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(19)エピローグ

 それから1年が経ちました。

 降り注いだ初夏の太陽光線が、いのあたま公園の池の水面でキラキラとその身をひるがえししていました。

 そして、都市伝説を知らないスワンボートのカップルたちもまた、二人だけの世界でキラキラと輝いていました。

 いのあたま公園近くの地下ライブハウスで、今、正に、ネルの家族バンドその名も「大抵たいていジャングル」のファーストステージが開演を待つばかりとなっていました。

 そうです。マグマシェルターがソロコンサートをやったあのライブハウスです。


 地下のライブハウスへ続く長い長い階段の棚には相変わらず食器や本がぎっしり並んでいました。

 オレンジ・ママレードの瓶もあります。

 更に降りてゆくと裸電球が点滅していて、剥き出しの配線やら水道管やらがびっしりと壁や天井を伝い水が滴り落ちている九龍城塞くーろんじょうさいっぽい所もまだありました。

 更に下に行くと熱帯植物が上下左右を覆い尽くしている所に出ました。

 サイチョウまでいます。これはさすがに作り物です。

 階段に這っているツタに足を引っ掛けないよう注意して降りていくと、突然上から蛇が落ちてきて、危うく階段から転げ落ちそうになりました。

 気を取り直して見るとヘビはゴム製の玩具で、上から糸で吊るされています。

《あの大蛇オロチを思い出すわ》

 更に降りて行くと光源の全く無い真っ暗闇な空間に入り込んでしまいました。

 目をつぶっても、目を大きく見開いても、目を何度もしばたたかせても、目の前の漆黒の闇に全く変化はありません。

《ウーパーさん元気にしているかな?》

 竜宮城で感じた肌の感覚が一瞬蘇って来た様にも思いましたが、ゆっくりしている場合ではないので、一歩一歩足先で階段を確かめながら降りて行きました。

 何とか階段の最深部に到達すると、受付には長い髪を顔の前に垂らしたあのお兄さんが座っていました。

 婦警姿の内田理央のTシャツや科学忍者隊ガッチャマン・白鳥のジュンと水着姿のアグネスラムの両腕の刺青も健在です。

 大きく飛び出た喉仏の下にピーターパンのティンカーベルの刺青が付け加わっていました。

 お兄さんはチラリとこちらを一瞥いちべつすると


「スズメは一匹500円です。ドリンク代は別で」


 と事務的に告げるので、ワンドリンク500円と合わせて1000円を払って、重い防音扉を開けて中に入りました。

 中には既に結構な人が居ました。

 最初に目に付いたのは、扇型のサイリウムを持っているヲタクです。

 あの最前管理の最古参もいます。

 そうです。

 今日は「マグマシェルター」と「大抵ジャングル」のツーマンライブなのです。

 そして、ひと際目立っていたのがウーパールーパー人間のウーパーさんでした。

「ウーパーさん! 来てたのね!」と声を掛けると、

「すず子ちゃん! 久しぶりでんな! 元気だったでがすか?」

 と言うなりそのツルツルの身体を私の烏天狗の装束から出た首や腕や脚に摺り寄せて来くるので、恥ずかしいやら、気持ち良いやら。

 それに、私はこんな変わった人と知り合いなんだよ、っていうちょっとした優越感もあって、周りをドヤ顔で見廻してみたら、なんと二代目暴走船頭と深田恭子似がイチャイチャしているのでビックリです。

「二人共来てたのですね?」と声を掛けると

「ネルのおじいちゃんのところにライブの案内が来たんでウーパーさんも誘って三人で来ちゃったの。

 おじいちゃんは夜のノルマの消化で精一杯で来られなかったけど」

 ドロンジョのボンデージ衣装の深田恭子似がウインクします。

 隣で片手を深田恭子似の腰に回していた二代目暴走船頭が

「久し振りだね」

 と言ってエンジンを抱えていた方の手を挙げると、エンジンから伸びた棒の先のスクリューがミラーボールにぶつかったので、二代目暴走船頭は気が気でないようです。

 もちろんスクリューに傷が付いてないかということに対してです。

「おじいちゃんは元気?」

「うん元気は元気だけど、元気過ぎてお疲れの様よ」

 そう言うと深田恭子似は鋭い視線を隣の二代目暴走船頭の2つのつぶらな瞳に送りました。

 そしてキョトンとしている二代目暴走船頭のお尻をビシッと思いっ切り引っ叩きました。

 あんたも頑張りなさいよ! ということなのでしょう。

 開演前のフロアにはガムランが掛かっていて、スピーカーの真ん前で一心不乱に手足を動かしている人がいました。

 管理人さんでした。

 管理人さんの所に行って、後ろから声を掛けようと思ったら、腕にオスのカブト虫が付いていたので

「あれっ、カブちゃんまたカブト虫に戻っちゃったの?」

 って思わず声を出したら、管理人さんが振り向いて

「いやこれはカブト虫の標本を付けているだけです」と言うので

「紛らわしいわよ!」とツッコンであげました。

 とその時、後ろから肩を叩かれました。

「すず子! 久しぶり!」

 その声は……

 そうです、そこには鎧兜を身にまとい義元左文字よしもとさもんじを腰に差した見た目は少女の少年カブちゃんが立っていたのです。

「カブちゃん! 久しぶり! 私これ見てカブちゃんがまたカブト虫に戻ったのかと思っちゃった」

 と管理人さんの腕に付いている標本のカブト虫を指差すと

「そう言えば、さっき入り口で受付のお兄さんに『オスのカブト虫は一匹150円です。ドリンク代は頂かなくて結構です』ってさらりと言われたんで150円払って入って来たけど、この戦国武将の格好した見た目少女のボクが1年前に管理人の腕に付いていたカブト虫だって見抜いていたんだね。

 しかもあの料金表の電話帳見ないで言っていたからね。

 何気に凄いね、あのお兄さん」

「私のこともスズメだって分かってたわ」

 などと取り留めのない雑談をしていると、入り口の扉が開いてそこから滅ぼされたはずのあの大蛇オロチが頭を突っ込んできたではありませんか! 

 さあ、大変です。

 ライブハウスは上へ下への大騒ぎです。

 二代目暴走船頭は持っていたエンジンを始動させてスクリューを大蛇オロチに突き立てようと身構えましたが、木っ端微塵になったあの日のことを思い出して諦めました。

「蛇玉を、蛇玉を取ってくるしかないずらばってん」ウーパーさんが言いました。

「俺、取りに行くよ!」二代目暴走船頭が手を挙げて一歩前に進み出ました。

「いや、私が行くわ!」深田恭子似も勢い良く手を挙げて一歩前に進み出ました。

「………」管理人さんは皆の視線を一身に浴びるのを感じているようでしたが、だんまりを決め込むようです。

 作戦失敗です。

 すると、大蛇オロチが口を大きく開けて会場の皆を一飲みにしようとするではありませんか。

 絶体絶命のピンチです。

 その時です。

 ドアの外から受付のお兄さんが叫んだのです。

「困ります! 

 大蛇オロチは入場料230万円、ドリンク代別ってちゃんとここに書いてあります! 

 払って貰えないんだったら帰ってください!」

 手持ちの無かった大蛇オロチは諦めざるを得ず、その巨大な身体を階段の壁に擦りながらスゴスゴと帰って行きました。

 

 さて、裏の楽屋ではそんな会場の騒ぎに気付くこともなく、ネルの家族が出番を待っていました。

 ネルの母さんがお父さん(つまり旦那)から貰った手紙を開いて読んでいるところでした。


詩織へ

 君がワールドツアーから中々帰って来なかったこと、駆け落ちだなんて疑ってしまってごめん。

 いや、そうではないという確証がある訳では無いけれど(私のこと疑うの? なんて怒らないで下さい)そんなことはもう僕にとっては過去の小さなエピソードです。

 今、君はこうして僕の傍にいるのだから。

 僕にとってはそれが一番大事です。

 帰ってきた君は、また子供たちのことで頭が一杯ですね。

 君の表情が少し陰っている時、そんな時は子供の事で何か心配事がある時です。

 (昔からそうでした。おっぱいをあまり飲んでくれないとか、幼稚園に行くのを嫌がって送迎バスに乗ろうとしないとか、中耳炎がなかなか治らないとか)

 そして、一年間も帰って来なかったのに無邪気に笑っている君に僕はやられてしまいます。

 君が生き甲斐を求めてアイロンズで世界を彷徨って、離れ離れになってしまって、それは子供たちにとっても辛い経験だったし、今後も推奨する訳では無いけれど、でも、僕の気持ちは君から離れて行かなかった。

 僕はこの四人で一つの家族を愛しているんです。

 音楽は君のアイデンティティの土台を成しているものだと思います。

 君は無理にそれを諦めなくて良いんじゃないかと思います。

 アイロンズのワールドツアーのように刺激に満ちたものでは無くても、大抵ジャングルにだって新たな音楽体験の地平をひらくことは出来るはずです。

 今日のステージ、緊張するけど、僕も頑張ります。

 久しぶりに君がステージで輝く姿が見られるのも楽しみです。

 詩織、これからも宜しくね。愛しているよ。

 

 手紙から顔を上げたお母さんの目から涙がこぼれました。

「泣かないで」

 お父さんがお母さんの肩にそっと手を置きます。

 二人は少しの間見つめ合い、それから、楽屋の隅でドラム消音パッドを真剣に叩いているネルと、任天堂スイッチに熱中しているココに優しい視線を投げ掛けました。


 さて、ライブ会場に視点を移しましょう。

 会場の照明が落ち、流れていたガムランの響きが止みました。

 ヲタクたちから「ウォーーーー」という声が上がります。

 ステージがスポットライトで照らされ、背中に羽根の付いた黒いミニの衣装を着たマグマシェルターの5人が、曲の合間に水分補給する為のペットボトルを片手に登場しました。

 そしてステージの一番手前にペットボトルを並べると、1曲目のフォーメーションに散らばりました。 

 いきなりの爆音と共に曲が始まりました。

「よっしゃー! 行くぞー! タイガー! ファイヤー! サイバー! ファイバー! ダイバー! バイバー! ジャージャー!」

 ヲタクたちも全力でMIXを打ちます。

 テオケちゃんがステージ前方でソロパートを熱唱すると、テオケ推しのヲタクが餌に群がる鯉のようにステージに殺到します。

 仲間に抱え上げられて(リフト)その鯉の群れを押し退け、テオケちゃんに顔をぶつけんばかりに接近して「テーオケ、テーオケ」と鬼の形相で唾を飛ばして叫び、全身の筋肉を間歇的かんけつてきに収縮させているヲタクもいます。

 知らない人が見たら激怒して殴り掛かっているのかと思うかもしれませんが、もちろん怒っている訳では無いのです。

 その一瞬に推しへの想いを凝縮させるとそんな風になってしまうのでしょう。

 今度はグァテマラちゃんのソロパートです。

 グァテマラ推しの鯉が群がります。

 マサイやツーステップ軍団やオタ芸男なども皆全力MAXです。


 マグマシェルターが十分に会場を温めたところで、いよいよネルの家族バンド・大抵ジャングルの出番が来ました。

 会場スタッフによって、ドラムセット、キーボード、アンプ、エフェクター等がステージに設置されました。

 続いてスティックを持ったネル、手ぶらのココ、エレキギターを抱えたお母さん、ベースを肩から掛けたお父さんがサウンドチェックの為に出てきました。

 女性陣は熱帯植物の絵柄のプリントの入ったブリリアント・グリーンのワンピース、お母さんなどは森高千里ばりのミニ、WAO! 

 お父さんはお揃いの生地のシャツとスラックスを着ています。

 ライブが始まると勘違いした管理人が「イエーイ」と大声を張り上げたので、ネルは伏し目がちに軽くスティックを上げました。

 フロアにはすず子がいます。カブちゃんもいます。ウーパーさんも、二代目暴走船頭も、深田恭子似も。皆ニコニコしています。

 ネルは一人一人と固く視線を交わしてから、バスドラやスネアの音を出し、PAさんのOKサインを貰いました。

 一通りのサウンドチェックが終わってネルたちは一度袖にけました。

 そして両手を繋いで円陣を組みます。

 お父さんの唇が緊張で白くなっています。

 ネルも緊張派です。

 逆にお母さんとココは余裕ブッコキ派。

「楽しんで行こうね」

 お母さんが声を掛けて手を円陣の中に差し出しました。

 お父さんがその上に手を載せます。

 次にネル。

 そしてココ。

 皆の体温が一つになります。

「いくよ!」お母さんが気合を入れます。

「おー!」

 四人は勢い良くステージに飛び出して行きました。


 観客が大声援で迎えます。

 一曲目は『鬼ごっこ』でした。

 ココがキーボードを弾きながら絶唱します。

 お母さんのギターソロの間奏がめっちゃ泣かせました。

 お父さんの弾くベースラインも格好良過ぎです。

(ネルは大冒険のことは黙っていましたが、おじいちゃんから授かったお父さんへのアドバイスは、どこかの本に載っていた的な話としてお父さんに伝えていたのでした)

 次の曲は『子ども扱いしないでよ』です。

 ネルの鈴を転がすような美しい歌声とアナーキーな歌詞のギャップに会場はやんやの喝采です。

 そして、ネルのボンゾばりの重戦車ドラムソロに皆心を持っていかれます。

 大冒険の六人はいつの間にか肩を組んで揺れています。

 それからお母さんがアコギ一本で弾き語る『私にはやっぱり家族が一番』で会場は一転してしっとりとした心情に包まれました。

 お母さんを見詰めるお父さんの目がハート型です。

 そして、お父さんがメインで歌う『愛しているぜ! 俺の家族』で、会場は「愛しているぜ!」の大合唱です。

 マグマシェルター目当てで来たヲタクたちも完全に大抵ジャングルのヲタクになっています。

 仙波清彦とはにわオールスターズ『水』のカバーでは、なんと! サックスの坂田明が飛び入り出演しました。

 その後も、リフト、モッシュで会場は物凄い熱気。観客の汗が水蒸気となって箱を満たしました。

 ドラムを叩きながら、ネルの目に涙が溢れて来ました。

 あの大冒険の間、ネルはずっとお母さんが帰って来てくれることを念じていました。

 そして、今、お母さんと一緒にこうしてステージ立っているのです。

 ネルの涙でぼやけた視界にお母さんの笑顔が浮かんでいます。

 表面張力の崩壊した涙が頬をツツ―と伝わってこそばゆいです。

 ネルもお母さんに笑い掛けましたが、半分泣いているので、笑った口が瓢箪池ひょうたんいけみたいに歪んでしまいました。

 お母さんも、そんな泣き笑いのネルが愛しくて仕方がないようです。

 お母さんは演奏しながらネルに近づいて、ネルの頭をゴシゴシしてくれました。

 ココが「あー、私も―」というような顔をしています。

 ネルのドラムが何かを突き抜けました。

 クリアなリズムのつぶてが観客のそしてメンバーの五臓六腑ごぞうろっぷに突き刺さります。

 お父さんのベースも吹っ切れたように錯乱します。

 ココはもはや打楽器と化したキーボードのキーを踊りながら叩いています。

 お母さんのギターが天国への階段を駆け上ります。

 

 寄せては返す陶酔の波に揉まれながら、ライブハウスは一つの天体となって宇宙空間を漂い始めたのでした。

  

 さあ、いよいよアンコールです。

 新曲『ネルのねるねる大冒険』。

 ネルの澄んだ歌声が響きます。 


 っったっっ

 寝返り打ったら蹴とばした壁

 激痛と共に目を覚ます

 うるさい!

 二段ベッドの下の段から

 怖い先輩みたいな声がする

 思わず私は

 「すいません」

 しまった! 下で寝てるの妹なのに

 ピノの恨みは忘れてないよ


 ねるねるねーる ねるねるねーる


 6×2本のミミズ腫れと

 ちょっと数えるのが面倒なくらい沢山の

 同位角、錯角、対頂角を刻んだ

 筋肉質の尻をモリモリさせて

 地球最古のジャングルを進むサム

 板根という板の様な根を張り出した

 物凄く背の高い樹が沢山生えている

 タマンネガラのジャングルだ

 

 ねるねるねーる ねるねるねーる


 村と生贄の高床式少女(仮)を救うため

 大蛇オロチの胃の中の蛇玉を取りに行った管理人

 胃液で足首から下が溶け始めた

 すると

 マグマシェルターのライブで

 靴下の中に仕舞っておいた

 ドリンクチケットがボロッと出て来た

 あー! ドリンクチケット使うの忘れてた!


 ねるねるねーる ねるねるねーる


 ジャングルに少し入った樹の陰で

 野糞をしていたすず子が帰って来た

 可憐な少女に「野糞」だなんて

 失礼じゃない!

 でも野糞は野糞であって

 どこまで行っても野糞な訳で

 試しに広辞苑第五版をひっくり返すと

 野糞は【野外で糞をすること。また、その糞】となっている

 やっぱり、野糞は野糞

 どこまで行っても野糞は野糞

  

 ねるねるねーる ねるねるねーる

  

 「誰でも上手に弾ける魔法のベース」は無いけれど

 お父さんのベースラインで

 ほら皆が踊り出す

 

 お母さんのシャウトが

 胸に突き刺さる

 でも私は

 お母さんの寝顔が

 一番好き

 

 そしてココ

 出番の前に

 ゲームやってる

 あなた

 そういうところだよ!

 

 四人合わせて

 大抵ジャングル

 愛を運ぶよ

 家族のバンドで

 そして私は歌うんだ

  

 ねるねるねーる ねるねるねーる

 ねるねるねーる ねるねるねーる


【これにて全編終了】

                 

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