(6)隕石、後ろ回し蹴り、そしてジャン・ジャコブ・アスター/キング・スイートグーデンビュー
ブラブラ歩いていると、また、いのあたま公園の池のほとりに出ました。
「ところで次はどこへ行く?」
ネルの肩に乗っているすず子が皆に声を掛けました。
「私、実は行きたい所があるんだ……」
ネルが考えを巡らせながら口を開きました。
「どこ?」
残りの二匹と一人が同時に声を上げます。
「タマンネガラ」とネル。
「はっ???」
皆の視線が宙を泳ぎました。
「たまんねーから?」
管理人が東北弁のアクセントで復唱しました。
「家族でバンドを組んでライブをするのが我が家の夢なんだけどね、でも、うちのお父さん、どうしてもベースを上手く弾けるようにならないの。
で、今は探検家で昔はベーシストだったおじいちゃんが、マレーシアのタマンネガラっていうところのジャングルにいるはずなんだけど、そのおじいちゃんが持っている『誰でも上手に弾ける魔法のベース』というのを、お父さんの為に貸して貰いに行きたいんだ」
ネルは、そのことにお母さんを家族の元に引き戻す願いも込めているということは話さずに置きました。
「いいわね。そこ行ってみたいな」
すず子はまだ見ぬジャングルというものに思いを馳せました。
「ボクも行ってみたいな、ジャングルへ。でも二人をぶら下げてそんな遠くまで飛んで行けるかな?」
カブちゃんは心配そうです。
カブト虫の小さい身体に管理人とネルの二人の体重はやはりきつかったようです。
「じゃあ、マレーシアのクアラルンプールまでは成田空港から飛行機に乗って行きましょうよ」
ネルの一言で行先は決定です。
成田空港までは車で行こうということになりました。
それでJR高架下のレンタカー屋さんで赤いランボルギーニ・カウンタックを借りました。
運転は唯一運転免許を持っている管理人です。
管理人は初めて座るスーパーカーの運転席に興奮して不必要に空ぶかしをするので、レンタカー屋さんの若い金髪の女性スタッフにこっぴどく叱られて、しょげていました。
小声で「このエンジン音だけでごはん何杯でもいけるんですけどね」などとぶつぶつ言っています。
カーナビに行先の成田空港をセットして、さあ、出発です。
「次の交差点を右です」
カーナビの音声案内に従って、真っ赤なランボルギーニ・カウンタックは順調に走行し、しばらくして高速道路に乗りました。
管理人はここぞとばかりにアクセルを踏み込みました。
エンジンの回転数が急上昇し耳をつんざく高音が響きました。
「ぃえーい」
管理人の目がランランと輝いています。
車という仮面を被ることで本性を現す人がいるのは、SNSの匿名性の中でのみ吠える人がいるのと似ているのかもしれません。
「ちょっとー、管理人、危ないよ、もっとゆっくり走ってよ」
ハンドルを握る管理人の腕の上に君臨しているカブちゃんが、管理人に釘を刺しました。
「分かりました。仰る通りに。
でもカブちゃんさん、私のこといつまでも管理人、管理人って呼び捨てにするのをやめて頂くことは出来ないでしょうか?
私にだってちゃんと本名ってものがあるんですから」
「えっ、何て名前なの?」カブちゃんが尋ねます。
「すがまさと、と言います」
「すがまさと? いい名前だね。で、どんな漢字?」
「はいっ、『すが』は菅元首相の『すが』です。『まさ』は理科の理で、『と』は人です」
「菅理人?」
「はい、その通りです」
「じゃ、やっぱり管理人とほとんど変わらないじゃん。
竹冠か草冠かの違いだけでしょ?
紛らわしいよ」
「仰る通りで。
マンションで『菅理人』っていう名札を付けていると『管理人さん、名前が管理人って言うの?』って馬鹿にされます。
『いえ、管ではなくて菅です』って言うと、『紛らわしいわね』って私が悪い訳でもないのに、嫌な顔されるんです。
私はそれが辛くて辛くて」
「じゃあ、もうとにかく面倒だから管理人って呼ぶことに統一しようよ。それでいいよね」
「はい、仰せの通りで」
結局管理人は管理人と呼ばれることに落ち着いたのでした。
もう夜も大分更けてきているというのに高速道路が渋滞し始めました。
事故でもあったのでしょうか?
「この先5キロ渋滞です」
カーナビの音声案内が言いました。
「参ったなー」
ネルは前方に連なる車の赤いテールランプを心配そうに見ています。
するとカーナビが言うではありませんか。
「次のインターで降りて下さい」
下の一般道を抜けていく方が早いとカーナビは判断したのでしょう。
管理人は「最近のカーナビっていうのは凄いですね」などと感心しながらその指示に従いました。
確かに一般道は空いていました。
「次の交差点を左です」
何かちょっと方向が違うなと管理人は思ったのですが、まさかカーナビが嘘を付くはずがありません。
「次の交差点を左です」
えっ、また左? 管理人は不安になりましたが指示に従って黙々と先を急ぎます。
そのうちに道はごみごみとした住宅街に入り込みました。
「次の交差点を右です」「次の交差点を左です」カーナビは細かく指示を出します。
そして、いつの間にか人家がまばらになり始めました。
道は登り坂になり、車高の低いランボルギーニ・カウンタックの腹が路面に擦れてガリガリと音を立てます。
周りは深い森です。
街路灯も少なくなっていきます。
皆は心細くなりましたが、とにかくカーナビを信じるしかありません。
今更自力で道を探して引き返すことなど出来ないのです。
九十九折りの坂を登って行くと、何と、道が行き止まりになっているではありませんか。
管理人は車を止めエンジンを切りました。
二人と二匹はガルウイングを押し上げて恐る恐る車の外に出ました。
そこはダムの堤防でした。
車止めの石柱を通り抜けると左側にはダムのコンクリート斜面が遥か下まで続き、右側にはダム湖の湖面が広がっていました。
湖面はさざ波一つなく静まり返っていて、その鏡面に下弦の月が煌々と輝いています。
ネルは《地球とは違う別の天体に降り立ってしまったみたい》と妄想を膨らませます。
その時です。
管理人が叫びました。
「あれを見て!」
管理人の指が湖の一番奥を指しました。
湖を囲む山の稜線のすぐ上の空が真っ白に輝き、そこから赤い火の玉がこちらへ向けて飛び出して来ました。
火の玉はバン、バンと大きな音を立てて二度ほど爆発しながら、湖の水面すれすれを飛んで来ます。
ジュン、ジュン、ジュン。
火の玉は水しぶきを上げ、水面を水切り石のように跳ねると、最後にダムのコンクリートの縁を越えて、コロコロとネルたちの足元に転がって止まりました。
それはブツブツと小さい穴が一杯開いた拳大の隕石でした。
「あっ、これボクの石だ!」
カブト虫のカブちゃんが突然そう叫びました。
そして六本のトゲトゲの足で掴んでいた管理人の上腕を離れ、転がっている隕石にしがみつきました。
するとどうでしょう。
隕石は溶けてカブちゃんの全身を膜になって覆い、更に風船のように膨らみ始めたのです。
そしてそれは見る見るうちに人間の形になっていきます。
隕石のコーティングは兜と鎧になり、そこに一人の戦国武将が姿を現しました。
腰には刀を差しています。
ただ、兜から覗いているのは涼やかな瞳と凛々しい眉毛を持った美しい少女の顔でした。
鎧はミニスカート風で滑らかな生足がそこから伸びています。
ネルとすず子と管理人はもうただただビックリしてしまって、口をポカンと開けたまま、カブちゃんの生まれ変わりである戦国武将姿の少女をまん丸のまなこで見つめました。
少女も驚いたように自分の身体をキョロキョロ見ていましたが、首を捻じ曲げて背中を覗くと、そこに折り畳まれた羽根を発見し
「羽根はまだある。良かった」と言いました。
声はカブト虫の少年カブちゃんのままです。
「えっ、あなた本当にカブト虫のカブちゃんさんですか?」
管理人が口角に泡を吹きながら興奮して言いました。
「もち」
カブちゃんであるところの少女は言いました。
「男の子が女の子と入れ替わってしまったりするのって漫画とか映画とかで良くあるけど、そういうこと?」
ネルの声は半分裏返っています。
「えっ、ボク、女の子になっちゃったの?」
カブちゃんは鎧の脇の隙間から手を突っ込んで、自分の胸を揉んでみました。
確かに小さな膨らみがあるようです。
これはこういった場面で必ず挿入されるお約束のシーンですね。
男の子のある種の夢なのでしょうか?
「でも、自分の胸を揉んでみたことなんて今まで無かったから前と違うかなんて分からないな」
カブちゃんは手の感触にまんざらでもない様子でしたが、それを悟られまいと思案顔を取り繕っています。
「じゃあ、他人のはあるってことですか?」
管理人がすかさずツッコミました。
「いやいや、他人、っていうか他カブト虫の胸だって触ったことなんてないよ。
変なこと言わないでよ。
大体カブト虫の胸なんて硬化プラスチックで覆われているようなものなんだから、別に揉んだからどうってこともないんだし」
カブちゃんは必死で弁明します。
「えっ、背中の方が硬化プラスチックで覆われていることは分かりますよ、甲虫って言う位ですからね。
でも腹の方は、あれはそこそこ柔らかいんじゃないんですか?」
管理人は、ここは大事な所だ、と言わんばかりに追及の手を緩めません。
ネルとすず子はそんな下らない話どーでも良いでしょ、といった風に呆れています。
「いやいや、ボクたちは抱き合うって云ったってメスの背中から覆い被さるだけで、そんな柔らかいとか何とか情緒を味わってる場合じゃないんだよ。
とにかく他のオスにメスを力ずくで奪われないように必死でしがみ付いているんだから」
カブちゃんは頭に血が上りそうになりながらも、一言一言、言葉を選びながら冷静に説明することを心掛けました。
「でも背中の硬さに比べたら、やはり胸の部分は若干なりとも柔らかいように見えますけどね。
そして多少でも両者に硬さの、もっと言えば柔らかさの差が認められるのであれば、相対的に胸は柔らかいということになるのではないですか?
とすればその胸を揉むという行為の中に自ずと情緒というものが発生してくるのも必然ではないでしょうかっっ!」
管理人は唾を飛ばしながら熱弁します。
「いやいや ちょっと待ってくれ
揉んだ 揉んでないが
問題なんじゃ ないんだよ」
カブちゃんはラップ調に頭韻を踏んで反撃します。
「俺たちの恋 それ命掛け
ドロンジョのブラジャー硬い
でもそれは人間の趣味
カブト虫のブラジャー硬いのは それ生きる為
相対性理論とか そんなの俺たちに関係ねー
って言うか カブト虫の胸 あれはブラジャーしてるのか?
って言うか そもそもあそこは乳なのか?
そうだとしたら 俺たちカブト虫 巨乳に全く縁がない
それ あまりにも 寂しい人生
でも俺は負けない 誰に何と言われようと
最高の人生 生きるだけ
勝って兜の緒を締めよ
イェーイ」
カブちゃんは腰を低く保ってリズムに乗りながら、中指を管理人に突き立てました。
「ちょっと、ちょっと、ちょっと、待って!
あなたたち一体何に熱くなってるの?
このくだり必要?
どうしても必要だったらどこか他の所でやって頂戴。
これ以上無駄に紙面を割くなんて私、耐えられない」
ネルの堪忍袋の緒がとうとう切れました。
管理人と見た目少女の少年カブちゃんはシュンとなり口をつぐみました。
「あの、車で成田まで行くの諦めて、いっそ、ここからマレーシアまで直接飛んで行かない?
変身したカブちゃんの羽根随分立派なようだもの」
繊細なすず子はこういう気まずい雰囲気が一番苦手だったので、話題を変えようとしました。
「カブちゃんさん、2人持って飛べそうですか?」
管理人が心配そうに聞きました。
「ちょっと、やってみようか」
カブちゃんは右手で管理人の左手を、左手でネルの右手を掴んで、鎧の背中から生えている羽根を広げて羽ばたかせてみました。
すると管理人は
「いや、私はもう年ですから抱っこしてください」
と言ってカブちゃんに前から抱き着こうとするではありませんか。
「キモ!」
カブちゃんはそう言ってネルの手を放し管理人から逃げました。
しかし、管理人は
「シルバーシートですよ。シルバーシート」
と訳の分からないことを言いながらゾンビの様にしつこく迫ってきます。
「キモ!」
「シルバーシート。シルバーシート」
「キモ!」
「シルバーシート。シルバーシート」
この埒の明かない押し問答にしびれを切らしたカブちゃんが、一気に「けり」を付ける行動に出ました。
管理人の頭に思いっ切り後ろ回し「蹴り」を入れることで。
(「けり」を付けると「蹴り」を入れる、の表現がダジャレになっています)
ミニスカート風鎧から伸びたカブちゃんの長い生足がグルンと回転し高く上がりました。
管理人は迫りくる危険をものともせずに、スカートの内側の未知の領域に鋭い探求の視線を送りました。
見えそうで、見えないっ!
甲冑のゴテゴテ感が、その奥にある真理に視線が到達することを阻んでいるっ!
時間が、時間がないっ!
しかし、障害があればあるほど高まっていく集中力
見えるか? 見えないか?
見えたか? いや、見えてないのか?
その時、観察結果をよりクリアにする為、視線のブレを極力抑えていて、蹴りを避ける動作を一切行っていなかった管理人の頭部、正確に記すならば側頭部に、綺麗な後ろ回し蹴りが決まりました。
管理人は未練たらたらの視線だけを後に残して湖の中央まで吹っ飛んで行きました。
その後の管理人の行方を知っている者は誰もいませんでした。
(カブちゃんが管理人に後ろ回し蹴りを見舞う場面は、この物語が将来映画化された時の一番の見せ場になりますので、映画監督さんには原作に出来るだけ忠実に映像を作って頂く様にお願いしたいです。
尚、変身した後のカブちゃん役には小松菜奈さんを、管理人役にはこの物語の筆者をキャスティングすることが、この物語を映画化するにあたっての絶対条件ですっ!)
そんなこんなでマレーシアに向けて飛び立った一人と二匹(すなわち、白いワンピース姿のネル、すずめの子のすず子、義元左文字という織田信長が今川義元から奪った名刀を腰に差し、鎧兜を身にまとった見た目少女の少年カブちゃん、です)は本州、四国、九州を眼下に見ながら、更に沖縄、台湾、フィリピン、仏領インドシナの上空を通過してマレー半島に到達したのでした。
一行は、マレーシアの首都クアラルンプールで一休みすることにしました。
先ずは宿探しです。
どうせ物語の中なのだからと気を大きく持って一番高いホテルを探してみることにしました。
すると「ザ・セントレジス・クアラルンプール」というホテルが検索に引っ掛かりました。
「デラックスツイン」で2万円位です。
大したことないなー、と思って、更に下にスクロールしていくと「ジャン・ジャコブ・アスター/キング・スイートグーデンビュー」という御大層なネーミングの部屋が一泊35万円と出て来て、現実に予約する訳でも無いのに心臓がバクバク言い始めました。
でも、悪夢にうなされながらこれは夢だから大丈夫だと自分に言い聞かせる子供のように、筆者は、そうだこれはお話なんだ、と思い直して一泊35万円の「ジャン・ジャコブ・アスター/キング・スイートグーデンビュー」に一人と二匹を泊めることにしました。
お話の中とは言え、贅沢をするのは気分が良いものです。
【つづく】




