(18)やおいちゃん、箸が転げ回っても可笑しい年頃、そしてまた会う約束などすることもなく
その日の晩はネルとすず子とカブちゃんはおじいちゃんちの穴で寝ることになりました。
二代目暴走船頭はおじいちゃんちの穴の並びの空室の穴に寝に行きました。
案内してくれたガザルは帰りも自分が必要なのではないかと思って、とりあえず近くの樹で一晩を明かすことにしました。
深田恭子似とウーパーさんは近くの女性専用洞穴群で寝ることになりおじいちゃんが連れて行きました。ネルも一緒に女性専用洞穴群を見に行きました。
どうしてウーパーさんが女性専用洞穴なの? と違和感を持った方もいらっしゃることでしょう。
それはウーパーさんが「私、どっちかっていうと女性なのよ」と、自己申告したからでした。
そんな女言葉をしゃべるのは始めてでしたけれど。
確かにウーパーさんのつるっとした身体に木筒を装着する必要のありそうなところはどこにも見当たらなかったので、まっ、女性専用洞穴でもいいか、ということになったのでした。
女性専用洞穴群はポップな水色の岩壁の下にありました。
そこに十数個の穴が並んでいます。
ネルたちが到着すると、丁度井戸端会議をしている乙女が3人いました。
乙女たちは木の皮を剥いで作った小さな前掛けを腰の周りに付けているだけです。
一人が何かを言うと、後の二人が手を叩いて大爆笑をし、また別の一人が何か言うと残りの二人が身体をくの字に折り曲げて大笑いをする、ということを延々と繰り返しています。
何がそんなに可笑しいのでしょうか?
「箸が転げ回っても可笑しい年頃」とは正に彼女たちのことを指すのでしょう。
「あ、サムさんだ! こんにちは!」
乙女の一人がおじいちゃんを見つけて声を掛けてきました。
「今度会ったら私とデートしてくれるってこの間言ってたよね?」
乙女はおじいちゃんににじり寄って来ます。
「やおいちゃん、ごめん。今日は孫が来てるんで、そういう訳にもいかんのじゃよ」
おじいちゃんはまんざらでもない顔をして答えます。
「えっ、今度は私と、って約束したじゃない」もう一人の乙女が口を尖らせました。
「小百合ちゃん、ごめん。今度な」おじいちゃんは残念そうです。
「えー、私なんかもう3か月も待ってるんだよ。次は絶対に私だよ」
最後の一人がおじいちゃんに詰め寄ります。
「當間ちゃん、ごめん。ワシもそうしたいんじゃが身体がもたんのじゃよ」
おじいちゃんは悲しそうに肩を落としました。
「どんなに美味しいステーキでも毎日食べてたら胃にもたれるし、そのうち苦痛になるもんなんじゃよ」 おじいちゃんは誰に言うともなくつぶやきました。
それで、その日は深田恭子似とウーパーさんを空いている女性専用洞穴に案内しておじいちゃんとネルは男性専用洞穴に帰ってきたのですが、実はウーパーさんがその夜、引っ張りだこの大人気だったのです。
ウーパーさんの身体はツルツルスベスベしているし、目が無いので、見られていることからくる羞恥心に苛まれることなく大胆になれるというメリットがあったようです。
具体的な描写は、教育的配慮が必要と想定される読者が約一名存在すると仮定して物語を進行している為、今は避けますが、突起したビラビラのエラなども随分と役に立ったようでした。
それに竜宮城でのウーパールーパー人間を思い出して下さい。
人間とはまた違った細やかな感性を持った人たちでした。
しかも、閉ざされた世界で、快感に対して研ぎ澄まされた感覚を育んできた人たちですからね。
ウーパーさんが日照りの続いていた女性専用洞穴群にどのような恵みの雨を降らせたのか、想像に難くありません。
次の日の朝が来ました。
ネルたちは日本に戻ることにしました。
《「誰でも上手に弾ける魔法のベース」を借りることは出来なかったけど、おじいちゃんのアドバイスはお父さんだけでなく、私やココの上達にも寄与してくれるはずだわ》ネルは早く帰ってドラムの練習がしたくなりました。
ウーパーさんと二代目暴走船頭と深田恭子似はここに残ると主張しました。
ここがとても気に入ったようです。
「じゃあ、おじいちゃん、元気でね。無理して身体を壊さないでよ」
ネルはおじいちゃんとがっちり握手を交わしながら言いました。
「ネルも気を付けて帰るんだよ。皆にも宜しくな」
急に込み上げてくるものがあり、おじいちゃんはそれ以上言うことが出来ませんでした。
ガザルに先導されて、ネルとすず子とカブちゃんはジャングルをまた戻って行きました。
ガザルはウーパールーパー人間の住む洞窟を通らない近道でクアラタハンのホテルまで三人を送り届けてくれました。
クアラタハンで、ネルは旅に出たことをお父さんたちに伝える手紙をまだ出していないことに気付きました。
今更遅いとは思いましたが、ホテルに丁度ジャングルを空撮した素敵な絵葉書があったので、
「何も言わずに姿を消してしまって、ごめんなさい。
おじいちゃんに会いにタマンネガラのジャングルまで来ました。
おじいちゃんは元気でした。もうすぐ帰ります」
という文面と自宅の住所、お父さんの名前を書いてスキンヘッドのフロントマンに渡しました。
スキンヘッドは切手を貼って出しておいてくれると請け合ってくれました。
クアラタハンからボートに乗って(やはり暴走ボートでしたけれど)クアラテンベリンへ、そしてそこからバスに乗ってクアラルンプールに戻りました。
せっかくなので、クアラルンプールで一泊してマレーシア料理に舌鼓を打ったりしました。
クアラルンプールからネルの自宅のマンションへは、すず子とカブちゃんは自分の羽根で飛んで、ネルはカブちゃんの足に掴まって帰りました。
空の上から自宅のマンションが見えて来ました。
《随分長い旅になっちゃったな》
旅でのあれやこれやが蘇ってきてネルは感慨に襲われました。
ネルをマンション敷地の裏の空き地に下ろすと、すず子とカブちゃんは、また会う約束などすることもなく
「それじゃ、またね」
と別れて行きました。
「またね!」
ネルは飛んで行くすず子とカブちゃんに向かって大きな声で叫びました。
オレンジ色の夕焼雲の縁が、眩しいほど白く光っていました。
「ひくっ!」
なぜか、ネルはしゃっくりの発作
「ひくっ!」
に襲われながら、
「ひくっ!」
自宅に戻りまし
「ひくっ!」
た。
恐る恐るピンポンを押すと
「ひくっ!」
ココがドアを開けてくれました。
「お帰りなさい」ココが不機嫌そうに言います。
「ただいま。心配掛けちゃってごめ、ひくっ! んね」
ネルは感動の再会が繰り広げられるどころか、迷惑そうな顔をしているココを不思議に思いました。
「あたしもさっき、帰ってきた所だから」
ココはそう言うと、居間に駆け足で戻って行き、ソファーでスマホゲームの続きを始めました。
ゲームを邪魔されたので不機嫌だったようです。
「ちょっと事情があっておじ、ひくっ! いちゃんのいるタマンネガラに行ってたんだ」
ネルがココを追いかけて居間迄来て言いました。
「そう?」ココはゲームに夢中で上の空です。
「お父さん心配してなかった? 私が家を空け、ひくっ! ている間」
「お父さんまだ帰ってないよ。今日も遅いはずでしょ?」
ココはうるさいなー、と言った風です。
《私が何も言わずに居なくなっちゃったから拗ねている、ひくっ! のかしら》
ネルはそう思って、子供部屋に戻りました。
机の上にはすず子を入れておいた宝石箱や、夏休みの宿題として出された数学の問題集が置いたままになっていました。
ネルは、旅に出た時、丁度夏休みの初日だったことを思い出しました。
《そういえば今日は何日なんだろう? もう夏休みは終わっちゃった、ひくっ! のかしら?》
ネルは机の上にあった充電中のスマホの画面を確認しました。
《7月26日か、出ていった日と同じだわ。スマホが壊れちゃったのかしら?
それとも丁度まる1年、あるい、ひくっ! は2年経っているとか?
それじゃ、まるで浦島太郎ね。あの竜宮城に意外に長いこと居たのかも》
そんなことを思いながらネルは居間に戻りました。
居間の壁に掛かっているカレ、ひくっ! ンダーを見るとやっぱり7月26日です。
ネルの家では終わった日には斜線を入れていくので今日が何日か直ぐに分かるようになっているのです。
しかも出て行った時と同じ年のカレンダーではありませんか。
《ってことは、あの日のままってこと?
えっ、どうして?
どういうこと?
あれは夢だったの????》
驚きのあまりしゃっくりは止まっていました。
「ココ、私たち、ずいぶん長いこと顔合わせて無かったよね?」
ぷよぷよか何かのゲームに夢中になっているココにネルは話し掛けました。
ココはスマホから怪訝そうに顔を上げると
「長いことって云ったって、私が市営プールに泳ぎに行っていた間だけでしょう?
お昼だって一緒に食べたんだし。
あっ、言っとくけど、冷蔵庫のピノには手を付けて無いよ。
それと今日はまだゲームは20分しかやってないからね」と言うではありませんか。
《やっぱり、私がジャングルに行っていた時間はすっぽり抜け落ちているんだ。
この世界では私はどこにも行ってない。
何事もない日常が続いているだけなんだわ》
ネルはフラフラしながら自分の部屋に戻りました。
《一体、どうなっているんだろう?
地下アイドルのライブもジャングルでの出来事も全て夢だったってこと?
そんなのあんまりだわ》
ネルはショックで二段ベッドの上の段に力なく身を横たえました。
いくら考えても、考えはグルグル回るだけで、どこにも行き着くことはありませんでした。
その日の夜、ネルは夢を見ました。
ドライヤーのプラグをコンセントに差し込もうとしている自分の夢です。
プラグはどうしてもコンセントに刺さりません。
それで、別のコンセントに差し込んでみます。
でも、やっぱり刺さりません。
食堂や台所のコンセントも試してみましたが駄目です。
洗面所や果てはトイレのコンセントまで這いつくばって試します。
でも、やっぱり駄目です。
《どうして? どうして?》
ネルはいつまでも家中を、コンセントを探して走り回るのでした。
それから十日ほど経った日のことです。
ショックから立ち直ることが出来ずに落ち込んだままのネルが、トボトボとマンション1Fエンタランスの集合ポストに郵便物を取りに行くと、チラシやダイレクトメールに混じって一通の絵葉書がありました。
ジャングルの写真の絵葉書です。
そうです!
ネルがクアラタハンのホテルからお父さん宛に出した絵葉書が届いたのです!
「夢じゃなかったんだ!」
ネルは思わず大声を出してしまいました。
管理室の小さな窓が開いて管理人が顔を出しました。
「あっ、管理人さん! 大蛇の胃液で溶けてしまったのではなかったの!」
ネルはびっくりして叫びました。
「のようですね」管理人はにっこりして言いました。
「管理人さんが、蛇玉を取って来てくれたおかげで高床式少女(仮)も村も救われたのよ」
「はい、嬉しゅうございます」
急に元気が出てきたネルは絵葉書を持ってルンルンで部屋に戻りました。
絵葉書をお父さんやココに見せて、ジャングルでの大冒険の話を聞かせてあげたい気持ちもありましたが、ネルは止めておくことにしました。
だって、お父さんやココの世界ではネルはどこにも行ってないのですから、その世界はその世界でそっとしておくことにしたのです。
ネルはジャングルの絵葉書を空の宝石箱の中にそっと仕舞いました。
このようにしてネルの大冒険は、ネルとその仲間たち、ここまで読んでくれた読者の皆さん、そして不肖・筆者だけが知る秘密の物語となったのでした。
【つづく】




