(4)スッポン、マンモス、そして大腿骨
次の日。ネルは学校の図書室で借りた万葉集が早く読みたくて、またまた部活をさぼって帰宅の途に就きました。
自宅マンションのアプローチで、帽子を持って右往左往しているマンションの管理人に出会いました。
ネルはこの管理人が苦手でした。
管理人は小説を書くのが趣味らしく、時々管理室の前を通り掛かるネルを捕まえて書き掛けの小説を読ませたりするからです。
しかもこの小説というのが、管理人本人ばかりかネルらしき人物まで出てくるという何ともおぞましい代物なのです。
内容はごみの出し方が悪い住人がいるとか、アイデンティティがどうのとか、エビデンスがこうのとか、何かそんな話だった気がします。
普段は「すいません今日ちょっと急いでるんで」とか言って断るのですが、あんまり無下に断わってばかりいて逆恨みされるのも嫌なので、5回に1回位は読んであげています。
原稿用紙1、2枚だけ読んで立ち去ろうとすると
「どうでした? どうでした?」
とスッポンみたいに食らい付いてきます。
「面白かったです」
と絶妙の素っ気なさで答えるのですが、伝わらなくて
「そうですか! ありがとうございます!」と至極ご満悦です。
この日もネルは捕まらないうちに通り過ぎようと歩を速めたところ、足元にすずめがちょこちょこ歩いてくるではありませんか。
羽ばたいて飛ぼうとするのですが、怪我をしているのか飛べません。
追い掛けてきた管理人が被っていた帽子をすずめに被せました。
「やった、捕まえた!」
管理人が喜びの声を上げた途端、帽子のサイズ調整用ベルトの隙間からすずめがヒョコッと逃げ出してきました。
「あっ、ちきしょう」
管理人はまたすずめの後を追います。
そして帽子を被せる。
ベルトの隙間からすずめが逃げる。
また追う。
の繰り返し。
「学習能力ゼロかよ!」
ネルは思わずツッコミたくなるところをグッと我慢して
「管理人さん、段ボール被せたらどうですか? 私見張っててあげますよ」
と声を掛けました。
「それはいいアイデアですね。すぐ取って来ますから!」
管理人は慌てて管理室に戻って行きました。
ネルはそれを見届けるとすずめの脇にしゃがんで優しく声を掛けました。
「すずめさん大丈夫? 安心して。私あなたを捕まえるつもりはないのよ」
「ありがとう」
「あなた怪我をしているみたいだから、治るまで私が面倒を見てあげるわ」
ネルはそう言ってすずめをそっと手の中に包みました。
すると、段ボール箱を手にした管理人が必死の形相で戻ってきました。
普段の仕事ぶりからは想像も出来ない素早さです。
ネルは制服のスカートのポケットにすずめをこっそり隠しました。
「どこ? どこ? どこ? すずめはどこ行きました?」
管理人はキョロキョロと辺りを見回しながらウロウロしています。
「ここの奥に入って行きました」
ネルはアプローチ脇の植え込みの奥を指差しました。
管理人はニオイヒバの根元に首を突っ込んで奥を覗いています。
そこは専有部分のベランダの方に繋がっていました。
しかし、こちらからは鉄格子がはまっていて人間は通ることが出来ません。
「ここはあっちの裏の扉からじゃないと入れないんですよね。
でも、大丈夫。扉の鍵は持っていますから。
どうも、見張っていてくれてありがとうございました」
管理人はすずめを袋小路に追い詰めたつもりで、嬉々として管理室に鍵を取りに戻って行きました。
ネルはマンション6階の自分の家に帰ると、勉強机の上に置いてあった宝石箱の中身を机の下の奥の方にぶちまけてすずめを中に入れました。
宝石箱の中には元々、
今は天国にいるおばあちゃんから貰ったピンク色の水晶(これは大体小ぶりのお饅頭位の大きさです)とか、
探検家のおじいちゃん(おじいちゃんは今、マレーシアのタマンネガラというところのジャングルでホモ・サピエンス――つまり私たち――に滅ぼされたはずのホモ・エレクトスの生き残りを探しています)が昔ボルネオ島の首狩り族の酋長さんから貰った親指大の木彫りの魔除けとか、
お父さんが学生の頃ヨーロッパ旅行に行った時3日間だけ恋人だったパリジャンから貰ったエッフェル塔形のボールペン(とても握りづらくて筆記用具としては役に立ちません。かといってエッフェル塔の天辺からボールペンの先が飛び出しているので置物として飾っておくには不格好です)とか、
お母さんから貰ったひび割れたピック(お母さんが中学生の頃使っていた思い出の品で、捨てられずに取っておいたのでしたが、やっぱりいらないので、そうかと言って捨てるのも嫌なのでネルにあげたのです)とか、
妹が幼稚園の頃一ヵ月間ずっと磨き続けてピッカピカになった泥団子(ラップで包んでセロテープで厳重にグルグル巻きにしてあります。今では中の泥団子はボロボロに崩れてしまっていて、現代美術のオブジェの様に見えなくもありません)とかが入っていました。
机の下の奥の方には元々色々な物が積み上げられていました。
上の方には、
雑誌の付録の肌色のヘアブラシ、
片耳のパッドが取れたイヤホン、
学校で返して貰った満点の漢字小テスト、
キャラメルの包み紙、
噛みかけのチューインガム、
穴の開いた靴下の片一方、
マンションのごみカレンダーなどがありました。
宝石箱からぶちまけられたピンクの水晶や木彫りの魔除けやエッフェル塔のボールペンやひび割れたピックなんかは、ヘアブラシやイヤホンや靴下の隙間をすり抜けて、下の方に落ちて行きました。
下の方には落書きだらけの去年の国語の教科書やら、
2年前に擦りむいた膝に貼ったバンドエイドやら、
3年前に図工の授業で作った姫路城の模型やら、
4年前に鼻をかんだチリ紙やら、
5年前に運動会で貰った参加賞の金メダルやら、
6年前にカッターで切り刻んだ消しゴムやら、
7年前に学校で育てた鳳仙花の種やら、
8年前の小学校の入学式の時に胸に付けたリボンやら、
9年前に行方が分からなくなった緑色のクレヨンやら、
10年前に雑誌から切り抜いたモーニング娘の写真やら、
11年前に幼稚園の園庭で拾ったクワガタの頭やらが堆積していました。
更にその下の地層には古墳時代の埴輪だとか縄文土器だとかアンモナイトの化石だとかがあるんじゃないかと思いますが、それはネルの家の冷蔵庫の冷凍室の奥の奥に何が仕舞い込まれているのか誰も知らないのと同じように、全くの謎でした。
(ネルは《うちの冷凍室の一番奥にはマンモスの肉がビニールに包まれて眠っているに違いないわ》と常々思っていました)
ところで、すずめが入れられた宝石箱のサイズは凡その数値ですが幅25、7センチ、奥行き17、3センチ、高さ19、6センチ位あって、すずめが一人で暮らすには十分に快適な広さでした。
宝石箱の中には床にも壁にも天井にも赤い柔らかなビロードが貼られていて、スリスリするととても心地が良いのでした。
ネルは宝石箱の蓋に消しゴムを噛ませて中に空気が入るようにしました。
隙間から中を覗いて、すずめに声を掛けました。
「あなた名前は何て云うの?」
「すず子です」
「私はネル。ネルって呼んでね。すず子、どうして怪我しちゃったの」
「巣立ちしようとしたら、飛べずに地面に激突してしまって」
「そうなんだ」
「それで、何とかしなくちゃと思いながら夢中で歩いているうちに、髪の毛が生えているところと、そうでないところが結構はっきりしている人間に捕まりそうになって」
「うん。危なかったね」
「助けてくれて本当にありがとう」
「怪我が治るまでしばらくここにいてね。普段は何を食べているの?」
「ミミズとか」
「ミミズか……ミミズはその辺では売ってないな。ちょっと探しに行ってくるから待っててね」
ネルは妹に見付からないように宝石箱を机の下に隠すとミミズを探しに出掛けました。
ネルがマンション敷地の裏手にある草ぼうぼうの空き地に行ってみると、草刈りをしている管理人と鉢合わせしました。
「あっ、さっきのすずめですけど、見つかりませんでした。
どこかへ飛んで行っちゃったんじゃないですかね。
その代わり、管理組合の理事長さんにカブト虫を貰いました。
理事長さんが幼虫から育てていたそうです。
これを私だと思って大事にしてくださいとのことです」
管理人の二の腕にはオスのカブト虫がへばりついています。
カブト虫は腕を這い上って胸に管理会社のロゴの入った水色のポロシャツの袖に潜り込もうとしています。
ネルは関わりたくなかったので
「そうですね」
と出鱈目な相槌を打つと、ブロック塀の近くの土の出ている辺りでミミズを探し始めました。
ミミズが中々見つからないので、《シャベルでも持って来れば良かったな》と思っていると管理人が近づいて来ました。
カブト虫は管理人の襟から耳たぶに登ろうともがいています。
「何してるんですか?」管理人が声を掛けてきます。
「ミミズを探しているんです」
「ミミズ? 何で?」
ネルは思わず「すずめのエサにするんです」と言いそうになりましたが、ギリで口を閉ざしました。
すずめを匿っていることがバレたら
「えっ、最初に見つけたの私ですよ。私のすずめですよ」
などと言い出しかねません。それで
「学校の理科で使うんです」
と出まかせを言いました。我ながら上出来な切り返しです。
「そうですか。ミミズなんているかな、この辺に」
管理人はブロック塀の下の土をピンク色のビニール手袋をはめた手でほじくり始めました。
しかし、土は硬くてそれほど深くほじくり返すことは出来ませんでした。
「あっちの方ならいるかも」
管理人は敷地の隅に打ち捨てられていた古い井戸の方に向かって歩いて行きました。
そして井戸の周りの土を両手で掘り始めました。
カブト虫は管理人の背中を背骨のラインにそって下向きに行進しズボンのベルトを乗り越えようとしています。
「いた!」
管理人が一匹のミミズを摘まみ上げてドヤ顔で立ち上がりました。
そしてマンション一階の住居に付属している専有部分の庭に歩いて行って、そこに植わっていたブドウの葉っぱを引きちぎりました。
丁度その時、居住者のおばあさんが庭に出てきました。
管理人は
「奥さん、ブドウの葉っぱに毛虫が付いていたので取っておきましたよ。食い荒らされてしまっては大変ですから」
などと言ってごまかしています。
「いえいえ、奥さん、そんな文明堂のカステラなんて頂いてしまっては申し訳ないです。
これは管理人の仕事の一環ですから、お心遣いなど頂かなくて結構ですよ。
いや、いや、そうですか、それでは遠慮なく頂きます」
管理人は尻の下半球を一周してズボンのチャックのあたりで角を振りかざしているカブト虫を付けたまま、調子良く答えています。
それからカステラの包みを抱えた管理人は戻って来てブドウの葉っぱに包んだミミズをネルに渡しました。
「ありがとうございます」
ネルは棒読みのお礼を言って、その場を後にしました。
家に戻ったネルは宝石箱を開けてすず子にミミズをあげました。
「美味しい。ありがとう」
すず子は新鮮で丸々と太ったミミズに舌鼓を打ちました。
「傷の方はどう?」
「うん、左の羽根の付け根が痛むの」
見ると少し血が滲んでいます。
ネルは救急箱をかき回して抗生物質の軟膏を見つけ出し、羽根の付け根に塗ってあげました。
見よう見まねで包帯も巻いたのですが、不格好なミイラみたいになってしまったので結局ほどいて
「なるだけ動かないようにしていてね」と言いました。
次の日、ミミズを探すのが大変だったので、試しに米粒をあげたところ
「めっちゃ、美味しい」
と喜んでくれました。
パンとか果物なんかも普通に好きだったので餌探しに苦労することは無くなりました。
そんな時、お母さんから久しぶりに手紙が届きました。
中には便箋と絵葉書が入っています。
砂漠の中にピラミッドが三つ並んでいる写真の絵葉書でした。
便箋の方はこんなです。
「みんな元気? お母さんは元気です。
帰れなくてごめんね。楽器の練習は進んでいますか?
お母さんは今エジプトでライブをしています。
街で、結婚式に向かう花嫁の行列に出会いました。
大きなタンバリンみたいな打楽器を打ち鳴らす人が先頭にいて、その民族古来のリズムにバンドのメンバーが皆刺激を受けました。
それで、新しい曲のアイデアが皆から次々出てきて、セッションしながら次第に曲が出来つつあります。
歌詞はお母さんの担当です。
曲名は『ギザの花嫁の踵に三つの四角錐』です。
サビは「四角錘 それは底面積掛ける高さ掛ける三分の一 それが三つで三掛ける だったらそれは四角柱」です。
ちょっと何言ってるか分からないかな?
大丈夫、お母さんも良く分かってないから。
それはさておき、エジプトの次はインドでタブラ奏者であり「タケタテカケタ」の早口言葉第一人者のウスタッド・アラ・ラカ・カーンとザキール・フセインの親子に会った後、チベットに行く予定です。
チベットには人間の大腿骨で作った笛があるんだって。素敵じゃない?
こんな歌詞の曲を考えています。
「大腿骨に息を吹く 青空高く風吹いて 死と生が巡り巡って カラカラ鳴る 生と死が回って平らになる」です。
ちょっと何言ってるか分からないかな?
大丈夫、お母さんも良く分かってないから。
でも、この歌詞を口ずさむと、普段意識はしていないけど、心の奥底にある死への恐怖が少し紛れるような気がします。
結局お母さんの生を燃やし尽くそうとするみたいなバンド活動も死への恐怖を和らげる為の死の予行演習のような一面もある様な気がしてます。
つまり死を手なずけようとする試みっていうか。
詩や小説を書いたり読んだりすることだって同じゃないかな?
ちょっと何言ってるか分からないかな?
大丈夫、お母さんも良く分かってないから。
お母さんの我儘の為に皆に寂しい思いをさせていること、本当にごめんね。
でも、世界中を旅しながら色んな刺激を受けて新しい曲を紡ぎ出すこと、世界中の色々な人たちの前でライブして、その時にしか生れ得ない新しい音楽が生まれてくること、それはお母さんにとっては掛け替えのないものです。
家庭人としては失格だけど、これが生きてるってことなんだと感じるのです。
でも、もちろん家族が私にとって何よりも大事であることに変わりはありません。
矛盾してるよね。ごめんね。
ではまた手紙出します。身体に気を付けてね?」
ネルは何度も読み返しましたが、どこにもいつ帰ってくるのかは書いてありませんでした。
お父さん、ベースの練習頑張ってるよ、とか、私のドラムとココのキーボード随分上達したよ、とか伝えたかったけれど、手紙を出すにも宛先が分かりません。
《カラカラ鳴っているのは、私の心だよ。
私たち全然大丈夫じゃないよ。
お母さん、早く帰って来て。
一緒に家族バンドの練習しようよ。
お願い、お母さん、早く帰って来て。早く(リフレイン)》
そうこうしているうちに一か月が過ぎ、すず子の怪我も完治しました。
今では宝石箱から出て二段ベッドとエアコンの間を飛ぶことさえ出来るようになりました。
そんなすず子の姿を見ていると、ネルは別れの時が近づいていることを考えずにはいられませんでした。
寂しさが心に溢れてきます。
すず子の存在はネルを随分と癒してくれたのです。
労わっていたのは、すず子であると同時に自分の心であったのかもしれません。
しかし、いつまでもすず子をここに置いておく訳にはいきません。
学校の一学期が終わり、夏休みが始まった日のことです。
妹のココは小学校のクラスメートと一緒に市営プールに泳ぎに行っていて家にはいません。
ネルは夏休みの宿題の数学の問題集をやりながら、心は上の空でした。
連立方程式の文章題がどうしても解けません。
ぶっちゃけ食塩水の濃度なんて今はどうでも良いのです。
ネルはとうとう諦めて問題集を脇にどけました。
そして机の下から宝石箱を取り出し目の前に置きました。
蓋を開けるとすず子の黒い瞳と目が合います。
「すず子、あなた、もう怪我も治ったし、野生に帰らないといけないわね。
あなたは元々野生の鳥ですもの。
寂しいけれど、いつまでもここに置いておく訳にはいかないわ」
「うん、ネル、今まで本当にありがとう」
すず子も覚悟は出来ていたようでした。
ネルはすず子を柔らかく手の中に包むと、マンションの裏の空き地に行きました。
「さあ、自由にどこへでも飛んで行きなさい。
それがあなたの人生よ」
ネルは手のひらを開きました。
すず子は恐る恐る羽ばたき始めました。
そして直ぐに野生の本能が身体の底から湧いてくるのを感じました。
すず子の身体が今にも浮きそうになります。
「すず子! あなたはやっぱり行ってしまうのね!」
ネルは思わず叫びました。
「ネル、ありがとう! 私はね、旅に出ようと思うの。
羽根の向くまま気の向くまま、気儘な旅に」
すず子はまるでミュージカル女優が舞台の上で決め台詞を言う時のような、朗々とした声を張り上げました。
空き地では丁度例の管理人がまだオスのカブト虫を腕に付けたままタラの若木の根元を掘り返しているところでした。
管理室に持ち帰って植木鉢に植え替え、来年にはタラの芽を収穫しようという魂胆なのです。
その時、管理人の腕に張り付いていたカブト虫がすず子の朗々とした声を聞き付けてこう叫ぶではありませんか。
カブト虫「旅に? 君は今、旅に出ると言ったのかい?」
すず子「そうよ、私は旅に出るの。この羽根を羽ばたけば、世界のどこへだって行けるのよ」
カブト虫「では、ボクも一緒に連れて行ってくれないかい?
あ、言い忘れてた、ボクはカブト虫の少年カブちゃんだよ」
すず子「いいわ、一緒に行きましょう。あなたにだって羽根がある。
その羽根を羽ばたいて、世界の果てまで行きましょう」
ネルはそれを聞いて思わず声をあげました。
ネル「じゃあ、私も一緒に連れて行って! 一緒に私も!」
すず子「でもあなたは空を飛べないわ」
カブト虫「そう、君は飛べない」
管理人「全然飛べませんね」
管理人が口を挟んできました。
ネル「でも、私はどうしても行ってみたいの、私の知らない世界へ」
すず子「本当に?」
カブト虫「本当に?」
管理人「本当に?」
ネル「本当よ。この気持ちは決していい加減なものではないわ」
カブト虫「分かった。じゃあ、ボクに掴まりなよ。ボクと一緒に飛んで行こう」
管理人「でも、カブト虫さんにはもう私がこうして掴まっているのだし、二人も一緒にぶら下げて飛ぶな
んて、幾らカブト虫さんが力持ちだからと言って、それは無理ではないでしょうか?」
どうやら管理人もちゃっかり一緒行くつもりのようです。
カブト虫「大丈夫だよ。ボクの飛翔力を甘くみないで。君は管理人の足にしっかり掴まってて」
すず子がネルの手のひらから空へ向けて軽やかに飛び立ちました。
続いて管理人の上腕を六本のトゲトゲの足でしっかり掴んだまま、カブト虫の少年カブちゃんが硬い甲殻を開いて中の柔らかい羽根を羽ばたかせ始めました。
カブちゃんが上昇すると管理人の足が地面を離れました。
ネルは上昇していく管理人の足に慌てて掴まりました。
ネルのショート・ヘアーが風に靡きます。
白いワンピースを着ていたネルは風で捲れるスカートの裾を押さえようとしましたが、両手が塞がっていてかないません。
しかし、今はそんなことに構っている場合ではありませんでした。
マンション屋上の給水塔の脇をすり抜けると、もう上には青空が広がっているだけでした。
このようにして、ネル、すずめの子のすず子、カブト虫の少年カブちゃん、管理人、の二人と二匹は旅に出たのでありました。
【つづく】




