4.他人に害を及ぼしてはならない
不気味な程暗い雑木林。エイリアンを探していたはずの俺たちは、茂みの中にUFOを見つけた。これ以上ないほど奇特な事態。しかし、俺の思考回路は変に冷静だった。
「……作り物か?」
俺はUFOと思わしき物体に近寄って、スマホのライトを当てる。金属質の表面はライトの光を乱反射させた。遠巻きに見ればのっぺりとした鉄色なのだが、近寄ると油膜のような極彩色のマーブル模様がついている。
見たこともない材質だが、安っぽいハリボテにここまで凝った塗装や意匠をするのは不自然だ。と……すれば。
「恐らく本物でしょう」
俺が結論をつけるより早く、コズハが断じた。そして、視線をUFOに注いだまま俺を手招く。
「ナナイ君、ライトをこちらに。早く。もっと、できるだけ至近距離で観察させてください」
珍しく、早口でコズハは言った。よく見ると瞳孔が開いて目がギラついているし、頬も何だか赤い。得体の知れないものを見て、明らかに興奮している。ここまでテンションの上がったコズハを見るのは久しぶりだ。
「……あ」
瞬間、俺の脳裏に不安が過ぎった。コズハを好奇心の赴くまま行動させれば、ろくなことにならない。しかし早くコズハの好奇心を発散させなければ学校に行けないのだ。生きるか死ぬか、間に合うか遅刻するか、未知との遭遇なるかならぬか。選択を間違えれば、即死もやむなしのトラップだ。
「あー」
短い逡巡の後、覚悟を決めた俺はライトを構えた。
「分かったが、観察だけだからな。くれぐれも余計なことするなよ?」
「…………善処します」
心配になってくる沈黙から目を背け、俺はコズハの頭上からスマホのライトを当ててやった。灰色の金属が光の当たり加減で虹色に反射して気持ち悪い。
一方のコズハは臆すること無く、UFOの表面数センチまで顔を近づけている。光の反射で目が潰れるんじゃないかと思うくらい、メガネは輝いていた。だと言うのに、
「ほうほう、なるほどなるほど。それで……」
独り言を呟きながら、機敏に動き回ってあちこちに 目を向ける。好奇心に取り憑かれているとしか言いようがない。
そんな様子で、舐めるように見回すこと数十秒。
「──素晴らしい」
一言呟いて、コズハはがばりと顔を上げた。
かと思えば、俺に急接近。腕をふりまわし、鼻息荒くまくし立ててきた。
「すごい、すごいですよナナイ君。凄いとしか言いようがない。稚拙な表現しか思い浮かばないほどには私は今興奮しています。これはUFOとみて間違いないでしょう。ああ、なんでこんなものがこんなところに。素晴らしい大発見です」
普段のコズハからは想像もできないほど、発言に熱が篭っている。若干口角が上がっているように見えるほどだ。目の前のUFOらしき何かは、それほどまでコズハを興奮させる何かを秘めているのだろう。
とりあえず、俺は暴れ回るコズハの両肩を掴んだ。
「落ち着け落ち着け、何が分かったんだ?」
「なんにも分かりません」
「何も分かってねえのかよ!……ってうん?」
俺は反射的にツッコミを入れた。が、ふと思い至り、先程言われた内容を反芻する。
「お前さっき……《《分からない》》って言ったか?」
コズハは目を輝かせながら数度頷いた。
「はい、そうです。私ともあろうものが工法はおろか材質一つ、皆目見当もつきません」
ホクホク顔のコズハとは対照的に、俺は薄ら寒い気分になった。何しろコズハから、見当もつかないなんて言葉が出たのだ。
コズハの知識量はその辺の百科事典をゆうに越している。むしろそれらを皮切りにあらゆる学問の専門書を読み耽っては、知識を貪ったノーレッジ・ジャンキー。森羅万象を知り尽くしていると言っても過言では無い。この雑木林に生えている草木の名称から転がっている石ころまで、全て残らず余すところなく知っている。
そんな女が、『知らない』と言ったのだ。目の前の物体は、限りなく人智の外にある。そう考えると目の前の鈍色の物体が急に恐ろしいもののような気がしてならなくなってきた。
早くコズハをこのおぞましい異物から遠ざけなければ。そして俺も逃げなければ。
「コズハ、早く逃げ……」
「ナナイ君。手伝ってください」
俺の言葉は、コズハの一言に遮られた。いや、正確に言えば俺は言葉を失ったのだ。
コズハがまっすぐUFOを見つめたまま、足元をまさぐっている。この期に及んで何かを探しているようだ。非常に、楽しそうに。
「……何してんだ?」
不安を、困惑が凌駕した。一方のコズハは鼻歌交じりに地面をほじくり返している。
「見て分かりませんか。手頃な石を探しています」
「分かるわけねぇだろ。何のためにだ?」
「決まっているでしょう」
一抱えはある『岩』を持って立ち上がったコズハは、振り返りざまに俺の目を見た。
「サンプルを採取します」
眼鏡の下、コズハの目は爛々と光っていた。
「はぁ?」
首を傾げていると、コズハは岩を振り上げながらUFOに近づいていく。嫌な予感しかしない。
俺は慌てて声をかける。
「やめろ壊すな!もうちょっと手段を選べねえのかお前は!」
「何を言いますか。大概のものは尋常ならざる衝撃を加えれば壊れる。これが自然の摂理なのですよ。形が存在する以上、目の前のUFOもその枠からは外れていないはずです」
「他人の土地にある未知の物体をぶっ壊すことに、躊躇と恐怖はねえのかって聞いてんだよ!」
「知識をつければ恐怖など消え失せるはずです。火を我がものとした原人のように。知恵の実を食んだアダムとイブのように。
我々に必要なのは羞恥心でも罪悪感でもなくUFOの板金なのです」
「どうして蛇に唆されてねえのに堕落していくんだお前は」
俺は頭を抱えるしかなかった。毎度の事ながら、こいつの好奇心に天井は無いのか。
馬鹿な発想だとは百も承知だが、もしこれが本当にUFOならば国や個人どころかエイリアンに喧嘩を売る羽目になる。この一投に世界の命運がかかっている。
しかし下手に止めたところでコズハは従うまい。俺は一旦諦めることにした。
「はぁ……好きにしろ」
「はい?」
コズハは掲げていた岩を静かに下ろして、こちらに問いかけてきた。
「止めないのですか?」
コズハらしからぬ質問が飛んできた。
てっきり言質が取れたとか抜かして、これでもかとUFOに岩をぶつけまくると思ったのだが。
「……止められたかったのか?」
「ううむ、それは」
俺に問われたコズハは、顎に手を当てて首を傾げる。ちなみに岩は小脇に抱えたままだ。どんな怪力だよ。
コズハはしばらく考えた後、自信なさげに口を開いた。
「……予想と大きく外れて肩透かしを食らったと言うべきでしょうか。
こんなに面白そ……もとい危険そうなこと、ナナイ君は手段を選ぶことなく止めてくるだろうと踏んでいましたので」
「俺が止めるのは、お前が自殺紛いのことをした時だけだ。さっきも別に雑木林への侵入は止めなかっただろ」
「トイレの花子さんを立ち退かせようとした時は、問答無用で止めてくれましたよね」
「懐かしい話を引き合いに出すなよ。……あん時は怖かったんだから仕方ねえだろ」
「川に行った時だって」
「ダウト。先週も話したろ、お前と川に行ったことはねえ。
さっき5分で戻るって言ったろ?お前の気が済まねえうちはどうせ学校行けねえし。やるならさっさとやれよ」
「……腑に落ちません」
コズハは小さく呟いた。
「何がだ?」
「理路整然としていて、いつものナナイ君ではないようです。さてはエイリアンですか?」
「んな訳あるかよ」
コズハにとって、俺の行動原理はUFO並に分からないものらしい。仮にも俺らは幼馴染、考えくらい察して欲しいのだが。
コズハは難しい顔を浮かべたまま岩を振り上げた。
「……わかりました。釈然としませんが、剥ぎ取りますか」
一呼吸おいて、思いっきり振りかぶる。全身をムチのように反らし、頭の後ろまで岩を持ってきた。
岩の重さは目算で五キロ。コズハの体長的に位置エネルギーは見込めなくとも、それを軽々と持つほどの筋力はあるのだ。叩きつけられれば、車のフロントガラスくらいはひとたまりもあるまい。
「──よっ」
気の抜ける掛け声と共に、岩はコズハの手から離れた。
ドン、と強い衝撃が響いた後、《《コズハの体は宙を舞った》》。
「は?」
一瞬の出来事に体は反応せず、目を見張ることしか出来ない。何も無い空間で、コズハの体は撥ね飛ばされた。回転しながら、コズハは茂みに落下する。
再び、辺りは静寂に包まれた。
「……コズハ?」
返事はない。木の葉のさざめきが、かすかに聞こえる程度の無音が耳に張り付いた。
「──コズハっ!」
俺は考えるより早く、コズハに駆け寄った。
どうせ考えたところで状況は分からない。間違いなく、目の前の事象は俺の理解できる範疇を超えている。ならば俺のやるべきことは、体感する恐怖を無視してコズハを助けることだ。
コズハの頭のすぐ隣に膝をつく。スマホのライトを顔に向けつつ、首元に指を当てる。
指先に微かな振動を感じた。
……脈は触れた。胸が上下しているので、呼吸も問題ない。しかし落ちた時に石で切ったらしく、右手の甲からじわじわと血が滲み出ている。動脈を避けているのは不幸中の幸いと言ったところだろうか。
ハンカチを取り出して、傷口に強く当てる。俺の太ももにコズハの手を乗せて、ハンカチの上から押さえつけた。完全に止血するのは不可能であっても、俺に出来るのはここまでだ。
「コズハ、聞こえるか?聞こえたら目を開けろ」
耳元で問いかける。
「……」
口元が動く様子は無い。恐らく気絶しているだけのようだ。
右手からの出血、軽トラにでも撥ね飛ばされたような挙動での2、3mほどの高さからの落下。かなりの衝撃が体に加わっているはず。下手に動かすのも危険だろう。
「……救急車呼ぶしかねえな」
スマホで119番にダイヤルをかけて、耳に当てる。
コズハのせいで応急処置にもすっかり手慣れてしまった。
「……」
というのも、コズハに連れられる先は人がそうそう足を踏み入れない未開の地が多い。そういった場所で遭難者を偶然発見して通報することが結構あるのだ。
「……」
あと怪我の処置に関しては、コズハのせいもあるが成り行きで入った保健委員会のせいでもある。誰も手を挙げなかったので入ったら、怪我人の処置を任せられることがしばしば……。この学校の養護教諭は一体どこにいるのだろうか。
「……」
さて、いい加減触れなければならない。緊急通報が全然繋がらないのだ。一体何故だ?混みあっているのか?大抵2~3コールで出るはずなのに……。
『──ガチャ』
「!」
回線が繋がった音が聞こえた。ようやくこれで通じるはず!
『おかげになった電話は、電波が届かないところにあるか、電源が入っていないため、かかりません』
耳元で聞こえたのは、録音されたアナウンス。ここが圏外であると、単調に伝え続けていた。
「……は?」
困惑とともに、血の気が引いていくのを感じた。
どういうことだ!?さっきまで、動画も見られるほど電波が良かったはず。それがいきなり圏外になるだなんて、いくら考えようと原因は思いつかない。
「くそっ、こうなったら一旦外に出るしか……」
俺がそう呟いた瞬間、右手首に鋭い痛みが走った。不意に走った衝撃に驚き、俺はスマホを茂みに落とした
「……痛っ!くそっ、スマホが!」
口にしつつ、頭で整理する。
この辺りに大型の野生動物はいないはずだが……。ならば植物……ここまでの衝撃を与えてくる植物?枝の跳ね返りとも少し違う気がする。
それにさっきの痛みはビンタとかデコピンのような、叩かれた感じの痛み。……引っ掻くより先に叩いてくる動物ってなんだ?
「って……んな事今はどうでもいいだろ!」
頭を振って雑念を振り払う。今はコズハを一刻も早く、病院に連れていかなくては。
俺はスマホを拾おうと腕を伸ば……せなかった。
「……は?」
いつの間にか腕に、何かが絡みついて動きを止められていたのだ。
俺の腕を何周にも渡って絡んできたのは、表面がスベスベした紐状の何か。例えるならばイカの触手をそのまま太くしたような感触だ。木漏れ日に照らされて、かすかに見えるその肌は、いやに白い。
まるでコズハに紹介されたサイトに出てきた……。
そこまで考えたところで、
“抵抗はしないでくれ。僕も危害は加えたくない”
頭の中に直接声が響いた。
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