(12)エピキュリアン、ミルキーウェイ、そしてココ壱番屋タマンネガラ店
その日は原っぱの縁に建てられていたブン・ブンと呼ばれる野生動物観察小屋で一泊することにしました。
ブン・ブンには先客がいました。三十代の双子の白人男性と若い金髪の女性が一人です。
「僕は双子の兄のギル」
「俺は双子の弟バート」
「私はバートの愛人オサリバン」先客の三人が自己紹介しました。
「僕はストイックな昆虫学者なんだよ」とギル。
「俺はエピキュリアン(快楽主義者)の風来坊さ」とバート。一卵性双生児の二人の顔の見分けを付けるのは不可能でした。
「私は尻軽のスーパーモデルよ」とオサリバン。
「僕は新種の昆虫を見つけることに人生を掛けているんだ。その為に全てを犠牲にし、ストイックな生活を送っているのさ」とギル。
「全く、そんなことして何になるんだって、俺はいつも言ってるんだけどね」とバート。
「僕は僕が発見して僕の名前の付いた虫たちで僕の標本箱を一杯にしたいんだよ」とギル。
「もっと今を楽しく生きれば良いのに。俺みたいにさ」バートは隣りのオサリバンのダイナマイト・ボデイーを引き寄せて言います。
「僕は昆虫学会のノーベル賞とも言われているファーブル賞が取りたいんだ」とギル。
「それで?」とバート
「そうすれば富と名声が手に入る」とギル。
「それが何になるの?」とバート。
「そうすれば好きなものが何だって買えるし、女の子にだってもてる」とギル。
「俺はブラブラしているだけだけど、女の子に不自由したことはないぜ。どうしてそんな遠回りをするんだい?」バートはオサリバンのがっしりした骨格に回している腕に力を込めました。
「結局兄さんも俺も求めているものは一緒なんじゃないかな」とバートは言いました。
「私達三人気が合うかもね」オサリバンがバートに抱き寄せられたままギルに流し目を送り、のど仏をゴクリと上下させました。
その晩6本の平行線×2のミミズ腫れと、数えるのが面倒なくらい沢山の同位角、錯角、対頂角を抱えて痛がっているサムを見かねて、ネルはサムの尻に軟膏を塗ってあげることにしました。
四つん這いで尻を突き出す褌一丁のサムが、痛さで腰をクネクネさせるのでネルは上手く平行線に軟膏を擦り込むことが出来ません。
「すず子、そこの取っ手を掴んでしっかり押さえててくれない?」ネルはしびれを切らして言いました。
「オーケー」すず子がサムの褌からはみ出していた取っ手を掴みました。しかし、取っ手は思いのほか柔らかくて腰を固定する役には立ちませんでした。
「カブちゃん、義元左文字をそこの軸受けに突っ込んで動かないように出来ないかな?」ネルのイライラが募ります。
「了解」
カブちゃんが義元左文字をサムの褌から覗いていたピンク色の軸受けに鞘ごと突っ込みました。
「クー!」
サムが何ともいえない奇妙な声を上げて四つん這いのまま背中を弓反りにのけぞらせました。
すると不思議なことにすず子が握っていた見掛け倒しのふにゃふにゃ取っ手が硬くなってきて、クネクネする腰を固定するのに好都合になったのです。
すず子とカブちゃんがサムの腰をしっかり固定してくれたおかげで、ネルは数えるのが面倒なくらい沢山の同位角、錯角、対頂角を包含する平行線×2に、滑らかな指の腹で首尾よく軟膏を擦り込むことが出来ました。
塗り終えると同時に、サムは腰をガクガク痙攣させながら「ウォーッ!」と雄叫びを上げて立ち上がりました。
ジャングルの漆黒の空に真っ白いミルクが迸りました。
ミルキーウェイすなわち天の川です。
夜空に掛かる天の川の美しさに、大口を開けて見入っているネルたちに、白い星屑がまるで降り注いでくるようでありました。
野生動物観察小屋のブン・ブンは鳥たちの騒がしい鳴き声に包まれた朝を迎えました。
ブン・ブンの窓からは、原っぱを見渡すことが出来ます。
原っぱには霧が薄く立ち込めていて、太陽が顔を出す前の薄明が一帯をグレーの濃淡で色分けしています。
原っぱに朝日が差し込んで来ました。薄く立ち込めていた霧がみるみる晴れてゆきます。
原っぱの真ん中の水場にアジアゾウの親子が見えました。隣にはマレーバクもいます。
昨日まっぷたつになって、またくっ付いたスマトラサイも何食わぬ顔で水を飲んでいます。
ガウルという野牛のつがいもジャングルから出てきました。肩が隆起していて身体は暗いオリーブ色です。四肢下部は白く、ソックスを履いているように見えます。先端が内側に強く湾曲した角を振りかざしています。
サルや鳥たちも沢山来ていて原っぱは正に野生動物の楽園でした。
ネルたちは蛇の様に仲良く絡まり合って寝ているギル、バート、オサリバンの三人を起こさないように注意しながら静かにブン・ブンを後にしました。
ホエザルや時折けたたましく叫びたてる鳥の鳴き声に切り裂かれるジャングルをネルたちは進んで行きました。
スズムシだかクツワムシだか、何かそういった類の虫の鳴き声も常に響いていました。
それは日本人が風情を感じるような、かそけき鳴き声ではなく金属のやすりを擦り合わせたような耳障りな音でした。
赤土が剥き出しになった小さな谷に粗末な丸太製の橋が架かっていました。谷の底には表面に黒い油が浮いた水が溜まっています。浮いている枯れ枝の隙間から怪物でも出てきそうでネルは冷や冷やしながら橋を渡りました。が、大丈夫でした。
ジャングルの道は段々細くなってゆきました。カブちゃんが先頭に立って義元左文字で藪を切り払いながら進んでいましたが、首筋にヒルが取り付いたので悲鳴を上げてジタバタし始めました。
「ヒルだー、ヒルー。もう無理ー。助けて~」
すず子が錫杖を地面にシャンシャンと突くと、ヒルはポトリと落ちました。
ヒルは無理矢理引き剥がそうとすると皮膚を破ってしまうので、ライターの火を近付けたり塩を掛けたりして取り除く必要があるのですが、すず子のシャンシャンがあればそんな面倒なことをする必要もありません。
それからは、すず子がカブちゃんの後ろでシャンシャンして、邪悪な虫を蹴散らす妖術を使いながら前に進みました。
そのうちに小さな渓流に出ました。渓流には心地良い涼しい風が流れていました。
「よし、ここで昼飯にしよう」サムが言いました。
皆は足が棒の様になっていることに気が付きました。
朝食にランチパック・ピーナツバター味を半分ずつ食べただけだったので皆お腹がぺこぺこでした。
サムは藪の中に入って行くと鉈で竹を一本切り、枝を払い、引き摺って戻ってきました。
竹を節ごとに短く切ってその容器の中に持ってきたお米と渓流から汲んだ水を入れ、その辺に生えていた草の葉っぱを突っ込んで蓋をします。
サムはそれを4つ作りました。それから枯草にライターで火を付け、少しずつ太い枝に火を移していきました。焚火が出来るとそこに先程のお米を入れた竹を立て掛けました。(タケタテカケタ)
次にリュックから鍋を出して、水と近くに生えていたタケノコを刻んで入れて火に掛けました。
それからサムは渓流の水際の石をひっくり返し始めました。そして逃げていく何かを素早く捕まえると高く掲げました。
「捕ったどー」
「蟹ですかー?」ネルが尋ねます。
「エビでんす!」
サムが答えました。
そんな風にしてあっという間に、4匹の川海老をゲットしてそれを固形のカレールーと一緒にタケノコの入った鍋にぶち込みました。
火に掛けたお米の入った竹筒の縁からブクブクと白い泡が吹き出し始めました。
そのうちに焦げたような匂いがしてきたのでサムは竹筒を火から離して蒸らしました。そ
れからまた藪に入って行くと大きな葉っぱを4枚取って来て、それを皿にして竹筒から出したホッカホカのご飯を乗せ、鍋のカレーを上から掛け、更にリュックからタッパーに入ったコロッケを出してその上に載せました。スプーンのセッティングも完了です。
「さあ、川海老タケノコカレー1辛コロッケトッピングご飯は400グラム、の出来上がりだよ。召し上がれ」サムが言いました。
「ココ壱番屋タマンネガラ店かよ!」
カブちゃんが、すかさず令和ロマン・松井ケムリばりの速攻アドリブ・ツッコミを入れてあげました。
サムはもっと違うものを別の所に突っ込んで欲しくて義元左文字に熱い視線を送るのでした。
大自然の中で食べるワイルドなジャングルカレーが美味しかったことは言うまでもありませんが、言ってしまいました。
食後に渓流の水音に耳を傾けながら、その辺でゴロゴロしている時間はなんとも贅沢な時間でした。
しかし、いつまでものんびりしている訳には行きません。
一行は渓流を越えて再びジャングルを進み始めました。
いよいよ藪が深くなり、身体に絡み付いてくるので、先へ進むのに大層骨が折れます。
ただ幸いなことに骨折した訳ではありませんでした。
ふいに、目の前に崖が立ちはだかりました。
オーバーハングした崖の下部には洞窟の入り口がぽっかりと口を開けています。
「僕がサムさんに付いて行ったのはここまでだよ。サムさんはこの洞窟を通り抜けてジャングルの奥へ行くと言っていたよ」サムが言います。
「ここから先には、僕はもう行けないよ。君たちだけで大丈夫かい?」サムは心配そうにネルたちを見ます。
「大丈夫。ここからは私たちだけで行くわ。サムさんありがとう」
ネルは洞窟の中を覗き込みながら気丈に言いました。
すず子はネルの肩口からおずおずと視線を伸ばしています。
カブちゃんは義元左文字を鞘に納めて、気持ちを落ち着かせているようでした。
真っ暗な洞窟の奥に一体どんな危険が待っているのでしょうか?
三姉妹のように見える三人の運命や如何に!
【つづく】




