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10,トリミング不可

 アリスの受けた印象として、弓倉海は、嘘を言わないひとだ。

 言動を飾ることがなく、いつも自分らしく「自然体」であるように見える。


(仮にも、一企業内とはいえ「プリンス」として社員間で認識されるほどの存在感なのに。これまでの人生だって、それこそ会社以外のいろんな場面でも「キャラ」や「イメージ」を押し付けられてきたのは、まず間違いないと思うんだけどな)


 それでも、その場の空気に屈せず「自分はこうありたい」を曲げず、一貫性のある振る舞いをしているのは、アリスからするととても強い人間のように思う。


 アリス自身、何度も海に「セレクトショップでハンガーの端から端まで大人買いするのでは」「タワマン住まいっぽい」など、そのひととなりや生活をよく知らないなりに「庶民がイメージするお金持ちキャラにありがちな生活」を押し付けてきてしまった。

 思い出すほどに、自分のがさつさや無礼さに申し訳ない気持ちが募る。


 どんなに王子様キャラであっても、現代日本の二十代青年に対して、勝手なイメージを持つのはいけない。

 たとえ自分ではポジティヴな褒め言葉のつもりであっても「その容姿で年俸四桁あって実家も太いなんて、ギラギラですよね!」というのはただの偏見であり、失礼だ。海だって、いい気はしないだろう。


 ごめんなさい。

 きっと、お住いだって常識の範囲内ですよね!


 海のマンションに着く前までのアリスは、自分なりにそう結論づけていたのだ。


「ゲストルームはここ。バスタブは無いけど、簡易のシャワールームとトイレもついているから、俺と顔を合わせることはないよ。小さいけど、デスクのところに冷蔵庫も一応ある。いまは水しか入っていない。クローゼットは空いているから、好きなように使ってもらって構わない。中に金庫もある。貴重品があるならそこに。そのへんのホテルにあるのと、構造は変わらないから。内鍵もついているから、部屋にいるときは鍵をかけられるよ」


 マンションに着いたところで「車停めているから待っていて」と、ラグジュアリーなホテルのようなエントランスに通された時点から様子がおかしいとは薄々気づいていたのだが。

 

 しかも、外観はそれなりに大きなマンションであったのに、エレベーターから下りて廊下を歩いた感じ、フロア内にはそれほど部屋数が多くなさそうだったところでも予感はあった。一戸ごとに面積をしっかり使っている、ワンルームとは違う構造だと。

 たどりついた海の部屋はといえば、ドアを開けた玄関に青系の花でまとめられたアレンジメントが置いてあった。「妙だな。これが独身男性の一人暮らし……?」と違和感を覚えた。三和土は広いが、靴が一足も出ていないのもまた、言い知れぬ威圧感があった。


(靴を持っていないというのはありえないから、きちんと片付けているんだ。丁寧な暮らし感がすごい。どうしよう、また余計な煽りを言いそう。プリンスにそんな品の悪いこと言ってはいけないのに。これだから庶民は)


 自分を厳しく戒め、口をつぐんでいたアリスだが、廊下を進んでシャワー・トイレ別で併設されたゲストルームに案内されて、軽く説明されたところでたまらずに言ってしまった。


「ふつうの会社員はですね、王宮には住んでいないんですよ。ご自分では王宮の犬小屋くらいの規模感って言ってましたけど、このゲストルームだけで私のワンルームマンション並です。これが犬小屋の一部なら、いったい、ワンちゃん何匹飼うつもりなんですか?」


「ワンちゃん……いまは俺ひとりだけど。俺、犬かな?」


「犬小屋って言ったのは、弓倉部長ですよ。ここにお住まいの弓倉部長が犬だとしたら、とてもとても上等な大型犬だと思います。あの、私は猫のほうが好きですが」


「いまの会話の流れでそれ言うのは、何か違わない? 俺だってどっちが好きって聞かれたら猫だよ。白築さん、猫っぽいし」


「サイズ感は猫ですね。大型犬にくらべると」


 犬か猫かでは、はからずも趣味が合うらしいと知る。

 ただし、シビアな現実として王族と庶民の間の超えられない壁に直面していたアリスは、半ば上の空であった。


「ベッドとデスクと冷蔵庫完備で、クローゼットはうちより大きい……。住める」


「海外から友達が来たときとか。あとは、どうしても仕事を家に持ち帰ったときに、さっきの城戸が来て使ったり。今まで、何回もないけど。リネン類は変えてあるから大丈夫。ソープ類は普段置いてないから、ストック持ってくる。お気に入りを持参していたりする?」


 さらっと確認されて、そんなところまで気が回っていなかったアリス「何も」と答えて、落ち込みそうになった。


(家に戻ったとき「路駐できないから、三十分後に迎えに来る」って言われて、急いでトランクに着替えと化粧品と通帳類を詰めて、念の為冷蔵庫片付けてきたけど、あのときはぼーっとしていたから……)


 通帳を持参したのは、メインバンクから貯金を引き落とした形跡を説明するかもしれないと考えたからだ。そのくらいの頭は働いていたが、荷物は本当に何も考えずに詰め込んできてしまっていた。足りないものだらけだ。


 海が一度部屋を出て、シャンプーやボディソープ、タオル類などを持ってくる間、トランクを開けてみたアリスは重大なことに気づいてしまう。


「……部屋着が……」

「ん?」

「あの……。普段家では楽な服装をパジャマ代わりにしているといいますか……。トランク詰めながらこれはさすがに持っていけないと思った記憶はあるんですけど、他のもの詰めるのに気を取られて、そのへんすっぽり忘れていたみたいで。サマーセーターとスカートで大丈夫かな。出勤で使っているのだけど」


 いつまで滞在するかわからないが、月曜日まで長引くことも一応考えて、会社で着れそうな服は持っていた。上司の家というのは、社内みたいなものだからそれでいいかなと思ったところで、海から「貸そうか?」とあっさり言われる。

 アリスは、自分の気の利かなさに歯噛みしたい思いをした。


「本当にごめんなさい。この流れなら、そうなりますよね……!」


 要求するようなことを言ってしまったと、後悔しながら謝ると、海には納得いかない様子で「白築さんが、会話の流れを考えることあるのか」と呟かれた。なんだか失礼だとは感じたが、反発している場合ではない。


「お世話になります」

「とは言っても、女性ものは無い。俺のシャツと……ハーフパンツなら大丈夫かな」

「ハーフパンツがクロップド丈になるやつですね! ひきずるかもしれない! 残酷なまでに違う足の長さ!」

「それはさすがに」


 笑いながら部屋を出て行った海は、すぐに着替えを手にして戻ってきた。


「俺もシャワーして着替える。廊下出てまっすぐ行けばリビングだから、また後で」


 必要事項を告げて、さっさと立ち去る。

 その後姿を見送り、ドアに鍵をかけるかどうか悩んでから、一応かける。

 座り込むとぐずぐずしそうだったので、トランクの中身を出してハンガーにかけるものはクローゼットのハンガーにかけて、貴重品は金庫にしまう。トランクもクローゼット内に入れてみたが、全然余裕があった。


「犬小屋……?」


 首を傾げながらシャワールームを確認すると、ジムの個室のようなもので、トイレとは別になっていた。都内単身者向けワンルームマンションより使いやすそうで、またもや「犬小屋とは??」と思いつつ、ありがたく使わせてもらう。


 いい匂いのするシャンプーやボディソープでさっぱりとし、これ以上何が出てきても驚くものかと思ったのにバスタオルのふわふわ具合に驚き、肩の長さの髪からある程度水気を拭き取る。

 借り物の半袖シャツは五分袖になり、ハーフパンツはクロップド丈になるぶかぶか具合だったが、ウエストの紐を絞ればなんとか着れた。

 着てしまってから、タグでブランド名を確認しておけば良かったかなとちらっと思ったが、気にしたら負けだと自分に言い聞かせる。お礼の意味であとで買ってプレゼントしようなどと身の程知らずなことを考えたら、一ヶ月分の給料が飛びかねない。


(お礼はしたいけど、何? 私も一人暮らし歴はそれなりにあるから、家事なら……。掃除と洗濯? 通いのハウスキーパーさんがいるって言われそう。本当に、何で恩を返せばいいんだろう。仕事? 片腕になるまで昇進する? 何年かかるかな。しかもライバルはあの城戸さん? うーん……まずガタイで負けてる……)


 悶々と悩みながら部屋を出て、リビングへと向かう。

 海はすでにシャワーを終えて料理を作り始めているらしく、早くもいい匂いが廊下まで漂っていた。


「弓倉部長、ありがとうございます。何か私にもできることがあれば」


 明るく照らし出されたキッチンらしき方へと声をかけながら近づき、アリスは足を止めた。

 借りたシャツとハーフパンツから、あのエグゼクティヴな海も家ではラフな服装もするんだろうなと推測はしていたものの、キッチンで振り返った海は、明らかにアリスの予想を超えていた。


 茶色がかった髪をハーフアップ風に軽くクリップで留め、家用らしい眼鏡をかけている。あらわになった耳には、左右ともにピアスがいくつもついていた。

 服装はブルーのストライプシャツにジーンズで、寝間着というほど砕けているわけでもなく、腰には黒のソムリエエプロンを巻き付けている。


「楽にしてていいよ。勝手のわからないキッチンだと、動きにくいだろうから」


 答えた声はたしかに海なのだが、アイドルのオフ風写真として雑誌に載っていそうな姿に、アリスは慄きながら後ずさってしまった。


「もしかしていま、逃げた?」

「……頭がついていかなくて。弓倉部長って、ピアスしてましたっけ……」

「これはピアスもあるけど、ほとんどイヤーカフ。会社ではつけてない」


 情報処理が追いつかず、アリスは頭を抱えた。


(会社ではつけていないアクセを、いまつけているってどういう意味? これからどこかに行くの? いや、完全インドアプリンスに限って、それは無いと思う。というか待って待って、私、メイクしてないけど? 私は全然気を遣ってないのに、プリンスは隙無くおしゃれしているってどういうこと。何か理由があるの?)


 あまりにも状況がわからなかったので、本人に質問をして見ることにした。


「ピアスがすごくお似合いで……あの、髪型も。眼鏡もエプロンも。スーツとイメージ違いすぎて、これはこれでものすごくおしゃれだなと思いまして。今から他に誰か来ます? 家でそんなにかっこよくてどうするんですか? 私しか見ていないんですけど、もったいないって概念はないんですか? 全世界生中継レベルの容姿で寛ぐなんて……録画していないのが、もったいなさすぎる」


「ええと……褒められてる? 俺は、自分のしたいようにしているだけだけど」


 困惑した声を出されてしまった。

 しかし、アリスの気分は「拝観料も払わずに見てはいけない」である。目を逸らしつつも、ぼそぼそと言い返してしまった。


「弓倉部長、素でそれならもう、完全に自然界の雄ですよ。鳥類とかの雄そのものです」

「孔雀的な意味で? そんなに派手にしたつもりはない……」


 理解しかねるという様子の海を直視しないように、顔を伏せながら窺いつつ、アリスは勇気を振り絞って声をかけた。


「あの、言われても困ると思うんですが、実は私、スーツ萌えは一切なくて、わりとチャラい感じが好きなんです……。プリンスの写真、撮ってもいいですか」

「俺を?」

「ファンになってすみません、売ったりしません。たまにひとりで見て、ニヤニヤしたいだけなんです。本当に、邪悪な意図はないんですけど、すみません。写真、欲しいです」


 実際に、アリスは自分でも驚くほど、いわゆる「制服」に興味がない。今までスーツ姿の海に迫力を感じ、その容姿の良さを認識しつつもせいぜい「オジサンの間にいるとかっこいいな」くらいに思っていたのだ。

 それだけに、プライベート姿のギャップに著しく動揺してしまった。


(ドン引きされる……! でもどうしても写真欲しい。盗撮はだめ、絶対。ああ、でも写真欲しいなんて、いやだよね)


 めまぐるしく考えているアリスに対して、海は「いいよ」とさらっと言った。


「念の為、流出しないよう、絶対に売り物にならない構図にしておこう」

「えっ」


 すたすたと近寄ってきて、アリスの隣に立ち、ポケットから取り出したスマホをインカメで構える。


「ツーショット。トリミングできない距離で」


 肩を抱き寄せられて、カシャッと一枚の写真に収められた。驚くほどの素早さで。

 触れ合ったのは、その一瞬だけ。


「ええっ、私が写っていても嬉しくないです。あの、私は写真写りよくなくて、いつも絶対目を瞑ってますし。それはちょっと」


 我に返ってアリスは海の腕にすがったが、写真をチェックする海は取り合ってくれない。


「大丈夫。可愛く撮れてる。送るから」


 そう言って、ひょいっとアリスの目の前にスマホを差し出す。

 そこに表示されたアリスは、不意をつかれて少し驚いてはいたが、思ったほど変な表情はしていなかった。


(プリンスのピンが欲しかったけど……。これ以上のわがままは言えない)


 自分が一緒に写っているのは少し残念と思いつつ、ふと自分がスマホを持っていないことに気づいた。


「あ、スマホを部屋に置いてきたみたいです。取ってきます」


 アリスは素早く廊下を引き返す。

 必要以上に、早足になった。

 一瞬とはいえ、肩を抱かれた感触にドキドキしてしまっていた。少し、海と離れなければ到底落ち着ける気がしなかった。


(イケメン怖い……! でも写真嬉しい! 自分が写っているのは嫌だけど、嬉しい。良かった……)



 * * *


 ぱたぱたと軽い足音を立てて、海の服に身を包んだアリスが立ち去った後、海はぼんやりとスマホを見つめていた。

 そのまま、声もなくその場に崩れ落ちるようにして、しゃがみこんだ。

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海さん!アリスちゃんの写真ゲットですね!♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
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