飛龍(ふぇいろん)での居場所
去ってゆく赤龍の後姿を見ながら、ウィルは唇を噛みしめた。
赤龍が何を考えているのか全く分からない。四龍の一人でありながら神龍と対立するようにブラックウルフへ入ったことも、赤龍なりの思惑があってのことなのだろうが、それでも全く理解できなかった。赤龍が何も語ってくれない以上、ウィルには彼の心を推し量ることは出来ない。
心の中に重いしこりが残ったままで、ウィルは大きくため息を吐いた。ゆっくり立ち上がるとシャツを着なおして公園を出る。先ほど泣き晴らした目が重く、俯き加減に足を進める。炎天下の公園は人気が無く、余人に見られていなかったのは幸いだった。人気の少ない道を選んでウィルは街の外へと足を向けた。
街の中心部から少し外れると、伝統的な街並みが立ち並ぶ住宅街が広がる。その一角に大きなレンガ造りの倉庫が建っており、外からは生垣で目隠しされて中は伺えないようになっている。入口は門で閉ざされているが、門扉の鉄格子越しに中に人影があるのが見て取れた。
ウィルは門扉についているインターフォンを鳴らす。直ぐに中から応答があり、門扉の横の潜戸が開けられる。そこから中に入ると前庭で数名が組み手をしている様子が見えた。
ここは飛龍のアジトの一つ。大きな倉庫は二階建てになっており、一階部分にはトレーニングマシンなどが並びいつでも利用可能な状態になっている。また二階部分は住居となっており、ここで寝食を共にするメンバーも多い。ウィルは別に家があるためここで寝泊まりすることは無いが、特に指示が無い時などはトレーニングのため頻繁に出入りしている。
アジトにやってきたのはロバートから暫く飛龍の活動は禁止だと言われたことを仲間たちに知らせておく必要があるだろう、と思ってのこと。直ぐに一人の青年がウィルの方へ小走りにやってきた。
「 大人に呼ばれたんだって?」
そう聞いてきたのは飛龍のリーダー役を担っている冰冰だった。冰冰はオーシャン創業当初から王家に仕えてきた家系の出で、その影響もあってかロバートを 大人と呼び、恭順を示している。
どことなく緊張した面持ちの彼は、恐らくウィルの処遇について大方の予想がついているのだろう。その眼差しを受けてウィルは少し俯いた。
「当分……飛龍での活動は禁止だってさ。夜間の外出も禁止。大人しく学業に専念しろ、だとさ」
「それは……やはり赤龍とやり合ったことに対する懲罰か?」
頷くウィルを見て冰冰は眉を顰めた。
「謹慎はいつまでだ?」
「分からない。当分の間、としか言われていない」
「だとすると、長くなりそうだな」
そう言って冰冰は溜息を吐いた。
「ウィルに抜けられるのは正直痛い」
飛龍の気功術師の中でも龍であるウィルの実力は群を抜いている。大の大人でも赤子の手を捻るように簡単に倒すことのできるウィルの力は、その場にいるだけで十分な抑止力になる。無駄な諍いを最小限で収めるのにウィルは一役買っていたから、そのウィルが抜けてしまうのは冰冰たちにとっては痛手だった。
「俺が抜けても冰冰と華健がいるじゃないか」
華健もまた、冰冰と同じくオーシャン創業時から王家に仕えてきた家系の出だ。共に気功術に長け、冰冰と華健が実質、飛龍の実務の長を担っているといっても過言ではない。この二人がいればよほどのことが無い限り飛龍が負けるようなことは無いはずだ。
「最近のブラックウルフは見境なくスワロウテイルの縄張りを荒しに来ている。俺と華健では心許ない」
夜の街を見廻るのに、飛龍は手分けをして見廻りをしている。力の強いものを中心に、何班かに分かれて見廻るが、ウィルが抜けることで少なくとも一つチームが減る。ブラックウルフが頻繁にスワロウテイルと小競り合いを起こしている状況で、それは大きな戦力ダウンとなる。
「それに、赤龍が出てきたら正直、俺と華健では勝ち目がない」
龍である赤龍と対等に対峙できるのは黒龍であるウィルくらいだ。そのウィルが当分の間、飛龍の活動に参加できない。ロバートの指示とは言え、飛龍にとって負担の大きな処分となる。冰冰は重い溜息を吐いた。
自分の処遇が冰冰に迷惑を掛けていることにウィルは「ごめん」と呟いた。ウィルにどういう理由があろうとも、主であるロバートの命令に反したのは事実。その結果の処遇なのだから全面的にウィルに非がある。申し訳なく思っていると冰冰は少し苦笑して
「ウィルが気に病む必要はない。そもそも昨日の赤龍はウィルを狙っていたからな。あれは逃げたくても逃げられなかったろう」
ふと、ウィルの肩に目が留まる。シャツに血が滲んでいて冰冰は慌ててウィルの腕を掴んだ。
「傷が開いているじゃないか。直ぐに手当てを」
だが、ウィルは苦笑して首を振る。
「大丈夫だ。もう手当は済んでる」
「それならいいが……」
そう言って冰冰は建物の中へウィルを促す。日差しが痛いほど照り付けていて肌を焼いている。こんな炎天下で立ち話もなんだろう。
建物の中はトレーニングジムのような様相で、何名かマシンを使っている者がいる。奥の一画は仕切られており、ちょっとした会議などもできそうな小部屋になっている。簡易キッチンやテーブルが設置されており、コーヒーや紅茶など自由に飲むことが出来るようになっていた。
冰冰はカプセル式のコーヒーメーカーで二人分のコーヒーを淹れ、氷を放り込む。マドラーで掻き回すとカラカラと涼しげな音がして氷が解けてゆく。追加で氷を入れて冷え切ったのを確認して、ウィルの前にコーヒーを置いた。シロップを二つ添えるのも忘れない。ウィルも当たり前のように受け取り、コーヒーにシロップを二つ入れるとマドラーで一かき回し、一気に飲み干した。
「はぁ……生き返る」
しみじみとそう言ったウィルに冰冰は軽く笑って見せる。紅茶ではなく甘いコーヒーが好きなウィルの好みをすっかり把握している自分にまた笑う。
冰冰は既に大学を卒業していて、表向きはオーシャンと関係のない企業に勤めていることになっている。だが、内実はカモフラージュのための企業で実態は無い。昼はこのアジトでメンバーの鍛錬に付き合い、夜になると飛龍として裏世界の秩序を守るために働く。オーシャンの創業時から影の支えとして生きてきた家系だから、自分もその道に入ることは当然だと思っていたし、何の疑問も抱いていない。
だが、目の前の彼はどうだろうか。勿論、黒龍の宝珠を抱いて生まれたのだから黒龍として神龍に従うことは承知の上だろう。しかし、神龍に従って遂行する使命と、飛龍の活動は厳密にいえば同じベクトルにない。ウィルが飛龍に入ってもうすぐ三年になる。それまで表の世界にいた彼が裏世界にその身を置いたことをどう思っているのだろうか。
目の前でどこかあどけない表情を見せるウィルを見てそう思った。
「ウィルは……この世界に入ったことを後悔していないか?」
そう問いかけると、紺碧の瞳が訝し気に瞬いた。
「……後悔はしてないよ」
急に問われた内容に困惑しているように軽く首を傾げる姿に重ねて問う。
「黒龍としての務めは飛龍に入らずとも果たせるだろうに、どうして飛龍に入ろうと思ったんだ」
ウィルは二、三度瞬いて、視線を宙に彷徨わせた。どこか逡巡したような表情で視線を落とし小さく呟いた。
「赤龍も一緒だと思ったから……」
「でも、赤龍は飛龍に入らなかった。その時点で飛龍を辞める決断もできただろうに」
冰冰の言葉にウィルは少しだけ苦笑する。
「それはそうだけど……」
「お前は表の世界で、光の中で生きて行けただろうに、どうしてこちらに残ったんだ」
裏の世界で生きるには、ウィルは純粋だし眩しい。生まれながらに裏の世界で生きることが決まっていた冰冰には、表の世界で生きる道を持っていたウィルに対して若干の羨望がある。勿論、自分の今の境遇に不満を抱いたことは無いし、この世界でこれからも生きていく覚悟はある。だからこそ、表の世界で生きる道があるならば、そちらに戻してやりたいとも思う。敢えて厳しい道を歩む必要はないのではないか、と。
だがウィルは苦笑したまま
「この世界にいれば赤龍と繋がりを持てる。勿論、赤龍は四龍の仲間だから仮に表の世界にいたとしても繋がりが途切れることは無いのかもしれない。でも、俺が表の世界に戻ってしまったら、赤龍はそのまま姿を消して二度と会えなくなってしまう気がする。繋がりが完全に断たれるのは怖い。だから俺は確実に赤龍と繋がりが保てる世界に居たいんだ」
ウィルが飛龍に入る前、赤龍と生活を共にしていたことは知っている。命の恩人なんだ、と言葉少なく語っていた姿を思い出す。赤龍に関しては多くを語らないウィルだが、その言動の端々から赤龍に対するある種の執着は見て取れた。
「赤龍が大切なんだな」
そう言うと、ウィルは少し寂し気に笑った。
「ロバートの命令に反する程度にはね」
その笑顔がどこか傷ついているように見えて冰冰は思う。
ウィルにとって赤龍は恩人であり、執着もある存在だ。だが、冰冰の知る限り、赤龍はウィルに対する情を持ち合わせているようには見えない。対峙するときは常に冷徹で無慈悲だ。ブラックウルフと飛龍の間柄だから、というよりもウィル自身に対する冷酷さが見受けられる。それが証拠に、ウィルがいなければ赤龍は冰冰たちを歯牙にもかけない。対峙しても相手にされずそのまま去ってしまうことが多い。ウィルに対してだけ、酷く冷徹な態度を取る。
ウィルの語る赤龍の姿と、実際に冰冰が対峙したその姿がかけ離れていて、酷く不思議だった。ウィルと赤龍の間に一体何があったのか。気にはなるが、きっと聞いてもウィルは答えてくれないだろう。ならば無理に問うことはしない。ただ、ウィルが赤龍との関係に思い悩んだ時に、どんな形であれ支えてやれる存在であろうと思う。ウィルがこの世界に身を置く以上、それが飛龍のリーダーとして冰冰に与えられた役割なのかもしれない。
そう思って静かに口を開いた。
「もし、お前が何か思うところがあって気を煩わすことがあったら、その時は俺や華健を頼ってくれていいんだぞ。俺も華健も出来得る限りお前の助けになりたいとおもっているんだからな」
その言葉に、ウィルは一瞬目を見開いて、そして小さく笑った。
「どうしたんだ、急に」
冰冰の言葉が唐突に思えたのだろう。少し訝しげに首を傾げて、だけどどこか嬉しそうに言う。その顔を見て、冰冰は真摯な思いで言葉を紡ぐ。
「お前はまだ成人前だ。普段は大人ぶっているけれど、まだ子どもだ。頼るべき大人がそばに在って然るべきだ。俺と華健じゃ物足りないかもしれないけど、お前が辛くて弱音を吐きたくなった時に、受け止めてやりたいと思っている人間がいることは心に留めておいて欲しい」
「冰冰も俺を子ども扱いする」
口を尖らせて言うその姿は、やはり子供じみていて冰冰は少し笑う。
裏の世界で大人に混じって大人顔負けの力を振るっているけれど、実際は十七歳の少年だ。大人に対する甘えが下手なところは、幼い頃に両親を失ったことに起因しているのだろう。だからどこか危なっかしい。親に甘えるように、と言うのは無理でも、困った時に手を差し伸べてやれる存在ではありたいと思う。
そんな冰冰の思いが少しは伝わっているのか、口を尖らせながらもウィルは
「でも、ありがとう」
そう言ってはにかんだ。
心から嬉しそうなその表情を見て、冰冰はこの先、仮に何があってもウィルの味方でいてやろうと思った。赤龍との間にある軋轢を語ってくれることは無いかもしれない。だがその軋轢に思い悩んだ時に、一番身近にいる大人としてせめて支えてやろう。そう思った。