(9)クアラタハン、深田恭子似、そして名探偵ネル〈本格派的ミステリーの巻〉
さて、二人と二匹でマンションの空き地から旅立った一行は行方不明者1名、変身事案2件を経て、三人の少女として(ただし一名は見た目少女の少年)クアラタハンの桟橋に降り立ちました。
すなわち、
つぶらな瞳とショート・ヘア―、白いワンピース姿の中学生ネル、
烏天狗の装束を身に着けた可憐な少女すず子(既に嘴はありません)、
そして鎧兜を身に纏い、義元左文字を腰に差した見た目凛々しい美少女、でも中身は少年のカブちゃん、の三人です。
三人は桟橋から河岸の急な階段を上って、瀟洒なバンガローの立ち並ぶリゾートホテルに足を踏み入れました。
チェックインカウンターで出迎えてくれたのはスキンヘッドのフロントマンでした。
「ようこそ、タマンネガラのジャングルへ。おやおや、お美しい三姉妹でいらっしゃいますか。珍しいことで」
フロントマンは三人を見て目を細めました。
知らない人が見たら三姉妹に見えるのでしょう。
カブちゃんはよっぽど
「確かにボクは女の子に見えて胸だって全くない訳じゃないけど、れっきとした男だよ。しかも元々はオスのカブト虫なんだぜ」
と言ってやろうかと思いましたが、相手を納得させる自信がなかったのでやめました。
すず子はと言いますと「こんな烏天狗みたいな格好をしているけれど、女の子に見てくれて良かった」と密かに胸を撫で下ろしていました。
チェックインの手続きをし、夕食や朝食の説明などを聞いた後で、ネルはスキンヘッドのフロントマンにおじいちゃんの消息について尋ねてみました。
以前に貰ったおじいちゃんからの手紙によると、おじいちゃんのいるところはタマンネガラの中でも、人があまり足を踏み入れないジャングルの奥地であるということでした。
でも、たまにクアラタハンまで生活必需品のマッチとか大好物のチョコレートを買いに行っているとのことでした。
「ああ、あの日本人の探検家のことならもちろん知ってますとも」スキンヘッドは頭を撫でまわしながら言いました。
「絶滅したはずのピテカントロプスだったかホモ・エレクトスだったかの生き残りを探していると言っていましたね。
タマンネガラのジャングルには昔からオランウータン人間伝説があって、彼はそれがそのホモ・エレクトスだかの生き残りに違いないと睨んでいるんですよ。
彼はジャングルのずっと奥地を拠点に探索しているようですけど、このホテルの少し先にあるキャンプ場に時々出没しますよ。
キャンプ場には何年もそこに住み着いているような連中が沢山いますから、連中に聞いてみたら何か分かるんじゃないですか?」
その時フロントの電話のベルが鳴り、スキンヘッドは「失礼」とネルたちに断わって電話を取りました。
「はい。はい。奥様、先程は大変失礼致しました。えっ、またですか! はい、申し訳ございません。ですが、それはちょっと……はい、分かりました。只今すぐに参ります」
スキンヘッドの頭が赤くなったり青くなったりしています。
まるで金魚鉢の中で大きな赤い魚と青い魚がグルグル泳ぎ回っているようです。
「すいません。部屋にカメムシが出たというお客様がいて、私、すぐに行きませんと」
スキンヘッドはオロオロしています。
「分かりました。おじいちゃんの情報ありがとうございます。明日になったらキャンプ場に行ってみます」
ネルは、慌てて駆け出したスキンヘッドの背中に向けて声を掛けました。
三人はフロントで渡されたキーを持ってバンガローがある方へ歩いて行きました。
キーにぶら下がっている楕円形の木片にはA―7と書かれています。
フロントのある建物から外に出ると、真っ赤な花を咲かせているブーゲンビリアや、細長い葉を扇のように広げているいかにも熱帯っぽい植物などに縁どられた道がバンガローの立ち並ぶ方に伸びていました。
道端の樹に大きな極彩色のサイチョウ(頭と嘴は黄色、喉は青、身体は黒、尾羽は白、大きな嘴の上に真っ赤なマンゴーみたいな出っ張りがあります)が止まっていました。
手が届く位近くです。
「まさか、本物じゃないよね?」すず子が言いました。
「まさか。ディズニーランドのジャングルクルーズで客に向かって『おはよー』とか言ってるやつじゃない? 作りものよ」ネルが言いました。(それはオウムじゃね?)
「本物だったりして」そう言ってカブちゃんがふざけて差していた義元左文字に手を掛けました。
するとじっと動かなかったサイチョウが突然大きな羽根を広げて、バッサバッサと飛び立ったではありませんか。
すず子は驚いて持っていた錫杖を取り落とし、カブちゃんの被っていた兜の立物が外れそうになりました。
ネルはずっこけて、ポケットからチェキ撮影でゲットした万札が2枚落ちました。
サイチョウの巻き起こした風に飛ばされた万札2枚を追い掛けていくと、丁度万札を捕まえた所がA―7のバンガローの前でした。
さて、ここで唐突に物語はホテルのレストランでの夕食の場面に移る訳ですが、作品の品位を維持する為に削除された記述がある可能性を示唆するに留めることと致します。
「こんなところだって知っていたらペナン島から予定通り家に帰っていた方が良かったわ。
もう、何よあのバンガロー、カメムシだらけじゃない。あんなところで寝られると思う?」
ゼブラ柄のワンピースを着た太った中年の白人女性が、夕食をとるネルたちの隣のテーブルで不満をぶちまけています。
「でも、ここへ来ようって言ったのは君だよ」
高価であるということを強調している様なごつい金色の腕時計をはめたチョビ髭の旦那がうんざりした様子で相手をしています。
「だって、あのペナン島のイタリア人青年がタマンネガラでの経験がとても素晴らしかったって力説するから。
きっと、あなたは自分の中の奔放さを解放することになるって」
奥さんは、「イタリア人青年」というところで夢見るようなとろけた表情になります。
「あいつ奔放さだなんて、思わせぶりなことを言いやがって。
とりあえず今日キャノピーウォーク(ジャングルの高木に架けられた吊り橋を歩くアクティビティ)は行ったんだから、明日はもう帰ろうよ」チョビ髭が言います。
「そうね、でも、帰りはもうあの暴走ボートは嫌よ。あの船頭の顔は二度と見たくないの」
「向こうもそう思ってると思うよ。
ところで、陸路で帰るとなると車をチャーターしなきゃならないらしいよ」
「チャーターだろうがなんだろうが、とにかく私はあのボートには絶対乗りません!」
左右10本の指のうち8本に大きな宝石のついた指輪を嵌めた奥さんは手をひらひら振り回しながら言い放ちました。
ネルは地下アイドルの現場にいた扇型のサイリウムを振り回すオタクを思い出さずにはいられませんでした。
マレーシア料理を食べ終わると、ネルたちはまたさっき来た道を通ってバンガローに戻りました。
切り絵のようなジャングルの黒いシルエットに、夕焼の最後の熾火が吸い込まれてゆくところでした。
フットライトに照らされた道を歩いていると、熱帯の高温・高湿度の大気に触れた身体から汗がどっと噴き出してきました。
汗はさっき食べたマレーシア料理のココナッツや香辛料の良い香りを含んでいました。
しかし、やっぱり汗は汗ですから、さすがにもう一度シャワーを浴びる必要がある訳です。
「大丈夫です」
ネルの軽蔑しきったつぶやきで、チャンスはあっけなく潰えました。
その晩、バンガローに襲い掛かろうとしているかのように迫っているジャングルの奥から、何かの獣の鳴き声がしきりに響いてきて、三人は不気味で中々寝付くことが出来ませんでした。
ジャングルにはマレートラやスマトラサイやアジアゾウ、それにオランウータン人間もいるということでしたからね。
でも、色々あって疲れ切っていた三人はいつの間にか眠りに落ちたようでした。
次の日の明け方、目を覚ましたネルがベッドの中でぬくぬくとしていると、あちこちから鳥の囀りが聞こえてきました。
そういえば夜中に風雨の音がひどくしていました。ブーゲンビリアの花はどれだけ散ってしまったのでしょうか?
ネルが隣りのベッドに目をやると鎧兜を脱いでTシャツと短パン姿のカブちゃんが、ガバーっと大の字になって寝ていました。
ネルは、妹のぺしゃんこの蛙姿を思い出しました。
そして、お母さんのことを思ってしまいます。
《おじいちゃんに「誰でも上手に弾ける魔法のベース」を借りることが出来たら、そしておとうさんがベースを上手に弾けるようになったらお母さん戻って来てくれるかな?
アイロンズなんかより家族バンドの方が絶対楽しいよ。
お母さん、早く帰って来て。
そして家族のバンドでステージに立とうよ》
お母さんのことを思うとネルは涙が出ちゃうのです。
だって女の子だもん。
それからネルはすず子とカブちゃんを残して外の空気を吸いにバンガローを出ました。
バンガローの前の芝生の葉の一本一本の先に朝露が降りて、清々しい朝の光を内包していました。
ブラブラ歩いていると河沿いにひと際高い樹が一本そびえていました。
樹には真っ赤に熟したプラム位の大きさの実が沢山成っています。
小さなハチスズメから大きなゴイサギまで、色んな種類の鳥が、チュンチュンだとかギャーギャーだとか啼きながら夢中で実をつついています。
そんな光景を見ながら河に近づいて行ったネルが急に声を上げました。
「あっ、あれは!」
ネルは河岸に続く下り坂の下に、すなわち河に突き出した洗濯場の板の上に、人が倒れているのを発見したのです。
ネルは慌ててててってってっと坂を下って行きました。
具合が悪くて倒れている人であったら助けてあげなくてはいけません。
しかし、そこに倒れていたのはゼブラ柄のワンピースを着た女性の死体でした。
腹に大きな穴がぽっかり開いていてそこから赤黒い血が流れた跡が残っています。
指に付けた8個の指輪が、朝日を浴びて赤や青や緑や、あるいは煌びやかな透明に輝いています。
そうです。昨日ディナーの時に隣りのテーブルに座っていたあのご婦人でした。
ネルは踵を返してホテルのフロントに人を呼びに走り出しました。
それから3時間後のことです。
ホテルのフロントの前に集まっていたのは、ネル、すず子、カブちゃん、殺されたご婦人のチョビ髭旦那、スキンヘッドのフロントマン、それに連絡を受けてクアラテンべリンから来た地元の刑事が1人でした。
そして皆が取り巻いているのは毛布にくるまったご婦人の死体です。
刑事が毛布の裾からチラリと中を見て厳かに言いました。
「これは、明らかに殺人です」
そんなことはモチのロンです。
「犯人は?」カブちゃんが刑事に真剣な眼差しを送りました。
「先程ここにいる方たち全員に事情聴取を行いましたが、皆さん自分ではないとハッキリおっしゃっています。
私もこの中に犯人はいないと確信しています」
ヨレヨレのコートを羽織った刑事が火のついていないパイプを片手に言いました。
「どうして……なのですか?」すず子の声は恐怖で震えていました。
「はっはっは。これは刑事の勘としか言いようがありませんね」
勘で確信してしまうのでしょうか?
「この事件は恐らく迷宮入りするでしょう」刑事は自信たっぷりに言いました。
「では、私はこれで失礼します」刑事はそう言ってフロントから立ち去ろうとします。
「ちょっと待って!」
その時、ネルが叫びました。
「犯人はこの中にいるわ!」
ネルの力強い声がフロントに響き渡りました。
「この中に?」皆は驚いてお互いの顔を見回しました。
「そう、この中によ」
ネルはそう言って一人一人を指差していきました。
その指が被害者の旦那の前でピタリと止まりました。
「ワシではない! 断じてワシではない!」
旦那はわなわなと膝から崩れ落ちました。
小便が漏れて黄色い池がフロアに広がって行きました。
しかしネルは差していた指をもう一度逆に動かし始めました。
そして、スキンヘッドのフロントマンの顔の前でピタリと止めました。
「私ではありません! 本当です。信じて下さい!」
そう言ってスキンヘッドは床にぺたりと尻をつきました。
尻から茶色い液状のものが漏れて池を作りました。
しかし、ネルは更に指を動かしました。
そしてピタリと止めると言い放ったのです。
「犯人はあなたよ!」
ネルが指差したのはカウンターの前に立っていた一人の男でした。
それはさっきクアラテンべリンから刑事をボートに乗せて運んで来た、あの腕にサソリの刺青を入れている暴走船頭でした。
船頭が脱兎のごとく逃げ出しました。
「待って!」
ネルが大声を出しましたが、もちろん船頭が待つはずもありません。
その時、すず子が持っていた錫杖をシャンシャンと音を立てて床に突きました。
まだ身体の震えは止まっていませんでしたが、力を振り絞って突いたのです。
するとどうでしょう。走っていた船頭が固まって動かなくなったではありませんか。
すず子が烏天狗の妖術を使ったのでした。
すず子は錫杖の先を固まった船頭に向け、皆のいる方に移動させると、船頭は引きずられてきました。
そして船頭は黄色い池と茶色い池がまるでしゃぶしゃぶの二色鍋のようになっている所の真ん中にバタリと倒れました。
「船頭さんが犯人なの?」カブちゃんが驚いて言いました。
「違う! オレじゃない。
オレにはアリバイがあるんだ。
昨日の夕方から今朝までクアラテンべリンにいたっていうアリバイが。
オレは深田恭子似の妻と『ハリーポッターと賢者の石』の頃のダニエル・ラドクリフ似の息子とずっと一緒にいたんだよ。
妻に聞いてみてくれ!」
船頭は必死に首を横に振ります。
(この物語が映画化される際には、深田恭子似の妻の役は深田恭子が起用されることになります)
「往生際が悪いわね。今、証拠を見せてあげるわ。待ってなさい。
すず子、ちょっと彼をしゃぶしゃぶしててくれる?」
すず子はガッテンダとばかりに頷くと、錫杖を投げて暴走船頭の襟元に突き刺しました。
錫杖は暴走船頭をぶら下げると、黄色い池と茶色い池に交互にしゃぶしゃぶし始めました。
けっして食欲をそそられる光景ではありませんでしたけどね。
ネルはフロントのある建物を出て、桟橋に続く階段を降りて行きました。
戻って来たネルが手にしていたものは、そうです、暴走船頭のボートに付いていたあの巨大なハンドブレンダーの様な形状のエンジンとスクリューです。
ネルは死体を覆っていた毛布をまくり、死体の腹にぽっかり開いていた穴に、スクリューを突っ込みました。
「ピッタリだ!」皆は一斉に感嘆の声を上げました。
「畜生!」しゃぶしゃぶされながら船頭が叫びました。
「この女が昨日オレのこの素晴らしいエンジンとオレの天才的操縦技術を散々こき下ろすから。
思い出す度にそれが悔しくて、怒りを抑えることが出来なかったんだよ!」
船頭はガックリと肩を落としました。
「これで一件落着ですな」刑事が船頭の手に手錠を掛けました。
「では、さっさと戻ることにしますかな。
うちのカミさんが家でカレーを作って待っているんでね。
ほら、お前はエンジンを持って来い。
帰りもお前がボートを出すんだよ!」
刑事は船頭にエンジン・スクリューを持たせると河へ降りて行きました。
すず子が尊敬の眼差しをネルに向けました。
「でも、ネル、良く犯人が分かったわね。凄いわ」
「へへ、名探偵ネルの誕生ね。
でも、実は筆者さんにこっそり犯人を教えて貰っちゃったんだ」
ネルはそう言うとワンピースのスカートの裾を持ってくるりと一回りしてポーズを取りました。
「えっー、ネル、依怙贔屓して貰ってるんじゃないの?!」
カブちゃんが口を尖らせました。
【つづく】




