陰謀
「赤龍、例の件は考えてもらえたか」
電話の向こうで男は言った。赤龍は顔を顰めて低い声で答えた。
「何度も言うが、答えはノーだ。お前たちに協力することは出来ない」
ディノと別れ、自宅に戻った赤龍に掛かってきた一本の電話。深夜の着信は静まり返った室内に良く響いた。ディスプレイに表示された名前を見て赤龍は眉を顰めた。電話の相手はかつて同じ組織に属していた、かつての仲間だった。
「そう言わずに、考え直してくれないか。もう明日なんだ」
縋るような声がスピーカーから聞こえる。赤龍は突き放すように冷たく言う。
「無理なものは無理だ。俺に頼らず自分たちでやればいい」
「勿論、自分たちでやるがそこにお前の手助けがあれば助かるんだ。なぁ、昔の誼で助けてくれないか」
「パーティを襲撃して首相を襲うなど、手助けして俺に何の得がある」
「報酬は弾む。だから」
「金など有り余っている。俺はやらんよ」
にべもなく断って赤龍は溜息を吐いた。
彼からその計画を持ち掛けられたのは一ケ月程前のことだった。首相の参加するパーティを襲撃すると聞いて呆れた。
彼はかつての組織が壊滅した後、反体制派の組織に入った。反体制派が裏世界の組織と繋がりがあることは多々あり、彼のように所属組織から離れた後に反体制派の組織に入ることも多かった。
「赤龍、頼むよ。今のこの国の政治を変えるには強硬手段に出る必要があるんだ。腐りきった政治を正すには首相を襲い、議会を解散させて悪徳議員を政界から排除しなければならないんだ」
現政権はカルト宗教と繋がりがあると噂され、法の改悪が相次ぎ、税負担が国民に圧し掛かっているのは事実だった。それに対し非難の声を上げる者も多く、反体制派はこぞって現政権を批判していた。彼も例に漏れず現政権に憤っているようだ。
「お前が義憤に駆られているのはよく分かるが、生憎俺にはこの国の政治も、この国の行く先も興味が無い」
赤龍もこの国の国民の一人ではあるが、自分が生きている裏世界において政治は何の意味も持たなかった。政治は表の世界で生きる人間のためのもの。法を守り、法に則って生きている表の世界の住人ならば今の政権に憤りを感じるのも無理はない。だが赤龍は法の外で生きている。所詮アウトローな存在である自分には関係のない話だった。
電話の向こうで「でも」と声を上げる彼を制して赤龍は言う。
「それに明日のパーティには俺の雇い主も出席するんだ」
「雇い主……ブラックウルフか」
「雇い主が出る以上、俺は雇い主を護らなければならない」
赤龍の言葉に彼は暫く沈黙する。ややして戸惑いを滲ませた声がする。
「……お前ほどの者がなんでブラックウルフみたいな新参者に付いたんだ?」
彼の疑問は最もだ。大企業のトップセールスマンが町工場に就職したようなものだ。戸惑うなと言う方がおかしいだろう。
赤龍は苦笑して
「そこは俺の事情がある。俺なりに都合が良かったから雇われている。それだけだ」
「雇い主を守るということは、俺たちの計画を妨害するのか」
声を潜めて彼は言う。その声にはどことなく警戒した様子がある。赤龍は苦笑したまま軽く息を吐く。
「妨害はしない。俺は雇い主を守るだけだ」
「俺たちの側には付いてくれないのか」
「だから言っただろう、政治にもこの国にも興味が無いと」
どう言い募ったとしても赤龍が考えを変える気が無いことが伝わったのだろう。彼は渋々といった具合で大きくため息を吐いた。
「……分かった。でも気が変わって俺たちを手助けしてくれることを期待する」
「そんな期待はしないでくれ」
言って通話を切った。
明日――深夜を回っているので正確には今日のパーティの襲撃。赤龍はスマホの画面を見ながら眉を寄せる。彼らの計画はパーティ会場を爆破して、混乱に乗じて首相を殺害するというもの。首相についてはどうでも良かったが、一つ気がかりがあった。
政財界の重鎮が出席する会議ならば、間違いなくロバートも出席する。そしてそこにディノが出席するとなれば、間違いなくロバートは神龍としての務めを果たそうとするだろう。神龍の務めは四龍を指揮して禍斗を葬り去ること。神龍の元には黒龍がいる。ディノと相まみえる機会を逃すはずがない。ほぼ確実にパーティにウィルを出席させてディノの暗殺を企てるだろう。
そう思ってスマホをポケットにしまう。
計画を妨害しない、とは言ったが、ロバートとウィルが参加するのであれば、会場の爆破は止める必要がある。いくら龍と言えども、予期せぬ爆発から身を護る手立てはない。神龍と黒龍にもしものことがあれば、それは即ち世界の崩壊につながると言っても過言ではない。万が一にでも二人の身に何かあってはいけない。なんとしてでも止めなくては。
赤龍は時計を見て少し考える。
爆発物を仕掛けるとしたら場所はどこか。首相が参加するパーティだから会場内は警備も厳重だし、不審物などあれば即発見される。会場内は無い。だとすると会場の外、建物の外か。仕掛けるのは当日の日中は有り得ないから、今夜のうちだろう。日が昇る前に見つけて対処しなければ、夜が明けてからでは人目についてしまう。
時計は既に深夜の二時を回っている。赤龍は大きく溜息を吐いて車のキーを握った。
深夜の街は静かだ。メイン通りから一本入るだけで街灯も疎らになりそこかしこに闇がわだかまる。人通りの絶えた暗がりはどこか退廃的な雰囲気を醸し出していて、闇の中から人外の何かがこちらの様子を窺っているのではないかとさえ思わせる。今はロンドンにディノがいる。 禍斗に魅入られた者が滞在する街は得てして瘴気が湧きやすい。この暗がりに瘴気が揺蕩っているような、そんな気さえしてくる。
頼りない街灯に照らされた道を車で走りながら赤龍は思う。
今夜のパーティでウィルとディノが相まみえたら、ロバートは確実にウィルにその使命を遂行させるだろう。神龍として黒龍に禍斗の抹殺を命じ、黒龍もそれに従うだろう。
早すぎる、と赤龍は思った。いや、龍としての力の完成が十五歳前後であることから見ても早すぎるわけではない。だが、ウィル個人を思えば早すぎるとしか感じられない。次の誕生日で成人を迎えるわけだから、決してもう子どもではないのは分かっている。しかし禍斗に魅入られた者の暗殺を実行するには、ウィルは純粋すぎる。ブラックウルフに対しても手心を加えているし、赤龍と対峙するときにも非情になれず自らが傷を負う羽目になる。
そんなウィルにディノを葬り去ることができるか不安だし、何より赤龍はウィルのその手を汚させたくなかった。人を殺める咎をその身に背負って欲しくは無かった。黒龍である以上、いつかは必ず手を汚さねばならないのは分かっている。だが、少なくともそれは今ではない。まだ、その時ではない。
だから、と思う。今夜のパーティでウィルとディノが会わないようにしたい。ディノを出席させないようにするのが一番だが、恐らくそれは難しいだろう。ならばパーティそのものを台無しにしてしまうのが手っ取り早い。会場の爆破は止めなければならないが、止めつつ利用させてもらおう。
車は人気のない夜道を走り、パーティ会場の入った建物へと着いた。茶色を基調としたレンガ造りの建物と建物の周囲を囲むように作られた広めの庭園。昼間であれば庭園の緑と建物の茶色の対比が空に映えて良いフォトスポットになるだろう。だが深夜の今、建物も庭も闇に沈み静まり返っている。
赤龍は建物から少し離れて目立たないところに車を止めた。建物の周りには今、人影は見られない。既に仕掛け終わったのか、それともこれから仕掛けるのか。どちらにしても確認しなければならない。車を降りると歩いて建物へと近づいた。
建物と庭園の周囲は高い柵で囲われている。建物の周りをぐるりと一周してみたが建物の入り口は当然施錠されているし、裏門も同様に施錠されていて入ることが出来ないようになっていた。柵は先が鋭利になっていてよじ登ることは出来ない。高い梯子を使ったとしても、入れても出ることは出来ないだろう。そう、普通の人間ならば。
赤龍は柵から少し離れるように後退り、腰を低く据えて足に力を込める。その瞳が赤に色を変えた次の瞬間、赤龍は地を蹴った。体が宙を舞い、柵を軽々と飛び越えると綺麗な放物線を描いて柵の内側に着地した。身体強化に長けた赤龍の力だ。
柵の内側の庭園は、通りに面した一画は街灯の明かりで照らされているが奥の方は闇に包まれている。だが赤龍には問題なかった。視力を強化することで夜目が利く。通りに設置された街灯と月明りを借りて、赤龍の視界には青褪めた景色が映る。音を立てないように慎重に建物の脇へと向かった。
パーティ会場は建物の一階、広い庭園に面した広間で行われる。会場のテラスから一続きになった庭園はバラのアーチがあり、日中であれば美しい色彩で人々の目を楽しませるであろう。しかし深夜の今は夜の闇に身を沈めている。青褪めた景色の中でその姿を一瞥し、庭園全体を見回す。会場から容易に見える場所にはまさか設置しないだろうとは思いつつ、植込みの陰などをチェックする。不審物は見当たらない。
「無いな……」と呟いて建物の方へ近づく。開口部に近い場所には何も置かれてはおらず、レンガの壁と窓が続いている。更に奥へと向かうと奥まった部分に配電盤とクーラーの室外機が置かれていた。室外機には変わったところは見当たらない。配電盤は鍵が掛かっていたが、念動力を使って鍵を開け、中をチェックする。やはり不審なところは無い。
見落としが無いかもう一度見廻ろうとしたところで、裏口から物音がした。裏門の鍵が開けられる音がして、赤龍は急いでそばの低木の陰に身を隠した。
様子を伺うと、裏門が開いて数名の男たちが何かを抱えて入ってきた。男たちは懐中電灯で足元を照らしながら忍び足で庭園を歩く。光が赤龍の隠れている低木のそばを通り過ぎて赤龍は息を潜めた。男たちは建物の陰へと進み、室外機と配電盤がある辺りで足を止めた。抱えていた荷物をそこで下ろし、小声で何か囁き合っている。
赤龍は聴力を強化して男たちの会話に耳を傾けた。
「……ここでいいのか?」
「あぁ、室外機に偽装すれば気付かれることもないだろう。そのためにわざわざ同じ外装の物を取り寄せたんだからな」
「数が増えていたら怪しまれないか?」
「パーティに来る客はこんなところにある室外機には興味も持たないさ。それにガードマンは既に買収済みだ。見て見ぬふりをしてくれる」
「それなら安心だ。」
「さっさと設置して戻ろう。こんな深夜とはいえ長居は無用だ」
「起爆装置のタイマーは何時間でセットするんだ?」
「パーティ開始が夜の七時だから七時過ぎに爆発するようにセットするんだ。そうだな…十六時間半ってところだな」
「よし、セットした」
「じゃあ、中に設置して……そうだ、それでいい。カバーを被せるぞ。どうだ」
「うん、どこからどう見てもただの室外機だ。場所も問題無いな」
「ならもう戻ろう。ほら、いくぞ」
人目を憚るようにして身を低くして男たちは裏門へと足早に去ってゆく。裏門の鍵がかちりと掛けられる音がして足音が去ってゆく。赤龍は低木の陰でじっと耳を澄まし、足音が完全に聞こえなくなるまでその場で息を潜めていた。
辺りが完全に静まり返って、風の音しか聞こえなくなった頃、赤龍は低木の陰から身を起こした。先ほど男たちが何かを設置していた場所へと近づく。建物の陰には先ほどまで一つだった室外機の隣に、もう一つ同じ室外機が置かれている。何も知らない人が見れば違和感は覚えないだろう。よく考えたものだ、と思う。
男たちが設置した室外機を検めると、中にタイマーと爆薬が設置されているのが分かった。タイマーが刻一刻と時を刻んでいる。爆発時刻は夜七時半頃。パーティが始まり、参加者の大半が会場入りする時刻だ。この量の爆薬ならば、パーティ会場を半壊させる程度の威力はある。そのまま爆発させるわけにはいかない。
(威力を抑えるには壁を張るのが適当か……)
爆薬と建物の壁の間に力で壁を張り、建物側の被害を最小限にする。人に被害は出さず、しかし爆発によりパーティは中止にせざるを得なくなる程度に。赤龍は試しに室外機と建物の間に壁を張ってみる。建物と室外機の間の隙間は十センチ程度。その隙間に、眼には見えないが硬質の厚い壁。この壁があれば建物への被害は防ぐことが出来るだろう。だが被害が皆無だとパーティが中止にならない可能性もある。ここは少し薄くして建物の外壁が少し崩れる程度にした方が良いだろう。
厚さを調節しながら赤龍は辺りを見回す。
爆発時にこの場にいるわけにはいかないから離れたところから壁を張る必要がある。遠隔で壁を張るには対象物が視界に入っていなければならない。見えない場所に壁を張ることは出来ないため、爆破時刻にこれが見える位置にいる必要がある。幸い、周囲はある程度の高さのあるビルが立ち並んでいる。そのどれかの屋上に陣取ることができれば壁を張るのは問題なさそうだ。
一通り手順を確認して赤龍は軽く息を吐いた。
爆発前にウィルとディノが接触してしまえばこの計画も台無しだが、そこはもう賭けに近い。どれだけディノの会場入りを遅らせることが出来るか。それが肝要だった。明日のディノの予定は、朝から夕方にかけて数件の会食やら会議が入っていたはずだ。それらについては表の仕事だから赤龍にはお呼びが掛かっていないが、パーティの前に一度ブラックウルフのアジトに立ち寄る予定になっている。そこで襲撃があることを伝えて、それでディノが出席を見合わせてくれるのが一番だが、恐らくディノは何があっても出席するだろうから、何とかして足止めする必要がある。
空には切り落とした爪のような細い三日月が浮かんでいる。それを一瞥して赤龍はその場を後にした。