エピローグ
鯛と桜の炊き込みご飯(お茶漬けにしても美味しい)。枝豆の春巻き。山菜の天ぷら。具沢山の味噌汁。
城戸の持ち込んだ材料を確認し、海がメニューを決めて夕暮れ前の早い時間から料理に取り掛かる。
その間、アリスと城戸はリビングでディスプレイに映画を表示させつつ、ソファに並んで座ってのんびりと待つことになった。
海は「離れて座れよ!」と距離を気にしていたが、それよりも城戸が何か言いたそうな顔をしているのが、アリスは気になった。しかし、キッチンの海に話し声が聞こえないように、映画の音量を調節しつつ城戸が始めた話は予想以上に重かった。
「今日この家にまで持って来たのは、会社の通常時間内ではやりにくい仕事です。作業が問題なく進んだので、現時点でわかったことをお伝えしますが、白築さんはかなり危ない状態だったようです」
「はい」
城戸が正面を見て映画を見ているふりをしていたので、アリスも同じようにしながら、小声で返事をする。
「海は白築さんに対して、自分との関わりを正直に全部言うことはないと思いますが、入社した頃から一貫して社内で白築さんを守ってきています。白築さんを守るために入社したといっても良い。白築アリスはもうずっと長い間、海の特別な人です」
「ええと、ありがとうございます」
他になんて言って良いかわからず、アリスは礼を口にした。城戸は口元に笑みを浮かべたものの、そのまま飄々とした態度を崩さずに話を続けた。
「事情はもう了解のことと思いますが、白築さんは元広報部長かつ副社長の夫である吉野さんに、会心の一撃を決めています。これを『新入社員の身の程知らず』ではなく『社内改革の一歩』としてポジティヴな見方に変えたのは海の努力ですが、白築さん自身はずっと一部の社員から監視されていましたし、ミスを狙われる立場にありました」
「それは身に覚えがあります」
課長との対立だけではなく、石塚が指摘していたように、さして社内で人付き合いをしていないにも関わらず「白築アリスには変な噂がある」時点で、誰かに悪意を持たれていたのは間違いない。
「斎藤さんと交際することになったのも、そのへんの事情かと推察します。おそらく、白築さんは仕事で何度もミスを出しそうになり、そのたびに課長に知られる前に斎藤さんにミスを拾われるようなことが続きませんでしたか?」
「あー……」
「それで彼に対して強く恩義を感じるようになった頃、お金に困っていると言われて貸してしまったのでは? 高額が続いて引っ込みがつかなくなった段階で『結婚しよう』と言われて、自分をごまかしてまでその気になった。結婚する相手だからお金を貸すのも当然だ、と。因果関係がおかしいのですが、少し判断が鈍ったのでしょう」
見事な推察すぎて、アリスはソファの上で膝を抱えて、俯いてしまった。
(たしかに私は、恩義を感じるとお返ししなければと焦るところはありますね……。昨日まで私の認識ではまったく知り合いでもなかった城戸さんに見透かされるのは怖いですが、長い間観察されていたのなら、察するところはあるのかも)
困っていると頼み込まれて、お金を貸してしまう。結果的には詐欺行為だったわけだが、困っていたというその時点での話がどこまで事実でどこまで嘘だったかもわからないので、失ったお金に関してはすでに諦めかけてもいる。あれは困ったひとにあげただけだ、と。
もう詐欺師と関わりを持ちたくない気持ちの表れでもあるが。
「斎藤さんは、牧野課長と密に連絡を取り合っていたようです。昨日、副社長の前で牧野課長も認めていましたが、この件は牧野課長が積極的に関与していて、指示も出していたそうです。ただ、一点だけ牧野課長がグッジョブだったのは、斎藤さんに対して白築さんと肉体関係を持つことを戒めていたことですね」
「どうして課長が?」
驚いて、アリスは城戸の方を向いてしまう。ディスプレイを見たまま、城戸はさりげない調子で言った。
「牧野課長は、以前ご自身の不倫が発覚したときに証拠を押さえられたことで、手痛い経験をしたようです。そのこともあり、斎藤さんには『本気の交際ではないのだから』と、証拠には気をつけるようにかなり言い含めていた。それに、もし斎藤さんが白築さんのプライベートショットを撮って脅しに利用することがあれば『白築さんの性格上、真っ向から戦うだろう』と思っていたようです。それで一度、吉野さんを失脚させているわけですから」
「当時は、何もわからないまま叩き返してしまっただけなんです。怖いもの知らずで。今ならやらないかと言えばそんなことはなくて、同じ場面に出くわしたら、やっぱりあのときと同じように振る舞うとは思いますが」
「はい。その心意気で、新入社員の時点で部長を仕留めた白築さんなので。牧野さんとしては、社員間で何かしら卑劣な問題がおきた場合、白築さんなら会社が焦土になるまで戦うだろう、と考えたわけです。さらに言えば、白築さんの後ろに弓倉部長がいるのは、知る人ぞ知ることだったわけです。いざという時が来たら、海は会社を潰してでも白築さんの側に立ち、徹底的にやるだろうと一部では考えられていました。俺もです」
何も気づいていなかったアリスとしては、身の置きどころがない心境過ぎて、再び膝に顔を突っ伏しそうになった。
しかし、キッチンからたまに視線をくれている海に不審に思われてはいけないという思いから、気合で顔を上げて前を向く。
(「知る人ぞ知る」ことを「知らぬは本人ばかり」だったわけですか。海さんの場合はそれ、「プリンス」を知らなかった程度ですが、私の場合はかなりまずいことを知らなかったわけでして)
土壇場でやけになって助けを求めた相手がその瞬間目の前にいた海だったので、たまたま命拾いをしただけだ。
海に言わせれば、偶然ではなくあのときそのつもりでいたのかもしれないが。
「ここで問題なのは、月曜日から白築さんを取り巻く状況が大きく変わるであろうことです。今まで知る人ぞ知るだった弓倉部長による白築アリスへの援護射撃が、白日の元にさらされました。さて、白築さんに質問です。この話題の中で『知る人ぞ知る』の『知る人』は、具体的に誰だと思いますか?」
海が、キッチンから出てきて城戸を睨みつける。
「近い、ちょっとそこ近い。離れろ」
特に動じた様子もなく、城戸はアリスに平然と話を続けた。
「弓倉部長が昨日、夜遅くまで話していた相手といえば?」
「副社長ですか」
会話を聞きつけた海が「その話はあとで、俺からする」と口を挟んできた。それまで二人で何かを話していたのは薄々気づいていても、何を話していたかはわかっていないだろう。
城戸からはっきりと聞かなければ、アリスは正確なところを知らぬままだった。
(実際に、海さんは私に「俺が君を守った」とは言いませんでした。ですが、状況的にはかなりの長期に渡って、社内でかばわれていますよね……!)
アリスは会話に混ざってきた海に対して「副社長と私は、私が知らないだけですごい因縁がありますよね?」と尋ねた。
海が、ため息をつく。
「それは否定できない。とはいっても、決して悪い意味だけではない。アリスは会社にとって、吉野さんの失脚理由を作ったことも含めて、不利益になることは何もしていない。仕事上のミスも一応追ってみたが、アリスの作った書類に改ざんの痕跡があったり、取引先との電話が取り次がれず、結果的にアリスが見落としたことになったミスが見つかっただけだ。それも毎回斎藤さんに拾われていて、会社にダメージになる前に回収されている」
「私、嵌められすぎでは……」
城戸に指摘を受けて、アリスもその状況を思い起こしてみたが、たしかにそういったことはあった。
しかし海は「過ぎたことだから」とその話を切り上げてから、話題を戻した。
「その意味では、副社長は同じ会社の幹部と平社員として、アリスに特別の関心を持っているわけではない」
「とても含むところのある表現ですね……!」
「そうだな。副社長が、アリスと因縁のある吉野元部長の奥さんだったり、俺の気の良いおばさんとしてという意味では、なんというか……」
海が言い淀んだタイミングで、城戸がさくっと話を継いだ。
「つまり『私に断りもなく、社員の前で一方的に婚約宣言をしたですって? 弓倉部長が? つまり、海が? それでいいと思っているの? いくらこの時代だからって、社内恋愛からの結婚となったら上司に報告してから発表が定石でしょう? しかも相手は例のあの娘! いますぐ連れてきなさい!』となっています。昨日、吉野さんと牧野さんへの追及から、海へ盛大に飛び火していました。俺が白築さんに言いたいことは、以上です」
ご清聴ありがとうございましたと言わんばかりの涼やかさで、城戸は話の幕を引いた。
「そうなんだけど、そこまで城戸が言うことか?」
俺の立場はどうなる、と海が城戸に対して不満げに呟く。
城戸はまったく意に介した様子もなく、さらっと答えた。
「海が、積年の思いが成就した感動のあまり、月曜日の朝まで白築さんをベッドに閉じ込めてまともに会話しないまま出社されると、後々面倒で。先に釘を刺しに来た。メシ食ったら帰る」
「それは……」
城戸はソファから立ち上がり、絶句した海の横を通り過ぎてキッチンへと向かったが、思い出したように振り返った。
「白築さんは強引な人事は嫌だろうけど、いろんな意味で異動は必須の状況です。一番いいのは秘書課が引き取ることだと考えているので、いま海と手を尽くしています」
「秘書課!? 私がですか!? 城戸さんと同僚に……いいですね!」
今までの話を聞いて「やりかけの仕事があるのに、異動なんて!」と言うほどアリスは世間知らずではないつもりだった。秘書課に異動で城戸が自分の見える範囲にいてくれるのは、大変心強い。
(どんな仕事かわからないけど、やってやれないことはないと思う。ええと、城戸さんが秘書として今までしていたことって……社内探偵と、部長のボディガードと……)
あれ? ハードかも? と妄想をふくらませるアリスの前で、海だけが浮かない顔をしていた。
「秘書課にもいろいろ役割があって……。個人的に重役の誰か付きになることも多い。アリスの場合は、秘書課にくると城戸を差し置いて俺の専属になることはない」
「構いませんよ! 仕事は仕事として頑張ります! 公私混同はしません!」
「アリスがそのつもりでも、幹部連中はおそらくがっつり公私混同をする。まず間違いなく、副社長が自分の専属に白築アリスを指名する」
「……そんな惨いことが……」
ちらっと、キッチンでドリンクを並べている城戸を見ると、目が合った。なんでもない様子で頷かれた。
「実際にそうなると思います。俺もできる限りフォローはしますので、頑張ってください」
* * *
三人で食卓を囲んだ後、城戸はさっさと帰って行った。
アリスは、海と片付けをしてから、ソファに並んで腰を下ろす。
「城戸さん、本当にすごい気遣いのひとでしたね」
「うん……そうだな……。『アリスは俺と二人のときに、他の男の名前を口にしてはいけない』って言う気もおきないくらい、今日の城戸は完璧だった。秘書って恐ろしい仕事だよな。食材の中に食べ物以外の生活必需品まであった。用意はあるのに。何から何まで俺を管理しようとするなよ……」
「食べ物以外?」
「なんでもない」
何やら完璧な仕事をされてしまったらしい海もまた、その割には疲れ切った表情でソファに沈み込んでいた。
「あの……、私は本当に、城戸さんに来てもらえて良かったです。何も準備なく月曜日に会社に行っていたらと思うと、恐ろしかったですから。秘書課に呼んでもらえたら、精一杯頑張ります」
「副社長の秘書を」
「仲良くなったら、幼い頃の可愛い海君写真とか見せてもらえませんかね?」
「俺に言ってほしい、それは。実家から探してくる。一緒に行く? そうだ、アリスの実家にも行きたいな。俺だって可愛いアリス写真を見たい。たくさん見たい……絶対に可愛い……」
海は呻きながら、手で顔を覆ってしまった。
先に話題に出したのはアリスだが、そこまで切実に見たいと意思表示されると、少し怖い。
「お互いの実家に行くと、家族に存在を認識されますよね。私、彼氏がいたことがないので。ええと直前のは詐欺師なのでノーカンとすると、彼氏がいたことがないので、実家に男の人を連れていったことはないんですよ。海さんを連れて帰ると、どんな大騒ぎになることか」
「騒ぎ甲斐のある格好でいくよ。スーツとチャラいの、どっちがご家族の好みに合いそう?」
「難しい。とても難しい……です。私の好みはプライベートバージョン一択でもっとたくさん見てみたいんですけど、母はたぶん、スーツの方が好きですね。父と兄はともかく」
自分の家族に海を紹介する状況を思い浮かべて答えてから、ふと逆のパターンに思い至る。
アリスは、ぼすっとソファの背もたれに背中を預けた。
「うちはいいんですけど、海さんのご実家って何ですか? 会社関連のひとがぞろぞろ出てくるんですか? それはもう面接じゃないですか」
「否定できない」
「落とされることも……」
「その人事には俺が反対するから大丈夫。どうしても反対される状況なら、家も会社も出るから、何も心配いらない」
心配しかないことを言いつつ、海はソファの上で距離を詰めてきた。
アリスの髪に軽く指で触れて、微笑む。
「今日のところは、そろそろ寝ようか。あまり遅い時間になる前に」
「待ってください、海さん。月曜日に向けて話すことは、もうないですか? 明日話しそびれると、そのまま私は次なる荒波に揉まれることに」
「くそ、業務が立ちはだかる……!」
海がガクッと肩を落としたのを見て、アリスは城戸の正しさを確信してしまった。
(海さん、たぶん二人で過ごすことしか考えていない……! 私がしっかりしないと!)
目指すべき背中、完璧秘書の城戸の姿を思い浮かべて、アリスは奮起する。
「備えあれば憂い無しですよ! 私にも準備させてください! さあ! 何からしましょう!」
「明日にしよう。明日でも十分に間に合う」
「そんな……海さんが野獣化したらその限りではないですよね? 明日私が足腰立たないって、ベッドの住人になっていたらどうなるんですか?」
「アリスの中の俺の設定ってどう……。それでいいなら、頑張るけど」
勢いで二人揃ってぎゃーぎゃ言い合っていたが、海の一言でぴたっと静寂が訪れる。
自分が何を言ったかようやく理解して、アリスは顔を真っ赤にしながらソファの上で後ずさった。
「だって、海さん、そういうところ、手加減してくれなさそうじゃないですか」
「優しい……つもりだけど、こればかりはわからないな。アリスがあんまり可愛いと、止まらないかも。リアルで『朝まで寝かさない』ってあるのかわからないけど、ごめん。俺、言うかも」
「鬼畜……!」
「まだ言ってない!」
口を開けば、再びの言い合いになる。
埒が明かないとアリスは立ち上がり、ほぼ同時に立ち上がった海の胸元に詰め寄った。
「お手柔らかに! 月曜日は元気に出社したいので!」
「そこまで言われると、期待されているのかって燃えるから。俺は期待に応えたくなる性格だって、言ってるよな?」
アリスが何か言い返す前に、海の腕にさっと抱き上げられた。
「さて、行こう。残りの話はベッドで聞く」
問答無用で海の部屋へ運ばれる。
ダウンライトひとつで照明の絞られた部屋で、ベッドに優しく置かれた。アリスはまだ話し足りない気持ちのまま言うべき言葉を探して、海を見上げる。
この三日間で、弓倉海と思いがけないほど近づいた。他の人とだったら、一生話さないくらいの会話を交わしたかもしれない。それでも、まだまだ全然足りない。
「私は、もっと海さんのことを知りたいです」
「うん。知って欲しい」
隣に腰を下ろした海はアリスの手を取り、指に唇を押し付けてから、滲むような笑みを浮かべる。
「アリスは俺のことを知らなかったとしても、俺にとってアリスはずっと大切な人だった」
「あっ」
「ん? どうした?」
たぶんこれは言ってはいけないかもしれないなと、そろそろ感覚的にわかるようになってきたものの、海に不思議そうな顔をされてしまったので、アリスは答えてしまった。
「それさっき、城戸さんから聞きました。『白築さんは海にとって、もうずっと長い間大切なひとなんです』って……」
「なんなんだあいつは。もう絶対許さない。ひととして、言っていいことと悪いことがある」
「優秀なひとじゃないですか! 一時の怒りで報復人事は腐敗の始まりですよ? それに、私が本当に秘書課に行ったら、城戸さんがいないと困ります、絶対」
「俺じゃなくてね。俺はいらない……」
「海さん、いります! 海さんが必要です、海さんが欲しいです……!」
悔しそうに震えていたので、精一杯の声がけをしたら、あっさりとベッドに押し倒されてしまった。
「それでは、期待に応えて。俺のこと、たくさん知ってください。俺にもアリスを教えて欲しい。ずっとこの距離で話してみたかったから」
この上なく甘い声で囁きながら、海は優しいキスをしてきた。
目を瞑ってそれを受け止めながら、アリスは腕を伸ばして海を抱きしめる。
(月曜日からのことはひとまず置いておいて……。明日の朝起きたら、海さんにきちんと挨拶するところから始めよう)
初めて会ったときのように。
おはようございます! と。
※最後までお読みいただきまして、ありがとうございます(*´∀`*)
※「海&アリス」は他サイトの完結必須コンテスト合わせでRTAで書き始めた作品でして、文字数等のレギュレーションを満たした状態で完結とします。書き始めたのが一週間前でして、この文字数で締め切りぎりぎり駆け込みました。
コンテスト期間中は大幅な改稿が禁止となっていますので、なろう上でも大きな動きはありませんが、何かのきっかけで続きを書く可能性は……あるかも?(*´∀`*)です。
副社長編……!
予定は未定です!
※期間中応援たくさん、どうもありがとうございました!
※活動報告などにこぼれ話やその後何か展開がありましたら書くこともあるかもしれません。作品を気に入ってくださった方は思い出したときに見ていただけますと嬉しいです!
※海サン……!幸せになれよ……!(アリスが幸せにするよ(*´∀`*))と思ってくださった方は★★★★★を押していってくださると幸いです!




