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反感と予想外の攻撃

 日が昇り、街が眠りから目覚める。人々は活動を始め日常の喧騒に身を沈めている。今日も良く晴れて抜けるような青空が広がっている。そんな日常を傍目に赤龍(チーロン)は仮眠を取り、夕刻になってブラックウルフのアジトへと向かった。


 オフィス街の一画。とある雑居ビルの一フロアにアジトはあり、表向きは普通の会社の看板を掲げている。金融業を主体とした会社だが、ブラックウルフの資金源となっている会社だ。赤龍(チーロン)がフロアのドアを開けると、中にいた数名が鋭い視線を向けてきた。


「何の用だ」


 中でも最も眼光鋭い中年の男が警戒したように声を上げた。赤龍(チーロン)は男を一瞥して口を開いた。


「ディノはどこだ」

「ボスならまだ到着していない。ボスに何の用だ」


 警戒心を強めた男はどこか凄みのある視線で赤龍(チーロン)を睨んだ。


「今日のパーティについて少しな……」

「俺が先に聞いてボスに伝えてやる」

「いや、直接ディノに話す」

「ブラックウルフの実務を仕切っているのは俺だ。まずは俺に話してもらおうか」


 男の言葉に赤龍(チーロン)は軽く溜息を吐いた。男の名は確かハリーとか言ったか。ブラックウルフの幹部の一人だ。元々アメリカで長くディノの下で働いてきた男で、イギリス進出の際に幹部に抜擢されたと聞く。選ばれたという自尊心が高く、破格の待遇で雇われた赤龍(チーロン)に対して当たりが強い。


 敵対心を隠さずに言うハリーに赤龍(チーロン)は軽く溜息を吐いた。


「……今日のパーティは襲撃される可能性がある」

「なんだと?」


 ハリーだけでなく、近くににいた者全員の視線が赤龍(チーロン)に向けられた。聞こえた言葉の内容に驚いたようで、目を瞠っている。


「狙いは首相のようだがな」

「それが事実なら大事じゃないか。警察には通報したのか」


 その言葉に赤龍(チーロン)は眉を寄せる。


「警察に?俺が?それは何の冗談だ」


 裏世界で生きている人間にとって警察は最も距離を置きたい存在だ。そこにわざわざ通報してやる義理は無い。その事実に思い至ったのか、ハリーは口籠る。


「しかし……放っておくわけにはいかないだろう。ボスが出席するんだぞ」

「だから出席を止めるよう忠告にきた」

「いや……でもそうはいかないだろう」


 戸惑う様子のハリーに赤龍(チーロン)は眉を上げた。


「何故だ?首相を狙って襲撃される可能性がある。その場にいたら巻き込まれる可能性だってある。身の安全を図るのであれば出席を取りやめるのが一番だろう」

「しかし……確実に襲撃されると決まったわけではないだろう」

「ほぼ確実だ」


 赤龍(チーロン)はきっぱりと言い切る。既に爆発物も設置されているのを確認しているが、そこまで伝える必要は無いだろう。襲撃の事実を伝えられれば良いのだから。


 ハリーは呻いた。


「……そんな情報をお前はどこから得た」

「当の本人からだ。襲撃を手助けしてくれと頼まれた」

「なっ……まさか受けたのか」


 思いもよらない回答だったのだろう。目を剥いて驚愕するハリーに赤龍(チーロン)は軽く鼻で笑う。


「まさか。丁重に断ったさ」

「いや、それよりまず止めろ。黙って見過ごすとか、正気か」

「俺が止めたところで止めるはずが無いだろう。あいつらは何か月も前から綿密に計画を立てて実行に移そうとしているんだ。俺の一声で止めるくらいなら最初から計画なんぞしていないだろう」

「それは……そうだが」

「俺にできることは、ディノに出席を見合わせるよう忠告するくらいだ。忠告を聞いた上で出席するというのならそれは本人の自由だ。俺に止める権利は無い」


 赤龍(チーロン)の言葉にハリーは沈黙した。信じてもいいものかどうか思案している様子でじっと赤龍(チーロン)を睨みつけている。


 信じられなければそれでいい、と赤龍(チーロン)は思った。所詮自分は余所者だ。もとより信用はされていない。パーティにディノが出席して、襲撃に巻き込まれて命を落とせば、それはそれで手間が省けて良いかもしれない。


 そう思っていると沈黙していたハリーが呻くように口を開いた。


「……ボスに伝えて判断を仰ごう」




「襲撃だと?」


 険しい顔でディノが声を上げた。ハリーが頷いて続ける。


赤龍(チーロン)が言うには、ほぼ確実に実行されるだろうとのことです」

「本当か?」


 向けられた視線に赤龍(チーロン)は頷く。眉を顰めるディノにハリーが不安げに言う。


「ボス、出席を止めた方が良くないですか」

「それはできない。今回のパーティにはSSSの行く末も掛かっている。」


 イギリスでは新参者のディノが、政財界の重鎮が集まるパーティに出席できる機会を逃せるはずがない。ここで顔を売ることが出来ればイギリスでの成功にも繋がる。何が何でも出席する必要がある。


「ですが、ボスの身の安全が……」


 尚も言い募るハリーを目線で制し、ディノは赤龍(チーロン)に問う。


「襲撃は確実なんだな?」

「あぁ」


 ディノは暫く考えこむように黙り込んだ。襲撃の危険性と、参加することのメリットを計っているのだろう。しばしの沈黙の後、軽く頷いて周囲の者に視線を向けた。


「……パーティには予定通り参加する。」


 その言葉に赤龍(チーロン)はやはり、と思った。襲撃があっても顔を売る方を優先したいという貪欲さにある意味感心する。無論、その貪欲さが無ければイギリスに進出しようとは考えないだろう。流石は禍斗(かと)に魅入られるだけのことはある。


「会場内の警護については社の者に任せるが、会場の外の警備をお前たちに任せる。」


 ディノはブラックウルフの面々にそう言って、赤龍(チーロン)に向き直る。


赤龍(チーロン)、君も会場の外で不審な輩が近づかないよう警備をしてくれるか」

「襲撃があると分かってなお、出席するというわけか」


 身の危険より立身を取るか、と問うとディノは傲岸に笑った。どこか挑発するような眼差しで言う。


「護ってくれるのだろう。期待している」




 やはり出席を止めることは出来なかったか、と内心独り言ちて赤龍(チーロン)は開いた窓から下を見つめる。ディノがブラックウルフの面々に見送られ車に乗り込むところだった。


 止めたくらいで出席を取りやめるような可愛げがあれば、そもそも禍斗(かと)に魅入られることもなかっただろう。立身出世の欲望が人一倍強いからこそ、危険を承知で出席するのだろう。


 ディノが乗り込んだ車が緩やかに動き始めた。時計を見ると七時少し前だった。出席を断念させることが出来ないならば、ここで足止めをする必要がある。


 赤龍(チーロン)は去ってゆくディノの車を見据え、軽く掌をかざした。軽く息を吸い、掌に気を集めてゆく。掌が軽く熱を持ち、気が圧縮されてゆく。弾丸程の大きさにまで圧縮して、ディノの車を目掛けて一気に放つ。それを二つ続けて行った。


 放たれた気の弾丸は真っすぐにディノの車へと向かい、パンパン、と乾いた破裂音をさせて車の後輪二つを正確に打ち抜いた。車が急ブレーキをかけて止まる。中から護衛の者が飛び出してきて辺りを警戒する様子を見せる。窓の下で見送りをしていた者達が何事かと騒然とするのを一瞥して窓に背を向ける。


 タイヤをパンクさせてしまえば動くことは出来ない。代車を用意するにしてもすぐには難しいだろう。パーティの開始時間まではあと少し。爆破予定時刻が七時半頃なのだから、これから新しい車を手配して向かったとしても、爆破時刻までに会場入りするのは難しいだろう。十分な足止めになる。


 ざわつく室内を傍目に、赤龍(チーロン)は部屋を後にする。まだやることは終わってはいない。パーティ会場の爆破を最小限に留めて、ウィルやロバートに万が一のことが無いようにしなければならない。


 大きく傾いた日は宵の気配を漂わせていて、この後に起こるであろう惨事の予感を彷彿とさせる。赤龍(チーロン)は街の人混みの間を抜けながらパーティ会場へと急いだ。




「そこで何をしている」


 唐突に背後から聞こえた声に眉を顰めて赤龍(チーロン)は振り向いた。視界に映ったのはハリーとその手下の男たち。全員が不穏な空気を漂わせて赤龍(チーロン)を睨んでいた。


 パーティ会場から少し離れたビルの屋上だった。建物に仕掛けられた爆発物を視界に入れつつ、パーティ会場全体が見渡せる位置に赤龍(チーロン)は陣取っていた。パーティの襲撃は、ターゲットが首相なので爆発さえ抑えることができれば目的達成と思っていいだろう。会場内はSSSの専門のガードマンがつくだろうし、会場周辺はブラックウルフの面々が固めているからディノに危害が加わることは無いだろう。


 そう思っていただけに、突然現れたハリー達の存在は想定外だった。 


「俺が此処にいるとどうして分かった」


 赤龍(チーロン)が問うとハリーの手下の男が気色ばんで言った。


「俺が後をつけていたんだ。どうにもお前は信用できない」


 男の言葉に赤龍(チーロン)は鼻白んだ。ブラックウルフに歓迎されていないことは分かっている。だからと言って任務を放り出したりはしないのだが、言ったところで信用はされないだろう。


 軽く溜息を吐いて「それで?」と冷たい視線を男に向ける。


「あんたらこそ此処で何をしている、と聞こうか」


 ブラックウルフの面々は会場周りの警備のはずだ。その警備を疎かにしてまで赤龍(チーロン)をつけてくる理由が分からなかった。自分が信用ならないと言うのであれば捨て置けばいいだけの話で、わざわざ自分たちの仕事を差し置いて何をしたいのだろうか。


 そう思っていると、ハリーが剣呑な様子で口を開いた。


「お前も周辺の警備を命じられているはずだ。こんなところで何をしている」

「俺なりに警備をしているつもりだが」


 ここからであれば、爆発物に壁を張ることもできるし、会場全体を見渡すこともできる。赤龍(チーロン)にとっては警備するのにうってつけの場所だ。


「こんな離れた場所にいて何が警備だ。ふざけているのか」

「いたって真面目だが」


 憤慨した様子のハリーを冷たい目で見る。


 只の人間のする警備と龍である自分の行う警備を同列に扱うほど馬鹿らしいことは無い。彼らは壁を張ることもできないし、身体能力を強化することもできない。物理的攻撃に対しては何かしらの防具を持つ必要があるし、自分の身体能力以上のことは出来ないか弱い存在だ。同じレベルで相手をする必要もない。


 だが、彼らは龍を知らない。赤龍(チーロン)が気功術を自在に操れることも知らないし、身体能力を強化して常人ではあり得ない力を発揮できることも知らない。だから、人の常識に照らし合わせて、この場所で警備をするなど有り得ないと言っているのだ。


「俺は行動の自由を条件にディノに雇われている。この場所で、俺はやるべきことがあるから此処に居る。あんたらなんぞに俺の都合が分かってたまるものか。俺は俺のやるべきことをやる。あんたらはさっさと戻って自分たちの仕事をしたらどうだ」


 皮肉を含んだ口調に男たちの目付きが変わった。侮られているのが分かったのだろう。いきり立ち殺気を含んだ眼差しが刺すように向けられてくる。


「貴様、舐めてんのか!」

「イギリスでは有名かもしれないけれど、俺たちからしてみればイギリスのような小さな島で粋がっている井の中の蛙なんだよ」

「ボスがどうしてお前なんかを買っているかは知らないが、俺たちには俺たちのやり方ってもんがあるんだ。従ってもらうぞ」


 口々に叫ぶ男たちを一瞥して赤龍(チーロン)は鼻で笑う。


「言いたいことはそれだけか」

「なんだと!」

「俺が雇われたということは、ディノにとって俺が必要な存在だったということだろう。あんたらはそれにケチをつけられる立場なのか?」


 その言葉に男たちはぐっと口籠った。赤龍(チーロン)の存在を批判するということは、赤龍(チーロン)を雇ったディノの判断を批判するのと同義だ。男たちは悔しそうに顔を歪める。


「くそっ……ボスはなんでこんなやつを雇ったんだ」

「あんたらでは役者不足だってことなんだろう」


 赤龍(チーロン)の一言に男たちの顔色が変わった。


「俺たちが無能だと言いたいのか?」


 怒りを多分に含ませた声でハリーが言う。その額には青筋が浮いている。イギリス進出に「選ばれた」自尊心の高いハリーの、どうやら逆鱗に触れたらしい。今にも殴りかかってきそうな剣幕だ。だがその衝動を懸命に抑えている様子があった。衝動に駆られて行動する下っ端と比べれば、さすがは幹部といったところか。


「そう思いたいのなら思えばいい。ただ、どちらにしてもあんたらだけでは足りないから俺が雇われたんだろう。俺は俺のやり方でディノの依頼を受ける。あんたらの指図は受けない」


 色を無くしたハリーと、怒りで顔を真っ赤にしている手下たちを一瞥し、


「もうパーティは始まっている。さっさと持ち場に戻って警備をした方がいいんじゃないか」


 言って赤龍(チーロン)は時計をちらりと見る。時刻は間もなく七時半になる。もうすぐ爆発の時間だ。

 ぎゃあぎゃあと何か喚いている男たちを傍目に赤龍(チーロン)は会場と設置されている爆発物に視線をやる。視界を遮るものは無い。爆発物をしっかり視界に捉え、それと建物との間に壁を張る。厚すぎないように、建物に最小限の被害が出る程度に。


 会場にはさっきディノが到着したのが見えた。間に合ってしまったか、と臍を噛む思いだった。会場入りしてしまったのであれば、いつウィルと接触するかは分からない。願わくば、接触する前に爆発の時間が来てくれると良いのだが。


 息をつめて爆発の瞬間を待つ。背後ではまだ男たちが何か叫んでいるが気にも留めなかった。意識を凝らして会場の気配を探る。黒龍(ヘイロン)の力が使われた気配はまだない。まだ接触はしていないようだ。それならばいい。接触前に早く爆発してしまえ。


 そう思っていると、不意に背後から肩を掴まれた。


「聞いているのか、赤龍(チーロン)!」


 先ほどから後ろで何か喚いているのは聞こえたが、完全に右から左に聞き流していた。爆発時刻が近いのに五月蠅いな、と舌打ちして、壁を維持したままちらりと横を見る。憤怒の表情のハリーが見えて眉を顰めた。


「忙しいんだ。後にしてくれ」


 今は相手をしている暇はない。そう言って肩の手を払った瞬間、物凄い爆発音と地響きがして空気が揺れた。爆発の時間になったようだ。視界の端に火花と白煙が上がるのが見え、そちらに気を取られた刹那――


 パン、パン、と乾いた銃声がして腹部を衝撃が襲った。


「———っ!」


 腹部に目をやると、銃口から細く上がる硝煙が見えた。その銃を握る手は隣に立つハリーに繋がっていて、視線を上げると、憤怒の表情でこちらを睨みつけてくる眼差しとぶつかった。腹部に感じる灼熱の疼痛。腹を撃たれたのだと気付いて目を瞬いた。


「ふざけやがって、貴様などブラックウルフには必要ない」


 ハリーが憎悪を滲ませて低く言い、銃口を赤龍(チーロン)の額に向ける。


「死ね」


 銃口に指が掛けられ、まさに引かれるその瞬間、赤龍(チーロン)の瞳が赤く色を変えた。自身の気を一気に解き放つ。それは激しい突風となって辺りを駆け巡り、その場にいた者達を問答無用で吹き飛ばす。ある者は屋上の出入り口に全身を叩きつけられ、ある者はフェンスを飛び越して地面へ落下した。ハリーもまた吹き飛ばされ、屋上のフェンスを突き破って下へ落下してゆく。少しの間を置いて、ゴンと硬いものが地面に叩きつけられる音がした。ビルの高さは十二階。落ちて命があるはずが無かった。出入口に叩きつけられた男も、もはや原型を留めていないドアに身を預けるように倒れ、穴という穴から出血していて、事切れているのが一目瞭然だった。


 足から力が抜けて、赤龍(チーロン)はその場に膝をついた。腹を押さえると真っ赤な鮮血が手を濡らす。腹部から大量の出血をしているのを自覚して呻く。


 侮っていた。まさかハリーがこんな手段に出るとは思ってもいなかった。


 ブラックウルフの者達から歓迎されていないことは重々承知していた。あちらはアメリカでは覇権を揺るがすことの無い存在で、イギリス進出に選抜されたという矜持がある。イギリスでも自分たちの力を見せつけてやろうという勢いの中に、放り込まれた赤龍(チーロン)の存在。イギリスという小さな島国では名が知れているが、アメリカにまで伝わるほどではない存在。そんな矮小な存在を破格の条件でディノが雇ったという事実は、彼らには受け入れがたいもので、協力して何かを成せと言われても納得できるものではなかったのだろう。顔を合わせた時に隠しようもない敵対心を向けられて、赤龍(チーロン)は彼らと相容れることは無いと思った。だが特段困るわけでもなかった。行動の自由を条件に雇われたのだから、彼らと協力して何かを成すことはあり得ない。だから問題ないと思っていた。


 だが、敵対心の根は想像以上に深かったようだ。ディノが雇った赤龍(チーロン)を害すということは、ディノの采配を否定することで、ディノに知られればそれ相応の処罰が待っているだろう。――尤も、処罰を受けるにも彼らは既に事切れている。処罰を受ける機会は永遠にやってこない。だが、もし息があったとして、彼らは処罰されることを承知の上で赤龍(チーロン)を害することを決めたのだろう。それほどまでに赤龍(チーロン)の存在がブラックウルフの者達にとって受け入れ難い存在だったのだろう。


(……見縊っていた)


 ディノに直接雇われているのだから、相容れなくともブラックウルフの者達が正面切って何かをしてくるとは思っていなかった。そこは完全に赤龍(チーロン)の落ち度だ。気位の高い、だがディノの意向には逆らわない従順な駒だと思っていた。従順な駒程、何かのきっかけでとんでもない行動を起こす、と言うことを忘れていたのではないか。幼い頃から生きてきたこの世界の常識なのに、しばらく平穏な状態が続いて感覚が鈍磨していたのだと思う。


 赤龍(チーロン)は唇を噛んだ。腹からの出血は黒のズボンを赤黒く染め、膝をついた床には血だまりが広がってゆく。足に力が入らず、出血と共に頭の方から血の気が引いてゆく。


(これは……不味いな)


 己の体の状態を感じて思う。至近距離から撃たれた弾丸は急所を抉っているようだ。このまま何もしなければ、ものの数分で抜き差しならない状態になってしまうだろう。


 赤龍(チーロン)はもう一度腹に手を当て、掌に力を込める。瞳が赤く染まり、掌から赤い光が発せられて腹に消える。身体強化の力で、体の回復力を高める。急所の傷を塞がなくてはならない。力によって腹部には疼痛とは別に熱い熱が広がってゆく。兎にも角にも出血を止めることが先決だ。


 暫し、その場で蹲り傷が塞がるのを待つ。だが的確に急所を抉った傷は治癒力よりも出血が勝り、なかなか血が止まらない。肩に掛けたボディバッグを外し、上着を脱ぐと腹部に二つの穴。そしてその穴から吐き出される夥しい量の鮮血。


 赤龍(チーロン)は舌打ちをしてボディバッグから布と包帯を取り出す。布を傷口にあてがい、包帯できつく巻いてゆく。治癒力が傷に追い付いていない。物理的な止血を施して凌ぐしかない。


 包帯を巻きながら苦笑する。


(こんなことのために持ち歩いていたわけではないのに)


 ボディバッグに常備している包帯と止血用の布。自分が傷を負うことを想定して持ち歩いていたわけではない。そう、これはウィルの為のもの。共に暮らしていた時からの習慣のようなもの。鍛錬でしょっちゅう傷を負うウィルのために常備していた。その習慣が今も抜けない。


 今はウィルと対峙することはあっても治療をすることは無いのだから、本当は持ち歩く必要なんてない。常に身軽でいたいところに余計な荷物を常備していることになる。余計なものは即手放してきた自分らしくない、と思う。だがどうしても手放す気になれず、ずっと持ち歩いている。それがまさかこんなところで役に立つとは思わなかった。


 傷口をきつく締めあげて、それでなんとか多少は抑えることが出来た。蹲ったその場は血の池となっており、相当量出血したのが分かる。立ち上がろうとすると酷い眩暈を伴った。まともに動ける状態じゃない。だが、この場に長居は無用だ。


 壁に手を当てて赤龍(チーロン)は足を踏み出す。階下への出入り口は大破して通れる状態ではないため、非常階段に繋がるドアを開けてゆっくりと階段を下りてゆく。十二階分の段差を下りるのは傷ついた躰ではかなりの苦行だった。一階についた頃には息は上がり、額には脂汗が滲んでいた。まだ日が落ちておらず、ビルに面した通りには人通りがある。黒い服故に服が血で汚れているのは一見して分からないが、こんな状態で人通りの多い中を歩くわけにはいかない。建物脇の通路から路地裏に入り、人気のない道を進む。とにかく一度家へ戻って処置をしなければ。建物の壁に手を突き、足を引きずりながら歩く。歩みの軌跡を示すように、点々と血痕が地面に残り、続いていった。

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