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 神泉苑は、大内裏の南隣に広がる広大な禁苑だ。歴代の帝の遊興地とされてきた庭園である他に、旱魃(かんばつ)が起きた際には求雨の法が営まれる神域でもある。噂によると神泉苑の広大な池には龍神がお住まいになっている、という話だ。


 そんな神泉苑は今、不自然にしんと静まり返っていた。元から禁苑であるから人の出入りは少ないのだが、それでも管理の者は常駐しているし、豊かな自然には鳥や虫が集まる。だというのに今は、そんな生き物の吐息が感じられない。


 ──鬼を恐れて息を潜めている、と言うにしても、なんか不自然な気がするな……


敦時(あつとき)、どうだ? 何か見えるか?」


 その中に躊躇いもなく踏み込んだ時臣(ときおみ)が後ろに従う敦時を振り返る。そんな時臣の肩には大弓がかけられ、腰には常の物よりも多くの矢が刺せるように改造された時臣専用の(えびら)と時臣愛用の太刀(たち)()かれていた。戦う気満々の装備を見た敦時が深く溜め息をついたことはもはや言うまでもない。


「俺には人気のないいつも通りの庭が広がっているように見えるんだが。お前には何か見えているのか?」

「……いや」


 そんな胸中を一旦脇にどけて、敦時は時臣の言葉に答えた。


「多分、時臣と同じモノしか見えていないと思うよ」

「そうか」


 敦時の言葉にあっさり頷いた時臣は、キョロキョロと周囲を見回すと奥を指差す。


「とりあえず、鬼が出るという池端を目指す感じでいいか?」

「中の管理者に話を通しに行かなくていいの?」

「あまり仰々しくされて時間を取られたら面倒だ。話はバッタリ顔を合わせてしまった時と、事件が解決した時にする」

「分かった。じゃあとりあえず現場に行こう」

「おう」


 さらに続いた言葉にもあっさり頷いた時臣はサクサクと奥へ向かって歩を進め始めた。貴族らしからぬ早い歩調に小走りについて行きながら、敦時はいつも思うことを今日も胸の内で呟く。


 ──(せん)は信じてないくせに、僕の見鬼(けんき)の目を疑わないんだよね、時臣って。


 帝は高天原(たかまがはら)におわします最高神・(アマ)テラス(オオ)()(カミ)の後裔だとされている。この国は神代(かみよ)からの伝承に彩られているし、貴族……それも帝の血筋ともなれば、伝承やら因習やら何やらかんやらとは無縁ではいられない。人々は当たり前のように占に縛られたまま日々の生活を営み、目に見えないモノを恐れ、嘘か(まこと)かも分からない伝承を信じて神を敬う。


 それがこの『国』の当たり前で、貴族ともなればもはやそれらは絶対。疑問を持とうという考えがまずない。


 だというのに、そのど真ん中に生まれて生きてきたはずである時臣は、幼少の頃から占というものを信じていなかった。過度に神を敬うこともないし、(あやかし)を恐れることもない。


 曰く、『そんな訳の分からないモノどもに己の人生を決められてしまうのは腹が立つから』ということだ。


『どこで何をしようが、それは俺の勝手だろ。悪いことをしたら悪い結果が生じる。良いことをしたら良い結果が生じる。これはごくごく当たり前のことであって、そこに占の結果は関係ない。占にいちいち指図されながら生きるなんて息苦しい真似、俺は御免だ!』


 と、よりにもよって朝廷の重鎮達が集まる場で力強く演説してしまったせいで『言動に難あり』とされ廃太子まで追いやられたことは、今や誰でも知っている有名な話だ。


 ついた呼び名が『(せん)(やぶ)りの御子(みこ)』。もしくは『野狂(やきょう)の再来』。ちなみにどちらも褒め言葉ではない。


 ──当人は全くもって気にしてないし、むしろ『野狂の再来』の方には『俺なんて(たかむら)公に比べたらまだまだひよっこだぞ!』って、なぜか謙遜してたくらいだったんだけども。


 とにかく、時臣は『目に見えないモノは信じない。目に見えているモノはぶん殴る』という、到底貴族らしからぬ主義を持っている。


 だが『目に見えていないモノは()()信じない』というわけではないということも、敦時はまた知っている。


「ねぇ、時臣」

「おう」

「時臣って、占は信じてないじゃない? たとえ僕が占った結果でもさ」

「まぁな。まぁ、他のやつらが占じた結果よりかはお前の占を信じてるぞ」

「うん。まぁそこは僕も、君に必要な部分だけを伝えてるからさ」


 そんな胸の内を、敦時は時臣に向けてみることにした。


 何せ神泉苑の庭は広い。せっかく気兼ねなく口をきける状況で時臣と一緒にいるのだ。無言のままでいるのは、何だかもったいない。


「でも時臣って、昔から僕の見鬼の目を疑ったことってないよね? 何で?」

「そりゃお前、お前にはそれが()()()()()()()真実だからだろ?」


 何言ってるんだ? とでも言い出しそうな、『どうして昼間の空は青いの?』とでも幼子に急に訊かれたかのような、そんな呆気に取られた顔で時臣は敦時を振り返った。ちなみにその間も時臣の歩調は緩まない。振り返らせたまま歩かせるのは危ないと判断した敦時は、さらに足を早めると時臣の隣に並ぶ。


「でも、時臣の目には見えてないわけじゃない? 時臣としては僕にしか見えないモノも『見えないモノ』なんじゃないの?」

「はぁ? お前、何もない空を指して狩人が『(かり)がおります』って言ったら、それを信じないのか?」

「え?」


 唐突に投げかけられた言葉に敦時は言葉を詰まらせた。何を(たと)えられているのか意図が分からず、目を(しばたた)かせながら時臣を見上げれば、時臣は『仕方がないやつだな』とでも言いたそうな顔で説明の言葉を足してくれる。


「狩りで活計(たつき)を立てる狩人は、いつも獲物を追っているわけだから俺達なんかよりもずっと目がいい。俺達の目には一点のシミもない美しい青空に見える空の中に、あやつらは獲物の姿を見つけられる。その時、狩人が言う雁はきちんとこの世界に存在している。俺の目に見えないから存在しないというわけではない」


 お前の目に映るモノも、つまりはそういうことなんだろう? と時臣は続けた。


「つまりお前が見たと言うならば、そこに彼らはあるんだろうさ。俺に見えんから存在しないなんていう狭量なことを言うつもりはない。俺の目には見えん世界も確かにあるということは、俺だって知っている」


 でなけりゃこんなに世の中に神だ、鬼だ、妖だって話、あふれてないだろ、と時臣は締めくくった。


 そんな時臣の言葉に、敦時はしばらく無言のまま目を丸くする。


 ──そんな風に思ってたんだ……


 つまり時臣の中で敦時が見て『いる』と判じたモノは、時臣が見て『いる』と判じたモノ同様にそこに『ある』という判定になるらしい。


 だがそう判断するには、ある前提条件が必要であるはずだ。


「時臣は、僕が嘘をついてるとは思わないの?」


 そのことに気付いた敦時は、素直にその問いも投げた。


「狩人の『雁がいる』っていう言葉は、狩人が雁を仕留めてみせれば本当だったって証明できるじゃない? だけど僕の『妖がいる』っていう言葉は、妖を祓ってみせても証明できないよね? だって目の前にあってもなくても、時臣の目にはその妖が見えないんだから」


 妖や神といった『ヒトならざるモノ』は、限られた人間の目にしか映らない。そしてそれらに対処できる正しい(すべ)を持っている者は、その中でもさらに希少だ。


 だからいつの時代にも少なからず偽者術師が現れる。見えないモノに関わる仕事は、周囲を欺きやすいことと術師の数が足りないことの両方があって、いつの時代にだって詐欺の対象になりやすいのだ。そしてそういった輩が対処できずに荒らしていった現場の尻拭いをするのも、本物の術師の役目だったりする。


 ──まぁ、騒ぎ立てる側も騒ぎ立てる側で妖事(あやかしごと)じゃないことまで妖のせいにしてくるから、そういう輩の対処って意味では偽者も役には立ってるんだけども。


 それはそれ、これはこれ。


「つまり僕が嘘をついていたとしても、時臣には確かめる術がないわけなんだけども。それでも時臣は『僕に見える』ことが『彼らはここに在る』ことの証明だって言うの?」


 脱線した思考を元に引き戻しながら敦時は時臣を見上げた。そんな敦時を見返した時臣は実にあっさりと敦時の言葉に答える。


「お前は嘘は言わんだろ」


 敦時としては結構深い話をしているはずなのだが、バッサリと敦時の疑問を切って捨てた時臣は実にあっけらかんとした顔をしていた。先程の問いに答えた時よりもさらに『何を言っているんだ』と言わんばかりの顔になった時臣は深く呆れの溜め息をこぼす。


 ──ちょっと待って、呆れの溜め息をつきたいのはむしろこっちなんだけど?


「俺は生まれた時から(まこと)よりも嘘が多い世界で生きてきた。お前も一応は知ってるだろ。後宮ってのがどんな所か」

「まぁ……一時期僕もいたからね」


 敦時が時臣と初めて出会ったのも、思えば後宮だった。殿上童(てんじょうわらわ)という名の厄介払いを受けた敦時が後宮でも疎まれたあげく、危うく殺されかけた現場にたまたま時臣が現れ、敦時を自分付として召し抱えることで命を救ってくれたというのが二人の始まりである。


「あの世界では、嘘を見抜けん人間から喰われて死んでいく。嘘を見抜いた上で、優雅に笑って、嘘と策謀と愛想と非情を巡らせなければ生きていけない。……俺の母上は、それができなかったから命を縮めた」

「……うん」


 敦時が後宮に上がった時、時臣の母である中宮はすでに身罷(みまか)った後だった。だから敦時は亡き中宮を直には知らない。ただ、とても儚げで穢れなど知らないような無垢な御方であった、という話だけは、風の噂で聞いている。


「俺はこんな性格だが、そんな環境で育ったからな。嘘を見抜くのも、相手の腹の底を読むのも、結構得意だ」


 言葉少なく頷いた敦時の心中を時臣がどこまで察しているのかは分からない。ただ、敦時に向けられる視線は、変わることなくどこまでも真っ直ぐだった。


「お前は、俺には嘘をつかん」


 その視線と同じ率直さと強さで、時臣はあっさりと言い切った。


 特に気負うことも、含みを持たせることもなく、ただ当たり前の事実を当たり前として口にするかのように。


「他に対する時は知らん。そこまで俺が知る必要はないし、お前にもお前の立場や役割があるからな。全てに誠実にあれと強いるつもりもない。ただ、お前は俺に嘘はつかん。仮につくならそれが俺に対して必要だったということだ」


 言葉もなく目を見開く敦時を見据えたままスパッと言い切った時臣はそのままチラリと前方に視線を向けた。敦時もはっと前を見やれば、キラキラと何かが光を弾いている様が見える。どうやらいつの間にか池端近くまで来ていたらしい。


 それを確かめたからなのか、時臣は不意に足を止めた。


「何を気にしているのか知らんが、これでお前の問いに答えることはできたか?」


 唐突な停止に反応できなかった敦時は一、ニ歩時臣を追い越してから慌てて足を止める。時臣が敦時にしたように真っ直ぐに時臣を見つめ返せば、時臣は瞳の奥にわずかにだが敦時を案じるような色を浮かべていた。敦時があんな質問をしてしまったから、何かあったのではないかと気を揉ませてしまったらしい。


 ──ほんっと、そーゆートコ。


「……うん、ありがと」


 じんわりと、心に温もりが広がるのが分かった。


 それを隠すことなく笑みに載せて、敦時は時臣を(いざな)う。


「さ、行こう。現場はすぐそこだ」


 何も説明しなくても、その笑みと言葉だけで時臣には全てが通じると分かっている。現に時臣は敦時をじっと見つめた後、安堵の笑みとともに足を踏み出した。


「あ、でもあんまり前には出ないでよね、時臣。二人だけの外出(そとで)で時臣に怪我させたとかなったら僕の首が危ういから。物理的に」

「心配しなくても、俺はそこまで(やわ)くない」

「うー、いつものごとく会話が微妙に噛み合ってない……」

「噛み合ってる噛み合ってる」


 じゃれるように言い合いながら、二人揃って足を進める。


 その瞬間、二人の視界が一気に晴れた。


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