリエの声が引きつっている。

 なぜだろう、と思ったら、僕の身体がビリビリと帯電したみたいに発光していた。

 それは、たしかに、びっくりする光景だ。

 視線を上げる。

 見据える。

 ライア・ハイゼンベルク。

「手を貸したか、天照……」

 ひとつ唸ると、ライアは地を蹴った。

 そのまま、数十センチの飛翔。

 黒と紫を足したような瘴気が、ライアの全身を覆っていく。

「醒!」

 発せられる言霊。

「哨!」

 迎え撃つ言霊。

 ぶつかり合って、法則を変えながら、空間を白く塗りつぶしていく。

 轟音。

 爆音。

 爆発。

「きゃあっ!」

 背後で悲鳴。アシリアか。

 幸い、入り口は近い。

「下がっていてください!」

「なんだか知らないがわかった!」トウキの返答。

 これで――と思った瞬間、その入り口から、わらわらと戦闘服姿の連中が現れた。

 このタイミングで!

 僕は言霊を放とうとする。

「禮!」

 しかしライアの攻撃が邪魔をする。

 やっぱり――僕がだれかを守るってのは、まだ、早いのか。

 銃声。

 アシリアを庇ってキリエが背中に銃弾を受けた。

 トウキが反撃。

 僕はまだ、ライアの言霊に抑えられている。

 敵の数名がダウン。

 敵の反撃。

 狙いは――。

 そのとき、しかし、さらに入り口からなにかが飛び込んできた。

 それは赤い風を残して、銃口を向ける連中に襲い掛かった。

「クラ!?」

 アシリアだけが正確にそれを見抜いていた。

 残像のような影は銃を叩き落とし、蹴りつけ、殴り倒した。

 ものの数秒の出来事。

「揖!」

 ようやく、ライアの攻撃を弾き返す。たしかに圧倒的な力だった。言霊では勝てない。それは間違いない事実に思えた。

「クラ、無事だったのです……ね?」

 アシリアの喜びの声が、途中で疑問形に変わった。

「はい」それもそのはず、クラは頭半分と右腕が、やっぱり無かった。その断面が黒々としたなにかに覆われ、蠢いている。自分でも若干呆れたように、「私も、ここまで人間離れしているとは思いませんでした。平気です」

「よかった……」この声はキリエ。

「あなたは、だいじょうぶですか?」これはキリエに向けたアシリアの言葉。

「はい。ただの9ミリ程度じゃ壊れません」

「興味深いな。邪神の組織が、そこまでの力を発揮するとは。よほど、天照のやり方よりも、正しい進化だ」ライアは感心しているようだ。クラが、残った片方の目で睨みつける。

「お前は知らない。いや、感じない。絶望のなんたるかを。喜びのなんたるかを。お前の口から出る言葉はすべてが空虚な詭弁だ。讒言で世界を滅ぼせはしない」

「たしかに、それは真実。ただし、すべては神の意思。ならば力でそれを示そう」

 空中から床に降り立つと、ライアは手に何かを握った。

 それは光を集めたように手元から凝縮した輝きを伸ばし、一振りの剣の形状を取った。

 似たような物を見たことがある。

 タケミカヅチの攻性バリア、神度だ。

「その威力のあまり、死者すら蘇ると言う須佐之男の剣、『生太刀』。受けよ!」

 それが振るわれる。みんなの方へ。

 とっさに、まずい、と思った。

「鴛!」

 言霊を放つ。

 爆裂音。

 飛び散る破片。

 なんだ?

 なにが起こった。

 ホールの一角が、爆破されたみたいにえぐられていた。

 ただひとつ無事なのは、僕が言霊で守ったみんなの周囲のみ。

 床も壁も、むちゃくちゃに切り裂かれて、硬そうな床材やその下の電子部品なんかがむき出しになっている。

 ライアから向かって正面のほとんどが、断崖絶壁の亀裂みたいになっていた。

 これは……。

 パラパラと、捲き上がった破片が、雹のように降り注いでくる。

 圧倒されて、全員が声もでない。

「どうした。守るだけか、建御雷神。お前の力はそんなものか」

 ライアは輝く剣を携え、舐めるように僕へ視線を飛ばした。

 あれはただの脅し。

 本当の威力はあんなものじゃない。

 本気を出されたら、僕の言霊では防ぐことはできないだろう。

 だけど。

 そう、ジークが言っていたっけ。

 必殺技はあとで覚醒したほうがおもしろい。

 まあ、実際は、結局、ちっともおもしろくないわけだけど。

 ポケットから、渡された剣の柄を取り出す。

 そこから、ライアと同じように金色の剣が構成されていく。

 これが僕の剣。

 タケミカヅチの剣。

 神剣『神度』。

「受けて立ちますよ」僕の身体から立ち昇る、電撃のような光が、いっそう昂ぶっていく。すこしくらい格好をつけておくべきだろう。「それから言っておきますけど、あなたは僕に勝てない」

 初めて、ライアの表情に素が走ったと思う。

「それは、なにゆえだね?」

「どうして、僕だけがって、ずっと思っていたんです。なにかを守ろうとして守れず、守ってもらってばっかりで、だれかに甘えてばっかりで。それでいて、戦う意欲は人一倍あるんだ。……矛盾ですよね? だけど、」

 構成された金色の光。

 威光を放つ剣。

 僕は八双に構える。

「あなただってそうだったんだ。ライア司令のことを、僕は指しているのか、須佐之男のことを指しているのか……さだかではないけど。あなたは求めている。母親を。姉を。女性の、絶対的な庇護を。そうでしょう?」

 ライアの眉が寄った。僕の言うことが、理解できないのだろう。

 だったら、すぐにわからせてあげよう。

「ライア司令。あなたは、すこし、思い違いをしていたんだ。あなたは現人神。神意を実行する者。だけど、その行動が意図するものまでは、わからなかった。だから――」

 僕は走り出す。

 雷撃の軌跡を描いて。

「この一太刀が、須佐之男の本意を、理解させてくれるでしょう!」

「来るか! 建御雷神!」

 ライアは迎え撃とうと、生太刀を構えようとした。

 その手が――動かない。

 驚愕がライアの表情を彩った。

 僕にはわかっていたし……そう、サクヤにも言われていた。

 須佐之男の望み。

 それを叶えるために、僕は神度を振るう。

 動けないライアめがけて、僕は八双から袈裟懸けに剣を打ち下ろした。

 神度の神力で時空が割り裂かれていく。

 僕はライアではなく、三次元を切ったのだ。

 無理やり開かれた四次元は、一瞬で姿を消し、その歪を直そうとした物理法則が、閃光を発した。

 白光。

 輝き。

 僕が剣を振り下ろし終わったころには――。

 僕の目の前から、ライアの姿が消えていた。

 四次元へと、去って行ったのだ。

 須佐之男の神意のまま……。

 天照の元へ。

 それが、須佐之男の、本当の望みだから。

「あれ……」

 手から剣が滑り落ちる。

 無機質に床へ転がったそれは、もう金色の刃を形成してはいない。

 全身から力が抜けて、僕は膝をついた。

「ルーン君!」駆け寄ってきたキリエが、僕の肩を抱いた。「だいじょうぶ? なにが、起きたの」

「心配ないです。僕たちは勝った、ってことだけ、……」いまや、しゃべるのもおっくうだ。

「ルーンさん。ありがとうございます」

 すこし向こうから聞こえたアシリアの声。いつの間にかうつむいていた僕は、その方を見るために、顔を上げねばならなかった。

「次はわたくしが役目を果たす番。この身を人柱として、八十禍津日神を鎮めましょう」

「アシリア……さん」

「八十禍津日神の禍を直すために、神直毘神が生まれたことはお話しましたね。そのとき、実は、さらにもうひとつ、『厳女いづのめ』と呼ばれる巫女が生まれたのです。それこそがわたくし。不慮の事態のとき、八十禍津日神を鎮める楔の存在」

 アシリアはきびすを返し、注連縄を捲かれた樹へと歩んでいく。

 僕は、なんだかよくわからないけど、内からの衝動に任せて、行こうとするその姿を止めようとした。

 でも力尽きた身体は、バランスを崩して倒れかけ、キリエに支えられるのが関の山だった。

「わたくしは言霊となって、神とひとつになってしまいますけど……。ルーンさん。戦争が終わったら」樹へと手をかけ、アシリアはすこしだけこっちを振り返った。「きっと、また、お茶をしましょうね」

 閃光。

 真っ白い輝きが空間を、僕を、みんなを埋め尽くす。

「アシリアさん!」

 僕はとにかく、叫んだ。

 声になったかどうか。

 でも叫ばずにはいられない。

 なぜなんてわからない。

 それでいい。

 僕は叫ぶんだ。

 大切な人がいなくなるときなんて、きっと、だれもが同じ。

 泣いて、叫んで……。

 あれ?

 でも、僕は。

 涙が出るんだろうか。

 出たらいいな……。

 ああ、真っ白だ。

 なにもかもが。

 すべて。

 白い。

 きっと。

 また。


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