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15,あなたと美味しいコーヒーを

 さすがに長過ぎる、呼吸が止まってしまうとアリスが身じろぎで訴えると、何度目かのキスの末に海が唇を離す。

 いつの間にかラグに押し倒されていたため、下から見上げる形になりながらアリスは「やりすぎですよ」の思いで海を睨みつけた。

 感情の高ぶりでアリスは涙ぐんでいた上に、空気を胸に取り込もうと忙しなく呼吸をし、息を乱していた。

 海に、何やら凄まじくダメージが入った。


「視覚の暴力。……まだ朝だ。一日が始まったばかりで、野獣になるのは節操がなさすぎる。耐えろ俺」


 海は、頭を抱えてしまっている。

 アリスはアリスで、気持ちがふわふわして現実感がなくぼんやりとしたまま潤んだ目で海を見ていたが、この隙に距離を取るべきだと気づく。

 海の下から這いずり出て、咎めるように主張した。


「ライオンの食事みたいに、しっかり押さえつけてこなくても……!」

「そうだよ、ライオンだよ。俺は大きいだけで、犬じゃなくてネコチャンだから」


 視線を流してきた海が謎の主張をしつつ、立ち上がる。

 アリスに近づいてきて、横を通り過ぎるタイミングで、座り込んだままのアリスの肩に指先で軽く触れて「平気?」と聞いてきた。


「特に、問題はないです」

「そう。良かった。コーヒー飲む?」

「いただきます。あの、カウンターの隅のエスプレッソメーカーが気になってて。カプチーノとかできるんですか?」


 コーヒーと聞いて、アリスはいそいそと立ち上がった。

 その瞬間、ウエストの紐が緩んでしまっていたらしく、ハーフパンツがすとんと足首まで落ちる。


「あっ……」

「ん?」

「だめ! いま振り返っちゃだめです!」


 叫んでも間に合うはずもなく、振り返った海と目が合ってしまった。アリスは精一杯Tシャツの裾を引っ張りながら「こっち見ないでください!」と騒ぐ。

 顔にカァッと血が上ってくる感覚があったが、反応としては海の方がさらに露骨だった。

 真っ赤になってよろめき、カウンターの向こうに歩いていくと、そのまましゃがみこんで姿が見えなくなってしまった。


「あの……海さん? すみません。粗末な足などお見せしまして……」

「ごめん……。いまちょっと無理。着替え持ってるなら着替えてきて。足りないなら、後で買いに行こう。そのまま生活されると俺が早晩死ぬ」

「すみません」


 アリスはずり落ちたハーフパンツを引き上げて紐を結び、ゲストルームに向かうべくリビングを後にする。


(そこまで動揺されるようなものをお見せした覚えは……。そもそも事故ですし。あんまり恥ずかしがられると私まで恥ずかしい。恥ずか死ぬです)


 ライオンさんはピュアですね? と心の中でうそぶいて、ゲストルームに入り、ドアを閉める。強がれたのも、そこまで。

 戸板に背を押し付けたまま、アリスはずるずると床に沈み込んだ。


 力の強い指によって、ラグに押さつけられた手首。角度を変えて繰り返しされた口づけ。気を遣いつつもしっかり体重をかけて体を重ねられて、布越しに触れ合った肌から熱い体温と一回りも違う体格差を思い知らされた。


(ネコチャン……! 嘘、あれは猫じゃない……!)


 長い口づけの間に、何度か耳も甘噛みされて、熱い吐息とともに囁かれた。

 ずっと好きだった、と。


 アリスには答える隙を与えてくれずに、すぐに唇をふさがれた。苦しくなるほど貪られて、わけがわからなくなるほど翻弄された。

 その嵐のような時間を思い出して、アリスはひとり呟いた。


「ピュア……? ピュアとは?」


 あれはまぎれもなく、大型で獰猛な肉食獣だった。



  * * *



「美味しい。いいですね、家に本格的なエスプレッソメーカーがあるの」


 サマーセーターとスカートに着替え、洗面台を借りて顔を洗ってからリビングに戻ったアリスは、海の用意してくれたカプチーノに口をつけて相好を崩す。


「家にはあるよ? いつでも使って」

「……はい。はい?」


 ん? なんか妙だな? と思いながら、アリスはカウンターに並んで座り、一緒にコーヒーを飲んでいる海の横顔を見る。

 イヤーカフ増量中。見惚れるほどセンスがよく、美しい横顔を引き立てていた。


「私、アクセサリーを見るのは好きなんですけど、いまいち管理が苦手なんです。ピアスもイヤーカフもたぶん、すぐになくしちゃう。だからそういうの気取らない感じでセンス良くつけられるチャラさに憧れが。ピアスは怖くて穴も開けられないですし」


「いまピアスホールないなら、俺は特にお勧めしない。結局、体を傷つけることになるから」


「海さんは、ピアスの穴開けたきっかけとかあるんですか?」


「あー……別に理由はないかな。強いて言えば、アクセって装飾品であると同時に魔除けっぽいなと思ってて。ひとの受け売りだけどね。すごくセンス良くつけてるひとに『重ね付けって何か意味あるんですか?』って聞いたら『魔除け』って言われて、なんかいいなって思った。俺は自分ではつけないけど、アンクレットとかも好き」


 アンクレット……と想像して、アリスは何気なく海の足元に目を向けた。すかさず、コーヒーカップに口をつけていた海に言われる。


「俺の足は見ても面白いものでもないけど、白築さん……、アリスの足はだめ。ひとに見せるのはよくない。海とかプールには行くの?」

「行かないですねー」

「それでいいよ。ずっと俺と家にいよう」


 インドア派自認の海だけに、何もおかしなことは言っていないのだが、どうにも身の危険のようなものを感じて、アリスは話を戻す。


「魔除けって聞くと大義名分っぽくて、照れないでつけられそう。初心者にも使いやすいオススメありますか?」


 コン、と海はカップをカウンターに置いた。

 アリスと体ごと向き合うようにチェアを回転させて、アリスの左手を取る。


「あるよ。効果最強の魔除けで、つけやすくて紛失しにくいもの。初心者にもお勧めで、一生使える」

「えっ、すごい。なんですか?」


 海はアリスの目を見つめたまま、指に指を絡めてくる。


「使い勝手いいなとは思うんだけど、俺も持っていないんだ。せっかくだから、お揃いで買っておこうか。今日にでも」

「休日ですけど、家から出ていいんですか?」

「二人でいられるなら、どこでもいい。ゆっくり店見て買い物してこよう」


 そっか、部屋着も買わないといけないし……とアリスは提案に同意しかけたが「あれ?」と気づいてしまう。


「私、今日はどうしましょう。ゲストルームの使用を禁止されたわけですが、家に帰ったほうがいいですよね」

「アリスの家はここだよ? 使用禁止はベッドだけだから、部屋は好きに使って」

「夜はソファで?」

「俺のベッドは広いから、普通に二人で使える」

「……んっ?」


 どうにも違和感がある。この先まで進むと、地面だと思った場所を足が踏み抜いて、底なし沼にはまる瀬戸際なのでは? 

 次の一言にアリスが悩んだ一瞬、カウンターに置いてあった海のスマホが鳴り出した。

 ちらっと確認した海は「城戸?」と不思議そうに呟いて、アリスの手を離すと立ち上がりながらスマホを手にする。ごめん、とアリスに仕草で告げて、スマホを通話にした。


「おはよう。どうした? ……は? なんで? 無理。だめ。状況を考えろ。……っ」


 電話を切られたらしく、海は画面を睨んで悔しそうに顔を歪めている。

 アリスはのんびりとカプチーノを飲んでいたが、城戸さんならお仕事なのかな? と思いながら「何かありましたか?」と尋ねた。

 海は、やるなく深いため息とともに答えた。


「金曜日に残した仕事を……城戸が持ってきた。いまもうマンションに着くって。アホなのかあいつは。こっちがどんな状況かわかっているのか。すぐに部屋に通せない状況になっていた可能性だってあっただろ!」


「ええっと、状況……。寝坊したので朝ご飯まだですけど、それは断りを入れれば城戸さんも了解してくださるのでは? もし家に何もないというのなら、私がコンビニで買ってきますよ。このへんの地理わからないですけど、マップとか見ますから」


 にこっと海が微笑みかけてきた。


「食べ物の心配はしなくて大丈夫。たぶん、城戸が何か持参しているから。食べたいものがあると、俺に作らせるために材料揃えてくるんだ、あいつ。今日はアリスがいるのをわかっているから、三人分あるはずだ」


「すごい気遣いですね!」


「すごい気遣いができる奴は、今日は来ない! あれは絶対面白がっているだけだ!」


「急ぎの仕事なんじゃないですか? というか、私の分のごはんもあるということは、私このままここにいていいんですか?」


 いや~、ご相伴に預かります、と言っているうちに城戸がエントランスを抜けたらしく、海に連絡があって部屋まで上がってきた。


「おはようございます、白築さん。昨日はあのあと、落ち着いてよく眠れましたか」

「はい! 城戸さんのおかげですごく安眠できました。朝までぐっすり。その節はどうもありがとうございました!」


 嘘はひとつも言っていないのに、なぜか海が拗ねた気配があった。

 対照的に、城戸は素晴らしく機嫌が良さそうに笑っている。


 前日一度会っていて、電話では話していたが、アリスが面と向き合って城戸の顔をしっかりと見るのはこれが初めてのはずだった。

 城戸は海に負けず劣らず抜け感のある服装で、顔は日焼けしており、色付きのグラスを引っ掛けていた。

 体格もよく、並ぶと同じ身長の海が細身に見える。


「城戸さんって、湘南でサーフィンしていそうな爽やかさですね」


「よく言われますけど、インドアですね。休みの日は、集まれる参加者でグループ通話をつないでスピーカーで話しながら、オンラインゲームしてます。いい歳して常に絶対暇なのは、海くらいですけど」


「モンハンとかですか? いいなあ。私もゲーム機あったら家から参加したいくらいですけど、初心者なので手も足もでないでしょうね」


 興味はあるんだけどな、と思いながらアリスが何気なく言うとすかさず海が口を挟んできた。


「やる気があるなら、二台揃えるから大丈夫。というかゲーム機自体は何台かあるから、マイクラとかならゲーム機ごとにアカウントとって一緒にできる……」


「自分で買います……ん?」


 そういうことじゃなくて? と不意に思いついてアリスは首を傾げた。

 とてもいい笑顔で会話に耳を傾けていた城戸が、ぼそりと言った。


「白築さんが次に自宅に帰れるのは、部屋を引き払うときでしょう。海はこう見えて、やるときはやる男です。しつこいですよ」


 あれ? プライベートでは名前で呼ぶ仲なんだ、と思ったアリスの前で、海が城戸の胸元まで詰め寄って陰々滅々とした声で言っていた。


「それがわかっていてあえて邪魔しに来るお前は、いい度胸してるよな」


 城戸は余裕の表情のまま、食材らしきものの詰まったエコバッグを海の手に押し付けて言った。


「邪魔じゃない。仕事しに来たんだ。ほら、やるぞ」


 うぐぐぐぐと呻きながら、海は食材をキッチンへと置きに行く。

 どかどかと冷蔵庫にバッグの中身を詰め込みながら「アリス、朝ご飯はどうする?」と聞いてきた。律儀だ。


「昨日のローストビーフの残り食べていいですか?」

「了解。サラダつける」


 ぱたぱた動き出した海を見つつ、アリスは城戸に尋ねた。


「あれ、なんの材料ですか? 今から二人で仕事をするなら、私が下ごしらえくらいしますか?」

「大丈夫です、全部海にやらせておけば。というか昼だけじゃなくて、夜までかかるのであれは晩餐用ですね」


 それを聞きつけた海が、とてつもなく苛ついた表情で城戸を睨みつけて「ふざけるなよ!」と叫んだ。

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