基本的には無害です
基本的にはよくあるなーろっぱ系世界の話ですが、各々が思うなーろっぱとはまた違う可能性があります。
ニーナ・マクレーン子爵令嬢が誘拐された理由はいくつかある。
一つ、彼女は家族に疎まれていた。
ニーナの両親は政略結婚で愛などなく、また父親は結婚前から愛人を囲っていた。そちらにも子ができていたために、父親からすれば自分と血が繋がっていたとしてもニーナは自分の子だと思われていなかった、というのもある。彼にとっての真実自分の子は、ニーナの義妹であるリリーだけだった。
ニーナの母が病に倒れ亡くなった事で、父からすればニーナは完全に邪魔でしかない。
愛人を早速後妻として家に引き入れた父は、この時点で将来リリーを家の後継にと考えていたのだろう。
二つ、ニーナは身分こそ子爵令嬢と然程高いものではないが、とにかく美しかった。
母親譲りの美貌は一度見たら忘れられそうにないくらいのもので。
密かにニーナは妖精姫だとか、精霊の姫なんてあだ名がつけられていたのである。人外とも思えるほどの美貌。
ニーナに目もくれないような、他に愛する者がいる者たちからすればただ綺麗なものを見た、で済むけれど。
ニーナによこしまな感情を抱く者にとっては何が何でも手に入れたいと思わせるだけのものがあったのかもしれない。
男であればその美貌の娘を欲望の赴くままに。女であれば、その美しさをあえて自らの手でぐちゃぐちゃにするために。
ニーナに懸想する者はそれなりにいたし、そんな男に恋をする令嬢たちもいたために。
ニーナ自身が何かをしていなくとも、潜在的な敵は多く存在していたのである。
三つ、子爵家といえども資産がそれなりにあった事。
平民からすれば貴族など皆毎日美味しいご馳走を食べて綺麗な服を着て楽しく遊んで過ごしているのだと思う者もいるようではあるが、実際そうではない事は貴族たち自身がよくわかっているし、一部の平民もわかっている事ではあるのだが。
それでも最近になって子爵家が行った事業が上手くいった事で多くの金がうまれ、結果羽振りがよくなった事は周囲に知られた話だった。
ニーナが誘拐された一連の流れとしては。
まずどこぞの貴族がニーナを見初め、無理矢理にでも手籠めにしようと考えた。
ニーナが家族から疎まれていたことはそれなりに知られている話だからこそ、嫁にしたいと話をつければニーナの父は邪魔者を排除できると喜んで送り出したかもしれない。
だが、下手に高位身分の相手に嫁がせ権力を持たせれば、いずれニーナ自身が復讐してこないとも限らない。
父からすればニーナの結婚相手はこちらに害を及ぼさない、大した力のない相手であることが前提であった。その上で、ニーナを高値で買ってくれる相手。
どう考えてもロクな嫁ぎ先でない事だけは窺える。
だが、そういった相手だけが声をかけてくるならまだしも、ニーナには真っ当な貴族からも求婚の話が出ていたのだ。もしニーナの父が下手な相手に嫁がせようとした場合、どうしてもニーナを手に入れたい真っ当な家の令息がそれらの話を叩き潰そうとして動けば、事態はどこまで大ごとになってしまう事か……ニーナの父はそれらを考えると、簡単に結婚相手を決められなかった。
だが、それが一部の者の業を煮やしたのだろう。
結果、何が何でもニーナを手中におさめたいという者が凶行に及んだ。
次に、とある令息に恋をしていた令嬢が、ニーナを邪魔だと判断しどうにかあの邪魔な存在を排除しようと目論んだ。ニーナに想いを寄せる令息とニーナは決して親しい間柄ではなかったが、それでも彼に恋する令嬢からすればニーナという存在はひたすらに目障りであったのだ。
美貌でニーナに勝てると断言できれば良かったが、それができるほどではない。
令嬢自身美しくはあったが、それでもニーナの近くにいればそれだけで霞む。
見た目だけで選ぶような相手ではない、と思いたかったが、それでも令嬢が恋する令息はニーナの見た目に恋におち、すっかりメロメロだったのである。その状態で令息相手にアプローチを仕掛けたとして、美しい宝石の横で泥の付いたネギが何か言ってる、くらいにしか思われないだろう。
人間は見た目だけで判断してはいけない、と言われていてもどうしたって外見に目がいくのは仕方のない事で。
自分の良い部分を最大限アピールしていたとして、ふとした瞬間ニーナの美しさに全てを持っていかれるとなれば。
まずは邪魔なやつを排除してから……と令嬢が追い詰められるのも無理からぬことであった。嫉妬に狂ったと言ってしまえばそれまでである。
これでニーナの身分が侯爵家や公爵家の生まれであったなら、令嬢も諦めがついたかもしれない。
だがニーナの生まれはあくまでも子爵家。
大抵の令息はだからこそ、自分でも手が届くのではないか、と思うようになってしまっていたのだ。
ニーナの事が気に入らない令嬢たちが、それゆえ集まり各々で人を雇い、邪魔なニーナをさらってもらって適当に慰み者にして飽きたら娼館にでも売り払っていい、なんて邪悪な企みを実行したのは、ニーナがニーナである以上、遅かれ早かれ起きていた出来事だったのかもしれない。
そして、金目当ての者の犯行もそこに含まれていた。
ニーナをさらって助けるつもりは一切ないが、あわよくば身代金を払えば無事帰してやる、なんて家族に連絡をすれば、もしかしたらという可能性に夢を持った者もいた。
実際ニーナの家族たちはニーナを疎んでいるので、大金を支払ってまでニーナを取り戻そうと思うはずもないのだが、しかし身代金以上に高値で売れる先があったのであれば。
もしかしたら万が一、という程度の可能性ではあるが可能性がある以上はそういった夢を見る者も出てしまった。
最初から子爵家に金などないとわかっていたならそういう望みは持たなかっただろう。
ともあれ。
これが、ニーナが誘拐されるまでに至ったあれこれである。
誰か一人が目論んで実行したわけではない。
そして誘拐が実行された日、ニーナは一人街を歩いているところを狙われた。
そもそもが子爵家なので。
常に護衛を、という程守りを固めていたわけではなかった。生まれつきもっと資産がある状況であったなら、護衛を付けるのが当たり前、という認識があったかもしれない。けれど、金が増えたのはここ最近の話で、そしてそれ故に家族はまだ誰も自分たちに護衛を、という風に考えてすらいなかった。
そういう意味では狙い目と言えるのかもしれないが、まぁともあれ、家族に疎まれ身の回りの物も義妹に比べ劣る物しか用意されなかったニーナは必要な物があるのなら自分で調達しなければならなかったのだ。
完全に資金を絶たれる、という事はなかった。身の回りのことは全て自分でするようにとされていた。結果として、自分が必要な物を手に入れるために自分の足で店に出向いた結果がこれだ。
ニーナの家族たちは、そういった貴族令嬢でありながら下働きの者のように自分の事を自分でしなければならない、という状況にニーナを追いやってその様子を見て楽しんでいる節があったが、ニーナはそれを特に気にしてはいなかった。
ニーナには実のところ誰にも言えない秘密があった。
前世の記憶があるのだ。
ここではない別の世界で生まれ育った記憶が。
前世の自分がどういった人間であったか、という事までは覚えていないけれど、ぼんやりとこの世界にない物を思い出しては、あぁ、あれはこの世界にないんだな、なんて思うような。
前世の知識を駆使して無双して成り上がるぞ! みたいな事もなく、ただ家族に疎まれた哀れな令嬢を装っていた。
前世の事を思い出してからは、自分の事を自分でやるのは当たり前だという認識だったため、自分にだけ使用人が関わらない事も別にどうという事はなかったのだ。むしろ着替えるのに人の手を借りるとか、そっちの方がニーナにとっては嫌がらせになっただろうけれど、悲しいかな家族はそんな事に気付けなかった。同じ家で過ごしながらもコミュニティから遠ざける形で、軽度の村八分状態にしていたわけだが、むしろニーナとしてはそちらの方がのびのびできていたので家族の嫌がらせは正直一切ノーダメージ。
とはいえ、一人で街を歩いていたことでニーナは誘拐されてしまったのだが。
連れ去られた先は、街から少し離れた森の奥、山に繋がる位置にあるひっそりとした小屋だった。
かつては利用されていたらしいが、今は使われておらず未だに崩壊していないことが奇跡、みたいな小屋だった。
そこに、ニーナを誘拐しようとして集まった者たちが大勢いるのである。
実行犯たちは複数のグループと遭遇して、大いに戸惑った。
うちの雇い主以外にも彼女を攫おうとしていた者がいる、となってまずはお互いにそれぞれの状況を確認しあったほどだ。
結果として、家族がニーナを何としてでも取り戻そうとする可能性は低いと判断され、次に彼女を囲おうとしていた者たちから依頼された誘拐犯はどうにか彼女の見た目を損なわない程度にニーナを奪う方法を考え、逆にニーナを辱め最終的にいなくなってしまえばいいと思っていた依頼主に頼まれた者たちは、これだけの上玉に手を出さないとか有り得ないだろうと下種な事をのたまい。
まぁ、なんだ。
場は混迷を極めたのである。
彼女が狙われたその日は、貴族の子女が通う学校が休校日であったからこそ。
ニーナは恐らく買い物などに出かけるだろうと簡単に予測されていた。
ニーナは普段から特に思い付きで行動するようなタイプでもなかったので、ある程度パターンを掴んでしまえばどういった行動に出るのかを推測するのは、きっと赤子の手をひねるより簡単だっただろう。
結果として、複数の誘拐犯グループがニーナ争奪戦を開始する流れになりかけたわけだが。
突然布袋に覆われてその上から更にぐるぐる巻きにされて呼吸をするのがやっと、みたいにされたニーナが暴れる事はなかったけれど、武芸に秀でたわけでもないニーナを攫った実行犯は、彼女を汚してよいと言われていたグループだった。
そこから、なるべく無傷で手に入れたい勢が依頼主と交渉して金で解決できるかもしれないと交渉し始め、なんだったら今この場で彼女を助けて攫って遠くの地で嫁にして過ごせばいいのでは、なんて考え始める者まで出る始末。
ニーナの美貌はそんな風に血迷わせるくらい凄まじいものだった。
結論を述べるのならば。
ニーナは無事だった。
助けがやってきた、とかではない。
彼女は自力でその場を脱出し、そして街に戻り警邏へ助けを求めたのだ。
彼女があまりにも平然としているから、警邏の者は最初何かの間違いを疑ったものの、それでもと言われニーナが攫われた場所へと行ってみれば。
そこは一面が血の海になった凄惨な現場であった。
多少の荒事に耐性はあってもここまでのスプラッタに耐性がなかった警邏の者は盛大にその場で吐いた。恐らくニーナ以上に彼の方が被害者だったのではなかろうか。
ともあれ、数十名いただろう誘拐犯が、すっかり物言わぬ死体と化したのだ。
警邏の者はこれは自分たちの手に負えるものではないと判断し、騎士団に応援を要請した。
軽犯罪レベルなら警邏で対応するけれど、重犯罪だと思われる案件は最悪国家の存亡にかかわる故に。
騎士団は速やかに出動することとなったのだ。
騎士たちの取り調べに、ニーナは淡々と自分の身に起きたことを語った。
とはいえ、何か目ぼしい有力な情報があったか、と問われると微妙なところである。
彼らが言い合いを始めた隙を見てそっと脱出しただけ、としかニーナは言わなかった。
逃げた後で何かが起きたから彼らはああなったのではないか、とも言っていた。
実際ニーナは袋に覆われ担がれ運ばれた際にちょっとだけ汚れたものの、その汚れは払えば済む範囲であり、返り血のようなものは一切ついていなかった。
そして、貴族の多くは魔法が使えるとはいえ、ニーナが使える魔法は水属性。
風属性であったなら、あれだけの人数が死んでいても実行は可能な気がしたが、水属性の魔法というのは攻撃には不向きであると広く知られている。
実際ニーナに確認すれば、精々コップ一杯分の水を出すくらいしかできませんと返された。
出せる水の量に偽証があったとしても、あれだけの人数を一度に始末できる方法がわからない。
魔法があるとはいえ、魔法は決して万能でも全能でもないのだ。
誘拐犯の中に先祖に貴族がいたとして、誰かが魔法を使えたとして。それが暴走、もしくは暴発した、とかそういった可能性の方がまだあり得る。
どちらにしても、美貌の子爵令嬢は攫われたものの怪我一つないまま無事に戻ってくるという奇跡のような体験を果たしたのだが。
彼女はその後速やかに神殿に入った。
家族から疎まれていた事、今回の誘拐において、何もなかったとはいえそれでも噂は留まるところを知らない事。
事実無根であっても下手な噂が広まれば家の醜聞になると言い、ニーナは元々そうするつもりだったのではないか、というくらい迅速に神殿に身を寄せたのだった。家族との縁を切り、貴族であることを捨てて。
誘拐犯たちがどうしてあのような末路を迎えたのか、という謎はあったが、水魔法しか使えないニーナがどうにかできたとは到底思えなかったからこそ。噂は様々な方向に膨れ上がったものの。
結局社交界で真相が解き明かされるような事はなかったのだ。
「――で、ニーナさんよ、あんた一体どうやって切り抜けてきた?」
司祭の一人、ライアンにそう言われ、ニーナは手にしていた箒をあえて抱え直すように持ち直した。
神殿は広い。掃除をするにしても、中々に時間がかかる。人が通る場所ならともかく、外から訪れる者が足を踏み入れるわけでもない部分だって掃除は疎かにできない。
自分たち以外は誰もいない物置の掃除をしていたニーナは、足元のごみを箒で纏めると改めてライアンを見た。
一言で言えば色男なのだろう。
神殿関係者にあるまじきガラの悪い口調であるけれど、一応公式の場ではきちんとした司祭のフリができるのでニーナが何かを言うつもりはない。ニーナは神殿の中では下っ端で、ライアンに何か物申すのであればそれこそ同期の司祭か、立場的に上の大司祭様だろうから。
この男は神殿に入ったばかりのニーナに突然カードゲームができるかを問いかけ、戸惑いつつも頷いたニーナに勝負を仕掛け、そうしてすってんてんにされて以来、何かとよく話しかけてくるのである。
一応下着は慈悲で残したので全裸を晒させたわけではないが、まぁ、勝つと思ってたのに負けたのだ。だから、絡んでくるんだろうなとニーナは思っていた。
いっそ全裸に剥けばよかったかな、とライアンが聞けば泣きそうなことを考えて、「どう、とは?」と問い返す。
「お前さ、自分が美人だって自覚はあるか? 攫われた先でいくら誘拐犯がバッティングしてこいつを依頼主の所に連れていくのは誰だ! 俺だ! みたいに争ってるとはいえ、そこを何事もなく抜け出せるわけないだろ。全員熱中してお前に気付かないとかあるはずがない。誰か一人くらいはお前の動向に目を向けてたはずなんだよ」
そういや騎士の人もそんな事言ってたっけなぁ、と思いつつも、ニーナはさてどうしたものかと考える。
確かにニーナは一見すると戦えない。
武芸に通じているようにも見えないし、実際鍛えている騎士の目から見てもニーナはか弱い令嬢である。今はもう令嬢ではないとしても、その体は武器を手に戦えるような逞しさなどないし、筋肉だって生活をする上でついたものはあれど、戦えるまでには至らない。武器を仮に手に取ったところで、一度か二度振り回せば力尽きそうなくらい細いのだ。
精々麺棒やお玉といった調理器具を振り回すのが関の山だろう。
そんなひ弱で戦えそうにない令嬢が、複数の誘拐犯たちをどうにかできるなど普通はあり得ないはずなのだ。
それこそ、奇跡でもおきない限りは。
「……確かに私が美人である、というのはわかっていますよ。世間一般から見て大半が私の事を美人だというだろうな、と客観的なものと、あとは……まぁ、両親の顔立ちは整っていた方なので、そこから生まれた自分がそれらを受け継いでいたという点から」
家族から疎まれていたのもわかっているが、一応全く自由がないわけではなかった。だからこそ、その美貌を保つためにスキンケアなどもできる範囲でやっていた。
家族はきっと、自分をより高く売れそうなところに嫁に出そうと目論んでいただろうな、とは思っている。ただ殺すだけでは勿体ない。純潔のままである方が価値が高いのは事実だが、その場合とんでもない大物を引き当ててしまう可能性もあった。疎んでいた女が下手に家族たちより身分が上の家に行って、その後仲良くするかとなれば……まぁ可能性としては皆無だろう。どころか、今までの分とばかりに仕返しをしてくる可能性の方がよほど高い。
だからこそ、家に危害を加えてこない程度の家柄で、家族だけに得をするような……まぁどこぞの金持ちの家の後妻とか、愛人として、と考えていたはずなのだ。
そんな考えだったはずだろう事なので、誘拐されてそこで汚されてしまったとしても特に問題はないとでも思っていたのだろう。むしろその方が売り払う時の理由ができてしまう。
「ほーん、わかった上でそれかよ、お前よく生きてたなぁ」
「お褒めに与り恐悦至極」
「褒めてはねぇなぁ」
壁に背を預けるようにして、ライアンは思わず鼻を鳴らした。
「都合よくどっかの誰かが助けてくれたってわけでもないだろ」
「そうですね。世の中そう都合よくはいきませんよ」
「だったら猶更、どうやって切り抜けたか聞きてぇな」
「べらべら周囲に吹聴されるのも困るんですよね。あぁ、どうせならもう少し弱みを握っておいた方がいいでしょうか? 次のゲームでは全裸で済まないところまでいっちゃいます?」
一切の悪気も何もない顔で言われて、ライアンは自然と両手を上げた。降参とばかりに。
初めてカードゲームに誘った時、それはもう見事に負けた。
その後も何度か勝負を挑んだが、勝てた試しがない。
それどころか、こっそりイカサマをしようとしたこともあったがそれすら事前に見破られた。
ニーナが令息であったなら、わからないでもないのだ。
貴族の令息たちにとってもカードゲームはよく好まれているものだから。しかし令嬢はあまり馴染みがない。ましてやイカサマを直前で見抜けるなどとてもとても。
毎回すってんてんになるまで負かされるので、ニーナに面白半分でカードゲームをしようと誘う他の者はいない。ライアンだけがその強さの秘訣を知ろうと懲りずに挑んでいる。
そんなニーナに全裸で済まないところまで、と言われて一体何をされるのかとライアンは知らず身震いしていた。たかが低位貴族の令嬢だった女だ。
だというのに、それが底知れぬ恐ろしさを持っている。
「わかった、絶対誰にも話さないと誓う。それこそ神に誓って。神聖魔法による契約を結ぼう」
「そうまでして知りたいんですか」
「そうまでしないと話してくれないだろ」
そう言われてしまえば。
ニーナとしても否定できない。
神聖魔法による契約。破れば神罰必至なそれは、重要な契約の際は必ず用いられるもので。
貴族が使える魔法とはまた異なるものだ。使おうと思えばこれだけは大抵の者が使用できる。魔法契約に関しては、神が人に与えたものなのか、魔力がほとんどない者ですら扱えるのだ。全く魔力がなければ使えないけれど。
そしてライアンがそんな宣言をしてしまった事で。
魔法契約が結ばれた。目の前に魔法陣が突如出現し、ニーナとライアンの体内にすっと溶けるようにして消える。
それによってニーナは誘拐事件での一件をライアンに話さなければならなくなったし、ライアンはそれを誰にも話せない事になってしまった。
あくまでも誘拐されて、その場をどう切り抜けたか、を話すだけなのでニーナにとって前世の記憶云々について語る必要はない。だが、前世で当たり前だったことをここでもそのように語ったとして、すんなりと通じるかは微妙だった。
「えーっと、私が使える魔法って、水属性なんですけど。精々コップ一杯分の水を出すくらいしかできないんですよ」
「おう」
「でも、元々そこにある水ならもうちょっと扱えるんです」
川から水を汲め、となった時、そこから必要な水を操って入れ物にいれるとか。
そう言われてライアンは意外と便利だな、と口に出した。
でも入れ物は操れないから、持ち運ぶとなるとあまり重たくはできない。水だけを浮かせて場所を移動する方が便利ですらある、とニーナは返す。
ニーナがそういった使い方をしているところを見たことはないが、していたらそれはそれで下手に注目を集めるからだろう。ライアンはあっさりと納得した。
「で、人間の身体って結構水分あるじゃないですか。怪我をして擦りむいた時とか、血が出るでしょ? 怪我の度合いによっては血が出ない事もあるけど、そこそこ深い傷だとどこでも血が出る」
「そうだな」
「ってことは、人間の身体の中って血が巡ってるわけです。血もまた水分なので」
「おう」
相槌を打ちながら、ライアンはなんだかとても嫌な予感がした。
今更であるけれどライアンは貴族の家に生まれた三男坊である。
そこそこの身分の家に生まれたけれど、しかし後継ぎは既にいる。だからこそ、彼はどこぞの家に婿入りをするか、はたまた自力でどうにか身を立てなければならなかった。
結果として神殿入りをして、家の力もちょっと使ったがこうして司祭の立場になるまでに至った。
人前に出る際は、それなりに礼儀作法を学んでいた相手の方が何かと都合が良いのだ。生まれも育ちも平民であった者に教える事もしてはいるが、それでも生まれたときから所作に関して気を配らなければならなかった貴族の出身とそういったものに頓着しなかった平民とでは、咄嗟の時の所作にどうしても差が出てしまう。
平民であったなら。
そこまで学もないだろうから、ライアンはここでそんな嫌な予感など感じる事もなかっただろう。
けれど、これでも一応貴族としてそれなりに育てられてきていたことで。
神殿に入る前は騎士として身を立てるべきかとも考えていたことがあったし、すぐに向いていないと気づいた時に医者に転向しようかとも考えた。
一応医者になるのなら、と学んだ事もたくさんある。
人体に精通している自信はあった。
そのせいで、本当に嫌な予感しかしない。
「ある人は頭……脳の血管に流れる血を。ある人は心臓の血液を。
こう、内側から外側に向かうような形で操ったんですよ。
結果として――パンッ!!」
言葉と同時に手を打ち付けると、ライアンの肩がびくりと跳ねた。
驚かせようと思っていたので驚いてくれて何よりである。ニーナはにんまりと、どこか意地の悪い笑みを浮かべた。
まぁ、多少ぼかしてはいる。
血液だけを操ったわけじゃない。
実際は、そこに自分の水の魔法も足した。血管に入りきらない量の水が突然血管内に出現した結果、破裂したのだ。そうして息の根を止めた後、改めて身体の中の血を外側に向けて操った。
「私、一瞬だけど暗殺者に転職しようかなって思ったんですよ。武器いらずで人が殺せるし、水属性の魔法を使う人がそこまで攻撃力高いなんて話今まで聞いた事がないでしょう? だからね、すぐに殺し屋なんてやってる、って気付かれないんじゃないかなって」
「いやぁ、そこで本当に暗殺者にならなくて良かったぜ」
ニーナの言葉通り、水属性の魔法の使い手は基本的に水を出したり怪我を治したりはするけれど、そんな物騒な使い方をした者は今までいなかった。いたら間違いなく文献などに記されている。
水魔法は無害なもの、というのが大半の認識なのだ。
「えぇ、暗殺者になろうにも、どこにいけばなれるのかわからなかったから……裏社会に通じる相手に知り合いはいないし、接触もままならず」
「……いやホンット良かった!」
下手に裏社会の人間に近づいたとしても、ニーナの場合暗殺者として雇われるのではなくどちらかといえばその美貌によってボスの愛人とかそっち方面に流れていきそうだけれど、そういう使い方・発想があるという時点でもしボスが気に入らなければこの女、簡単にそいつら殺しそうだな……とライアンは思ってしまったので。
下手に裏社会のギャングやマフィアのボスを手玉に取られても恐ろしいし、そういった連中を殺して回っていくのも恐ろしい。
しかも彼女は水魔法しか使えないから、仮に殺したとしても即座に彼女が犯人であると結びつかない可能性が高いのだ。現に少し前の誘拐事件の容疑者からも早々に抜けたのだから。
にこにこ笑いながら言ってるのもまた恐ろしい。
こいつ、一歩間違ったら傾国の悪女にでもなってたんじゃなかろうか……ライアンはそんな空恐ろしい想像をしてしまった。何が恐ろしいって、その想像が容易だったことだ。
人は、本来想像しえないものを無理にでも思い浮かべろと言われたところで想像しようがない。だが、有り得そうな事や物に関してはかろうじて想像できる。
優雅に嫋やかに微笑みながら国を崩壊に導くニーナの姿が、ライアンには恐ろしい程あっさりと想像できてしまったのである。
つまりライアンはニーナの事をそういう事をしてもおかしくない人間、とここで自覚してしまったわけだ。さもありなん。
まぁ、ライアンの想像は何も間違っちゃいない。
ニーナは自分より立場が上の人間に取り入ろうと思えばできなくもない――ただしやる気はない――し、邪魔な人間を排除するために魔法を使って殺す事も容易である。
前世の記憶なんてものが蘇らなければ、ニーナはどこまでも美貌の令嬢であるだけだったはずだ。
ただただ美しいだけの、自らの力はこれといって特筆するようなものもない弱者と呼んでも差し支えのない令嬢。
だがしかし、前世の記憶が蘇ってしまった事で、ニーナの様々な部分がとんでもアップデートされてしまったのだ。
ライアンに話した内容は正直大分まろやかにしてある。
大体内側から外側に人間を破裂させたのだから、パンッ、で済むはずもない。
バトル系少年漫画あたりで体内のエネルギーを物質化して武器にして放つような技を使って人間を爆発させる、みたいな攻撃をした挙句、
「きたねぇ花火だ……」
みたいな事を言いそうな敵側の人間みたいな事をしでかしているのだ。
あと、もう一つ詳細を省いた部分もある。
ニーナを巡っての言い争いが鬱陶しかったのもあって、ニーナはまず誘拐犯たちの喉のあたりに水を詰めた。コップ一杯分出すのが精いっぱいであろうとも、数名ずつ気道を塞ぐ分には何も問題がなかった。
液体なのだからそのまま喉の奥に流れていくかと思われるが、しかし液体であっても喉に詰まるときは詰まる。
たとえばそう、暑い日に喉がカラカラに乾いて、そんな時によく冷えた水を一気に飲み干そうとした時に。
普段であればそこまで勢いよく飲むこともなく、また一気に流し込もうなんてしないだろうけれど、口の中いっぱいに水を流し込んでそれを一度に飲み込もうとすれば、液体だろうと喉奥から食道を通過する際には一瞬であっても詰まるような感覚に見舞われるのだ。食べ物であれば、最悪その場で詰まってしまうが、液体であれば流れていく。だからこそそこで窒息するような事にはならないが、だからといってノーダメージとはいかない。
とはいえそれは、普通の液体を飲んだ時の話だ。
ニーナが魔法で出した水は、流れないまま気道を塞いだ。
そして窒息しかけて倒れた誘拐犯たちを、他の誘拐犯たちが驚いた様子で見ているその隙に――
ニーナは次々と他の誘拐犯たちも同じように気道を塞いで倒していったのである。
一度に出せる水の量はコップ一杯分が限界とはいえ、一度に出したら次に出せるまでに時間がかかるというわけでもない。
だからこそ手数で勝負して、そしてニーナは見事勝利をおさめたのだ。
誘拐犯たちが何が起きたか理解するより先に。
窒息を免れた者たちが何が起きたかを理解し、対処するよりも前に。
倒れた相手の隙間を縫うように歩いて距離をとってから、ニーナはライアンに言ったようにして彼らの身体を内側から破壊したのだ。
血の流れを止める、とか穏便な殺し方もできたけれど。
だが、より派手に殺しておいた方が自分へ疑いの目が向いたところで、水属性の魔法しか使えない女にそんな芸当ができるはずもない、と思われる。最初から最後まで潔白であるよりは、一度向けられた疑いが晴れた方が後々自分にとってはいいだろうと思ったからこそ。
わざわざこの世界の者たちが思いつかないような残虐な方法で水魔法を使った。
「えぇ、つまりは、そういう事ですよ」
それ以上の事なんて何もありませんよ、と言わんばかりにニーナが締めくくる。
他言無用という契約を結んだライアンは、ニーナがこうもえげつない手段を使えると周囲に話せない。
仮に話したところで、信じてもらえるかどうかは半々……と言ったところだろうか。
ニーナの儚げな見た目から、そんな過激な攻撃手段を用いるなどとは大抵の者は思わない。
ニーナがもっとガラの悪い態度であれば、そういう事もあるかもしれない、と思う者も出たかもしれないが、普段のニーナはお淑やかに周囲に振舞っている。
ニーナの前世、彼女は紆余曲折あって生まれ育った国から海を越えて、国外のカジノで働いていた。
故郷は武器の所持を禁止されていたけれど、海外は物騒なところも多く銃が当たり前のように所持されているなんてのもザラだった。
ライアンとのカードゲームでバカみたいな強さを見せつけたのは、それもあったからだ。
ついでにイカサマの見破り方も熟知しているし、自分が相手にバレないようにイカサマをするのもできなくはない。
ライアンとの勝負ではイカサマ無しで勝ったけれど、もし彼がイカサマをしていたならそれを見抜くだけの自信はあったし、逆に彼にバレないようイカサマをすることも可能であった。
平和な故郷と違い、ちょっとしたことで銃弾が飛び交うような国だったから。
自分の身の危険を感じたらとにかく身の安全を確保するために動いていたし、それもあって誘拐犯たちに囲まれても冷静でいられた。
ニーナにとって魔法は夢のような力であると一度は思ったものの、けれどそれは。
ニーナにとって自分が使える水魔法というのは、前世で言うところの銃そのものでもあったのだ。
使い方次第で簡単に命を奪うだけの力。
しかも使える事をとがめられるでもない。そして、危険なものだと大衆が思っていない。
そういう意味ではニーナにとって都合のよい力ではあった。
ニーナは別段戦闘に長けているというわけではないので、相手が油断してくれるのであればそれに越したことはない。一切油断せずこちらを警戒し幾重にも策を張り巡らせるような相手は厄介極まりないけれど、こちらをただ見た目だけの女だと侮ってくれる相手なら、その一瞬の油断が命取りだ。
「お前さ……」
何やら言いたげなライアンに、ニーナはしかしそれ以上深入りするなとばかりに微笑む。
「私は、自分の身の危険を感じない限りあんなことはしませんよ。暗殺者だったなら、殺したらその分お金になるから頑張ったかもしれませんが」
「やめろ、絶対にやめろ機会があっても転職すんなよ!?」
「まぁ、ふふ」
「嫋やかに微笑めばいいってもんじゃないんだよなぁ……!」
思わずといった様子で頭を抱え込んでうめくライアンに、今更のように彼がここにわざわざやって来た原因を察した。
あぁそうか。
自分はさっさと家族との縁を切って平民になったけれど。
その他の男どもが自分をそれで放置してくれるかというと、してくれなかったのだろう。
何より平民になったのであれば、今まで以上に権力でごり押せるとでも思ったのかもしれない。
だがしかし神殿に身を寄せたニーナが、男たちに誘拐され何でか下手人たちが死んで唯一生き残った、という状況から男性に恐怖心を抱いている可能性を考えて、神殿とて一応守ろうとはしてくれているのだろう。
修道士や神官、司祭といった面々はそれ以外の男性と比べれば欲に満ちた目で見てきていないからまだニーナも平静を保てているとでも思っているのかもしれない。
だがしかしニーナは前世、ラブ&ピースを謳っておきながらそのくせ人種差別が横行しそれ以外の差別も当たり前のように繰り広げられ人の命は尊いと言いつつも虫けらのように殺されていくような世界で生まれ育っていたので。
何の罪もない人を殺したのであれば多少胸は痛んだかもしれないが、自分を誘拐しなおかつ年齢制限がかかりそうな展開に持ち込もうとしていたような連中の命をどれだけ屠ったところで。
ぶっちゃけこれっぽっちも胸は痛んでいないのである。
下手に権力やら金の力でもってニーナを無理に神殿から引き離して妻や後妻、愛人にとしようという強欲な貴族あたりのもとに連れていかれたとして、ニーナなら隙を見てサクッと殺れる。
隣の部屋とかでタイミングはかって使用人がいる時あたりに相手の頭をパァンさせてしまえばいいだけの話だ。その際濡れ衣を着せられる可能性の高い使用人は、自分にとってあたりの強い、または自分を見下している相手を選ぶつもりですらいる。
自分に危害を加えてこない相手にそういった真似をするつもりは、ニーナにだってないのだ。
いくらなんでも流石にそれは……と思う程度には良心がある。
逆に言えばその程度しかないわけだが。
「あー……いや、このままだとお前そのうちまた攫われかねないぞ」
「まぁ大変。家族と縁を切った方がいいと判断しましたが、平民になったのは早計だったかしら」
「表情がこれっぽっちも困ってないのはなんでなんだよ……」
「魔法でどうにかできないなら、あとはもう男を手玉に取るしかないなという表情、でしょうか」
「やってできなくもなさそうなのが怖い」
「うふふ」
「だから、そこだけ儚げに微笑むのやめてくれ。逆に怖いんだ」
「……わかりました、では、人前でライアンさんに酷いことを言われたのだと言って涙を一筋流してきます」
「うわやめろ、ここぞとばかりに司祭の地位から引きずり落とそうってやつが張り切るだろ!?」
「冗談です」
「本気にしか聞こえなかったんだわ……」
とても今更ではあるのだが。
ライアンは失敗したなと思っていた。
儚げな見た目で、虫一匹マトモに殺せそうにない嫋やかな元令嬢。
シスターとなって神殿で働き始めて日が浅く、その動きを見る限り武術などに精通しているとは到底言い難い。
身分だって元子爵家の生まれなので、こう言ってはなんだがほぼ平民みたいなものだ。
礼儀がそこそこなってる平民と言われてしまえば、高位貴族から見ればそういうものだと信じるだろう。
誘拐犯たちが全滅していたこともあって、何かあったのは確かだと思っていたけれど。
ニーナがやったとはライアンだって思ってなかった。
てっきり、そう、てっきりたまたま通りすがったどこぞの凄腕冒険者が助けて颯爽と去っていったとか、そういう情報を期待していたのだ。どちらかと言えば。
だが蓋を開けてみれば、とんでもねぇ女であった。
思った通りの女性であったなら、流石のライアンも実家の伝手とかでニーナの事を無下に扱わない相手に嫁がせるなりして逃げ道や守ってくれる相手の手配を、と考えたりもしていたのだ。実家はそれなりに顔が広いので。今は平民になってしまったとはいえ、元は貴族令嬢だ。平民を貴族の養子に迎え入れるよりは、まだマシな方でもある事だし。
勿論ニーナがそれを望んでいたならば、の話ではあるけれど。
だがしかし、彼女は別に何があってもどうとでもするような飄々とした態度ですらある。
なんか駄目だ。
この女を野放しにするのは危険だ。
けれど、危険性を訴えようにも先程神聖魔法での契約を結んでしまったので、ニーナがいかに危険なのか、を具体的に言う事ができない。
このまま神殿にいたとして、今はまだいい。
けれど神殿だって欲のない男しかいないのか、という話をされると答えは否。今は一介の神官であってもいずれはもっと上の……と野心を持つ者は当たり前にいるし、現状神殿は国の政治に関わる事はないけれど、権威を高めいずれは……と目論む者もいる。
王宮とは別の意味で陰謀渦巻く場所と言ってもいい。
今は、まだ。
事件があって間もない状況だからこそ、ニーナを利用しようと思っていても手出しはされないはずだ。だが、それがいつまでも続くわけではない。ある程度落ち着いた頃合いを見計らって、ニーナを利用しようという者は間違いなくいるのだ。
だが、彼女が素直に利用されてくれるか、となると。
ライアンの目から見て、それは無いと断言できるものだった。
いくら見た目がおとなしそうで従順そうに見えるといっても。
彼女には自我があって、しかも結構癖が強めだ。
恐らく自分の利になるのであれば手を組む事も考慮してくれるだろうけれど、神殿の欲にまみれた男のために一方的に利用されるか、となると……
絶対こいつ報復とかする。
しかもしれっと、悪事の証拠とか出して神の裁きが下ったのでは? とか言い出しそう。
ライアンのその想像はまだ想像の域であるのだけれど、しかし恐ろしい事に当たっていた。
ニーナに確認すればえぇまぁ、やるでしょうねぇ、とかしれっと頷かれる。
このままでは神殿が血まみれの呪われた地扱いになりかねない。
このままニーナを神殿に置いたままにしておくのは、いずれ問題が発生する。
ライアンは今の立場を捨てるつもりはないけれど。
このままでは間違いなく何らかの厄介ごとに巻き込まれるだろうなと嫌な確信を得てすらいるので。
「…………一つ、話があるんだが」
考えに考えた結果、ライアンは密かに考えていた未来図の一つを実行することにしたのである。
その未来図はライアンにとっていずれは、程度にふわっとしか考えていなかった。
実現するつもりも実行するつもりも、そこまでではなかった。
強いて言うなら庶民のボーナス出たら○○買うんだ、くらいのふわっとした目標みたいなものである。
それだって絶対買うぞ、と意気込むものでもないような。そんなふわふわした、機会があれば、というあやふやなもの。
だがしかし、ほんの少し関わって思ったニーナのヤバさを放置するわけにもいかず。
彼は、急遽夢物語で終わらせるはずだったそれを実現させることにしたのだ。
ライアンの実家がある領地には、実のところ賭博場があった。
ライアンが自分のカードゲームの腕を磨いたのは、まさにこの賭博場である。
一応、国でアウトゾーンだと判断されない程度にグレーゾーン経営のそこを、ライアンはオーナーとなって経営することにしたのだ。ニーナを連れて。
彼女のカードゲームの腕前は確かなので、ディーラーにさせておけば彼女の美貌もあってかカモと呼べる客がわんさかやってきた。
彼女の近くには強面の用心棒も控えさせているので、勝ったらニーナを好きにさせろ、みたいな事を言い出す者がでないよう目を光らせてもらう事にする。
そもそもニーナに勝てる相手が出るのかは謎だ。
何故ってカードをシャッフルしている段階で、どこにどのカードがあるか把握してるような女なので。
いい手札も悪い手札も把握した上で、あえて劣勢から逆転勝利なんて事をするような女だ。
ディーラーでなければ、と思ったがそもそもライアンが最初に挑んだ時は自分がカードをシャッフルしていたので。
純粋に勝負運が強いのかもしれない。少なくとも度胸はある。
となると、してもいないイカサマだと勝てない相手が言いがかりをつける可能性もあるのでやはり強面の用心棒は必須であった。
すっかり後を継いで当主になっている兄に泣きつくような形で援助をしてもらったりした上で、ちっぽけな賭博場は気付けばカジノと呼んでも差し支えない程の規模にまで改装された。
領地の片隅にひっそりと存在してただけのはずの賭博場が、気付けば一大テーマパーク扱いである。
ライアンが睨んだ通りニーナはいい客寄せパンダになってくれた。
彼女があの時ライアンの提案を拒んだならばこんな事にはならなかっただろうけれど。
「なんであの時了承したんだ?」
「そちらの方が楽しそうだったので」
ニーナは前世の事を一切語るつもりはない。けれど、彼女は前世でも、カジノで働いていたので。
人生の大半をカジノで過ごしていたといっても過言ではない彼女からすれば、カジノは第二の故郷というかむしろ故郷そのものですらあったのだ。
自分にとって最大限有利なステージはどこか、と問われれば間違いなくカジノで。
殴り合いはできずとも、いざとなればカードゲームにルーレットあたりで勝負を挑めばいいだけの話だ。
勝てなさすぎてイカサマを疑った相手に言いがかりをつけられたところでニーナからすれば痛くもかゆくもない。
してもいないイカサマを見抜けるのならどうぞ。
そんな風に煽る事すらあった。
そして逆に相手が仕掛けたイカサマを見抜くまでワンセットである。
自分をカジノへと誘ったライアンに関しては、恋仲になるような事はなかった。どこまでもビジネスパートナー。
大抵のことはなんでも話しあえていた二人であったけれど。
だが後年。
「やっぱり行きつくところに行きつくものなのね」
ニーナがふと、何かを懐かしむように、どこか遠くを見るような眼差しでそう呟いた言葉の真意だけは。
どういう意味で言ったのか、ライアンですら知らないままであった。
後のライアンくんのところにやって来たお嫁さんは、ニーナの技術に惚れ込んで弟子入りしたいとかのたまうタイプだったので、気付いたら嫁が一番仲いいの夫じゃなくてニーナだったとかいうオチが待ってる。
ニーナさんは前世のニュースとかで得た犯罪系の知識とかを用いて知り合った騎士にあれこれお話ししてるうちに、あの、本当に前科とかないんですか……? って訝しがられることはあるかもしれない。お前のプロファイリング能力の高さはなんなの? とか言われる未来は高確率で存在する。
次回短編予告
原作が始まる前に既に終わってた系の話。
この手のパターンそんな思いつかないからそろそろ打ち止めな気がしてきた。