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Nehalem(ネヘイレム)  作者: sillin
Cp1・黄泉津蔓
4/6

Cp4・ ENIALS_2


 周辺の空気が、ざわつきはじめているようだった。

 クラに連れられてアシリアは執務室に消え、僕は近くの部屋で待つように言われた。応接室なのか、他の部屋よりすこしだけ豪華だ。でも革張りのソファはなんだか他人行儀で居心地が悪い。陰のような女の人が気付かないうちに紅茶を持ってきてくれていて、僕はそれを飲みながら時間をつぶした。あいかわらず茶葉のことはさっぱりだけど、すこし歩いた後だったからおいしかった。

 一時間ほどで執務室へ呼ばれた。

 アシリアは憂鬱そうだった。壁の一面が大きな開閉式ディスプレイになっていて、開きっぱなしだった。そこで先ほどまで、ライアと通信していたのだろう。開口一番、意外なことを言った。

「ルーンさん。すぐに準備して、出発していただきます」

「はい。どこへ?」なにがあったのだろう。

「地上の教団施設です。とにかくいまは、身を隠せる場所へ。まもなく――」アシリアは首を小さく振った。なにを払おうとしているのか。「教団母船は砲撃を受けます。それまでに、エニアリスを連れて脱出してください」

 それが苦渋の選択だったことは容易に想像できる、そんな表情だった。

 ライアとの通信でどんな会話があったか、アシリアの表情から逆算してみた。そう多くないパターンが予測された。黙ったアシリアに代わってクラが説明をはじめ、それを裏付けてくれた。

「現在、旧第三師団の叛乱軍は、第二師団と交戦状態にある。叛乱軍は第三師団の艦艇のおよそ七割を獲得。その中には旗艦アメノオハバリ、戦艦十隻、重巡洋艦二十五隻、ドッグ艦二隻が含まれ、つまり、主力のほとんどは敵の手に落ちたと言うことだ。難を逃れた残りの艦は第二師団に統合されているが、そのほとんどは駆逐艦、フリゲート艦で、戦力としては、現状微々たるものとなっている」駆逐艦のミサイル戦法が封印された矢先だ。ミサイルのない駆逐艦など、豆鉄砲で武装した鳩だろう。「新編成の第二師団は指揮系統も混乱し、戦局は芳しくない、と言う話だ」

「戦域は、だいぶ、ここからは離れているはずですが」あの位置からの砲撃が、ここへ届くわけがない。

「ああ。ライア中将はわざわざ、母船を攻撃するために戦艦を一隻派遣したらしい。よくはわからないが、超長距離砲撃が可能な艦だそうだ」

「なるほど。それなら、おそらくは、これでしょうね。――使っても?」アシリアがうなずいたのを確認して、机の上にあるコンピューターの端末を操作する。ネットワークを検索し、公開されているデータを表示させた。

「戦艦タケミナカタ。主砲の有効射程距離は二十万キロメートルです。大鑑巨砲主義者がでっちあげた化け物戦艦ですね」

 どこをどうひねくりまわしても、軍艦には見えない船の映像が表示されている。戦艦タケミナカタ。一番近いのは、そう、電信柱を運ぶ途中のトラックだ。巨大な砲身は全長一キロもある。

「純粋水爆式徹甲榴弾と言うものを使用するそうだ。爆発半径千キロ。わずかでもそれに母船がかすめれば、跡形も残らないらしい」クラの口調だけは淡々としている。メニューを棒読みするウェイトレスが、ちょうどこんな感じだ。

「十二時間後に砲撃が開始されます」アシリアの口調は重い。「中将の要求は、それまでにエニアリスを引き渡すこと。わたくしたちは、なにを犠牲にしても、それだけはできません」

「どうしてですか?」教団にそんな責任があるとは到底思えない。むしろやっかいものを持ち込んだ僕ごと追い出せば済む話だろう。

「叛乱軍は、我が神、八十禍津日神を掌握しています。先日の第一師団壊滅の折の爆発、ご存知ですか? あれは、八十禍津日神が三次元にご降臨なされたときのもの。実に数百年ぶりの顕現です」アシリアはうなずき、立ち上がった。「そうですね。時間はありませんが、すこし、ご説明しましょう」

「お願いします」どうやら、教団に関する事情がなにかありそうだ。

 アシリアが端末を操作すると、ディスプレイには古文書が表示された。僕も見たことがある。古事記の一節が書かれた、古い資料だ。

「八十禍津日神の生い立ちと、『カムナオビ』について。特にカムナオビは、連邦の最高機密に当たります。現状、世界を崩壊させるもっとも有効かつ簡易な手段だからです」

 そう前置きしてから、話し始めた。

「イザナギが死んだ妻のイザナミを追って黄泉の国へ入り、それからほうほうの体で逃げ帰ってきました。これが有名な黄泉渡りの神話ですが、そののち、イザナギは身体についた黄泉の穢れを禊ぎします。その穢れから生まれたのが八十禍津日神。八はとてもたくさん、と言う意味の神聖数字で、禍津日は凶事・災厄の神霊を意味します。そしてその禍々しさがあまりのものであったためでしょう、それを直そうとする神も同時に生まれました。その名を『神直毘神かんなおびのかみ』と言います。このカムナオビが降臨した御神体を、連邦政府は掌握していました。黄泉と高天原の相対バランスが崩れている昨今、自分たちで管理した方がより安全にコントロールできると考えたのでしょう……」

 口ぶりから、その考え方には否定的であることがわかる。たしか以前にも同じことを言っていたはずだ。軍艦に神下ろしをして、邪神と戦うのはおかしいと。

「禍、とはつまり『曲がる』のことで、『直』の反意語に当たります。あくまで人の視点からの意見ですが、生物が生まれて死ぬと言うサイクルを繰り返す世の中である以上、曲りすぎてもいけませんし、また、真っ直ぐになりすぎてもいけない。大切なのはバランスで、それはいままで保たれていました。もし神直毘神の力が弱まれば、八十禍津日神の力が強まり、一種の暴走状態に陥ります。現在の状況は、ここまで進行しています」

 なにが邪神を暴走させたのか。

 アシリアは語った。

「カムナオビを管理していたのが、エニアリスだったのです。カンナオビは膨大な容量のデータと融合するような形で、エニアリスに神下ろしされていた。ライア中将はなんらかの手段でエニアリスに攻撃を仕掛け、それを察知した彼女は逃亡し、たぶん、ジークフリード艦長の手元へ渡ったのでしょう。もしかすると、エニアリスの協力者だったのかもしれません」

 まずそうだろう。そのボディとしてアーリィを用意していたくらいなのだ。周到に時間をかけて、手回ししていたに違いない。

 しかし、そんな大変な事態になっていて、よく戦争を始めたものだ。三日も遅れたと最初は感じたけど、この話を聞いた後だと、三日しか遅らさなかったのか、と思う。きっとライアが開戦をごり押ししたのだろうけど。

「中将は我が祭神を地上へ降臨させ、世界の破壊を行うつもりです。もし地上に八十禍津日神が現れれば、因果律は致命的なまでに負の方向へ傾くでしょう。生きとし生けるものは致死し、地上は黄泉へ堕ちます。そうなれば天照ですら手の施しようはありません」

「あの、質問が」黙っていようかと思ったけど、僕は手を挙げた。「ライア司令はなんでそんなことを? メリットが理解できません」

「おそらくは」アシリアは目を閉じる。「あの方はスサノオに憑かれています。それも、破壊神としてのスサノオに。きっと、お姉さんが恋しくなって、駄々をこねているのでしょう」

「はぁ」意味のわかる回答じゃなかったけど、それ以上説明する気はないようなので、引き下がる。「だいたい、事情はわかりました。でも、脱出する案には賛成できません」

「なぜでしょう?」

「これを見てください」今度は僕が端末で宙域図を表示させた。「ブラックホールへ到達するためのルートです。母船の位置からは、高速艇でも最短で二日。そして間違いなく、最短ルートをふさぐようにして、タケミナカタを配置するはずです。となれば、残されたルートだと、戦局が叛乱軍側に相当不利にならないかぎり、駆逐艦であればどの船でも追いつける計算になります。この母船に、連邦の駆逐艦と渡り合える火力と速度を持つ船は――」

「そんなものはない。母船の船はあくまで自衛を主眼に据えている。速度も航続能力もない。向こうからこちらに来てくれれば、撃退できるだけの火力はあるかもしれないが」クラが答えた。

 宇宙にも道と言うものがある。

 黄泉にはダーク・マターと呼ばれる暗黒物質が存在し、それはまさしく目に見えない。正確に表現すると、レーダーやセンサーに極度に反応しにくく、光も吸収するから、ぶつかってしまうまで気づかないのだ。また、空間の歪みや時空が沸騰している不安定な場所も多く、マイクロブラックホールやワームホールがランダムに生成されていたりもする。

 つまり、安全の確保された道でないかぎり、まったくの五里霧中を崖におびえながらすすむようなものなのだ。

 僕は結論付ける。

「ライア司令はその点も踏まえた上で、脅しをかけてきたんだと思います。僕たちに残された選択肢は、エニアリスを差し出すか、もしくは、それとともに破滅するか、どちらかでしょう」

「差し出すくらいならば、滅ぶのみ……。それでよろしいのですか? ルーンさん」アシリアが僕を見上げる。上目遣いだった。なぜだか、僕は急にアシリアを抱きしめたくなって、その衝動を抑えるのに必死にならなければいけなかった。

 静かにうなずく。

 それから、首を振った。

「現時点で、選択肢はそれだけしかありません。でも、選べる方法って、状況の変化に応じて、増えたり減ったりするものだと思います」

「ええ……一般的には」

「すこし、遅いなとは思ってるんですが。ジーク艦長が無能じゃないことは、僕も知ってますし。あの人の選択肢を想像すると、こうするしかないって、決まりみたいなものなんですよね」

 アシリアが顔に疑問符を浮かべた。

 ちょうどそのタイミングで、部屋の通信機が鳴り、クラが取った。内線のようだった。

「アシリア様」鉄面皮にしては、目を丸くしている。いいタイミングだ。思わず口元が緩んでしまった。「哨戒艇が、着艦要請信号を発する、連邦軍の艦艇を発見したと」

「あら……」聡明なアシリアは、それですべてを悟ったようだ。もしかしたら、僕たちに付け加えられた、新たな選択肢も。「それは、ぜひお寄りいただかなくては。そうでしょう? ルーンさん」

「ええ」

 僕らは顔を見合わせ、微笑みあった。



 三十分後、母船の収容ゲートには、青い駆逐艦が、羽を畳んで鎮座していた。

 高速駆逐艦タケミカヅチ。

 僕の乗る、僕が帰る場所。

 数日離れただけなのに、なんだかなつかしかった。もしかしたら、もう会えないのかも、なんて不吉なことを、心のどこかが考えていたのだろうか。艦を離れることなんて、地上だとしょっちゅうなのに。なつかしい、よりは、うれしい、に近い。

「やあやあ、ルーン・マクベス准尉。おひさしぶりです」多少嫌味ったらしく、ジーク艦長がタラップを降りてくる。たいして久々でもないくせに。続いてサクヤ、キリエ。整備士や作業員の面々。みんな、顔が翳って見える。べったりとした疲労を背負っていた。ここまでやってくるのが、並大抵のことじゃなかったって無言の主張。

「おひさしぶりです、艦長」敬礼する。ジョークには付き合ってやらないと。

「まったく、オペレーター無しに航行するのがこれほど困難とは思いませんでした。おかげで母船を発見するのにえらく手間取ってしまって。どうです? 間に合いましたか?」

「はい。まあ、及第点といったところです」

「おや、手厳しい。こっちはほんと、手が足りなくて足りなくて……。ん、まあ、そんなことはいいのです。過ぎたことは。状況をお教え願えませんか? なにせ隠密行動ですからね。通信も極力控えたので、情報が少ない」

「それでは、こちらへ」アシリアが優雅に誘導する。それから僕へ向けて、「しばらくしたら、お呼びいたします」

「ありがとうございます」僕への気遣いだろう。タケミカヅチを眺めていたいって、顔に書いてあったのかも。

 アシリアに続いてジークはゲートを去り、影のようにサクヤが従って出て行った。あの人も、苦労が多そうだ。ジークの見えない手足になることなんて、僕じゃ想像もできないくらい陰湿な作業。悪い人じゃないけど。

「やぁーっと、ひと息つけるわぁ」

 万感の思いを込めるようにして伸びをしたのは、キリエだ。新しくつけた左腕は、やっぱりいまも白っぽかった。でも、革張りのソファ程度のよそよそしさだから、親しい人以外には違和感がないだろう。

「僕が出たあと、どうなりました?」

「珍しく艦長が荒れててね。珍しくって言うか、冷静さを欠いたあの人を見たのは初めてだったんだけど。それで丸一日くらい無駄にして、そっからがもう、勘弁してよって感じ。第二師団への統合命令を無視して、この教団母船を探すってんだから。叛乱軍にも、連邦軍にも、もちろん邪神にも見つかるわけにはいかないから、ありえないくらいにエネルギーの使用を制限して、しかも半分以下の人間で艦を運用するのよ。ブリッジなんて三人しかいないし。ほんと、神経がすり減った。二度とごめん」

「じゃあ、タケミカヅチは現在、行方不明ってわけだ……」これなら自信を持って選択肢とすることができる。期待通りだった。

「ま、そうね。そっちは?」キリエは聞いたが、そんなに興味はなさそうだった。仕事の大半は終わったと思っているのだろう。本当はここからが仕事の始まりなのに。ちょっと可哀そうだったけど、現状をかいつまんで説明した。母船が狙われていること。タイムリミットがあと十一時間くらい。エニアリスが眠ったままであること……。

 うんざりするのかと思ったけど、案外キリエは素直に聞いていた。興味なさそうだったのは、母船に入ってからがさらにたいへんなんだって、あらかじめわかっていたからのようだ。それがわかって、ちょっと安心した。

 思ったよりも早く呼ばれて、僕とキリエはアシリアの待つ部屋へ向かった。

 今度は執務室じゃなく、もう少し人数の入れる会議用の部屋だった。テーブルの一面がディスプレイになっている。これで部屋の照明を落とせば、映画に出てくるような秘密結社の一室になるだろう。

「結論から申し上げましょう」僕たちが入ってきたのを見計らったか、ジークが自信たっぷりに言い放った。「エニアリスを渡す必要はない。なぜなら、母船が破壊されるおそれはないからです。タケミカヅチが、それを食い止めます」

 そう言えば、サクヤの姿が部屋にない。どこにいったのだろう?

 集まっているのは、僕らタケミカヅチのクルーと、教団側からは、アシリア、クラ、それから見たことのない老人が数人。教団のお偉いさんだろう。

「具体的な方法は?」その老人の中のだれかが口を開いた。

「簡単な話です。実に簡潔。敵の砲弾と正面からぶつかって、破壊すればよいわけです」ジークはわざと、人を食ったように話している。うっぷんでも溜まっているのだろうか。

「艦長。すこし寝たほうがいいんじゃ?」老人たちが騒ぐよりも早く、キリエが呆れて言った。「この二日、寝てないでしょ」

「馬鹿な。ラシャ少尉、睡眠不足にはちがいありませんが、私は正常です。信用できないなら、彼に聞いてみましょう。マクベス准尉、私の作戦は実現可能ですか?」

「はい」僕はうなずく。「充分に可能です」

 キリエがジークに向けていた顔をこっちに振った。そんな目で見るのはやめてほしい。はやいところ補足したほうがよさそうだ。

「説明します。タケミカヅチのメインエンジンと、攻性バリアを使用します。メインエンジン『立氷たちひ』の最大出力によって敵砲弾の速度を上回り、さらに剣状に展開した攻性バリア『神度かむど』で破壊します。砲撃に使用が予測される純粋式水爆徹甲榴弾ですが、水爆の起動は時限式ですので、起爆前の破壊で爆発が起きる可能性はありません」

「ちょ、ちょっと待って――」キリエが片手でこめかみを揉んだ。「たちひ、とか、かむど、とか、はじめて聞いた名前だけど。メインエンジン?」

「はい。タケミカヅチは、いままでサブエンジンのみで稼動していました」

「…………」キリエは黙り込んだ。知らなかったのも無理はない。艦長、副艦長、それから艦の制御を司る僕と、整備士の数名しか知らないのだ。

「なぜ、タケミカヅチのみが、高速駆逐艦と言う独立カテゴリに分類されているのか。これが答えです」ジークが後ろ手に組んで、面々を見回すように歩んだ。「我がタケミカヅチは、バリアを剣として展開し、高速で敵を切り裂く。主砲やミサイルなどただの飾り。この体当り戦法を主眼に置いて開発された、特別な軍艦なのです」

 部屋の中は静まり返った。

 突拍子もない話に驚いたのか、呆れたのか。

 気をよくしたように、ジークは続けた。

「敵砲弾を破壊後、そのままタケミナカタを攻撃します。第二射までは、弾丸装填、及び砲身冷却に十分ほど時間がかかる。十分あれば上等です」

「あの馬鹿でかい戦艦を落とすのですか? 駆逐艦一隻で?」先ほど質問した老人が、笑いながら言った。ジークはメガネを押し上げる。調子が上がってきたようだ。

「ええ。もちろんです。マクベス准尉の言葉を借りるなら、充分に可能だ」

「ジークフリード艦長。貴殿は策略家として名高い。あなたがおっしゃるならそのとおりなのでしょう。ですが我々には根拠が必要なのです。逃げずに戦う価値があると言う根拠が」

「それはタケミカヅチのスペック的なものを見ていただければ充分に足ります。本当は機密なのですが、この際だ。公開しましょう。ただ、それらを眺めて、結論を出していただくまでの時間、その時間がもはや存在しないと言うことは含んでいただきたい」

 ジークはそこでアシリアの方を見た。なんていいタイミング。この卑怯なくらいの流れを作り出す話術は、見習いたい部分だ。もっとも、僕は無口な方だし、詭弁家でもないから、ああいう風にはなれないけれど。なりたいわけでもない。むしろ駐車禁止のプレートばりにお断りだ。

 アシリアはうなずき、そっと立ち上がった。

「長老会のみなさん」老人たちの集団は、長老会と言うらしい。「ジークフリード艦長のお言葉を信じましょう。わたくしたちには、我が祭神を滅びの神として叛乱軍に差し出すか、否か、その選択しかありません。ならばおのずから取る道は決まっています。そのための手段を提供していただける、それだけで充分だと思うのです」

 結局、アシリアの鶴の一声で決まった。

 老人たちはひれ伏すみたいにおじぎして、決定に従う意思を示した。

「それでは詳しい作戦を話し合いましょう。タケミカヅチにも、多少の補給物資をいただきたい」ジークがメガネを押し上げながらテーブルに向かい、備え付けの端末で宙域図を表示させ始めた。テンションが高いようだ。寝てないからだろうか。

 そのとき、入り口の扉が開いた。

 制服をぴっちり着こなしたサクヤが立っていた。この人はいつだって隙がない。泥をかぶったみたいに疲れていたって、磨き上げた鏡のようにきれいだった。服も、姿勢も。

「報告します」改まった口調。「エニアリスが目覚めました」

 一瞬、室内はシンと静まり返った。

 母船の技術者が何日かけても反応がなかったのだ。僕も立ち会ったことがあるけど、自閉しているとしかわからなかった。

「おつかれさまです」ジークには予想できていたようだ。もしかして、サクヤに何か作業をさせていたのか。「それでは、そちらを先にしましょう。みなさん――」

「いえ」サクヤがさえぎった。めずらしいことだ。それから僕へ目を向ける。じっと見つめられて、僕はすこし緊張した。「まず、マクベス准尉に会いたいそうです」

「……そうですか。ええ、わかりました。それが順当でしょう」肩をすくめるようにしてジークは応え、僕へ指示する。「マクベス准尉。お行きなさい。始祖AIに失礼がないように」

「はい」僕は敬礼する。なんだか、そんな雰囲気だったからだ。



 やっぱり、すこし、緊張していた。

 僕だってプログラマーの端くれで、その視点から見ると始祖AIなんて存在は本当に伝説のような存在、たとえばライア司令に会ったときだって僕はぜんぜん緊張していなかったけど、いまは心拍数が上がって手に汗をかくくらい。どっちとも雲の上には違いないけれど、それなら僕は軍人としてよりプログラマーの自分にアイデンティティを持っているのか、と自己確認できる。軍人なら普通、ライアと会うときに緊張するものだろう。

 でも……。

 そんなことよりも、アーリィの姿をした存在と相対することに、緊張しているのかもしれない。

 もしかして、急に哀しくなって混乱してしまうかも。そんな危惧が僕の心拍数を早めているようにも思う。普通でいられるだろうか? でも、僕にとって普通ってなんだろう。心がフラットであること。思考が乱れず、一貫していること。心臓の脈拍が一定数であること。どれも今現在に於いて当てはまらない。僕は普通じゃない。普通じゃないまま、会いに行っていいのだろうか。

 斜め前方を歩くサクヤに目を向ける。

 さっきも思ったけど、この人は本当に揺るぎない。乱れたところや、ちょっとでもぶれたところを見たことがない。ヒールの立てる音のリズムは等間隔だし、まっすぐに下ろした栗色の髪はそよ風にはためくカーテンのようだ。しかし、なにもかも完璧なのだけど、一見してそうじゃないところがミソなのだ。そう、ほら、文化財のお城の石垣だって、どんなに叩いても蹴ってもぐらりとしないけど、それを構成している石は不揃いにばらばらで、ぱっと見は不安定に感じる。それと同じ。だから周りと自然に溶け込んでいるし、関係も円滑に行く。だけど実は、精緻なパズルのように組み合わさって動かないのだ。

 そんな栓のないことに脳を使っているうちに、サクヤが足を止めた。僕が来たことのない場所だ。客間、と言うか、ゲストルームと言った方がいいか、そんな感じの部屋。ノックをして、やはり礼儀正しい声で告げる。

「マクベス准尉をお連れしました」

「入れ」

 まだ聞き慣れない、でも聞いたことのあるアーリィの声。心臓が冷蔵庫に入ったみたいに冷たい。でもバクバクと速い。サクヤが僕を見てうなずいた。

「失礼します」

 声は普通に出た。だいじょうぶ。ノブを回し室内へ入る。部屋の窓は大きくて、充分な光が取り込まれていた。その窓際にテーブル。そして人影。

 アーリィ。

 椅子に腰掛け、手にはカップを持ち、生きて、動いている。

 腹の底に何か熱いものが膨れ上がっていることに気が付いた。これはなんだ? はじめての経験だった。どうやらそいつは、そのまま胃を突きあがって、食道を通り抜け、喉から口の外へ飛び出したいみたいだった。

 たぶん、叫び声になるだろう。だから僕はがまんした。飲み込むみたいに、ぐっと拳を握って。

「私はコーヒーが好きだ」おかげで、次にエニアリスが口を開いたころには、もう衝動は収まって、多少落ち着いて話を聞くことができた。「人型に入ると、目覚めには必ず飲むことにしている。している、と言うより、そう欲求される。この作業で物質世界が認識されていく。コーヒーは数十年ぶりだ。もう飲むこともないと思っていた。その点だけは、あの男に感謝するとしよう」

 エニアリスはカップを傾けながら、独白のように続けている。僕の方へは、まだ視線すら飛ばしていない。ようやく、相手を観察する余力が持てた。長袖の軍服をきちんと身に付けている。スカートではなくパンツタイプのアンダーで、これは昔、集合写真を撮るときにアーリィが着ているのを見たことがあった。艦内で制服姿だったところを見たことがなかったから、ここまで持ち込んでいたことに驚きだ。金髪は三つ編みにまとめて、簡素に背中から垂れていた。

 これはもう、アーリィじゃない。

 やっと、実感が沸いた。頭ではわかっていたけど、わかっていただけだったんだと気が付いた。同時にさっきの熱い塊は、腹の底に落ちて行って、薬で散らしたみたいに霧散していった。虚しく、黒々と。僕の一番深いあたりに、広がって散った。

「自己紹介しよう。私はエニアリス。階級は特務大尉、二階級上の中佐扱いだ。名前を呼ぶときはアリスとしてくれ。いつも最初に言うのだが、私はエニアリスと言う名前が好きではない。始祖機械エニアックを女性形にもじっただけのものだからだ。私が生まれた当時は色々と実験段階で、もの扱いだったことに不満はないのだが、あの真空管の化け物の発展形に並べられるのはどうにもがまんならない。……ああ、私は真空管が嫌いでね。あれは脆すぎる」

 どうも、エニアリス――アリスは饒舌な性格のようだった。僕は言葉が切れるのを待って、敬礼した。

「ルーン・マクベス准尉です」

「マクベス准尉。君はこのボディの持ち主と特に親しい。だからはじめに会っておこうと思った。君はタケミカヅチにとって重要な人材だ。同じ姿をした他人がうろついて、なにか動揺があってはならないと思ってね」

「お心遣い、感謝します」

「その様子だと、もう理解したかね? 私がアーリィではなく、エニアリスだと」

「はい」

「よろしい」アリスはコーヒーをもう一口含むと、立ち上がった。砂糖とミルクは入っているだろうか、とすこし気になった。サクヤの方へ顔を向けて、「それでは他の者をここへ。多くてもいけないな、艦長、巫女、あとは必要と思うもの数名のみ連れてくるように」

「了解いたしました」サクヤは敬礼してドアを抜けて行った。

 部屋には僕とアリスだけが残った。お互い立ったままだ。サクヤの足音が通路の向こうへ消えたころ、アリスは僕をじっと見て言った。

「マクベス准尉。こちらへ」部屋には腰掛ける場所がテーブルの椅子の数脚しかない。そこへ座れと言うのだろう。だが違った。アリスは僕の目を見たまま言った。「私の目の前に立て」

 指示どおり目前に立つ。アリスは腕を後ろに組んだまま、直立している。僕と背丈は同じくらいだ。正面から見つめあうかっこうになる。そう言えば、アーリィとも、顔を付き合わせて見つめあったことはない。まあ、恋人でもない限り、そう言うことはあまりないだろう。でも、目が違うと思った。目つきが。丸くなくて、四角いと言うか。同じ部品なのに。やっぱり、違うのだ。

「もうすこし前へ」言われて、前に出る。距離は三十センチを切った。「もう一歩進め」

 そうしたら、本当に鼻がくっつきそうなほどになった。拳ひとつ分くらいしか隙間がない。そのまま、相手の目を見る。僕はどんな顔をしているだろう。それを瞳の表面から見つけようとした。でも残念ながら僕は窓から逆光で、アリスならそれをできただろう、と気づいただけに終わった。

 そのとき、突然腕が回されて、僕は抱き寄せられていた。頭の後ろを押さえつけられて、アリスの首筋に鼻が埋まる。もう片方の手は背中にあった。

 僕はじっとしていた。

かすれるような声が言った。

「ずっと、こうしてみたかったって、アーリィが」

 はっと、息を呑む。僕の喉が。

「私はエニアリスだが、アーリィのすべてを含んでいる。私たちAIやアンドロイドは死んで魂が落ちても、記憶がハードに残ってしまうんだ。遺伝情報しか残さない人間は、きれいな死に方でうらやましいよ。だが、そのおかげで、死んでしまったものの遺志を知ることができる。なんのなぐさめにもならないけど、こうやって、できなかったことを果たしてあげることだって……」

 そう言って、アリスは僕を抱く腕に力を込めた。

 この、ふんわりとした匂いは、まぎれもなくアーリィのものだ。

 そう認識したとたん、僕の心はめちゃめちゃに乱れた。

アーリィの過去の姿が、いくつもいくつも明滅した。思考はかき回され、ノイズのスープみたいになった。わけのわからない、体験したことのない感情が渦巻いた。どうしたらいいかわからずに、僕はしがみつくみたいにして、目の前の身体に手を回すしかできなかった。

 心の奥底で、なにかが蠢くみたいに身じろぎしていた。

 ひょっとしたら、僕は泣きたかったんじゃないだろうか。

 僕にも……。

 僕にだって、そう思うことがあっても、いいじゃないか。

 だけど涙はでない。一滴も。

 なんて、無駄な生物。

 あくびを我慢したり、足の小指をぶつけたりしたら、涙のひとつも出ると言うのに。

 必要なときに必要なものが存在しないなんて。

 本当にほしいのに。

 嫌になる。

 まったく、僕は……。

 でも。

頭と背中の手が、やさしく上下して。

僕は心地よさと安堵を思い出し。

この暴力的な嵐の中、徐々に、停泊すべき港を見つけていくことができた。

それは、母親の手に導かれる、稚児のような。

いや……それとも、もっと別の。

愛情とか……。

「さ、過去の清算は終わりだ」

 僕が自分を取り戻したころ、ポンと背を叩いて、アリスは離脱した。

 僕も離れる。シールの裏紙みたいにうまくいった。あれはなかなか、よくできているものだ。離れるまでは意地でもくっついているくせに、一度はがすともうくっつかない。

 僕もそう在れると、はっきり理解した。



 しばらく経ってドアをくぐり抜けてきたのは、ジークとアシリア、それからキリエ、案内人のサクヤ。それだけかと思ったら、背の高い幽霊みたいにクラもいた。目立つのに気配がないって、すごい特技だと思う。

 エニアリスは僕のときと同じように、饒舌な自己紹介をした。ジークとはどうも既知の間柄のようだった。アシリアが優雅に名乗り、キリエが若干緊張しながら敬礼し終わって、すべてを聞き終わるとアリスは言った。

「ジークフリード・ハヤカワ少佐。私の前に立て」

 僕のときと同じだ。なにをするのだろう。まさか抱きしめるってことは……。

 と思いきや、いきなりアリスはジークを殴った。平手だった。

 派手な音がして、ジークはたたらを踏む。思わず肩をすくめてしまうほどだった。

僕はびっくりして、殴った方と殴られた方を交互に見回した。ジークの頬は赤くなっていて、メガネがずれていた。表情はよくわからない。

アリスは睥睨するみたいに睨みつけて、言い放った。

「お前のやり口は気に食わない。いまのはその分の因果応報だ。受け取れ」

「はい。ありがとうございます」すばやくメガネを直し、ジークは直立した。やっぱり、表情はよくわからない。

「非常に合理的で効率的な手段だ。事態はすこし変動したようだが、最大に効果的なものであると評価する。私の救出も含め、よくやってくれた」アリスは睨んだまま、褒めた。

「はい。ありがとうございます」

 僕はふたりのやり取りがよくわからなくてアシリアを見た。アシリアはジークの赤く腫れた頬を気にしているようだった。そのとなりのキリエが変な顔をしていたから、これはわからないのが当たり前だろう、たぶん。

 微妙な沈黙が一時流れ、それから気持ちを切り替えたようにアリスは腕を後ろ手に回すと、窓の方へ数歩歩いた。足音は特にない。ヒールの靴ではないからだ。

「私もライア中将の叛意には憂慮する。特に、私へのウイルス攻撃による『カムナオビ』のバランス崩壊は、あってはならない最悪の行為だ。これを許すを良しとせず、さらに地上への八十禍津日神の降臨を阻止すべし、現段階での私の立場はこのようなものだ。私にできることがあるならば惜しみなく協力しよう。ただし――」そこでアリスは振り返り、三つ編みが飛ぶように跳ねた。「私が協力するのは、ルーン・マクベス准尉の行動のみとする。マクベス准尉。君が進むべき道、取るべき方法、選ぶべき未来、私はそれを実現するための、一助となろう」

 鳶色の瞳が射抜くように僕を見据えている。輝いた、清々しい、窓の向こうからの光よりも鮮やかな。

 僕が?

 申し訳ないけれど、僕には疑問だけしか浮かばなかった。

 いったい、僕が何の助力を必要として、何をすると言うのだろう。

 僕はただ、船に、タケミカヅチに乗るだけ。

 そのためにここにいるだけなのだ。

「……仕方ありませんねぇ、准尉」苦笑気味に、ジークが進み出た。「少々屈辱ですが、認めましょう。私は君に敗北した。私が計算と予測を幾重にも重ね、何年もの時間をかけて準備して来たことは、君が気づかないうちに築き上げてきたあまたのものに敗北したのです。しかし敗れたとは言え、私も積み重ねてきたことをふいにするつもりはないし、また、ライア司令を止めねばならないと言う使命も忘れるつもりはありません。私もまた、君に協力しましょう。誓ってもいい。私は全力を持って君を支援する。マクベス准尉」

 ひょっとしたら、僕は目を白黒させていたかもしれない。

 ついさっきまで、みんなの視線はアリスへ向けられていたのに、いまやそのすべては僕のところにあった。アリスは見据え、ジークは苦笑い。アシリアは穏やかで、クラは無表情。キリエだけがちょっと僕に近い。きょとんとした顔。

「まだ、わからないかしら」そしてサクヤが口を開いた。「ルーン君。あなたは前に、自分で言ったよね。みんなの中心にいるって」

 僕はうなずいた。覚えはあった。どうしてそんなことを言ったのか、もう思い出せないけど。

 サクヤは続ける。

 唄うように。

 眠るように。

「それはきっと、今日の日の予言。見て、ここにいる人たちを。アリス大尉も、ジーク艦長も、あなたの力となってくれる。教団の巫女様とも、あなたはお友達。ライア司令を止めるための力は、すべて、あなたの手の中にある……」

 なるほど……そうか。

 いまの僕には力がある、と言うこと。

 ライア司令と戦うことのできる力が。

 だけど。

 なぜ、僕が中心にいるのか。

 どうしてもわからない。

 僕が僕であること。

 そんな簡単なことすらわからない、この僕が。

 どうして?

 僕には記憶がない。

 僕には過去がない。

 僕が僕である意義なんて、ないものと思っていた。

 他の誰か他人が僕だったとしても、かまわないんだって。おどろかないって。

 でも……。

集まった視線を、ひとつひとつ、見返していく。

 たしかにいま、僕は、中心にいる。

 こんなに、確固たる存在感で、この場に立っているのに。

 僕が存在しないなんてこと、あるのだろうか?

 それでも僕は、何も感じない。

 何も感じることができない。

 だけどただひとつだけ、わかることがある。

 僕が存在するとすれば、そう。

 すべてはたったひとつのこと。

「僕は、タケミカヅチと共に在ります。それだけです」

それだけ。

 それだけが望み。

 それが果されるから、軍にいるし。

 それが果されるよう、さまざまな人間関係を、保っている。

 僕はただ、そのためだけにいる。

 溜まっているだけの力。

 ここにあるだけの……、岩に刺さった剣も同じ。

「ついに、このときが来ましたね」アシリアが微笑を浮かべ、ゆったりと歩み出た。なぜだろう、僕はその顔を見たとき、もう予感していたように思う。「わたくしの頼みを、聞いていただけますか?」

「はい」僕は応えた。揺ぎ無い。僕もまた、こんなにも揺るがないものだったのだ。それはなぜだ? みんなの視線が僕を支えているから? 使命が上から引っ張っているから? それとも――僕は……。

 アシリアは足元に跪く。神に仕える巫女が、神以外のものに。そして言った。

「どうか、わたくしたちをお救いください。地球を守ってください。ルーンさん」

 その言葉が、つかみ取る大きな手となり――。

 僕は応えた。

「はい。守ります。僕のすべてを賭けて」

 いま、剣は取られた。

 僕は抜き放たれたのだ。


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