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第四話 誰も知らないアタシの孤独

 ああ、この世界はアタシを助けてくれないんだ──また、そんなことを思った。


百舌川もずかわさぁ、今日も一人で登校? いっつも一人で寂しくないわけ?』

『寂しくなんか……ないです』

『そうだ。うちらが明日から一緒に登校してあげるよ。そしたら寂しくないでしょ』

『い、いえ……遠慮しておきます』


 アタシの震える声に、クスクスと周りの女子たちから笑いが起こる。その一番前に立つ女子生徒──真田さなださんは、薄ら笑いを浮かべながらアタシの行く手を塞いでいた。


 真田さんはいわゆるスクールカーストの上位の存在で、後ろの女子みたいな取り巻きがたくさんいる。真田さんの言うことは絶対で、法で、この学校の王様のような人だった。


 そんな彼女の前で、縮こまりながら俯いているのがアタシ。数ヶ月前から彼女に目をつけられて、いじめのターゲットにされて、今日もこうして玩具のように遊ばれていた。


 取り巻きの女子たちはまるで鳥籠のようにアタシのことを囲っていて、逃げ出したいと願う意思ですら、根本からへし折ってくるみたいだった。


『へぇー。せっかくうちらの輪に混ぜてあげようって言ってるのに嬉しくないの?』

『そ、そんなことは……』


 アタシの態度が反抗的に映ったのか、真田さんがそっとアタシの肩を掴んでくる。恐怖で全身がびくりと跳ねる。その手には思った以上に力が入っていて、痣が出来そうなほどだった。


 痛い。怖い。


『だったらさぁ、早速放課後から一緒に帰ろうよ。()()()()()()()

『……っ』


 真田さんの手に、力がこもる。一気に詰め寄りながら、アタシに耳打ちしてきた。


『ちょっと可愛いからって調子乗んなよ。人の男に色目使いやがって』

『そ、そんなつもりは……っ』


 真田さんの言う男とは、彼女の彼氏である剛田ごうだくんのことだ。彼もスクールカーストのてっぺんの存在で、暴力は振るう、いじめなんて珍しくもない、けれど先生に媚びへつらうのだけは上手だから横暴が許されている──そんな、よからぬ噂しかない最低の男だ。


 そんな剛田くんに、アタシは数ヶ月前から言い寄られていた。友達もおらず、いつも教室の隅で本ばかり読んでいるアタシのことなど簡単に落とせると思ったのだろう。放っておいてと言っても聞かず、真田さんがいるでしょと言ってもお構いなし。やがてそれが真田さんの耳に入り、こうしていじめのターゲットにされたのだ。


 人の男に色目を使う淫売だと。


 ──誰か、助けて。


 怖くて、恐ろしくて、逃げ出したい一心だった。でもそれ以上に、卑劣な彼女らに何もできない自分自身が一番情けなくて、本当は泣き出したかった。だけど言葉は出てこなくて、喉の奥でつっかえて、頭が真っ白になった。


 下を向きながら、こっそり辺りに目配せをする。けれど目を合わせてくれる人なんて誰もいなくて、どの生徒も遠巻きに眺めながら歩くばかりで、先生ですら見て見ぬふりだった。


 ──ああ、この世界はアタシを助けてくれないんだ。


 誰も知らない、アタシの絶望。


 一人で登校してるのだって、望んでやってることじゃない。学校に友達が一人もいないのだって、好きでそうしてるわけじゃない。母親が教育にとても厳しい人で、アタシに勉強以外の時間を与えてくれなくて、付き合う友達でさえ厳選してくるからだ。そのせいでアタシはいつもひとりぼっち。友達といる楽しささえ、知らないまま生きてきた。


 ──母親も、真田さんも、この世界も……全部全部、大嫌い。


『ちょっとそのカバン貸せよ』

『な、何するの? やめて!』


 アタシの手から強引にカバンを奪い取って、真田さんは取り巻きに投げて渡す。受け取った女子がはしゃいで他の女子に投げる。いつしかそれが遊びになって、アタシのカバンはボールさながらに彼女らの玩具になった。


『『『『ハイハイハイハイ!』』』』


 誰からともなく掛け声が始まって、リズムに合わせて拍手が沸き起こる。遊びの速度はヒートアップして、やがて別の誰かから別の誰かへの押し付け合いに変わり、アタシのカバンはボロ雑巾みたいに空中を飛んだ。


 なすがまま、ただ唇を噛んで立ち尽くす。


 悔しい──悔しい。


『あっ……あーあ、ちゃんとキャッチしろよ』


一人が受け取り損ねて、カバンが無様に地面に落ちる。他の生徒が校舎へ向かう、その真ん中へ。当然、誰も関心を持つ人なんていなくて、まるでみんな腫れ物みたいにアタシのカバンから遠ざかりながら歩いていた。


 ──そっか。誰も拾ってすらくれないんだ。


 みんなが同じ方向へ、人形みたいに同じ歩幅で歩いていく。そんな中──一人の男子生徒が足を止めた。


 ──えっ……?


 その男子生徒はなんとカバンを拾い上げると、他の生徒の列から外れてこちらに近づいて来た。仏頂面で、決然とした足取りで。──ああ、どうせ彼もこいつらの味方なんだろうな。


『ああごめんごめん。拾ってくれてありがと。それうちのだわ』


 臆面もなく、真田さんがヘラヘラと取り巻きたちを退けて歩み寄る。嘘吐き。それはアタシの大事なカバンだ。


 男子生徒はしばらくカバンを見つめると。


『俺は女は殴らない主義だけどよ』


 前触れもなくカバンを振り上げ──。


カバン(こいつ)は許してくれるかな』

『は? ──ふぶぅっ!』


 勢いよく真田さんの顔面に振り下ろした。


 ──は?


 理解が追いつかなかった。目を見張った。


 取り巻きがざわめく。


 今、彼は何をした? 真田さんの顔面にカバンをぶつけた?


 スクールカースト上位の、しかもあの剛田がバックについてる真田さんに?


 こんなこと、学校では知らない者はいないくらい周知の事実だというのに。


 そう思っていたのは真田さんも同じだったらしく。


『てめぇ……自分が何したか分かってんだろうな!』

『うるせぇ!』


 彼の怒声に、みんなが怯む。アタシはといえば、まだ状況を把握できていなかった。


『寄ってたかって女の子一人をいじめて……お前ら恥ずかしくないのかよ!』


 周囲がしんと静まり返る。だが、それをよしとする真田さんではなかった。


『この女がうちの彼氏を奪おうとしたんだよ! そこの性悪女がよぉ!』

『性悪女はお前だ。俺にはお前が心の汚れた嘘吐きにしか見えない』


 彼の言葉に、彼女は怒りも露わに手の平を振りかざす。


『てめぇ!』

『やめとけ。俺の主義が変わる前に』


 拳にありありと血管を浮き出させながら。彼は力強く右手を握りしめていた。

 その瞳は怒りに燃え、世界を焼き尽くさんばかりだった。


 一触即発の、数瞬。


 ぎぎぎぎと、耳障りな音が響く。それが真田さんが自分の歯を噛み締める音だと気づいたのは、彼女が怒りに震える手の平を収めたときだった。


『覚えとけよ。このこと彼氏たっくんに言いつけてやるかんな』


 目を血走らせながら、彼女は彼に吐き捨てる。やがて校舎の方へ振り返ると、不機嫌そうな足取りで去っていった。取り巻きの女子たちが、子分のようにそそくさと背中を追いかける。


 ──終わった……の?


 眼前で起きた光景が信じられなかった。あの真田さんを殴って、挙句言い負かした。何よりアタシを助けてくれた。そんな人がいるなんて、思わなかった。


 その彼はといえばカバンについた土埃を払うと、無言でアタシの方へ近づいてきた。誰も見向きもしなかった、腫れ物扱いにした、アタシの方へ。


『悪い。大事なカバン武器にして』


 ん、とこちらにカバンを寄越してくる彼。それを受け取りながら、未だ当惑していた。


『なんで……助けてくれたの』


 最初にお礼の言葉を言うべきだろうに、最初に出てきたセリフがそれだった。それくらい、アタシなんかを助けてくれた理由がわからなかったのだ。


 彼はぱちくり瞬きをすると、困った風に頭を掻き、やがて答えた。


『別に。助けたわけじゃねえよ。ただああいう奴らを見てるとむしゃくしゃするんだ。だからビビらせてやった』

『……あの子の言い分が真実だって、本当に思わなかったわけ?』

『うーん……まあ、その可能性もあったっちゃあったな』

『ア、アンタねぇ……!』


 ちょっぴり腹が立った。恩人ともいえる相手に、だからこそ心のどこかで清廉潔白さを求めていたのかもしれない。我ながら子供っぽい考え方だが。


『ははっ、冗談だって。おまえ同じ学年だろ? なんか周りからいつも浮いてるっぽいけど』

『……アンタだって同じでしょ。聞いたことあるわ。喧嘩っ早くて、いつも周りから孤立してる生徒がいるって。その割には一度も喧嘩に勝ったことないって』

『いま喧嘩売ったか? 買うぞ』

『わ、悪かったわよ! 気に障ったなら謝るわよ……』


 正直落胆した。こんな相手に助けられたとは。名前までは知らないが、彼の噂は聞いたことがある。喧嘩っ早い割に弱い男の子がいると。まさか彼だったとは。


 ──でも、アタシを助けてくれた。


 アタシの沈黙を気まずそうにしていると捉えたのか、彼は嘆息して言った。


『誰に何言われようと気にすんな。俺にはお前がどこにでもいる普通の女子高生に見えるぜ。もし周りに馴染めないってんなら、周りが見る目ねぇんだよ。お前は何も悪くない』

『……それ、励ましてるつもり? アタシにはアタシの事情があるのよ』


 そう。別に好きで孤独を選んでるわけじゃない。母親の教育が身についてしまっていて、まるで亡霊のように付き纏って、学校でもこっそり友達を作るのが怖いだけだ。母親にバレるのが怖いだけだ。母親に支配された……惨めな人生だ。


『そっか……お互い大変だな』

『え?』


 地に目を落としながら、彼は独り言のように言った。


『不思議だよな。理不尽なことに抗えば抗うほど、よけい理不尽な目に遭うんだから。でも抗うのをやめたら、今度こそ理不尽からは逃れられない。……どれだけ辛くても、戦うしかないんだ』


 ドキッとした。


 それは、今のアタシが一番欲しくて──一番欲しくない言葉でもあった。


 アタシはただの一度でも、母親に抗ったことがあったか? 真田さんやその取り巻き、剛田くんに一度でも抗ったことがあったか? ……ただ流されるままに、なあなあに生きてきただけじゃないか。その結果がこれだ。


 でも、彼は違う。理不尽ときちんと戦っている。たとえどんな噂が流れ、裏で馬鹿にされたとしても。──アタシを助けたことで、真田さんや剛田くんに目をつけられることになっても。彼の言う通り、新たな理不尽に囚われることになっても。


 きっと彼は、この世界そのものを理不尽だと思っているのだろう。それでも抗い続けるのだろう。


 ──それは……今のアタシでも、まだ間に合うのかな。


 世界に希望の光が差した気がして、尋ねた。


『ねえ……アンタ、名前はなんて言うの?』


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