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第九話 邂逅、カレーの匂い

 カレーのいい匂いが、鼻腔をくすぐった。


 暗転した意識が、徐々に覚醒へと近づいていく。どれくらい眠っていたのだろう。頭はまだぼんやりして、うまく思考が回転しなかった。


 ゆっくり、目を開く。


 一面、真っ暗闇だった。光一つ届かない、闇。

 もしかしてまた死んだのか。あの神様を名乗る少女のいる世界に迷い込んだのか。真っ先に疑ったのはそれだった。


 だが、ふと違和感に気づく。目の辺りが柔らかい何かに覆われている。というより、塞がれている。ようやく理解した。自分は目隠しをされているのだと。

 確かめようと、取り外そうと手を伸ばそうとする。ところが。


 ──手が、動かせねえ……?


 ぐいぐいと、両腕に力を込めても手はびくともしない。それどころか手首の辺りが痛くなって、締め付けられているようだった。


 ──手足が拘束されてる?


 感触と体勢で、理解した。尋常ではない事態だと、やっと思考が急速に回り出した。


 なんと手足が縄か何かで縛られているのだ。椅子に座らされた状態で。腕は後ろ手に交差した格好で拘束され、両足は椅子の脚に縛り付けられている。全く身動きが取れない有様だった。


 おまけにこの目隠し。自分がどこにいるのかすらわからない。

 拉致。監禁。

 様々な可能性が頭をよぎる。目的はなんだ? なぜこんなことをする?


 ──違うだろ! そんなことより大事なことがあるだろうが!


 彩陽の安否。それが何より心配だった。

 あれから無事目を覚ましたのか。自分と同じ目に遭っていないか。不安は募る一方で、早くここから逃げ出そうと、渾身の力を込めて拘束具に抵抗してみせた。


「カレーうどんのね〜、汁をたっぷり吸ったおきつねさんがね〜」


 若い女性の声。すぐ前方からだ。

 突然の人の気配に、ぴたと身体が止まった。


「これがまた美味いんだ〜」


 ジュルルッ──と、何かを吸うような音。もくもくという咀嚼音。

 目の前に誰かいるのか? 何か食べているのか?


「誰か……いるんですか」


 自ずと口を開いていた。全く理解不能な状況。真っ暗な視界、孤独な闇の中で、誰かいるというだけでなぜか安心感を覚えた。

 一旦開いた口は止まらなくて、堰を切ったように次々と言葉が溢れてきた。


「あなたは誰ですか。ここはどこなんですか。彩陽は無事なんですか?」

「お、よく喋るね〜。思いのほか元気でよかったよ、逢真夏翔くん」


 間延びした、けれど柔和で優しそうな若い女性の声。

 まさか彼女が俺を拉致したのか? だったら目的は? いや、その前に。


「どうして、俺の名前……」

「それはね〜……フフン、まだナイショ〜」


 ズルルッと、麺を啜るような音。

 このカレーの匂いといい、咀嚼音といい、まさかカレーうどんを食べているのか? 人を拉致監禁している真っ最中に。なんて呑気なんだ。


「ねえ、うどんは好き?」

「……どっちかというとそば派です」

「カレーそばもあるよ! これが美味いんだ〜」


 カレーそばなんていうものがこの世にあるのか。ていうか何なんだこの質問。少なくともこちらに害意はなさそうだが。

 カチカチと、箸を鳴らすような音が聞こえて。


「私が知りたいことはただ一つ──君はどうやってあの力を手に入れたの?」


 ぎくりとした。

 柔和な物腰から一転、真剣な態度。その落差たるや。飴と鞭の使い分けが上手い。案外侮れない相手だと、唾を呑んだ。


 どうやら全て筒抜けのようだ。隠し事をしても意味がないだろう。それに話さないと帰してくれそうにない。ここは正直に全部話すことにした。


「……信じられないかもしれませんけど、俺は一度死んだことがあって──」


 ありのまま打ち明けた。


 強盗に胸を刺されたこと、不思議な世界に行ったこと、神様を名乗る少女に出会ったこと。その少女から命と力を授かり、生き返ったこと。

 加えて、さっき学校で起きたことも話した。恐ろしい世界に閉じ込められたこと。知らない男に襲われたこと。例の力で返り討ちにしたこと。そして、その力の概要を。

 最後に黒い骸骨を倒したことまで、包み隠さず話した。


「ふ〜ん。じゃあ君は今日力に目覚めたばっかりなんだ」

「そうです」

「なるほどね〜。にしても」


 ごくごく、プハーッと汁を飲み干す音が聞こえて。ごとりと、おそらく丼が床に置かれた。


「この世からヨモツを葬り去れ……ねえ。難しいこと言ってくれるじゃん」


 彼女の興味を一番引いたのは、あの化け物のことではなく、神様を名乗る少女らしかった。それにしても、ヨモツってなんだ。


「うん。君みたいな一般人がヨモツの名を知るはずがないし、一応信じることにするよ。もちろん全部じゃないけどね」


 俺にとっては人生が一変するくらい大きな出来事だったのに、存外軽い反応だ。それとも彼女は予め全て知っていたんだろうか。だったら。


「あなたは、その神様のことを知ってるんですか」

「まっさか〜、知るわけないじゃん。大体私死んだことないし、神様も信じてないしね。そんな女の子の話初めて聞いたよ」


 予想外の返答だった。その割にはあっさり俺の話を受け入れたようだが。彼女にも知っていることと知らないことがあるのか。


 そもそも。


「あなた、一体何者なんですか」

「私は〝忌術師きじゅつし〟。君が今一番知りたいことを知ってる人だよ──そう、あの化け物についてね」


 忌術師?


「知ってるんですか⁉︎ なら教えてください、あの化け物のこと──」

「ストップストップ! もう、がっつく男子はモテないぞ〜。とりあえず落ち着いてゆっくり話そう」


 一拍置いて、彼女は続ける。


「君たちを襲ったのは〝世喪達よもつ〟だよ。《《世》》を呪い、わざわいをもたらす者《《達》》」


 黒い鳥居に〝黄泉〟って書いてあっただろう? そこから日本神話に登場する〝黄泉よもつ醜女(しこめ)〟に転じて、それがさらに転じて世喪達さ。と彼女は話す。


「あれは単なる悪霊や怪異の類じゃない。死、そのものさ。生きた人間を黒い鳥居の中に取り込み、自分の死に方を追体験させることで死に至らしめる化け物。で、あの黒い骸骨が本体。つまり元々は私たちと同じ人間さ。生前の未練や怨念が世喪達を突き動かすんだろうね」


 自分の死に方を、追体験させる……。


「じゃあ、俺を襲ったのは男の方じゃなくて、やっぱり女の方なんですか」

「ご名答。話からして、ストーカーにでも付き纏われていたんじゃないかな。でも、それで人を襲うようになったら、もう救いの手立てがないよね」


 なんだか急にあの化け物──世喪達のことが可哀想に思えてきた。何も悪くないのにストーカーに付き纏われた挙句、滅多刺しにして殺されたなんて。そのせいで化け物に生まれ変わり、人を襲うようになった……これが理不尽でなくて何なのか。


 だが彼女の言う通り、それで人を襲っては殺人鬼と同じだ。あの世喪達は彩陽まで巻き込んだ。それを許すことは到底できない。


「あの世界は世喪達が死に際に体験した世界そのものだよ。そして、閉じ込められたらまず出ることはできない。〝忌譚きたん〟が完結するまで生前のその人物の身体に囚われ、自分の意思とは無関係に動き、最後には死を迎える」

「忌譚って?」

「君が体験したあの世界のことさ。その世喪達にとって忌むべき、そして私たちにとっても忌まわしい物語。ゆえに〝忌譚〟」


 ふっと、かすかに笑う声が聞こえて。


「君は運がいいね。忌譚が完結したら中にいる人間は必ず死ぬ。例外なくね。あのタイミングで力に目覚めてなかったら確実に命はなかったよ」


 確かに。思い返して、今更になってゾッとした。

 あのとき少女と出会った記憶が蘇らなければ、あのまま死んでいただろう。忘れていた力を使えず、世喪達を倒せなかった。


「じゃあ忌譚に閉じ込められた人は、絶対に死ぬんですか。助かる方法はないんですか」

「そこで私たち〝忌術師〟の出番だよ」


 いかにも得意満面なその声色に、わずかに訝しんだ。さっきから何なんだ、忌術師って。


「獣が街に下りればばそれを狩る者がいる。でも世喪達に猟銃は通用しない。この世のものじゃないからね。じゃあどうするか。特殊な力と、特別な才に恵まれた者たちの出番さ。その超常の力は禁忌の術、〝忌術〟と呼ばれる。〝忌術〟を用いて世喪達を葬る存在、それが私たち〝忌術師〟ってわけさ」


 忌術師は一般人には存在が秘匿されているけれど、日々世喪達を葬るために暗躍している。人々の平和を守るためにね。もしかしたら君の近くにもいるかもしれないよ? と彼女は語る。


「君も今日力に目覚めて、世喪達を葬ったんだろう? それがまさしく忌術だよ」


 そういえば、忌術という言葉には心当たりがあった。あの力を使った際、無意識に「忌術解放」と叫んでいた。もしかしたら、あの少女に力とともに使い方も授かったのかもしれない。事実、世喪達を倒したときは本能的に身体が動いていた。


「ってことは、忌術が使えるなら俺も忌術師……ってことですか」


 しばしの沈黙。数秒後。


 ──眩しっ!


 左目のみ、目隠しを少しだけ外された。ようやく暗闇から解放されて、まだ視界はぼやけている。それでも周囲と自分を取り巻く環境は、なんとなく確認できた。


 広い洞窟のような空間だった。地面はごつごつと隆起していて、無数の蝋燭の火に取り囲まれている。そんな中に、二脚の椅子があった。一つは自分が座らされている椅子。白い縄で足首が縛られているのも確認できた。もう一つはすぐ目の前にあって、一人の女性が座っていた。巫女服を着ていて、腰の辺りまで透き通るような銀髪が伸びている。が、それ以上視線は上がらず、顔まで見ることはできなかった。


 ──ていうか巫女服? 巫女服でカレーうどん食ってたのか、この人? 頭大丈夫か?


 その割に見える範囲ではどこも汚れたり、汁が跳ね返ったりしていない。よほど器用なのか、豪快すぎる食べ方をしたのか。


 女性はやおら近づくと、俺の眼前に右手の甲を掲げてみせた。その甲には黒いカラスのような紋様が黒い輝きを放っている。三本足の、黒いカラスが。


「これはね、〝八咫烏やたがらすの刻印〟。私が忌術師である証。普段は見えないけれど、術を使っている間だけこの刻印は黒く輝く」


 その言葉にはっとした。術を使っている間だけ、輝く。つまり彼女はいま術を使っている最中ということだ。


 ──この縄……人間を拘束するにしちゃやたら白いと思ったけど、まさかこれがこの人の忌術か? 忌術には色々種類があるのか?


 などと考えているうちに、彼女の右手が伸びてきて。再び目隠しをされた。また真っ暗な世界に戻る。自分の境遇にもどかしさを覚えた。


「ところで──思うに君の能力は、『与えられた攻撃をそのまま与え返す』ものじゃないかな。忌術と一口に言ってもその能力は多岐に渡ってね、単純明快なものから風変わりなものまである。君のは後者……いや、それを遥かに凌ぐだろうね。まさにチートそのものさ。世喪達を葬るためだけに特化した力と言っても過言じゃない」


『与えられた攻撃をそのまま与え返す』……それはなんとなく気づいていた。あの不思議な世界──忌譚の中で起きた出来事からして、それしか考えられない。だがチートとまで言われるとは、さすがに予想外だった。


「さ、真面目な話はこれで終わり! これからは腹を割って話をしよう。は〜疲れた〜。こういう辛気臭いのは苦手なんだよね〜」


 うーんと伸びをする声が聞こえる。間延びした口調に、少し緊張が和らいだ。


「さ〜て、本題に入ろうか。逢真くん、私は君みたいな逸材を放っておくのはもったいないと思っていてね。ぜひその力を存分に発揮してほしいと考えてるんだ」

「仲間になれ……ってことですか」

「う〜ん、まだその段階じゃないかな〜。君がどれほど有用な存在か、もっとちゃんと私に示してほしい。仲間になる云々はそれからだよ。どうすればいいかは……言わずもがなだよね」


 あの少女の言葉を、思い出した。


「……世喪達を、葬り去れ」


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