第二話
ユリアナ魔術学校の門が見えた瞬間、メアリーの胸がわずかに震えた。
空は晴れわたり、白い雲がゆっくりと流れている。新入生の一部がすでに集まり始めていたが、門の前にとまるクロンセチア家の紋章を掲げた馬車は、その中でもひときわ目を引いた。
「着きましたわね」
後ろに控えていたヘレナがそっと声をかける。メアリーはこくりと頷くと、荷物を運ぶ使用人に一つだけ視線を投げた。彼らの動きは無駄がなく、静かだった。
すると、あたりでざわめきが広がった。蹄の音が聞こえる。黒を基調とした車体に金の紋章が輝く馬車が、門の前に到着した。皇族の馬車である。
「あれはどなたかしら?」
私がそう呟くと、
「第二皇子のエドワード・フォン・グランデ皇子殿下ですわね。」
エドワード皇子の金色の髪が太陽の光で輝き、青い瞳は、まっすぐ前を見据えていた。エドワード皇子を見つめていると、また新たな馬車が門の前にとまった。
しなやかに降り立ったのは、水色の髪に緑の瞳を持つ少女。華やかな刺繍のローブが、朝の風に揺れる。
「アリシア・ガーネット」私は小さく名を呟いた。
クロンセチア家に次ぐ権力を持つ、ガーネット公爵家の長女。
すると、アリシアは、エドワード皇子の前まで堂々と歩くと、さっと一礼した。
「ご無沙汰しております。エドワード皇子殿下。殿下とここでお会いするとは思ってもいませんでした。」
「ああ。久方ぶりだね、アリシア。」
エドワード皇子は微笑んだ、ように見えた。しかしよく見ると、目が笑っていない。
「あら。あなたは誰かしら?」
するとアリシアは、私に近づいてきて言った。
「わたくしは、クロンセチア公爵の娘、メアリー・クロンセチアでございます。以降、お見知り置きくださいませ。」
「噂の影の花の公女ですわね。」
アリシアは冷たく言い放った。
「わたくしは、そのような噂、気になどしませんわ。美しいものが必ずしも光っているわけではございませんもの。光があれば、影がある。その影の部分を理解してこそ、本当の美しさが見えてくるのではございませんこと?」
私は静かに微笑んだ。アリシアは、どこか挑戦的な目で私を見つめている。
「やあ、アリシア。久しぶりだな。」
声がした方を振り返ると、そこには黒髪に琥珀色の瞳をした青年が立っていた。エドワード皇子と背格好が似ている。
「あら。セドリックじゃない。ごきげんよう。エドワード皇子には、ご挨拶は済んだの?」
アリシアが返す。
「ああ。エドにはさっき会ってきたよ。」
エドワード皇子のことを「エド」と呼べるなんて二人は相当仲が良いのだろう。
「ところで、そちらの令嬢は?」
「影の花の公女よ。」
「その呼び方はいただけないな。我々と同じく、公爵家の令嬢じゃないか。」
セドリックと呼ばれた人は私の前に来て跪いた。
「はじめまして、クロンセチア嬢。エマーニエル公爵家の嫡男、セドリック・エマーニエルと申します。以降、お見知り置きを。」
「はじめまして。どうかお顔をお上げください。私は、メアリー・クロンセチア。クロンセチア公爵の娘でございます。」
セドリックの丁寧な態度に、周囲の生徒たちが小さくざわめいた。クロンセチア家のいち令嬢に対して、エマーニエル家の嫡男がここまで礼を尽くすことを、誰もが意外に思ったのだろう。
「ずいぶんと丁寧なのね、セドリック」
アリシアが口元をゆるめて言う。しかしその声には、どこか棘が含まれていた。
「彼女はクロンセチア家の令嬢だ。敬意を払って何がおかしい?」
セドリックは穏やかな声で返すが、その瞳は静かな抗議を宿していた。
アリシアは視線をそらし、ふんと鼻を鳴らした。
「わたくしはただ、今までの「影の花」という噂と、少々違って見えたものですから」
私はその言葉に、微笑を崩さずこう答えた。
「人は影の中に咲く花を見過ごしがちですもの。ですが、花は誰に気づかれなくとも、咲くのをやめたりはいたしません」
セドリックは一瞬、目を見開いたようだった。
「やはり、ただの噂では語り尽くせない方のようだな」
彼の口元に、わずかに笑みが浮かんだ。
そのとき、鐘の音が響いた。開式の合図だった。 門が開かれ、教師たちが整列する。新入生たちは案内に従い、ゆっくりと校舎へと進んでいく。
「では、我々も行こうか」
エドワード皇子が従者に言ったとき、ふと、私とエドワード皇子の視線が一瞬交わった。
何かを計るような、あるいは試すようなまなざし。けれど次の瞬間、彼はさっと目を逸らし、何事もなかったかのように歩き出した。
「不思議な方ですわね、殿下は」
メアリーが小さく呟いたが、それに答える者はいなかった。
やがて、一行は講堂にたどり着く。 壇上には、学長をはじめとする教員たちが整列していた。
その中央、金と紺を基調とした制服に身を包んだエドワード皇子が、ゆっくりと前に出る。
静けさが広がる。全生徒の視線が彼に注がれる中、エドワード皇子が朗々と口を開いた。
「我ら、新たなる学び舎に集いし者たちは、誇りと責任を胸に、互いを高め合い、時に競い、時に助け合いながら成長していくべき存在であると、私は信じます」
その声はよく通り、語彙も堂々としていた。
「さすが、エドワード殿下、完璧なご挨拶ね」
アリシアがうっとりとした様子で言った。 その頬はわずかに紅潮しており、口元には珍しく柔らかな笑みが浮かんでいる。
エドワード皇子が壇を降り、アリシアの視線が彼を追う。だが彼は、その視線に気づきながらも、どこか距離を置くように、無理に笑顔を浮かべた。
「まったく、分かりやすいな。」
セドリックが誰に向けたともなく、小さく呟いた。 メアリーは何も言わず、視線を前へと向けた。
すると、先生が話しはじめた。
「本日、入学式が終わり次第、この場講堂にて、初授業を行います。持ち物は不要です。」
連絡事項だけ述べると、さっと壇上を降りた。
ユリアナ魔術学校での生活が、こうして幕を開けた。
次回はメアリーたちの初授業です!
お楽しみに