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13,おかえりなさい

「……………………………………………………………………………………」


 まつげが長いなぁ、という月並みな感想が浮かぶ。

 目を開けているときは澄み切った瞳の綺麗さがとにかく印象的だが、まぶたを閉ざしていると顔立ちの端整さが際立って見えるようだ。


(……チャラい方じゃないから、私が盗撮をギリ我慢できたのは本当に良かったとして。プリンス弓倉ファンが見たら失神して卒倒しそうな光景が目の前に)


 厚手のカーテンは片側だけ開いていて、レースのカーテン越しに早朝らしい光が差し込んでいる。

 その光の中で、ジャケットを脱いだベスト姿の海が、床に座り込んで膝を抱えて目を閉ざして寝ているのだ。

 アリスが身を横たえているソファに、背中を預ける形で。


 状況から考えるに、疲れて帰ってきて、着替えもしないまま寝てしまったのだろう。

 顔の位置がとても近く、少しでも身じろぎをしたら起こしてしまうかもしれないと、アリスは呼吸も遠慮がちにしていた。


(家の片付き具合から受けた印象だと、プリンスは普段こういうだらしないことはしなさそう。最低限、部屋着に着替えてスーツを吊るして、ベッドかソファに横になると思う。床で寝てるのはなんで……? ちょっと座ろうと思ったソファに私がいて、絶望したのかな。かわいそう……本当に疲れているんだ……)


 こんな疲れる日に、よりにもよって安息の地である自分の家に野良猫が入り込んで寝ているなんてさぞや辛かっただろうと、アリスは海に同情した。

 その上で、ここから自分がどう動くべきかわからず、固まっているのである。


(は~~~~。私とプリンスの体格が逆だったら、さっとお姫様抱っこして「ベッドで寝なよ」って優しく言って部屋まで運ぶんですけどね。百八十センチオーバーの男性を軽々運ぶのは無理……。せめて起こさないであげるのが優しさ? でも服が皺になりそうだし、体勢もキツそうだし。どうにかしてあげたい)


 やっぱり運ぼうかな? でも部屋に鍵かけたって言っていたから、もし何かの奇跡で運べてもドアが開かなくてその場で廊下に落としちゃったりしないかな?

 いっそ、気づかなかったふりをして寝直そうかな? もう少し時間がたってから二人で同時に目を覚まして「こんなところで寝ちゃってたね!」って笑い飛ばすのはアリ?

 うーんうーんと悩みながら、アリスは目を閉じる。

 心境としては「そのまま寝てしまいたい」ではあった。しかし、寝てはいない。


「白築さん?」


 ものすごく近いところで、名前を呼ばれた。息が一瞬止まった。


(弓倉さんが起きた……! よし、私もここで自然に目を覚まそう! そして「おはよう」を)


 そのつもりでいたのだが、海の呟きを耳にして、目を開けることができなくなった。


「すごく可愛い。家に帰ったら白築さんがいるなんて、夢みたいだ。こんな幸せな夢、もうずっとさめなければいいのに」


 永遠に寝ていろと言われた気がする。


(それ死……! まさかプリンスがそんな、私の死を願うなんてこと。でもいま起きたらがっかりする感じですか? もう少し寝てる? いつまで? プリンスが着替えに立ったら、私も自然に目を覚ました感じで移動しよう……)


 自然に目を覚ますことを画策している時点で、不自然でしかない。だがタイミングを逃したアリスにはもう、どうすることもできなかった。


「……はぁ。城戸も必要以上に長話しろなんて言ってない。俺を待つ間に話が弾んで一時間ってどういうことだよ。『白築さんと親交を温め、有意義な話をしました』ってなんだよ。一時間は長いって。長過ぎる。何をどれだけ温めてるんだよ、俺だって昨日はそんなに話してない……」


 くうっ、と悔しげな声がした。


(弄ばれてる……。私、そんなに城戸さんと話した覚えはないです。たぶん、プリンスは城戸さんにからかわれていると思います)


 そんなに心配しなくても、別に面白失敗談とか、隠しておきたい秘密のエピソードなんて聞いてないですよと、よほど言おうかと思った。

 強いて言えば、暴れん坊な副社長に「海君」と呼ばれているという情報を得たくらいだ。全然たいした話はしていない。そのはずだ。


「俺もそっちが良かった。もうやだ、家に帰りたい……」


 プリンスは混乱している……!


(ものすごく疲れてらっしゃいますね……! ここはおうちですよ! もう、できるかできないかで悩まないで、寝ているうちにさっさとベッドまで優しく運んであげれば良かった。一宿一飯の恩として、百八十センチの男性だって気合でお姫様抱っこですよ)


 私が不甲斐ないばかりにと、アリスがさめざめとしたところで、衣擦れの音がした。なんだろうと思う前に、体がふわりと浮く。


「こんなことしてる場合じゃない。部屋まで運ばないと」


 お姫様抱っこされる側に! させて欲しかったのに!


 さすがにこれ以上、狸寝入りでプリンスの手を煩わせてはいけないと、アリスはぱちっと目を開いた。

 え? と驚いた様子で、海が見下ろしてくる。

 完全に目が合っているのに、無言だった。アリスはとっさに「ここはおうちですよ」の意味で、早口に言った。


「おかえりなさい!」


 何故か海にダメージが入ってしまったらしく、アリスを抱えたままソファに座り込んでしまった。

 あわあわと盛大に慌てたアリスは、海の上から下りようと試みたものの、腕の力が強くてとどめ置かれてしまう。


「あの……弓倉さん。スーツが皺になるので、離してください」

「理由が俺なら、離さない。絶対に離さない」

「何を意固地になってるんですか! そのスーツいくらだと思っているんですか!」

「トータルで三十万円くらい。それより値段が上だと、お客さんに受けが悪いから。普段は『いいの着ているな』程度で十分」


 言わせるつもりで問題提起したわけではないが、回答は聞かなければ良かった。

 三十万円のスーツの上で暴れるような度胸は、アリスには無い。

 ぴたりと身を縮こまらせて、海の次なる動きを窺う。気分は借りてきた猫だ。


「あのぅ……まだ朝早い時間ですよね? とりあえず寝ませんか? お疲れですよね!」


 おうちに帰ってきたのに、おうちに帰りたいって愚痴っていましたよね! と言いそうになったが、もちろん言わない。聞いていたのがバレたら、お互いにいたたまれなくなる。


「うん。疲れた。すごく疲れた……。不倫大っ嫌い。巻き込まれるだけでこんなに消耗するのに、好んでする奴の気持ちが、本当にわからない。もう全員さっさと別れてそれぞれの道歩めよ。ああもうやだ、何年もあんなことでぐずぐずしてるの、無駄すぎる」


 海は、自分が抱えているのは抱き枕等ではなく、アリスだということを失念した様子でぎゅうっと抱きしめてくる。


(これは……甘えられている……!? 恩返しするチャンスかもしれないけど、経験がなさすぎてどうするのが正解なのかわからない。まず身動きができない)


 どうしようどうしようと考えて、ポジティヴな方向へ話を誘導することにした。


「ローストビーフすごく美味しかったです!」

「あ、うん。そう? 良かった。残っていたから、口に合わなかったのかと」


 まさかの食い尽くし推奨発言。


「食べて良かったんですね……! お腹空いていたし、全然食べられたんですけど、疲れて帰ってきた弓倉さんが食べる分を残しておかなければと思いまして」

「海サンで」

「弓さん?」

「似てるけど違う……」


 素で聞き間違えたのだが、びっくりするくらいがっかりさせてしまった。

 どう見ても、海は絶望している。


「本当にお疲れみたいなので、一度しっかり寝たほうがいいですよ。私も部屋に帰って寝ますから。ソファを独占していてすみませんでした」


「ああ……そうだね。うん。城戸の話は、あとでゆっくり聞く」


 なんで城戸さんの話を? むしろ私はプリンス対レジスタンスの話が聞きたいですよ? とアリスは思ったものの、いまは話を長引かせてはいけない場面だと自分を戒めて「はい」と良い返事をした。


「城戸さんといえば、思った以上に電話で長話をしてしまったんですけど、すごくいい方でしたね!」

「うん……やっぱり長話したんだ」


「長いっていっても、初めて話すにしては、ですよ。実際そんなに長くはないです。でも、その短い間にすごく濃い話ができて、なんだか元気をもらえました。私も仕事頑張ろう、城戸さんみたいになろうって晴れやかな気持ちになりましたから」

「何をしたんだ城戸は」


 とてもよくできた部下の方ですねと褒めたつもりなのに、海にいまいましそうにされてしまった。

 城戸に迷惑をかけてはいけないと思い、アリスは早口でフォローをする。


「実は昨日、ゲストルームに案内されたときに、ベッドを城戸さんが使ったって聞いてちょっともやっとしたんです。ホテルとか宿泊施設なら、なんとも思わないんですけどね。自社の男性社員と、同じベッドを使い回すって考えると、少し抵抗があって。すみません。でも、城戸さんと話した後となっては、そんな些細なこと気にならなくなりました。あの城戸さんも使ったベッドか、イイネ! みたいな気持ちで」


「ゲストルームの使用を禁止シマス。使うのだめ、絶対」


「なぜ? それだと私はどこで寝ればいいんですか」


「俺のベッド使っていい。俺がゲストルーム使うから」


「部屋はパソコン関係あるから入らないでって、自分で言ってたのに! だいたい私は『気にしてる』じゃなくて『もう気にならない』って言ったんです、変な気を遣わなくて大丈夫です!」


「変じゃない。白築さんが城戸と同じベッドに寝るのはだめ」


 著しく、語弊のあることを言われた気がした。


(お疲れプリンスの駄々っ子具合がすごい! 昨日の副社長絡みの呼び出し、本当にストレスだったんだ。かわいそう)


「もう、わからないけどわかりました。それでは、私はこのままソファで二度寝します。おやすみなさい」

「わかった。俺もここで寝る」


 なぜ? と言いたかったが、海はここでようやく、自分がアリスを抱えていることを認識したらしく、ソファに置いてくれた。

 そのまま、自分もスーツのままで床に寝転がろうとしたので、アリスは「あーっ」と騒ぎながら起き上がる。


「着替えてきてください! 私はスーツ萌えがないので、エグゼクティヴ仕様の弓倉さんにはなんら特別な感情を抱かないので盗撮の誘惑にかられる心配はありませんが、スーツの安否は気になります!」

「わかった。この胸の痛みが一周回って快感になる前に、着替えてくる」


 海は立ち上がると、その辺に落ちていたらしいジャケットを拾い上げて、のそのそと歩いて行く。


(気だるいエグゼクティヴ。これはスーツ萌えがあったら本当にたまらない光景よね。その筋のひとの垂涎の光景を、私ごときが見てすみません)


 いまいち推せないアリスでも、危険なほどに魅力を感じる海の後ろ姿を見送り、アリスは安堵して目を閉ざした。

 やがて、遠くでかすかにシャワーの音がした。

 ひとのいるあたたかい気配にほっとしながら、アリスは二度寝をしたのだった。


※素で打ち間違えましたが、採用!

 弓さん!!

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残念系ヒロイン視点の、ミステリーとは違う「信頼できない語り手」っぷりについニヤニヤしちゃいます♪
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