第十四話 それってさ
「はい……はい……。そうですか。わかりました。私たちのことは……伏せていただけましたか。本っっっ当に助かります。はい、それでは失礼します」
夕方。橙色の陽光に包まれた公園。
スマホを仕舞って、彩陽ははぁと深いため息を吐く。
あのあと俺たちはあの家から飛び出し、できるだけ遠くまで逃げてきた。それで行き着いたのが、この人気の少ない公園。三人でブランコに乗りながら、彩陽がその後どうなったか依頼者に電話し、俺はその隣で固唾を呑んで状況を見守っていた。竜胆はといえば……暇を持て余すようにブランコを漕ぎ続けていた。
「朗報よ二人とも」
グッジョブと親指を立てて、彩陽はこちらにウインクしてくる。
「犯人、無事捕まったって!」
「よかったぁー」
「自業自得ってやつだな」
ほっと胸を撫で下ろす。正直なところ、罪悪感を抱いていた。依頼者を置いて逃げてきたことに。一応、竜胆が手刀で身動きを封じたとはいえ、途中で依頼を放り出してきたことには変わりない。犯人逮捕の知らせが、何よりの朗報だった。
「今は警察があの屋根裏を調べてる最中らしいけど、あの男、だいぶ前からあの家に住み着いてたみたいよ。本当に怖い世の中になったわよね。何があってもおかしくないもの」
「犯人の目的は結局何だったんだ?」
俺の問いに、彩陽はやれやれと首を振って答えた。
「依頼者の推測だけど、食べる物に困ってたんじゃないかって。思い返せば、って言ってたけど、前々から家の中から不自然に食べ物がなくなることが多かったらしいわ。最初は気のせいだと思ってたようだけど、あの不審な男が物色してたなら色々合点がいくって話してたわ」
やっぱり思った通りだ。あの犯人は依頼者が寝静まった頃、夜な夜な食べ物を漁っていたに違いない。屋根裏から発生する異音の正体は、それだろう。依頼者が起きている間も、犯人は屋根裏に潜んでいる。その生活音が、正体不明の音として依頼者を怖がらせていたわけだ。
「で、警察に俺たちのことは?」
漫然とブランコを漕ぎながら、ぶっきらぼうに竜胆が問う。それに対して、彩陽はセーフとばかりに両腕を広げてみせた。
「いい人で本当に助かったわ。あの依頼者の方には感謝ね。警察の人には全部自分がやったことにして、私たちのことは伏せてくれたみたい」
「あの依頼人も依頼人だ。あのままだったら最悪夜中に鉢合わせして殺されてたかもしれねぇぜ。まあ、俺の一撃で楽勝だったが」
「そうね。いざって時に頼りにならなかった誰かさん[#「誰かさん」に丸傍点]と違って、竜胆には感謝だわ」
「うっ……」
ぐうの音も出なかった。彩陽の言う通りだ。
あの場に竜胆がいなかったら、犯人を取り押さえる者は誰もいなかっただろう。俺は足が竦むばかりで、依頼者は怖がって、彩陽は非力だ。竜胆の一撃がなかったら怪我人がいたかもしれない。
「ところで夏翔。彩陽が言ってた〝変な力〟ってなんだ」
「え? それは、その……」
彩陽を横目で見ながら、思わず言い淀んだ。
まずい。すっかり失念していたが、彩陽に聞かれたんだった。俺の力のことを。だが、なるべく彩陽には世喪達や忌術師のことは知られたくない。関わるべきでない世界に足を踏み入れてほしくない。それは竜胆も承知のはず。では、ここであえてその話題に触れた意図は……。
ブランコを止めて、竜胆は急にとぼけた声で発言した。
「あー、そういや俺いまからバイトだった。すっかり忘れてたわー」
「「えっ」」
不覚にも、彩陽と声が揃った。
それって……。
「そういうことだから。俺は先に電車で帰るわ。あとは二人でごゆっくり」
「おいおい置いてくなよ竜胆!」「ちょっと待ちなさいよ竜胆!」
俺たちの懇願を無視して、竜胆は無慈悲にも足早に去っていくのだった。
そうして、公園のブランコに俺と彩陽の二人だけが残った。
「「……」」
気まずい空気が、俺たちの間に流れる。
これもう竜胆に言われてるようなもんじゃないか。
素直に話せと。世喪達や忌術師のことをきちんと彩陽に白状しろと。
──さて、これからどう誤魔化せばいいんだ……。
そう、悩んでいると。彩陽が先に沈黙を破った。
「私……昨日、見ちゃったの」
ブランコのチェーンをギュッと掴みながら、彩陽は下を向いて話した。
「黒い骸骨がアンタに襲いかかるところ。それをアンタが不思議な力で退治したところ。その後のことは意識を失って、覚えてないけど……ごめん、全部見てた」
「そっ……か」
言いづらそうに話す彩陽に、俺も否定できなかった。
──全部見られてたんなら、仕方ないな……。
この期に及んで、隠し事は無意味だろう。いや、それより不誠実だ。彩陽だって昨日、世喪達の忌譚に巻き込まれた当事者。そんな彩陽に向かって嘘で誤魔化すなど、人として、親友として、許されないことだ。
なら、俺は。
「彩陽、信じられないかもしれないけど、実は──」
全て、話した。
俺たちを昨日襲った化け物の名前は世喪達で、忌譚という異世界に囚われて、同じ死に方を追体験させられること。完結したら死ぬこと。運よく助かったのは、俺が力を秘めていることを思い出し、その〝痛みを与え返す〟力で返り討ちにできたからだということ。俺のように忌術を扱える人間は忌術師と呼ばれること、など。
さすがに一度死んで蘇ったことや、神様を名乗る少女に出会ったことは伏せた。無論、彩陽のために忌術師として生きていくことも。それを知ったら、優しい彩陽は絶対に止めるだろうから。
一通り聞いた彩陽は、さすがに鵜呑みにはできなかったのかしばらく黙り込むと、やがてまっすぐこちらを見つめてきた。
「もしかして夏翔は、その世喪達って化け物と前から戦ってるの?」
「まさか。言ったろ。昨日力に目覚めたばっかりなんだよ。一番困惑してるのは俺だ」
「じゃあなんで世喪達とか、忌術師なんて名前知ってるのよ。誰かに教えてもらったからなんでしょ」
「それは……拉致された」
「はあ⁉︎」
「拉致されたんだよ! 昨日世喪達を倒したあと謎の女に」
「何それ意味わかんない……」
「俺だってわかんねえよ……」
お互いに、下を向いて。
しばしの沈黙。やがて彩陽が躊躇いがちに尋ねてきた。
「夏翔は……さ、戦うつもりなの。その世喪達って化け物と……」
「っ……なんでそんな話になるんだよ」
「だって、忌術師なんでしょ? 世喪達を倒す力があるんでしょ? 理不尽なことが大嫌いなアンタのことだもん。無差別に人を襲う化け物なんて、許せるはずないわよ」
「それは……」
図星だった。内心、自分自身に唾棄した。だから話したくなかったのだ。こうなることがわかっていたから。だが。
──理不尽なことが許せない俺だから、世喪達も許せない、か……そこまでは考えてなかったな。
そんなことを思えるほど、俺はできた人間じゃない。彩陽は俺のことをヒーローだと言ってくれたが、俺はごく普通の人間だ。普通の人間だからこそ、彩陽のために戦うことを選んだ。顔も名前も知らない誰かのためじゃなく、他ならぬ彩陽のために。
「ごめんなさい、白状するわ。本当はね、今日の依頼は奉仕部の活動じゃないの。知りたいことがあったから。今回の内容なら、アンタが力を使うところを見られると思って……」
申し訳なさそうな彩陽に、だが疑問符が浮かんだ。
「どうしてそんな遠回りなこと」
「頑固な夏翔のことだもん。直接聞いたって教えてくれないじゃない。謎の音の正体が動物とかだったらその不思議な力……忌術で対処するかもって思ったのよ。そしたらもう言い逃れられないでしょ。……でもまさか、音の正体が人間だとは夢にも思わなかったけどね」
自嘲気味に笑って、彩陽は呟くように語った。
「今も昔も、夏翔はアタシにとってヒーローよ。でも、化け物退治なんて危険な真似はしてほしくない。本当は奉仕部で一緒に活動して、人助けをした方が気持ちいいって思ってほしかった。……これが、嘘偽りのないアタシの気持ち」
「……そっか。そう思ってくれてたんだ。ありがとな」
でも、俺に話せるのは──。
「わかってくれ。全部……お前の、ためなんだ」
──今は、これまでだ。
竜胆。お前が、俺が彩陽に隠し事をすれば溝が深まると思って、会話の場を設けてくれたのはわかった。そのことには感謝してる。けど、これ以上はやっぱり話せない。
気づいていたろう? 世喪達と忌術師の関係を話せば、彩陽は必ずこの結論に思い至ると。俺を止めようとすると。なのに、どうして。
「アタシのためって、なに……?」
「彩陽……?」
震えた、どこか掠れた声に、思わず彼女の名を呼んでいた。
「アタシのためにアンタがあの恐ろしい化け物と戦うなんて……そんなの、アタシが望むわけないじゃない……」
ギリッと、歯噛みするような音がして。彩陽は俺を睨みつけると、怒りも露わに立ち上がった。
「本当にアタシのためを思うならアタシについてきなさいよ! 一緒に奉仕部で人助けして、これからも笑いなさいよ! だって奉仕部は──」
髪を振り乱して、叫んだ。
「アンタみたいになりたくて、アンタに憧れて、アンタと一緒にいる口実が欲しくて立ち上げたんだから!」
「なっ……」
「え? ……あ」
あああっ! と、顔を覆い隠して再びブランコに座る彩陽。その指の隙間からは、赤面した顔がはっきりと覗かれた。
──俺と、一緒にいる口実が欲しくて奉仕部を立ち上げた?
そんなの。そんなのもう。
──告白じゃん。
チュンチュンと、雀が鳴く。今が夕方で本当に助かった。俺の顔は、きっと遠目からでもわかるくらい、それはもう熱くなっていた。
「お母さん! あのお兄ちゃんたちブランコに座りながら真っ赤になってるよ! 私知ってる! ああいうのってアオハルっていうんだよね!」
「しっ! 声が大きいわよ! ああいうのは見て見ぬふりをしてあげるのが優しさなの!」
見知らぬ親子の大声に、思わず反対方向を向く。今の俺たち、側から見ればそういう風に映るのかな。青春してるように見えるのかな。
「きょ、今日はもう帰るか……」「そうね、そうしましょ……」
お互い顔も見ないまま、熱も冷めやらないうちに、背中を向けて立ち上がるのだった。