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屈斜路の木、ソヴィエトの大地

作者: 伏見來

 一九四五年、日本はソヴィエト連邦率いるコミンテルンに敗北した。敗戦に際し、宮城県の仙台と青森県の津軽海峡に原子爆弾が投下され、民間人軍人問わず多数の死傷者を出した。アメリカ合衆国によって墜とされたドイツと違い、ソ米の両国によって墜とされた日本は岐阜長野間の県境を基礎として東西に分断、現在においても分裂状態が続いている。私の故郷である北海道は東京を首都とした日本人民共和国への編入さえ許されず、いまだにソ連の直轄地となっている。

 私は、日本人である。私の高祖父は元屯田兵であった。もとは長崎の人であったそうだ。写真があるわけでもなく、祖父からそう聞かされただけだったが。そんな祖父も一九九二年に屈斜路湖で行われたソ連軍による核実験に巻き込まれて死んでしまった。と言っても確証があるわけではない。遺体が見つかったわけでもなく、ただ、その日その時、認知症の激しかった祖父は家を出た。そして、屈斜路湖の方へ歩いていく祖父を見た者がいただけである。

 祖父は歩いていた。私はそれをただ黙って見ていた。いつもは孫の私を見るなりそれはそれは大層喜んでくれるのだが、その日はただ黙って、道の先の先を見据え、私の隣をただすれ違っていった。幼かった私は核実験が何たるかを知らず、また祖父の患った病気がなんであるかを知らなかった。愚かな孫であり、愚かな男であった私によって祖父は殺されたのだと、そう、私を責め続けていた。

 私は屈斜路湖の近くにあるとある木をよく訪れる。その木は幹がひん曲がり、まるで風になびく雑草のように伸びていた。雑草、雑草だ。人にとって、もはや太く逞しい木でさえ雑草のように取るに足らないものとなってしまった。私はその木が核実験によってひん曲がったものかどうかは知らない。そんなことは微塵も気にもならない。そんなことなぞ、どうだっていい。どうやら私にとっても、この木は雑草のように取るに足らないのだろう。

 いつの日か、私はこの木を私の人生と、一生と重ねるようになった。祖父を殺した私はもう二度と元のように真っ直ぐに伸びることはないだろう。伸びようとしたって大した人生にはなるまい。私はひん曲がってしまった。私にとってこのひん曲がった先こそ、道の先の先なのだろう。私は人殺しだ。

 だけど、やっぱりお前らが悪い。

 私は、日本人だ。ソヴィエトの大地に伸びるひん曲がった、パルチザンだ。

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