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9月5日、猫駅長とシフォンケーキの午後

 公民館のカフェコーナーは、窓から差す日差しがまぶしい。エアコンの効きすぎた部屋に比べて、ここはほどよいぬるさ。私は四人ぶんの紅茶をトレーに載せ、テーブルへ戻る。智子がスマホをかざして叫んだ。


「さっきニュースでね~、和歌山のごたまこ駅長、正式に就任したって!」


 がちゃりと椅子を引きながら、佳代が冷めた声を返す。


「猫に駅長、切符売れるわけないでしょ。給料はカリカリ一袋?」


「前任のたまこ駅長は十六年勤務したそうよ」智子は画面をスクロールさせる。「今回のごたまこちゃんは7ヵ月の雌。白い手袋はいてて、顔がちょっと『ふく』って感じなの」


「ふくって、福袋のふく?」美咲がティーケーキを口に運びながら首を傾ける。「ごたまこって、『ご当地アイドル』の略じゃない?」


「それ『ご当地グルメ』よ」佳代が即座に突っ込む。「アイドルにしたら事務所が必要でしょ。スタジオ代だってかかるわ」


 私は紅茶を啜りながら苦笑い。――たまこ駅長の話を聞いたとき、娘が「猫の方がずっと真面目に働いてる」と言ってたのを思い出す。まあ、週に五日も出勤してれば偉いかもしれない。


「でもさ」智子が身を乗り出す。「貴志駅周辺、観光客増えてカフェが軒を連ねてるらしいよ。猫駅長効果で、年間経済効果十億円超えたって」


「十億!?」美咲が目を丸くする。「私、手作りシフォンケーキ、出店したいわ~。猫用にもふわふわスポンジ開発しよっか」


「猫に砂糖与えたら飼い主にクレーム入るわよ」佳代があしらう。「それより、駅長が妊娠したら産休取るの? 子猫に権限継承?」


 ふと、私のブラウスに紅茶の滴が落ちる。慌ててナプキンで拭くと、美咲が「大丈夫?」と覗き込む。


「ううん、ちょっと吹き出しそうになって」


「何がおかしいの?」


「だって、子猫に権限継承されたら、人事が複雑すぎるじゃない」


 四人してぷっと笑う。窓の外を、小学生の自転車がこんこんとベルを鳴らしながら通り過ぎた。


 智子が話題を変える。


「そういえば、愛知で100歳お祝いセレモニーやったって。知事と市長が自宅訪問して、人生語り聞いたらしい」


「100歳って、私の手作りシフォンケーキ食べてくれるかな」美咲がまた脱線する。「卵少なめにして、蜂蜜で甘さ調整すれば……」


「相手は100歳よ」佳代が呆れる。「歯、大丈夫か心配じゃないの?」


「むしろ、歯がしっかりしてたら逆に驚くわ」私が口を挟む。「うちの祖母、94でスイーツ大好きだけど、入れ歯外して一気に頬張るの」


「100歳の長寿の秘密、何だと思う?」智子が興味深そうに訊く。「ニュースでは『毎日の散歩と、家族とのおしゃべり』って言ってたけど」


「私、手作りシフォンケーキも効果あると思う」美咲は譲らない。「小麦の香りに癒やされるし、卵のタンパク質……」


「タンパク質なら豆腐安いわよ」佳代が一刀両断。「百歳になるまでに貯めた年金、シフォンケーキに注ぎ込むの?」


 またしても笑いが爆発。隣のテーブルでパソコンを開いていたおじいさんが、ちらりと顔を上げる。私は小声で謝ると、話を続けた。


「でも、知事と市長が自宅まで行くって、すごくない? うちの市長、町内会の集まりにも来ないくせに」


「きっと選挙の票欲しさ」智子がにやりとする。「100歳票、一枚で家族十枚分のインパクトあるし」


「それにしても」私はティーカップを置く。「人生100年時代って言うけど、私、老後資金まだ三百万しか……」


「三百万!?」美咲が驚く。「私、それ以上使っちゃった。主人に『手作りシフォンケーキ研究費』って名目で」


「研究費じゃなくて、喰費でしょ」佳代が突っ込む。「百歳まで生きるつもりなら、もっと節約しなきゃダメよ。猫駅長みたいに働く?」


「猫駅長、時給いくらだと思う?」私がふと疑問に思う。「サークルKのバイトより多い?」


「多かったら私も応募したい」智子が笑う。「週五日、寝てるだけでいいなんて、最高じゃない」


 話はいつの間にか、猫の労働条件へと収斂していった。美咲が「毛づくろい手当ても必要ね」と呟いたとき、智子がまたスマホを振りかざす。


「北海道のニュース! 北広島市で親子クリーン活動、150人参加したって。子どもたちが積極的にゴミ拾いして、地域の人がにっこり」


「150人!?」私は驚く。「うちの校区の掃除当番、3人しか来ないのに」


「きっとごほうびがあるのよ」佳代がにやりとする。「参加したら手作りシフォンケーキでもらえるとか」


「私、配るわ!」美咲が張り切る。「レモン味と抹茶味、用意しよっか」


「ゴミ拾いに抹茶?」佳代が眉を上げる。「落ち葉と区別つかなくなりそうじゃない」


「でも、子どもたちが喜んで掃除するなんて、素敵だな」私は窓の外を見る。グランドでサッカーしてる小学生たち、汗だくになってる。「うちの子、部屋の掃除すらしないのに」


「親が率先してやらなきゃだめよ」智子がうなずく。「明日から私、駅前でポイ捨てチェックしようかな」


「ポイ捨てより、猫駅長の写真撮りに行きたい」私が本音を漏らす。「インスタ映えしそう」


「インスタするなら、私のシフォンケーキも一緒に」美咲が商魂たくましい。「ハッシュタグは#ごたまこシフォン」


「意味わかんない」佳代が苦笑い。「でも、癒やされるわね。くだらない話して、くだらない笑いして」


 時計を見ると、三時十五分。そろそろ子どもたちの下校時間だ。


「そろそろ解散?」私が声をかけると、美咲が「最後に一杯だけ」と紅茶を注ぐ。カップの縁で、薄いオレンジ色の波が揺れる。


「明日は何の話しよう」智子が楽しそうに訊く。「台風情報? それとも新しい商業施設?」


「どうでもいい話でいいじゃない」佳代が笑う。「また明日も、こんなくだらない話で笑おうね」


「うん」私は頷く。「くだらない話が、一番楽しい」


 カップを合わせて、小さな乾杯音。公民館の外で、また自転車のベルが鳴った。今日は、どこか遠くで猫が駅長就任の就任式をしているのだろう。明日も、きっと平和な一日になる。

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